Works 195号 特集 経営とインクルージョン
心理的安全性は「緩さ」ではない。多様な知を生かせる沈黙のリーダーシップ
会議で最も長く話しているのは、誰だろうか。多くの組織では、役職の高い人ではないか。
しかし、イノベーションが求められる時代に、その構図は通用しないと、早稲田大学ビジネススクール教授の入山章栄氏は言い切る。
多様な知を引き出すインクルーシブリーダーシップのあり方とは──。

早稲田大学ビジネススクール 教授
入山章栄氏
慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了。三菱総合研究所勤務を経て2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院よりPh.D.(博士号)を取得。同年より米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授。2013年より早稲田大学ビジネススクール准教授。2019年より現職。
インクルージョンは人的資本経営や組織変革と結びつき、単なる人事施策や価値観の問題ではなく、経営そのものの持続性を左右する論点として位置づけられるべきだと考えます。その背景にあるのは、日本企業にとってイノベーションが不可欠な課題になっているという現実です。市場環境の不確実性が高まるなか、既存事業を磨き込むだけでは競争優位を維持できない。「両利きの経営」が示すように、これからの企業には、既存事業の深化と、新たな可能性を探索する営みを同時に進める力が求められています。
「探索」とは、新しい技術や市場を外から持ってくることだけではありません。異なる経験や専門、価値観を持つ人々の知が組み合わさることで、これまでにない発想を生み出す営みでもあります。イノベーションは、単一の知識や経験の延長線上には生まれない。離れた知と知が組み合わさることで、はじめて新しい価値が立ち上がります。そして、その知を担っているのは人間です。だからこそ、組織に多様な人材が存在することがまず前提となる。しかし、多様な人材が“いる”だけでは十分ではないのです。
異なる知や視点が引き出されず、交わらなければ、イノベーションにはつながらない。多様な人たちが、それぞれの知を発揮できる状態にあってこそ、ダイバーシティは価値を持ちます。このとき問われるのが、インクルージョンです。インクルージョンとは、多様な人材を受け入れることそのものではなく、多様な知が引き出され、生かされる状態を作ることにほかならないのです。
では、どうすればそのような状態が作れるのでしょうか。私は、日本企業でのインクルージョンに必要なことは、ほぼすべて心理的安全性に帰結すると考えています。
心理的安全性を高めるカルチャーを本気で設計する
日本企業では、せっかく多様な人材を採用しても、その人たちが自由に意見を言えないケースが少なくありません。会議では上司が話し続け、部下は「正解らしきもの」を探しながら沈黙してしまう。これは、「多様性の無駄遣い」です。部や課の会議で、部長や課長がずっと喋っているのは、本当に意味がない。説明なんて事前に動画で済ませればいい。会議は、いろいろな意見を出す場であるべきです。
多様な組織では、当然ながら意見が割れ、会議は揉めます。しかし、その摩擦こそが価値の源泉であり、違和感のある意見を排除した瞬間、心理的安全性は失われてしまいます。多様な人がいる価値は、その価値を貢献として十分に発揮するために、言いたいことを言えるところにある。それを可能にする状態が、インクルージョンです。
日本企業が心理的安全性を確保しにくい背景には、過去の成功体験の強さがあります。これを私は、人間の認知バイアスとして捉えています。人間は、うまくいった経験に引きずられる生き物。道徳の問題ではなく、認知の問題なのです。
かつて成功したフレームワーク、そのなかで組織を強く率いたリーダー、積み重ねられた意思決定の仕組み……。これらが組織に深く浸透すればするほど、人は同質化し、異なる視点が入りにくくなります。結果として、変化対応力は低下していきます。人は組織に染まるものであり、同質化を完全に防ぐことはできません。だからこそ、多様性と心理的安全性をセットで高め続けるためのカルチャーを、戦略的に設計するという視点が求められます。
