Works 197号 特集 活躍寿命を延ばせ

人は老化に抗えるのか。オートファジーが実現する健康長寿

2026年08月20日

本当に私たちの寿命は延びるのだろうか。老化はどのように起こり、それを止める研究はどこまで進んでいるのか。健康寿命延伸の突破口として期待される細胞内の現象「オートファジー」の世界的権威、大阪大学名誉教授・吉森保氏に、ロンジェビティの可能性と研究の最新動向について聞いた。

吉森保氏

大阪大学 名誉教授 
大阪大学大学院医学系研究科 保健学専攻 
Beyond Cell Reborn学寄附講座 特任教授 
医学博士
吉森 保氏

1996年、オートファジー研究のパイオニア大隅良典博士(2016年ノーベル生理学・医学賞受賞)が国立基礎生物学研究所にラボを立ち上げた際に助教授として参加。大阪大学大学院医学系研究科および生命機能研究科教授などを経て現職。


今、世界では老化を科学的に抑止し、若返りを可能にするためのロンジェビティ・テックが急速に発展している。「最低10年の若返り」を目的とした世界的コンペティション「XPRIZE Healthspan」には、世界各国から600チーム以上の応募があり、大きな関心を集めている。現在、準決勝の40チームまで絞り込まれているが、そのなかに勝ち残っているのが、細胞生物学者である吉森保氏率いるチームだ。

「現在、老化の研究は非常に進展していますが、日本では社会的関心が十分に高まっていないと感じます。世界有数の長寿国であり、超高齢社会に真っ先に突入する日本こそ、最も関心を向けなければいけないはずです。健康な人が増えれば、医療費が減り、介護の負担が軽くなり、働き続けられる人も増える。健康寿命が延びれば、悲観的な未来を覆す可能性が開けてくるのではないでしょうか」

吉森氏は、老化予防の鍵となる「オートファジー」研究の専門家だ。オートファジーの仕組みの解明により、2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅良典氏の直弟子であり、同分野を牽引し続けている。近年は、研究の知見を社会に生かすべく、実用化に向けた活動を精力的に展開している。

「オートファジー」とは細胞のメンテナンス機構

吉森氏の研究の核心となるオートファジーとは、細胞内の現象だ。

人間の体は約37兆個の細胞から成り立っている。人間が健康であるということは、これらすべての細胞が正常に働いている状態を指す。細胞の働きに異常が生じると、その部位の病気につながる。つまり、病気も老化も、すべては細胞レベルで起きている。

「細胞のなかの世界は、1つの社会のようなものです。細胞内の小器官には発電所、工場、病院のような機能があり、数万種類のたんぱく質が労働者のように働き、それぞれの役割を果たしています。また、細胞内部の社会には物質を運ぶ交通網も存在します。オートファジーはこの交通網の一部であり、細胞内にあるものを回収・分解し、リサイクルするシステムを指します」

具体的には、「オートファゴソーム」という膜構造体が細胞内に形成され、たんぱく質や細胞小器官などを包み込んでリサイクル工場へと運ぶ。工場で分解された物質、たとえばたんぱく質はアミノ酸となり、新たなたんぱく質の合成やエネルギー産生に再利用される。そのリサイクル効率は、ほぼ100%だという。

「たとえるなら、伊勢神宮の式年遷宮のようなものです。伊勢神宮では20年に1度、式年遷宮を行って社殿を新しく建て直すため、常に新品の状態を保てます。細胞はこれを20年周期ではなく、毎日少しずつ行っているわけです」

電子顕微鏡の白黒画像。直径およそ0.5マイクロメートルの黒く丸い細菌4つを包み込むように三日月状となっている白い物体に矢印が向けられている。画像右下には0.5マイクロメートルのスケールバーが記載されている。

電子顕微鏡で見たオートファゴソーム。病原菌(A群連鎖球菌)を包み込もうとしているのが確認できる。オートファゴソームのサイズは、通常直径1μm(1mmの1000分の1)程度だが、菌を包む場合はその数倍から10倍になる。

