Works 195号 特集 経営とインクルージョン

同質性の高さと自律性の高さのアウフヘーベンがインクルーシブリーダーシップ

2026年04月17日

価値観の共有によって組織の一体感を高めることは重要だが、行きすぎれば過度な同質化や同調圧力を生み出す。包摂はどう線を引くべきなのか。
組織心理学・組織行動論を専門とする野田稔氏に健全なインクルージョンの条件を聞いた。

野田 稔氏の写真

明治大学大学院
グローバル・ビジネス研究科 教授
野田 稔氏
野村総合研究所、多摩大学経営情報学部助教授、教授、リクルート新規事業担当フェローなどを経て、2008年4月より現職。専門分野は組織論、経営戦略論、ミーティングマネジメント。


現在のような不確実性の高い環境で企業が競争力を高めていくためには、DE&Iが重要であるとされています。しかし、多様な人たちをただ受け入れるだけでは、それぞれがバラバラに存在するだけで組織としてのまとまりを欠くことになってしまいます。多様性を包摂するにしても、どこかで同質性が必要です。
 
ただし、同質性を求めすぎると、閉塞感の強い、いわゆる「村社会」になってしまう。今、日本の多くの企業は、DE&Iを掲げながらも、この村社会を引きずった状態にあるわけです。少なくとも、不断のイノベーションを起こすことによって競争力を高めていこうとするなら、このままでいいわけはありません。では、本来的な意味でのインクルージョンを実現するためには、同質性に関してどこに線を引くべきか。これを明らかにしていくのが本稿のテーマです。

集団凝集性の「一糸乱れず」という強みが通用しなくなっている

では、村社会型の組織、いわば集団凝集性の高い組織はいったい何が問題なのでしょうか。まずはその特徴やメリット、デメリットを整理しておきましょう。
 
集団凝集性には、チームリーダーのみならず、私たちすべてにとって麻薬のような効果があります。組織の集団凝集性が高く、しかもその集団内で自分がやるべきことがしっかりとわかっている状態ほど心地よいものはありません。集団と自分自身のアイデンティティの重なり合いが強いと、人は自ずと「なんとかしてこの集団にとどまりたい」「この集団を維持しよう」と考えるようになるのです。
 
このように、集団凝集性の高い組織はメンバーが価値観の相違で衝突することが少なく、一致団結して動けるため効率がいい。ですから、多くのリーダーは自分の率いる組織の集団凝集性を高めたいと考えます。
 
共同作業をベースとする稲作によって発展してきた日本の社会は、そもそも集団凝集性が高くなる傾向があります。実は、この集団凝集性の高さが日本の高度成長を支えたともいえます。一糸乱れぬ組織で目標達成に向けて頑張る、こんな姿が思い浮かびます。しかし、今や時代は変化し、産業の勝ち方が変わっています。集団凝集性が高い組織の「一糸乱れず」という強みがあまり効かなくなっている。それでも、日本の組織はこの戦い方しか知りませんから、30年以上ももがき苦しんできたのです。
 
現在の状況では、集団凝集性の高い組織のデメリットが目立つようになります。
 
その1つが、強い規範意識によって、新しい発想や個々の自律性を阻害するという問題です。そもそも集団凝集性の高い組織が高いパフォーマンスを発揮するには「我々は高い成果を出すんだ」という共通認識(=成果規範)が必要です。そのうえで、「何を大切にすれば競争に勝てるのか」といった“勝利の方程式”ともいうべき行動規範が求められます。今の日本の組織には、過去の成功体験に縛られた昔の行動規範がそのまま残ってしまっています。たとえば、スピードより作り込みを大切にする、1つのミスも許さない完璧さを求める、といった具合です。さらにこの規範を徹底すべく、減点方式の文化と相互監視を生み出しています。その結果、失敗への過剰な恐怖が蔓延し、ストレスフルになっているのです。
 
さらに、集団凝集性の高い組織に起きやすいのが集団浅慮です。その典型例が、集団のメンバーがあまり考えずに同じような行動をする同調行動であり、雰囲気で組織全体が危ない方向に一気に動くリスキーシフトです。リーダー自身がこの集団浅慮の罠にはまると、まず抜けることはできません。

自律性の高い組織を実現するには心理的安全性がキーワードになる

さて、このような組織のあり方が日本企業の成長を阻害していると考えたとき、よく出てくるのが、同質性の高さと自律性の高さのどちらを選ぶかという議論ですが、私はこの議論自体が間違っていると考えます。一気に正反対の組織に変貌することなどできませんから。これらはまさに「正」と「反」の関係にあるため、アウフヘーベンして「合」を目指すしかありません。弁証法的な進化が必要なのです。
 
そこで改めて注目すべきなのが、心理的安全性を高めることです。心理的安全性というと、ぬるま湯的な環境をイメージする人も多いですが、実はまったく違います。「ありのままの自分でいることを周りが認めること」というのが、生みの親である心理学者エイミー・エドモンドソンやGoogleの本来の定義であり、みんながありのままだから、当然そこでは対立も起こり、説得も必要になります。心理的安全性が高いということは、実は個人にとって精神的に負荷が大きい。それでも、根底に信頼関係や相互尊重があるから、プレッシャーに耐えることができるという状態なわけです。
 
この信頼関係や相互尊重でポイントになるのが、まず目的意識の共有化です。さらにここだけは欠いてはいけないという共通善の共有。そして個人には成熟度を高めることが求められます。ここでいう成熟度とは、利他主義や誠実さに基づいた組織市民行動ができるかということ、さらに、過去の自分にとらわれたり、未来の不安に絡め取られたりせず、「今、ここ」で正しいと思うことに集中できる心理的柔軟性を備えていることなどを挙げることができます。つまり、非常に大人な状態ということです。先ほど触れた「合」の答えがまさにこれです。
 
このアウフヘーベンを実現するためには、リーダーの役割が非常に重要となります。オープンな風土を醸成し、かつ、あえて反対意見を述べる「デビルズ・アドボケイト(悪魔の代理人)」を設けるなど、構造的な仕掛けによって組織を揺らすことが必要です。そして、揺らすことによってメンバーが疲弊しないよう、一方では、職場の心理的安全性を確保し、先ほどの信頼関係や相互尊重をしっかりと作っておかなければなりません。
 
日本の組織が伝統的に培ってきた集団凝集性のメリットを生かしつつ、多様性の強みを最大限に発揮するインクルージョンをどのように実現していくか。非常に難しい課題ですが、今、日本の組織のリーダーには、このハードルの高いチャレンジが求められているのです。

Text=伊藤敬太郎 Photo=刑部友康