Works 189号 特集 長寿就労社会 定年“消滅”時代、あなたはどう働きますか?
大企業出身シニア人材が中小企業の右腕になるには コミュニケーション力と実務経験が鍵

大手企業で培った経験や知識を退職後に中小企業で生かす。双方にニーズはあってもマッチングはそれほどうまくいっていない。そうしたなか、神戸市の三田電気工業では神戸製鋼所出身の奥野利明氏を迎え、成果を上げ始めている。
三田電気工業は、樹脂や電気絶縁物の精密切削加工を得意とするプラスチック部品メーカーだ。電力会社、食品や医療メーカー、半導体製造装置関連企業など顧客は多岐にわたる。2代目社長の中村哲哉氏は、2023年に技術士の奥野氏を、兵庫県プロフェッショナル人材戦略拠点の人材マッチング事業「右腕人材プログラム」(詳細はこちら)を通じて迎え入れることになった。
「2010年代からの半導体産業の活況を受けて、当社の軸足もそこに移っていました。ところがコロナ禍で高まったPC需要が一巡すると急に業界が冷え込み、生産性を上げていかなければとなった。そんなとき、右腕人材プログラムの提案を受けたのです」と、中村氏は経緯を説明する。
中村氏は、学生アルバイトから同社に入社し、前社長の右腕として働いてきた。ところが自身の右腕を育てる発想はなかった。経営に悩んでセミナーや外部のコンサルタントから学んだ大手の成功事例を実践しようとしても、現場からはできないと言われ孤軍奮闘した。そんな中村氏に、右腕人材プログラムを戦略マネージャーとしてリードする亀井芳郎氏は、「中小企業がリソースの豊富な大手企業をただ真似ても、生産性が下がるだけ。右腕人材に現場に入ってもらい、やり方を学びながら改革を進めてはどうか」とアドバイスした。中村氏は、「欲しかったのは右腕だ」と「ピンときた」という。
「30人規模の会社はよくも悪くも家族」だとも亀井氏から学んだ。「家族」だからこそ社長のために無理して頑張ってくれることもあれば、社長から何か言われても受け流したり、反発したりすることもある。「外部の人からの指摘であれば社員が改革に賛同してくれるのではないか、という期待を感じました」(中村氏)
50歳での退職を目指し 資格取得や貯金などで準備
一方の奥野氏は新卒で神戸製鋼所に入社し、工場勤務を希望した。製造現場に始まり、設備の更新や商品開発まで幅広く経験し、その後いくつかの職場を経て40代以降は品質管理責任者として働いた。
「外注先にも品質的な問題の指導をしていましたが、品質を本質的によくするには経営課題に踏み込まざるを得ない。当時の私の役割上そこまでは難しかった。結果として効果が上がらないことも多く、もっと直接中小企業の経営支援をしたいと感じるようになりました」と、奥野氏は振り返る。50歳で会社を退職して独立しようと、中小企業診断士の取得を目指して学び始め、退職後の経済的なリスクを低減するために貯金にも励んだ。持っていた技術士の資格を看板として掲げ、品質管理と金属素材の加工を専門として53歳で独立した。
「加えて大学の聴講生になり本格的に経営を学び、中小企業診断士の1次試験にも合格しました。そんな折、私が所属する技術士会に右腕人材のオファーがあったのです」(奥野氏)
奥野氏は現在週に1度、三田電気工業に出向く。週次の会議への参加に加え、中村氏との1on1で課題を聞くことが主な仕事だ。時には課題を抱える現場の社員からの相談も受ける。
一番の悪は納期遅れ 現場に入り数字を示して納得を導く
当初、中村氏から奥野氏に明かされたのは、生産性をもっと上げたいという悩みだった。中村氏を中心とした、週1回3時間の営業会議の議論が前に進んでいかないことも、顕在化していた課題だったという。
「会議では1カ月先までの生産について話し合います。奥野さんに来てもらった時点では納期遅れが常に発生し、製造の優先順位づけにも混乱する状態でした」(中村氏)
