Works 196号 特集 人事のダイエット

マーケティング専門家に学ぶ、他社事例を自社の課題解決に生かす方法

2026年06月16日

他社の成功事例を参考にすること自体は誤りではないが、無批判に取り入れることを重ねていると、結果として人事制度の肥大化につながってしまう。人事は事例にどう向き合うべきなのか。マーケティングの専門家・田中洋氏にその視点と方法を学ぼう。

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中央大学ビジネススクール 名誉教授
東京大学 経済学部 講師
田中 洋氏

電通のマーケティングディレクターとして21年勤務した後、法政大学教授、コロンビア大学客員研究員、中央大学教授などを経て現職。日本マーケティング学会会長、日本消費者行動研究学会会長を歴任。著書に『ザ・マーケティング・イシュー』(編著、日経BP)、『ブランド戦略論』(有斐閣)、『ブランド戦略ケースブック2.0 ―13の成功ストーリー』(同文舘出版)など多数。


人事制度やそれに伴って生じる業務が肥大化して組織の足枷となってしまう要因の1つとして考えられるのが、「ムーブメントになっているから」という理由で他社の成功事例をそのまま導入してしまうことだ。これが繰り返されることによって、自社にフィットしない諸制度が蓄積され、人事・組織の機能不全を招いている。

成功事例から学ぶことは大切だが、そこに必要なのは優れた事例から自社にとって本質的に有効な学びを得ることだろう。そのために求められるものは何だろうか。事例(ケース)から学ぶことの難しさと適切な視点や方法を研究・発信する田中洋氏がそのポイントを解説する。

事例研究が既知の知識の確認で終わってしまうケースが多い

田中氏は、ケースに接した際、多くの人が次のような段階にとどまっていることを指摘する。

「1つは、ケースのなかのスキルを真似ることです。マーケティングでいえば、そこで紹介されている市場調査やマッピングのスキルを取り入れるということ。これ自体は問題ではありませんが、あくまでケースの部分的な活用にとどまっています。次に、ケースを読んで、自分の知識を確認するというパターンも多いのです。悪いことではないのですが、新たな知見は得られません。最後が、ケースを偶然性に帰属させてしまうことです。『業界の流れ的にタイミングがよかった』『素晴らしいリーダーがいた』などと解釈して、今の自社には使えないと判断してしまう。これは非常にもったいないことです」

優れたケースからはもっと深い学びを得ることができると田中氏。前述のような、即時応用可能な知識や技術の活用をレベル1、既知の理論の裏付けをレベル2とするなら、その上位のレベル3に相当する「未知の理論の学び」があるという。

事例から得られる3つの学び

レベル1 即時応用可能な知識や技術の活用
今まで知らなかった技術やアクションの仕方など、すぐに真似や応用ができる要素

レベル2 既知の理論の裏付け
既に自分が知っていた理論や知識を裏付ける事例のなかの要素

レベル3 未知の理論の学び
事例のなかに埋め込まれた自分が知らなかった理論や考え方
出所:田中氏作成

「ケースを掘り下げて研究することで、新たな発見をして、それを自社に取り込んでいくということが、本当の意味で事例研究を成果につなげていくためには重要となります」

なお、レベル2の学びに関して、田中氏はぜひ指摘しておきたいことがあるという。それは、既知の理論がそもそも誤って理解されているパターンだ。「破壊的イノベーション」や「AIDMA(アイドマ)」などがその典型例。世の中に認知が広がっていく過程で、これらの用語・理論が本来の定義とは違った内容で浸透してしまうことは実に多く、そうなると、レベル2の学びの有効性も怪しくなってしまう。

「たとえば、『破壊的イノベーション』というと、今まで世の中になかった、ものすごいイノベーションを生み出すことといったイメージを持つ人が多い。しかし、提唱者の経営学者クレイトン・クリステンセンは低価格・低性能の製品が、既存の高価格・高品質の製品の市場を破壊することを指して言っているのです」

つまり、レベル2の学びの精度を上げるうえでは、まず基本的な用語、最新の理論に関して正しく理解しておくことが大切なポイントになるというのだ。

ケースから再現性のあるポイントをピックアップする

では、レベル3の新しい知見を得るにはどのように事例に向き合えばいいのだろう。田中氏は次のようなステップで考察を深めることを推奨している。

①ケースのポイントを抽出する:ケースを読み込んだうえでポイントだと思える要素を抽出していく。この段階では思いつくものはすべてリストアップする。

②ケースのポイントを絞り込む:いくつも挙がったポイントを整理し、同じようなものは1つのグループにまとめていく。3~5つ程度にまとめると、その後の検討が進めやすい。

③再現性チェック:②で絞り込んだポイントについて、学びが多いと考えられるか、あとの人が模倣し、実行できるかどうかを検討する。たとえば、「世の中のタイミングがよかったから」といった要素は真似しようがないので排除される。一方、「広告表現でブランドのベネフィットを的確に訴求できたから」といったポイントは模倣が可能なので再現性ありと判断できる。

④コンテキストチェック:再現性があるポイントだからといって、誰がやっても常に同じ結果が得られるわけではない。その事例の当時のコンテキスト、ブランドマーケティングの場合は市場規模の成長度、競合ブランド、流通の状態、行政や社会の変化などを分析する必要がある。これらのコンテキストが再現性のあるポイントとどう関係し合って成功が導かれたのかを考察する。

⑤再現性ポイントとコンテキストを合わせて教訓を得る:④までの考察で再現性ポイントとコンテキストの関係は整理できた。これによってケースから教訓が得られ、自社や周辺の現在の状況において、再現性ポイントが有効かどうかの検討に進むことができる。

ここで、田中氏は1つの事例を紹介する。

「大阪に『ミルボン』という美容院専用のヘアケア製品でシェア1位の優れた業績を誇るメーカーがあります。同社の鴻池一郎社長(当時)は、今日オニツカタイガーで知られる鬼塚喜八郎氏が講演会で語った、トップアスリートのニーズに対応したシューズ開発の方法に感銘を受け、まったくの異業種である自社にも取り入れられないかと考えました。鴻池氏がオニツカの事例から得た教訓は、『エンドユーザーの顕在的・潜在的ニーズをくみ取れる人物を選び、顧客の代表として耳を傾けることが重要だ』というもの。ミルボンはこの考え方に基づき、エンドユーザーのニーズを熟知する優秀な美容師から情報を吸い上げ商品開発に生かすTAC(顧客代表制)というシステムを開発し、好業績へと結びつけました。まさに優れたレベル3の学びの事例です」

加えて、田中氏はケースから学ぶためには問題意識が重要であると指摘する。人事が成功事例から学ぶとしても、すべての企業に同じように有効なケース、再現性ポイントなどは存在しない。自社の現状や課題を掘り下げるというプロセスが前提として必要となるのだ。

「漫然とケースを読んでいても自分たちに必要なポイントに気づくことは難しい。内省するプロセスは不可欠です。科学の世界での大発見が実験中の偶然やミスから生まれることがありますが、それですら前提として強い問題意識があったからこそ、偶然の事象を世紀の発見に結びつけることができたのです」

人事の世界でも、組織改革や新制度導入の事例は数多く紹介されるようになってきている。そこから何を学べるかは、学ぶ側のスタンスにかかっている。

Text=伊藤敬太郎  Photo=田中氏提供