Works 197号 特集 活躍寿命を延ばせ

人生再発明の壁:自己物語の書き換えに必要な「強烈な他」

2026年08月24日

私たちは自己という物語によって規定されている。これまで以上に長く活躍し続けることを願うならば、これまでの自己物語を変え、新しい物語を構築する必要があるかもしれない。社会学者の浅野智彦氏に聞いた。

東京学芸大学 社会科学講座 社会学分野
教授
浅野智彦

東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。著書に『若者の気分 趣味縁からはじまる社会参加』(岩波書店)、『「若者」とは誰か─アイデンティティの社会学』(河出書房新社)などがある。


文学研究に端を発し、人間の思考や文化を考察するうえで有用な働きをするのが物語論だ。1980年代以降、人文諸科学分野に導入された。社会学もその1つだ。東京学芸大学教授の浅野智彦氏は『自己への物語論的接近』(ちくま学芸文庫)において、物語をキー概念に、自分というものの成り立ちについて考察している。

同書でいう物語とは、「視点の二重性」「出来事の時間的構造化」「他者への志向」の3つの特徴を備えている語りを指す。物語の語り手と登場人物という二重の視点を持ち、出来事を語り手の視点で取捨選択してそれが時間軸で並べられ、他者に向けて語られたものだ(下図)。

浅野氏が考察の対象とするのは、物語のなかでも「自己物語」だ。「自己は自分自身について物語ることを通して生み出されます。自己物語を語る相手は自分自身でもあり、他人でもあります。それは人生上のさまざまなエピソードのなかから、現時点から見て自分の人生を納得いくものたらしめるエピソードだけを選び、構造化したものです。逆にいえば、物語の背後には本人が納得しないがために脱落した『語られないもの』が必ず存在します」

[物語の3つの特徴]

 視点の二重性 
物語を語ることは、語り手の視点とは別に、語られた物語の登場人物という、もう1つの視点を生み出す

 出来事の時間的構造化 
物語るという行為において、過去から現在へと伸びている時間軸のなかで、語り手によって、いくつかの出来事が取捨選択され、相互に関連づけられる

 他者への志向 
物語とは本質的に他者に向けられた語りであり、他者からの承認や批判によって変えられていく

出所:『自己への物語論的接近』(浅野智彦、ちくま学芸文庫)をもとに編集部作成

自己物語は若いほど変わりやすく 同年代でも今のほうが多面的

自己物語は年齢を重ねることによって変化する。「『自分は優しい男だ』という物語を保持する人は日々の実践でそれを確認しながら生きている。その繰り返しで物語は安定し維持されます。その時間が長ければ長いほどその物語は強固になっていきます。つまり、物語は若いときは変わりやすく、年を取るにつれて変わりにくくなるのです」

同じ時代を生きる年齢層によっても変化し、物語の生成に大きな意味を持つ自己像が、日本では世代が若くなるにつれ多面化する傾向がある。加えて、自己像は世代によっても変化し、1990年代前半の60代と今の60代を比べると、今の60代のほうが多面性が強くなっている。「自己像が多面化する背景にあるのが、人間関係の多面化です。その傾向は1980年代終わり頃の10代から20代の若者に顕著でした。当時のティーンズ誌や女性誌を見ると、映画友だち、テニス友だち、買い物友だちというように、友だちの機能を分けて考えるようになっていたのです。1つのグループに全振りするのではなく、お互いに交わらない複数のグループに分散投資するような付き合いが日常的になっていたのでしょう」

浅野氏が多面化の存在を調査で確信したのは、1992年だった。当時の10代、20代が今の40代、50代になっている。「そのときの若者のうち、いちばん年上だったのが新人類と呼ばれた人たちで、今の60代です。今の人たちはあらゆる関係に対するリスクヘッジの感覚が強くなっている。これは所属する会社との関係にもいえるでしょう」

こうした自己物語を自分の望むように書き換えることは可能なのだろうか。「それほど容易なことではありません。というのも、われわれが語る自己物語は自分で選んでいるわけではありません。われわれはその物語のなかにいや応なしに投げ入れられている存在だからです。投げ入れた主体が誰なのか、それは語り得ないものとして自己物語の中心にい続けます。いずれにせよ、主導権を握っているのは自分以外の他者なので、容易には変えられません」

こと「働く」という視点で見れば、特にミドル世代以上は、新卒入社から定年まで1つの会社で勤め上げ、定年後はのんびり暮らすという1社に全振りの物語が一般的だった。ところが、健康寿命の延伸、労働力不足があいまって物語は変わっていかざるを得ない。

こうした場合、社会人が大学に再入学して学び直すなどの新しい挑戦を下支えする形で、「働くのは60歳で終わり」といった自己物語を書き換えることもできるのだろうか。「新しい一歩を踏み出せない理由としては本人の意志とともに、踏み出しを容易にする制度が未整備という事情もあります。自己物語はその間に挟まり、両者から影響を受けています。現在は依然として、大学での社会人の学び直しは制度が整っているとはいえませんから、まずその整備に注力する必要があります。このように物語の書き換えには、制度を含め、その人の生きる環境そのものが変わる必要があります」

物語の書き換えには他者による震撼体験が必須

働くことに関して個人の物語を変えるには、やはり社会や企業の仕組みも変えていく必要がありそうだ。

社会や企業がそこに埋め込まれた物語を変えようとするとき、「自分1人で考えても自己物語は変わらないという図式の組織版で、企業が自らをいくら変えようとしてもなかなか難しい」と、浅野氏は言う。「企業が自社の文化を変えようとしても、その変えたいという思いそのものがその文化から生み出されたものですから、変えたいのに変えられないジレンマに陥ってしまうのです」

それでも、方法がないわけではないという。「物語論を治療に用いるサイコセラピーから考えると、書き換えには外側からの介入が不可欠です。一生懸命考えて物語を変えようとしても、その考えは自分の内側にあり、限界がある。書き換えには、自己という地平の向こう側から来る『他』の存在が欠かせません。それには、物語の中心にある『物語り得ないもの』、つまり自己物語は自分自身が選んだものではないということ自体に呼応する必要がある。いってみれば、突破口となるようなロールモデルに震撼させられると、物語が書き換えられる可能性が高まります」

具体的に何ができるだろうか。「外側から来る『他』を排除しないことです。社員に対しては、社員が企業の外に持っている人間関係を狭めないようにするのがいちばん重要ではないでしょうか。言葉を変えれば、自らを震撼させるような人や体験に出会うチャンスを邪魔しないようにすることです。そのためには、もちろん、適切な労働時間および労働強度が実現するような働き方も重要になるのです」



Text=荻野進介

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