Works 189号 特集 長寿就労社会 定年“消滅”時代、あなたはどう働きますか?
ミドルシニアこそリスキリングの前にアンラーンを 長く働くために
リスキリングは長寿就労社会の鍵を握る重要なテーマだが、その前に必要なのは「アンラーン(脱学習)」だという。日本でも話題になった『アンラーン戦略』(ダイヤモンド社)の著者、バリー・オライリー氏に、その考え方や実践のポイントを聞いた。
(聞き手=後藤宗明氏 ジャパン・リスキリング・イニシアチブ代表理事)
―― 正確に理解するために、アンラーンとは何かから聞かせてください。
バリー・オライリー氏(以下オライリー):一言でいえば、過去には有用で成功をもたらしたけれども、今は逆に成功の妨げとなっている思考や行動を手放すことです。アンラーンという言葉は多くの人にとって挑発的で、「あなたの知っていることはすべてもう役に立たない」と言われているように感じるかもしれませんが、それは誤解です。アンラーンとは、これまでに得た知識や経験を単に忘れたり、捨て去ったりするのではなく、時代遅れになった情報や行動を意識的に手放し、新しい情報を取り入れるためのスペースを作るのに有効なシステムです。それを説明するのに最適な日本のたとえ話があります。
―― どんな話ですか。
オライリー:明治期、日本の禅僧のもとに禅とは何かを知りたいという客人が来たそうです。禅僧はお茶を淹れ、客人の器に注ぎました。そして器がいっぱいになってもまだ注ぎ続けました。客人はあふれるお茶を見て、「もう入りませんよ」と言いました。すると禅僧はこう返したそうです。「あなたはこの器と同じです、あなたの心は自分の考えや意見で満ち満ちている。あなたが自分の心の器をカラにしなければ、私がどう禅を語ってもわかるはずがないでしょう」と。
もう1つアンラーンで忘れてはならないのは、1回やって終わりではないということです。より困難な課題に取り組むたびに、意図的にアンラーン→リラーン(再学習)→ブレークスルーというサイクルを繰り返していくことが重要なのです。
―― 企業や個人はどういうタイミングでアンラーンしたらよいでしょうか。
オライリー:特定のタイミングはなく、「常に」だと思います。なぜなら、AIなど新しいテクノロジーによって世界はものすごいスピードで変化しているからです。普段使うアプリも、常に新機能が加えられ変化し続けています。そうでなければ誰も使わなくなりますよね。私たちも、変化する市場に合わせ常に自らの考え方や行動を適応させていかなければ、ニーズに対して時代遅れになるリスクがあります。
新しいことを学ぶとき目標は大胆に、最初の一歩は小さく
―― 企業のなかで従業員にアンラーンしてもらうシステムづくりを担うのは人事部ですが、どんな工夫が必要でしょうか。
オライリー:人事部の役割は非常に重要です。これまでトレーニングに使われていた手法がもはや効果的ではなくなっていることをまず認識すべきです。今や3週間のオンライン研修を最後まで受け切れる人がどれだけいるでしょうか。多くの人が慣れ親しんでいるのは、一口サイズの情報、コンテンツです。プライベートで新しい料理の作り方を知りたいと思えば、みなさんもネット上で短い動画を探すでしょう。情報は短く簡潔で、すぐ行動に移せる形で提供されなければならないというのは、ビジネスにおいても同じです。
新しいことを学ぶとき、達成したい目標は大胆に設定するけれども、最初の一歩は小さく踏み出す。これがコツです。トレーニングでは個別最適化された小さなタスクを与え、素早く達成感を得てもらう。そうすれば次々に試してみたくなります。アンラーンも再学習も、そうした小さなサイクルを回せるようにデザインすることが大切です。テクノロジーの進化によって、有効なトレーニング法そのものが変わったのだということを、人事担当者自身がアンラーンしなくてはなりません。
―― 私が日本でリスキリングを広める活動をするなかで感じるのは、とりわけ中高年は恥をかくことを恐れる気持ちがとても強いということです。彼らは、新しいことに挑戦して恥をかくぐらいなら、従来のやり方のままでいいと考えがちです。
オライリー:確かに日本はその傾向が強いと思いますが、恥を恐れて一歩を踏み出せないのは、世界共通の課題です。そこで重要になってくるのがリーダーシップです。リーダーは「私たちは仕事のやり方を変えようとしており、それは誰にとっても大変な苦労を伴う」と宣言し、自分自身がロールモデルになる必要があります。リーダーが新しいことを試し、苦労したりミスをしたりするのを周りが見れば、組織全体に心理的安全性がもたらされます。
誰かに自分の代役をやらせてみて、そこからリーダー自身が新しいやり方を学ぶのも非常に有効です。たとえば香港発祥のメガバンクHSBCのグローバル市場の責任者だったジョセフ・ノレナは、毎年新卒の社員にジョー自身がリーダーとして取り組んでいる課題に挑戦させていました。若手が最新のAIツールやソフトウエアを駆使して難題に取り組む様子を、ジョーは隣に座って観察し、多くのことを学んでいたのです。そうしたリーダーはロールモデルとして模倣され、やがて組織全体のカルチャーも変わっていきます。
―― リーダー自身が、自分とは違う属性やバックグラウンドを持つ人から学ぶ姿勢が重要で、そのためには組織自体にダイバーシティがあったほうがよいということですね。
会社のカルチャーを変えたいならば まずはリーダーが自分自身を変えること
―― ところで個人にとっては、転職や部署を移るなど居場所を変えることもアンラーンに有効だと思いますが、いかがでしょうか。
オライリー:その通りです。新しい職場では仕事のやり方がわからなくて当然ですし、たとえミスをしても周囲は驚きません。この暗黙の心理的安全性がアンラーン、リラーン、ブレイクスルーを容易にします。そうやって仕事や会社を変えてアンラーンしている人、より長く働けるように勇気を出してコンフォートゾーンから飛び出し挑戦する人の物語を、社会のなかで共有することも大事だと思います。
先ほど話したHSBCのジョセフは55歳くらいだと思いますが、実は最近、転職しました。転職先は銀行業務とはまったく関係ないBuilding.aiというスタートアップ。しかもそのCEOは数年前に新卒として彼のもとで働いていた若手です。ジョセフは今、そこでCOOとして働いています。銀行での高給や高い職位といった環境に安住せず、テクノロジーがもたらす未来を見据えてリスクを取りにいったのです。
―― 日本には、世の中の変化に気づくことができず、アンラーンできないリーダーも多くいます。
オライリー:日本には素晴らしいイノベーションの歴史がありますが、残念ながらここ数十年新しいアイデアや製品を市場に出すことができていません。会社のカルチャーを変えたいと願うなら、リーダーは組織以前に自分自身を変えることから始めるべきです。大きな構想を持ちつつ、小さく安全な失敗から始め、アンラーンのプロセスを受け入れればよいのです。そして変化を厭わずアンラーンした人々の物語を、コミュニティで共有していくことが大事だと思います。
Text=石臥薫子 Photo=今村拓馬

バリー・オライリー氏
ビジネスアドバイザー、起業家、作家
スタートアップからフォーチュン500の巨大企業まで世界をリードする多くの企業で、ビジネスモデルの設計や組織変革をサポートする。世界的ベストセラー『リーンエンタープライズ―イノベーションを実現する創発的な組織づくり』(オライリー・ジャパン)の共著者。