Works 197号 特集 活躍寿命を延ばせ
脳の健康はキャリアロンジェビティの根幹。脳神経学から見る脳の健康長寿
活躍寿命の延伸には、脳がいつまでも健康であること、「ブレインロンジェビティ」が欠かせない。脳神経学の視点をもとに、リーダーシップ開発や組織開発などのコンサルティングを行うウリ・シュミッツ氏とスシュミタ・スワミナサン氏の2人に、脳の健康とキャリアとの関係について聞いた。

ウリ・シュミッツ氏(写真左)
Dr. Uli Schmitz
工学博士。テクノロジー、ベンチャー投資、および組織変革の分野で30年以上の経験を持つ、起業家、投資家、エグゼクティブ・コーチ。近年は、リーダーシップ、組織変革、事業承継、長期的な価値創造に関するアドバイザリーに注力。
スシュミタ・スワミナサン氏(写真右)
Dr. Sushmitha Swaminathan
博士。事業会社、コンサルティング会社でリーダーシップ開発などに従事。現在は脳科学に基づくアプローチでリーダーや経営チームの成長支援を行う。脳科学と哲学の博士号取得に向けた研究も推進。
日本と同じく、ドイツも少子高齢化や年金財政の逼迫、若い世代による高齢者扶養の限界、といった高齢社会の構造的危機に直面している。しかし、「ドイツでは、定年を過ぎたら、リタイアして余生を楽しむ権利がある、という感覚が個人にはあります。政府が定年を引き上げる検討をした際は、世間から激しい反発がありました。また、企業も、従業員を解雇する際は、給与が高めの50代後半の社員をターゲットにし、コスト削減を図っています。高齢社会への対応とは正反対のことが行われているのが現状です」とシュミッツ氏は言う。
こうした現代の社会構造に加え、スワミナサン氏は、「AIの発展段階も踏まえれば、シニア世代の活躍期間の延伸に備えて人々のマインドセットを変え、かつ、人々が幸せになる方法を追求しなくてはなりません。そのためには脳が機能し、健康であることが重要なのです」と、強調する。
ブレインロンジェビティを支える「神経可塑性」
脳は身体の一部であり、正しく機能するためには、大量の血液の循環や良質なたんぱく質が必要になる。まずは、脳の健康のために心臓が健康であることが前提となる。
「そのうえで、脳の健康や仕事上での高いパフォーマンスの発揮には、神経可塑性が大きく影響するといわれています。神経科医によると神経可塑性とは、どれだけのニューロン(神経細胞)が接続して、どれだけの神経経路を形成しているか、です。経路の数が多ければ多いほど、脳の健康にいい方向に作用します」(スワミナサン氏)
神経可塑性を高めるには何をすればいいのだろうか。神経科医が推奨する有効な方法として、スワミナサン氏は下記の4つを挙げる。
- 毎日何か新しいことをすること。帰り道のルートを変えたり、新しいレシピに挑戦したり、ちょっとしたことで構わない。
- 身体を動かすこと。脳の大部分は運動と結びついている。
- 人との交流、コミュニケーションを保つこと。人と話せば話すほど、神経変性疾患にかかる確率が低くなる。
- 手書き。手で何かを書くのは、一種の「ブレインライティング」であり、書きながら考えが構造化されていく。
「デジタル時代は、受け身的に情報を読んだり聞いたりすることが多く、脳も受動的になります。神経可塑性を高めるためには、身体を動かす、話す、書く、新しいことをする、好奇心を持つなどで脳を能動的に活性化することが重要です。私たちは、優秀なリーダーたちは新しい考えに適応する力があることや好奇心が強いことを認識しています。ところが、同じことを何度も何度も繰り返すような、努力がいらない快適な環境にいると、脳は神経経路を作ることをやめ、神経可塑性が損なわれ、劣化への道を辿ってしまうのです」(スワミナサン氏)

シュミッツ氏は、日本の巻き物のような紙を持ち歩き、熟考するときには手書きを大切にしている。
新しいことへの挑戦が脳の健康長寿につながる
脳が劣化する過程は、キャリア形成においても見られるとシュミッツ氏は言う。「たとえば、ずっと同じ仕事をしてきた人は、自らが置かれた環境に慣れすぎて、自身のアイデンティティと職場が結びついてしまっています。そうなると、新しい神経経路は作られず、その環境が取り上げられたときに、何をすればいいのかわからなくなってしまうのです」
とはいえ、確立されたアイデンティティを変えることは難しい。「新しいアイデンティティに適応することは、自分の過去の経験を置き去りにするようなものです。だからこそ、好奇心を持ち、何か新しいことを学んでいくことは、リタイア時期が迫ってからではなく、早期から意識しておくことが重要です。リスキリングならぬ、自己の再確立(リアイデンティファイ)をするのです」(シュミッツ氏)
以前は、一定の年齢を超えると何も学べなくなる、というのが通説だったが、近年では、脳はいつでも学び直し(リラーン)、再訓練(リトレイン)が可能といわれている。しかし学ぶことは、学校や大学といった機関での、教科書的・技術的な学習と限定的に捉えられていることが多い。脳神経学およびキャリアの視点からは、学びはもっと広い機会であるべきだ、と両氏は口をそろえる。たとえば職場における再配置や役割の変更、異なる文化を学ぶことも学習であり、神経可塑性を増やすことにつながっていくというのが2人の主張だ。
企業は人のライフサイクルを意識して「シャッフル」を
「学びの機会を広く捉えるために、自分のキャリアのあり方と、どのようなことに挑戦していきたいか、などの展望を描いておくことも有効です。展望は、直線的ではなく、キャリアの途中で『休み』を取ったり、まったく未知のことに挑戦したりすることなども含めていい。好奇心を持って、さまざまな新しいことに取り組むことが、脳とキャリアのロンジェビティにつながっていくのです」(シュミッツ氏)
スワミナサン氏は「人々が新しい機会に挑戦するように、企業は個人のライフサイクルを意識して再配置、人員のシャッフルなどを行うべきです。ドイツでは、一部の幹部候補や管理職の配置には工夫が見られますが、ほかの人はずっと単純な仕事のまま。それでは脳は活性化されません。純粋に脳神経学の見地からは、極端な例ですが、人を社内外の新しい機会に強制的に向かわせる、ということもあり得ます。人は『痛み』を経験したときに最も多くのことを学ぶからです」と言う。
シュミッツ氏は加えて「世代間の共同作業が叶う環境を作ること」を提案する。「異なる世代から相互に学ぶと、異なる言語や行動に驚かされるなど、多くの利が得られます。ただし、シニアの社員は理解ができないと恐怖を抱き、自信を失いかねません。企業はそういった側面への支援も行わなくてはなりません」
定型的な仕事はAIに託し、人はコミュニティを構築し、議論し、相互に学んでいくことで、神経可塑性を高めていく。「これは一部のハイパフォーマ―だけではなく、大多数の人に適用する考えです。ブレインロンジェビティを通じて、シニア世代を含む人材の活用を図り、社会全体のキャリアロンジェビティが達成されるようになるべきです」(スワミナサン氏)
Text=佐々木貴子 Photo=Works編集部
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