Works 195号 特集 経営とインクルージョン

長野県立美術館|インクルージョンは"慣れ"ではなく"訓練"で実現

2026年04月24日

長野県立美術館館長の笠原美智子氏は、学芸員としてのキャリアの初期から一貫してフェミニズムやジェンダーの視点で展覧会を企画し、表現の背後の社会構造を問い続けてきた。現在、全職員を挙げて取り組む「インクルーシブ・プロジェクト」では、来館者のみならず、職員たちにも価値観の変容をもたらしている。どのような場をデザインしているのだろうか。

笠原美智子氏(中央)と青山由貴枝氏(右)と浅野井愛未氏(左)の写真
広報・マーケティングを担当する浅野井氏は、長野県立美術館という職場もインクルーシブだという。「家庭の事情でどうにもならないときに子どもを連れてきてOKと言ってもらえたこともあります。"館長”と呼ぶと叱られるので、常に"さん付け”です」

長野県立美術館 館長
笠原美智子氏(写真中央)
明治学院大学、シカゴ・コロンビア・カレッジ大学院修士課程修了。東京都写真美術館などを経て、2018年に石橋財団アーティゾン美術館副館長。2024年4月より現職。著書に『ジェンダー写真論 増補版』(里山社)などがある。
学芸課 学習係長/学芸専門員
青山由貴枝氏(写真右)

広報・マーケティング室
浅野井愛未氏(写真左 ※所属は取材時)

笠原氏は、東京都写真美術館の学芸員として働き始めて間もない1991年、「私という未知へ向かって 現代女性セルフ・ポートレイト」という展覧会を企画した。日本の美術館において、フェミニズムやジェンダーの視点をはじめて明確に掲げた、先駆的な試みだった。この展覧会の背景には、1960~1970年代以降、世界各地で女性アーティストがセルフポートレートという表現に取り組み始めた現象があった。なぜ彼女たちは、他者ではなく自分自身の撮影という方法を選んだのか。
 
笠原氏によれば、近代以降の美術史は社会のマジョリティである男性の視線によって形づくられてきた。女性は表現の主体というより、描かれる対象として位置づけられることが多かった。女性は、他者の視線によって意味づけられる存在として語られてきたのだ。「その社会のなかで生きる女性は、知らず知らずのうちに“見られる女性像”を内面化してきました。ほかの女性をモデルに撮影すれば、結果として男性中心社会が作り上げてきた女性像を再生産してしまう。だからこそ、自らを被写体とするセルフポートレートという方法が選ばれたのです」と、笠原氏は説明する。
 
セルフポートレートは、撮影者と被写体が同一という独特の表現形式を通じて、既存の女性像を問い直す試みだった。女性たちは女性の社会的役割やセクシュアリティ、さらに個人と社会の関係そのものを再検討し、新しい価値観を提示しようとした。「この現象は表現の問題であるのと同時に、権力構造の問題でもあるのです」(笠原氏)

特別鑑賞日や美術館内のソファ、車椅子研修の様子
障がいのある方のための特別鑑賞日(写真左)、長野市の善光寺や山々が見られるソファ(写真中央)、車椅子研修(写真右)

マジョリティの価値観が標準として機能する社会

表現の背後にある価値観は、自然に生まれるものではない。社会のなかで歴史的に形成され、共有されてきたものだ。作品に表れる不均衡は、そのまま社会の不均衡を映し出している。
 
では、1991年の展覧会から30年以上が経過した現在、その構造は変わったのだろうか。笠原氏の答えは「否」である。「近年、女性館長が増えたといわれますが、ゼロが一になったというだけかもしれません。半々になってはじめて、“変わった”といえるのではないでしょうか」
 
実際、学芸員の女性比率は高い。しかし館長や管理職といった意思決定層を見ると、依然として男性が多数を占めている。女性比率の上昇も、非常勤や嘱託職員の増加によるものも多い。この状況は、美術館の世界に限った話ではない。政治、企業経営、さらには所得構造においても、女性の割合は今も低い。
 
とはいえ、ジェンダーの問題は数だけでなく、価値観の閉鎖性の問題でもあるという。「男性を中心としたマジョリティの価値観が、無意識のうちに標準として機能し、それ以外の視点を周縁化してしまう。その構造を自覚し、多様な価値観を受け入れることができなければ、真の変化は生まれない。インクルージョンとは、価値観を再編することなのです」(笠原氏)

違いを受け入れるだけでなく違いと出合い、見方が変わる

こうした笠原氏の思想は、長野県立美術館が展開する「インクルーシブ・プロジェクト」とも親和性が高い。このプロジェクトをリードする学芸専門員の青山由貴枝氏は、「本来、美術館という場所はインクルーシブであるべきです。長野県立美術館では、インクルージョンを単なる理念にとどめず、2021年のリニューアルに伴い組織的な事業として再設計しました。障がいのある人、子どもなど美術鑑賞にハードルを感じる人を待つだけではなく、『あなたのための日です』と明確に伝え、『場をひらく』ことを目指しています」と話す。
 
その象徴が「障がいのある方のための特別鑑賞日」である。感覚過敏のある来館者や静かな環境を必要とする人のために、音や光の刺激を抑えた環境を整える。 
 
また、視覚障がいのある人とともに作品を鑑賞するプログラムもある。見える人と見えない人が同じ作品の前に立ち、それぞれの感覚と言葉を持ち寄って作品について語り合う。

「見えない人と一緒に作品を見ると、『今まで見えていなかったことが見える』と皆さんおっしゃる。色彩に注目していた鑑賞者が素材の質感や構造に気づく。空間の広がりを身体感覚として捉え直す、というように異なる感覚が交差することで、作品の見え方そのものが変わるのです」(青山氏)

青山氏の言葉は、インクルージョンとは、違いを単に受け入れることではなく、違いに出合うことで自分自身の見方が変わることだと教えてくれる。

ソファで寝ていてもいい 何もせず休みに来る場であっていい

長野県立美術館のインクルーシブ・プロジェクトでは、館長をはじめとして、副館長、管理職、総務、広報、学芸員といったすべての部署の職員が準備に参加し、現場に立つ。組織全体で来館者と向き合う仕組みになっている。
 
全員が、車椅子に乗って館内の動線を回り、段差や通路の幅、ドアの重さ、展示ケースの高さ、解説文の文字サイズなどを身体で確かめる。視覚障がいのある来館者の誘導を実際に体験する。「こうした経験をすると、全員が何かに気づきます。たとえば、展示室の解説文の文字が小さいこと。立ったまま鑑賞することが負担になる人のために、椅子を置いたほうがよいこと。これまで当然だと思っていた展示のあり方が、別の視点から見直されていきます」(青山氏)
 
視点が変わることで「健常者中心」という無意識の閉鎖性が揺らぎ、価値観が変わる。青山氏は、「インクルージョンは“慣れ”ではなく“訓練”」だと強調する。異なる価値観や身体感覚に繰り返し触れ続けることで、少しずつ視界が広がっていく。

「ソファで寝ていてもいい。展示をすべて見なくても、疲れた人が何もせず、休みに来る場所であっていいのです」と笠原氏は言う。
 
長野県立美術館には、身体をゆったりと預けられるソファが置かれ、実際に来館者がうたた寝をすることもある。誰もそれを咎めない。
 
笠原氏の言葉は、美術館の価値を「成果」に還元しない、インクルージョンとは、「役に立つ人」だけを歓迎することではないという宣言だ。しかし、だからこそそこに異なる価値観や身体感覚が共存し、変化という「成果」が得られるのだろう。

Text=入倉由理子 Photo=伊藤 圭、長野県立美術館提供