もう1つ、オートファジーには、病原体や異常なたんぱく質が細胞内に現れると、それらを識別して隔離・除去する重要な働きがある。

「つまり、細胞の中身を入れ替える『新陳代謝』と『有害物の除去』という2つの作用によって、病気や老化を防いでいます。しかし問題は、いかなる人であっても加齢とともにオートファジーの機能が低下してしまう点にあります」

では、なぜオートファジーの機能が低下するのか。この長年の謎を、吉森氏の研究室が2019年、世界で初めて解明した。吉森氏らが発見した「ルビコン」というたんぱく質が加齢とともに増加し、オートファジーにブレーキをかけることを突き止めたのだ。

動物実験では、ルビコンを抑制した個体は高齢になっても活動量が落ちず、健康寿命が劇的に延びた。さらに、慢性腎臓病や骨粗しょう症、加齢黄斑変性など、高齢者に多い疾患の進行も抑えられることが実証されている。

「オートファジーの低下を阻止すれば、これほど多くの健康効果が期待できる。これが、研究成果を社会に応用しようと思い立ったきっかけです」

目標達成よりも好奇心を原動力に生きる

[役割1]青色の大きく口を開けた球体で模されたオートファゴソームが、細胞の中で脂質・核酸・たんぱく質・細胞小器官を食べる様子のイラスト。たんぱく質や細胞小器官などを包み込んで、新たなたんぱく質を合成する
[役割2]青色の大きく口を開けた球体で模されたオートファゴソームから、ウニのような赤いトゲのある円3つに向かって点線の矢印が描かれている。赤いトゲのついた円は上から、病原体、認知症の原因になるたんぱく質凝集塊、壊れた細胞小器官、と書き添えてある。病原体や異常なたんぱく質が細胞内に現れたとき、それらを識別して隔離・除去する
出所:吉森氏提供資料

老化研究の最先端では、細胞のリプログラミングや幹細胞治療など、非常に高度な介入アプローチが注目を集めている。一方、吉森氏のチームが提唱する「オートファジー・リブート・プログラム」は、極めてシンプルかつ安全なアプローチを採用している。質の高い睡眠、ウォーキングなど適度な有酸素運動、バランスのいい食事と腹八分目のカロリー制限など、経験則として体によいとされる習慣を実践するほか、徳島県で1200年前から愛飲されてきた「阿波晩茶」のエキスを凝縮したサプリメントなどを摂取する方法だ。

富裕層しかアクセスできないような高額で高度な医療介入でなくとも、誰もが実践できる生活習慣の改善と天然成分の力で、オートファジーを十分に活性化させることができる。実際、「XPRIZE Healthspan」の準決勝ステージに向けた臨床試験でも、確かな成果が得られている。既に老化を遅らすことは、現実のものとなっているのだ。

しかし、どれほど優れた医療や食事療法、スポーツなどのプログラムであっても、個人の意志だけで継続することは容易ではない。だからこそ、社会や企業の仕組みそのものを変えていく必要があると吉森氏は指摘する。

「ストレスは、オートファジーにも悪影響を及ぼします。日本社会が長年維持してきた男性中心の働き方が、定年後に男性の居場所を失わせるなど、結果的に人々の健康を棄損している可能性は十分にあります。たとえば、定年を迎えたら一度すべての役職をリセットし、新鮮な気持ちでまったく新しい学び、新しい仕事に取り組める再スタートの仕組みを整えてはどうでしょうか。『リスキル(学び直し)』だけではなく、『リボーン(生まれ変わり)』を促す社会への転換です」

さらに吉森氏は、現代の日本社会が「ゴール(目標)ドリブン」に偏りすぎていることにも強い懸念を示す。特に若い世代が目標設定に縛られすぎていると感じており、「キュリオシティ(好奇心)ドリブンで、純粋に面白いと思えることを楽しめばいい」と提案する。

「難しいことではありません。その瞬間、自分がそれを面白いと思えるかどうかを基準に行動するだけです。ノーベル賞を受賞した研究者は、おそらく皆さんキュリオシティドリブンで動いています。最初からノーベル賞をゴールに設定して受賞した人は、1人もいないのではないでしょうか。自然に対して謙虚に向き合い、純粋な好奇心に従って動いていなければ、決して見つけることができない本質が、科学の世界にも、そして私たちの人生にもたくさんあるはずです」



Text=瀬戸友子 Photo=MIKIKO