Works 195号 特集 経営とインクルージョン

インクルージョンは価値創造の「手段」。個の力を引き出し経営の質を高める

2026年04月10日

人権や配慮の文脈で語られがちなインクルージョンは、経営のアジェンダとしてどのように位置づけられるべきなのか。価値創造や意思決定と、インクルージョンはどのようにつながるのか。次世代を担うグローバルリーダー育成に取り組む大学院大学至善館学長の野田智義氏に問う。

野田智義氏の写真

大学院大学至善館 学長
アイ・エス・エル(ISL)ファウンダー(創設者)
野田智義氏

東京大学法学部卒業後、日本興業銀行入行。マサチューセッツ工科大学(MIT)スローンスクールより経営学修士号(MBA)、ハーバード大学より経営学博士号(DBA)取得。ロンドン大学ビジネススクール助教授、インシアード(フランス、シンガポール)助教授などを経て帰国。2001年7月、全人格経営リーダーシップ教育機関アイ・エス・エル(ISL、Institute for Strategic Leadership)を創設。2018年にグローバルなビジネススクール至善館を開学。近著に『コンテクスト・マネジメント― 個を活かし、経営の質を高める』(光文社)がある。


近年、「インクルージョン」という言葉を聞かない日はありません。ダイバーシティ&インクルージョンは、人事やサステナビリティの文脈にとどまらず、経営の重要テーマとして語られるようになってきました。

ただ、その一方で、「私たちは何のためにインクルージョンを語っているのか」が、必ずしも明確にされていないと思うのです。

日本でこれまで語られてきたインクルージョンの多くは、人権や差別是正といった社会的要請を起点にしています。その議論がCSRやSDGsといった枠組みを通じて社会運動として日本に導入され、「ダイバーシティ&インクルージョン」「DE&I」という言葉が定着しました。それ自体は極めて重要ですし、企業が果たすべき責任にほかなりません。ただ、経営の文脈においては、それだけでは十分ではないのです。
 
本来、経営とは価値を創り続ける営みです。であるならば、インクルージョンもまた、倫理的・規範的な社会正義としての要請を超えて、価値創造とどのようにつながるのかという視点から再定義されなければなりません。経営が何を目指し、そのためにインクルージョンがどのような役割を果たすのか。インクルージョンを経営のアジェンダとして明確に設定し直す必要があるのです。
 
多くの企業のD&I施策は、多様な属性の人材を揃えることにとどまっています。女性管理職を何割にしますといった目標設定が典型例で、それがどのように価値創造につながるのかを十分に示せていないことが多いのではないでしょうか。
 
経営におけるインクルージョンとは、多様な、時に異質な視点が交わり、摩擦や葛藤を経ながらも、最終的にはより質の高い判断と行動にたどり着き新たな価値が創造される、そのプロセスを意図的に経営に組み込むことです。インクルージョンは、社会正義としての要請からは目的となり得ても、企業が本来果たすべき役割から眺めたときにはあくまで手段なのです。この視点を欠いたままでは、インクルージョンは「正しさ」の表明にとどまり、経営の実践には落ちてゆきません。

個の可能性に賭ける覚悟を持ち遠心力と求心力を機能させる

私がこのような文脈でインクルージョンを捉える背景には、近年のステークホルダー・キャピタリズムをめぐる議論があります。

私が尊敬するヴァージニア大学のエドワード・フリーマン教授は、株主主権が根強いアメリカにおいて、1980年代後半からステークホルダー理論を孤高に提唱してきました。その主張は、企業活動はさまざまなステークホルダーの協働や相互依存関係によって成り立っているものであり、ガバナンスや意思決定には当然ながら、株主以外も関与すべきであるというもので、倫理的、規範的なアプローチです。これに対して、戦略経営論において近時理論展開が進むニュー・ステークホルダー・セオリーの論者たちは、価値創造の観点から、ステークホルダーアプローチこそが現代の資本主義に適合していると主張します。この後者の議論が、ここでの経営上のインクルージョンと関連しています。
 
