Works 197号 特集 活躍寿命を延ばせ

ロンジェビティはなぜ、経営課題か。健康で長く働き続ける社会的意義

2026年08月17日

深刻な構造的労働力不足の日本では、高齢になっても働くことはもはや前提となりつつある。そんななか、世界では「ロンジェビティ」という概念の重要性が広がり、社会や企業に実装されつつある。日本でロンジェビティの重要性を説く第一人者、ジャパン・リスキリング・イニシアチブ代表理事の後藤宗明氏に、今なぜロンジェビティなのか、ロンジェビティはなぜ経営課題なのかを聞く。

後藤宗明氏

ジャパン・リスキリング・イニシアチブ 代表理事
後藤宗明氏

富士銀行(現みずほ銀行)勤務後、2001年米ニューヨークに移住。グラウンドゼロの救済ボランティア、会社経営を経て2008年帰国。社会起業家支援NPOの日本法人設立、外資系企業の日本法人代表などを経て2021年より現職。著書に『AI時代の組織の未来を創るスキル改革 リスキリング【人材戦略編】』(日本能率協会マネジメントセンター)、『中高年リスキリング』(朝日新書)などがある。


今、世界のビジネストレンドでは、「ロンジェビティ(Longevity)」の定義が大きく拡張している。「ロンジェビティの直訳は『長寿』ですが、近年グローバルで議論されているのは、単に寿命が延びることではありません。健康であることを大前提として、仕事、学び、人間関係、資産、生きがいまでを含め、いかに現役として社会に関わり続けられるか、そのために企業や社会のシステムをどう転換すべきかという、長寿を前提にした包括的な人生の再設計のアプローチなのです」と、後藤氏は説明する。

後藤氏によれば、世界では「ロンジェビティソサエティ(長寿社会)」「ロンジェビティエコノミー(長寿経済)」などの言葉が定着し、老化を克服しようとする研究から、健康寿命の延伸を目指すビジネスまで多層的な議論が展開されている。「そのすべての社会基盤を支えるものこそが、働く人一人ひとりの『キャリアロンジェビティ』です。長寿社会へ移行する日本において、我々社会の構成員が健康で活躍することを維持できれば、社会のサステナビリティを担保できるはずです」

世界を動かす構造変化とビジネスの爆発

なぜ今、世界はロンジェビティへと向かうのか。後藤氏は背景に「5つの構造変化」を挙げる。

[世界がロンジェビティに注目する背景]

背景1  人口動態の変化と社会的危機感

欧米諸国も少子高齢化が進行、年金・医療・介護といった社会保障制度が持続可能になる懸念が広がり、「健康寿命を延ばし、働き続けられる社会づくり」が国家的課題に。社会の持続可能性を守るための戦略へ

背景2  テクノロジーの進化と医療サイエンスの飛躍

AI・データ解析、バイオテクノロジーが急速に進展。ロンジェビティ専門センターが次々と設立され、「生物学的年齢を測定・逆行できる」研究成果が相次ぎ、「老化はコントロール可能」という認識に
背景3  テック富裕層による巨額投資

不老不死に関心の高いシリコンバレーのテック長者がロンジェビティ領域に巨額投資。投資加速により研究所・スタートアップが次々設立され、加速度的にエコシステムが拡大
背景4  ロンジェビティ・テックの進化とビジネス市場の形成

ウェアラブル、血液・マイクロバイオーム解析、デジタル治療、個別化栄養など新産業が誕生。ロンジェビティ・エコノミーは数兆ドル規模の市場へ。投資家・企業にとって魅力的な成長市場

背景5  グローバル企業による本格的参入

健康寿命の延伸に向けた保険、美容/消費財、食品、テック分野の企業が積極的に新規事業を開始

出所:ジャパン・リスキリング・イニシアチブ作成

まずは世界共通の課題、少子高齢化に向かう人口動態の変化だ。同時に、医療や技術の飛躍的な進歩は、老化のメカニズムを解明し、若返りを実現する可能性を示すようになった。それにシリコンバレーなどの起業家や富裕層たちが注目し、莫大な投資マネーの流入が起こっている。その結果、ロンジェビティの一大産業領域の形成につながり、既に大企業の本格参入も始まったという。

ただし、この潮流の現れ方は地域によって異なる。「アメリカでは、ロンジェビティはビジネスとイノベーションのテーマです。50歳以上の人口が急増し巨大な消費層となるなか、社会課題解決という側面よりも、ビジネス先行の雰囲気が非常に強いのが特徴です」

象徴的なのが、テック起業家のブライアン・ジョンソン氏が主導する「Don't Die(死ぬな)」ムーブメントだ。若返りや不老を目指すやや極端なトレンドもある一方で、ビジネスとしてのロンジェビティの裾野が広がる勢いは止まらない。テクノロジー見本市であるCESでも、2026年の3大トレンドの1つにロンジェビティが選出された。「『Longer Living(より長く生きる)』『Healthier Living(より健康的に生きる)』『Smart Living(洗練された暮らし)』などをテーマに、GLP-1などの医薬品、プレシジョンメディシン(精密医療)、リモートケアといった医療領域はもちろん、ウェルビーイングやメンタルケアもビジネスの対象となっています。さらに高齢者向けのスマート住宅、滞在中に最新のロンジェビティ治療を提供するホテルなど、産業の壁を越えた参入が相次いでいます」