奥野氏が最初に取り組んだのが、納期遅れの解消だった。同社の製品はオーダーメイドで、顧客からいつどんな製品が発注されるかわからない。大口顧客はリピート率が高く、オーダーの数が少なくても、次に発注が来たときのためにまとめて作っておいたほうが生産の段取り替えをしなくて済むため、効率がいいと考えていた。そのせいで納期が近い顧客の発注を後回しにすることもあり、クレームにつながることもあった。
奥野氏はまず会議の目標時間を30分とし、納期遅れのみを議題とした。計画に沿って納期順に製造し、1週間後に実際の納期遅れを確認、遅れがあればそれを片付けることに注力することを勧めた。この提案に当初「納期に合わせて生産の段取り替えを頻繁にするのは効率が悪い」と現場は反発したという。
これに対し奥野氏は、「会社にとって一番の悪は納期遅れ。顧客満足が下がる」と説いた。中村氏は社員に「まずはやってみよう」と声がけし、1週間ごとにPDCAを回してみると、3カ月ほどで効果が出た。
「社員が納得したのは、納期遅れ率などの数字を提示してくれたからです。目に見えて減っていくのがわかりました」(中村氏)
社員たちの奥野氏への態度も変わっていった。「最初はあまり口をきいてくれませんでしたが、徐々に相談に来てくれるようになりました」(奥野氏)
「自分ごと」を話さないのが鉄則 理解するためにまず聴く
なぜ、奥野氏は右腕人材としてうまくいっているのか。「経営に関する知識を身につけて、準備していたことが大きい」(奥野氏)と言うが、同時に、コミュニケーションスキルも挙げる。技術士会にオファーが来たとき、60人ほどのメンバーがいたが、右腕人材候補として残ったのは奥野氏1人だった。大企業で経験を重ねるほど、自分の経験を述べる「教える人」になってしまい、相手の目線に立って改善を一緒に考えることが難しくなる人もいる。奥野氏は「コミュニケーションをとりながら相手の役に立つことをする」ことを心がけていると話す。
現場での経験も重要だ。中村氏は、奥野氏の品質管理と生産現場での実務経験に絶大な信頼を寄せる。製品に不良が出たときにその原因を分析しても、なかなか解が見出せないことがある。「奥野さんは経験上、原因はここだとずばり指摘してくれます」(中村氏)
そうした場面でも、「押し付けるとうまくいかない」と、奥野氏は言う。「私が決めていることは、『自分ごと』を話さないこと。実際にものを作っている人がどういう気持ちで、何のためにこの作業をしているのか、どんなことに困っているのかを理解するために、まずは聴くことに徹するようにしています」
大手企業の看板を外し 「これで支援する」というキーワーディングを
シニアになって、大企業での経験を生かして中小企業を支援したいという人は多い。そういう思いを持った人に対し、奥野氏は、「自分はこれで中小企業の支援をするというキーワーディングをすべきだ」と言う。独立当初、品質管理と金属を専門領域とする技術支援を看板に掲げた。この領域でのオファーがある一方で、実際に動き出してみると経営の視点でのアドバイスを求められることが増えた。「自ら定義した専門に拘泥せず、求められるところで経験を重ねていくことも大切だと思います」(奥野氏)
さらに「前勤務先の大手企業の看板を極力外したほうがいい」と言うが、受け入れ側の中村氏は大手企業での勤務経験に一目置いている。「中小よりも余裕のある大手企業では、先端の技術や仕事の進め方をしっかり教育します。たとえば洗練された会議の方法も知っている。そんな人たちに助けてほしいと思う中小は多いはずです」
大手企業で培った専門性、大学の聴講などで得た経営知識、現場経験などが豊富で、卓越したコミュニケーション能力を持つ奥野氏に、中村社長は絶大なる信頼を置いている。「私たちにも、ここでものづくりを一生懸命やってきたという自負がありますが、奥野さんは私たちが知らないこと、経験のない世界を見せてくれます」(中村氏)
Text=入倉由理子 Photo=MIKIKO

中村哲哉氏
三田電気工業 代表取締役

奥野利明氏
奥野技術士事務所 代表