私から見れば、日本企業はカルチャーを本気で作っていない。見栄えのいいパーパスやバリューは掲げるけれど、行動に落とし込んでいないのです。組織には経路依存性があり、どこか1つだけ変えても意味はありません。制度や意思決定の仕組みに基づき、どんな行動を許す・許さないのかを明確にしてそれを徹底することではじめて変化が起こります。GoogleやAmazonが強いのは、カルチャーを“言葉”ではなく“行動”として埋め込んでいるからです。心理的安全性が大事だというなら、失敗した人を叱らない、役職名ではなく“さん付け”で呼ぶなど、より具体的な行動のルールが必要になります。
「その話、もっと聞かせて」「今の意見どう思う?」と促す
心理的安全性を促す行動の体現者となるべく、最も変わるべき存在は管理職です。これからの課長や部長は、喋ったらダメ。目指すべきはテレビ番組『アメトーーク!』の蛍原徹さんだと思うのです。
カリスマ的な司会者が中心となり、人数が多くても1対1のコミュニケーションが繰り返されるような番組は多くあります。話している量は、司会者が圧倒的に多い。一方、『アメトーーク!』の蛍原さんの司会は、出演者同士が喋るように場を回す、まさにファシリテーションです。
テーマごとに異なる芸人が集まり、それぞれが異なる経験や視点を持ち寄ります。笑いは司会者の巧みな話芸から生まれるのではなく、出演者たちの自由な発言によって生まれます。司会者が全部説明したり、オチを言ったりしたら番組はつまらなくなる。大事なのは、「その話、もっと聞かせて」とか、「今の意見、ほかの人はどう思う?」と促すことなのです。
この構造をそのまま組織マネジメントに重ねると、多様な人材が集まる会議で、上司が結論を先に言ってしまえば、部下は「正解を当てにいく」姿勢になってしまいます。結果として、場は静まり返り、異なる視点や考え方は表に出ない。会議でいちばんやってはいけないのは、上司が喋りすぎることです。会議は、意見がぶつかり合う場であるべきです。
『アメトーーク!』が成立しているのは、出演者が「何を言っても大丈夫だ」という安心感を共有しているからでしょう。多少ズレた発言をしても、即座に否定されることはなく、むしろ、そのズレこそが笑いの起点になります。組織でも同じで、違和感のある意見が出たときに、「それ面白いね」と言えるかどうか。それが心理的安全性であり、インクルージョンが発動した状態です。
司会者=管理職の役割は、目立つことではありません。異なる声が交差し、場が豊かになるように回すことにあります。「これからの管理職は喋らないほうがいい」というのは、決して極論ではないのです。違和感のある発言、ズレていると思えるような発言をする人を面白いと感じ、その人の発言に耳を傾けられるかどうか。沈黙もできるリーダーこそが、多様な知を生かせる雄弁な組織を作るのだと思います。
カリスマ的な司会者が中心となり、人数が多くても1対1のコミュニケーションが繰り返されるような番組は多くあります。話している量は、司会者が圧倒的に多い。一方、『アメトーーク!』の蛍原さんの司会は、出演者同士が喋るように場を回す、まさにファシリテーションです。
テーマごとに異なる芸人が集まり、それぞれが異なる経験や視点を持ち寄ります。笑いは司会者の巧みな話芸から生まれるのではなく、出演者たちの自由な発言によって生まれます。司会者が全部説明したり、オチを言ったりしたら番組はつまらなくなる。大事なのは、「その話、もっと聞かせて」とか、「今の意見、ほかの人はどう思う?」と促すことなのです。
この構造をそのまま組織マネジメントに重ねると、多様な人材が集まる会議で、上司が結論を先に言ってしまえば、部下は「正解を当てにいく」姿勢になってしまいます。結果として、場は静まり返り、異なる視点や考え方は表に出ない。会議でいちばんやってはいけないのは、上司が喋りすぎることです。会議は、意見がぶつかり合う場であるべきです。
『アメトーーク!』が成立しているのは、出演者が「何を言っても大丈夫だ」という安心感を共有しているからでしょう。多少ズレた発言をしても、即座に否定されることはなく、むしろ、そのズレこそが笑いの起点になります。組織でも同じで、違和感のある意見が出たときに、「それ面白いね」と言えるかどうか。それが心理的安全性であり、インクルージョンが発動した状態です。
司会者=管理職の役割は、目立つことではありません。異なる声が交差し、場が豊かになるように回すことにあります。「これからの管理職は喋らないほうがいい」というのは、決して極論ではないのです。違和感のある発言、ズレていると思えるような発言をする人を面白いと感じ、その人の発言に耳を傾けられるかどうか。沈黙もできるリーダーこそが、多様な知を生かせる雄弁な組織を作るのだと思います。
Text=入倉由理子 Photo=入山氏提供
メールマガジン登録
各種お問い合わせ