ビジネス・投資のターゲットとして爆発的なブームが起きているアメリカに対し、対照的なのが欧州だ。「欧州も日本同様に深刻な少子高齢化に直面していますが、その解決策を医療やビジネスだけに求めるのではなく、長く活躍できる社会システムをどう構築するかという制度や社会全体のムーブメントとして捉えています。老後資産の準備や予防医療によって社会保障費の増大を未然に防ぎつつ、中高年が健康で長く働き続けられる社会、まさに『キャリアロンジェビティ』のインフラづくりに、欧州の国々は総じて熱心です」

そして、この米欧のアプローチを両睨みしているのがシンガポールだ。世界屈指のスピードで高齢化が進む同国は、アメリカ的なテックビジネスへの投資というチャンスを呼び込みつつ、同時に欧州的な社会課題解決のアプローチを融合させている。国が主導して教育機関や医療機関、産業政策を1本の軸で束ね、社会保障費の抑制と国民の活躍寿命の延伸を両立させる国家戦略として、ロンジェビティを掲げている。

「国や地域によってフォーカスするところは異なりますが、共通しているのは『人生100年時代』を前提に、国家や社会のシステム、人々の生き方を根底から設計し直そうとしている点です」

日本の「優れたインフラ」と「遅れるマインド」

ひるがえって長寿国の代表とされる日本はどうか。後藤氏は「長寿国であることと、ロンジェビティ社会であることは同義ではない」と釘を刺す。


日本には世界に誇るべき優れたファクトがいくつもある。「経済産業省が主導する『健康経営』の認証制度は企業を巻き込む優れた枠組みですし、安心を担保する『国民皆保険制度』は諸外国から高く評価されています。さらに基礎研究もピカイチで、山中伸弥教授のiPS細胞(山中ファクター)を筆頭に、認知症研究など世界の先端科学は日本が発見した論文を基準に動いています」


しかし、高齢者の活躍推進に目を向けた途端、日本は著しい後れをとっているという。その象徴が役職定年制度だ。「海外の専門家に日本の役職定年の話をすると、一様に驚かれます。昨日まで同じ仕事を高いレベルでこなし、まだ十分に活躍できる人を、定年に達していないにもかかわらず強制的にポジションから降ろす。近年は減ってきているものの、役職定年は海外の感覚からすれば人権侵害に等しく、長年にわたりシニアや女性の活躍機会を奪ってきた古い体質の象徴です」


長期雇用を前提とし、他国と比較すると解雇が難しい日本にあっては、後進にポストを譲る強制リセットの機会として機能してきたのは間違いない。一方でそれは、「55歳で役職定年だからもう先はない」という、活躍への諦めを生んだことも否めないのだ。「年齢と能力を無意識に結びつける発想から脱却し、『その人は今後も価値を発揮できるか』という本質的な視点に切り替えない限り、日本のキャリアロンジェビティは始まりません」

働き方改革の総仕上げ 組織は個人の健康に「介入」せよ

飛行機の翼を背負った目尻にシワのある女性が左手を上に掲げて飛んでいるイラスト

冒頭で示した、真のキャリアロンジェビティ、すなわち、「健康で」長く「活躍し続ける」ことをどのように実現するのか。


実現にあたって考慮しなければならないのは、まずは「健康」だ。「健康経営という仕組み自体は優れていても、単にデータを取るだけでそれを活用しなければ効果は限定的です。実際、個人の健康を害してまで働くような、かつての歪んだ労働環境が残る企業は今も存在します。たとえば日常的にストレスレベルが可視化される技術は既に現実になっています。『プライベートだから』と無視し続ける会社と、それを測定して個人にアドバイスする会社であれば、今後は後者が選ばれる可能性は十分にあります。企業は一歩踏み込んで、個人の健康に『介入』すべきなのです」


もちろん、健康だから働き続けられるという話ではない。私たちを脅かすのは、爆発的に進化を続けるAIだ。AIは、人が知識を保有していることの価値を急激に低下させつつある。「過去の『貯金』だけで、60代、70代までの長い職業人生を歩み続けることが困難になってきました。そうした流れにあって、近年、グローバルでは、AI時代に最後まで人間に残る決定的な要素は『エージェンシー(主体性・当事者意識)』だと、いわれています。今後はより、自ら意思を持ち、行動し、新しい役割を自ら作り出していかなければなりません。そのために、人々に求められるのが継続的なリスキリングです」


リスキリングに関しては、多くの自治体や企業が働く人を支援する仕組みを導入してきた。これも健康経営と同様で、研修などの仕組みはあっても、それが個人の意識を大きく変え、実際の学びという行動につながったかというと、期待されたほどではない。「働きがいのある役割があるからこそ、人は健康でいられます。働きがいのある役割を持ち続けるには、自ら学ばなければならない。役割があるからこそ組織と幸福につながり続けられる。健康、学び、仕事、生きがい。これらを個別の縦割りの課題として捉えるのではなく、1つの大きな持続可能性の循環として捉え直すことが必要です。これこそ、日本企業がこの10年取り組んできた、『働き方改革の総仕上げ』だと思うのです」


今回の特集で、世界で語られていること、老化科学の進化、日本企業の課題についてもう少し深掘りしていこう。



Text=入倉由理子 Photo=今村拓馬