かつて企業は、予測可能なリスクを前提に、得られた利益を株主に分配する存在でした。大航海時代の東インド会社はまさにこうした役割を担っていました。しかし現代は、「ラディカル・アンサーテンティ」── 何が起こるかわからず、予測も保険も通用しない時代です。このような不確実性のなかで、多様なステークホルダーと信頼関係を築き、協働しながら試行錯誤を重ね、イノベーションや価値を中長期にわたって創出する。そのプロセスそのものに、企業活動の本質があるのです。価値には株主価値を超えて、人的・社会関係・自然資本も含みます。ならば、多様な人々がいかにそのプロセスに参加できるかに取り組むインクルージョンは、企業経営における極めて重要な手段になるといえるでしょう。
 
また、個と組織の関係が大きく変わってきているという点も、手段としてのインクルージョンを重視すべき理由の1つです。
 
従来は、組織が価値を生み、個はその一部として機能する存在という色合いが強かったと思います。しかし現在、価値創造の源泉は明らかに「個」へと移っています。専門性を持つ個、異なる経験を持つ個、自律的に考え行動できる個。そうした存在が新しい価値を生み出しています。
 
だからこそ、個、とりわけ多様で時に異質な個を排除せず、組織の内側に取り込み、力を発揮してもらう必要がある。現代的な経営においては、「個の可能性に賭ける」という哲学が前提であり、その力を最大限に引き出すための概念がインクルージョンなのです。
 
そのうえで、真のインクルージョンを成立させるためには、「遠心力」と「求心力」を同時に機能させる必要があります。遠心力とは、個に権限を与え、自律的に判断し、力を発揮してもらうこと。求心力とは、それらの個をパーパスやミッション、バリューといった企業ならではの哲学によって束ね、組織としての方向性を保つことです。そのために、やってはならないことは何か、どこまで自分で決めてよいのか、どこまでが自己責任なのか。その範囲を明確にする必要があります。

インクルージョンとは権限と責任の力の配分の設計だ

経営におけるインクルージョンの重要性がいちばんわかりやすいのが、グローバル文脈です。企業の海外法人、とりわけ現地のスタッフから寄せられる声には、「本社の意思決定が見えない」「自分たちの声が反映されない」というものが多数あります。これは経営設計そのものの問題です。
 
日本の本社は、多くの場合ハイコンテクストで動いています。どこまでやってよいのか、どこからが越えてはいけないのか。長年同じ組織にいる人同士で共有されている暗黙の了解は、グローバルの現場では通用しません。
 
何をグローバルで統合し、何を現地に任せるのか。戦略の方向性や価値観、倫理の基準は共有する。一方で、市場に近い判断や顧客に向き合う意思決定は、できる限り現地に委ねる。その線引きを言語化し、繰り返し確認することが不可欠です。
 
統合を強めすぎれば現地は実行部隊にとどまり、分権を進めすぎれば組織は分断される。だからこそ、遠心力と求心力のマネジメントが不可欠です。経営におけるインクルージョンを突き詰めれば、誰が意思決定と価値創造に参画できるのか、誰が最終的に決め、責任を負うのか、権限と責任の力の配分を設計することなのですが、グローバル文脈では、この問題が鮮明に表れるのです。

インクルージョンの根底に流れる「思いを馳せる力」

私はこれまで、目的としてではない手段としてのインクルージョンの重要性をお話ししてきました。しかし、両者には共通に不可欠となるものがあるのです。それは、「いかに相手の立場に立つことができるか」という挑戦です。
 
今でも時折出くわすのが、グローバル経営会議のあとの懇談会といった場で、日本人だけが集まって日本語で日本人しかわからない内容の会話をするといった風景です。外国籍の幹部や社員たちは、取り残されています。そこには、語学の問題だけでは片付けられない、人々を疎外してもそれをなんとも思わない無神経さがあります。それは、自分が疎外された経験を持たないがゆえのマジョリティとしての鈍感さであり、女性や障がいのある人々の排斥の根底にもあるものです。 
権限と責任の力の配分といった経営の枠組みを整えることは重要ですが、それだけでは経営における真のインクルージョンは実現されません。一人ひとりが、そして組織全体で、「マイノリティの立場に身を置く、思いを馳せる」という資質や感度を磨くことが、深いレベルで求められているのです。


Text=入倉由理子 Photo=今村拓馬