Works 190号 特集 本気の 女性リーダー育成

なぜIBMは女性リーダーを輩出するのか バイアスを排除する公平な評価と風土

2025年07月28日

国内でいち早く女性活躍推進に取り組み、複数の女性役員を輩出している日本IBM(以下、IBM)。関連会社の社長を経て、現在取締役執行役員で2児の母でもある井上裕美氏がキャリアを積めた背景には、公平な人事評価制度や企業風土のほか、多様なコミュニティの存在があったという。

井上裕美氏の写真

IBM 取締役執行役員
コンサルティング事業本部 成長戦略統括事業部 アプリケーション・オペレーションズ事業担当
井上裕美氏
2003年、日本IBM入社。システムエンジニアとしてキャリアをスタートし、官公庁基幹システムプロジェクトのプロジェクトマネジャー、部長などを務める。2020年、日本IBMデジタルサービス代表取締役社長。2025年1月より日本IBM取締役執行役員。


井上氏は2003年に同社に入社した「生え抜き」の社員だ。当時から同じフロアに女性の事業部長や役員の姿があり、「多様な女性リーダーがいるのが当たり前の環境でした」(井上氏)。

20代後半で第1子を出産した。日本企業では「子育てが大変だろう」という「好意的差別」から業務や配属で過剰な配慮をするケースも見られるが、井上氏は逆に上司から妊娠時にマネジャー昇進を打診された。「幼い子を抱えながらでは大変そうだから」と一度断ると、「今断る理由がどこにあるの?大変なことが起きたときに、組織で対策を考えればいい」と返されたという。井上氏は「挑戦しない理由がなくなり」、試験を受けて合格し、マネジャーとして育休から復帰した。

業務量が減ることなどを理由に育休取得者の評価を引き下げる企業もあるが、IBMでは就業中のパフォーマンスのみが評価対象となり、井上氏の評価は下がらなかった。「私自身が無意識のバイアスから育休中は評価が下がるだろう、産後のキャリアはスローダウンするかもしれない、といった思い込みがありました。上司が昇進を促してくれたことでバイアスが解消し、考えが1つ押し上げられたと思います」

同社は人事制度のなかで、昇進に必要な経験やスキルなどの要件を明確化し、公開している。プロジェクトリーダーや海外研修などに指名する社員は、社員の男女比率と同等になるよう配慮し、育成プロセスでもジェンダーの不平等が生じないようにしている。

「ジェンダーやライフイベント、さらに年齢にも関係なく、基準を満たせば平等に成長と昇進のチャンスを得られます。社員同士が年齢や年次を意識することもほとんどありません」

さらにグローバルで、技術者として専門性を極めるキャリアも用意されている。DE(技術理事)やIBMフェローといった役員クラスの役職があり、日本法人でもこれまでに、女性技術者の浅川智恵子氏、倉島菜つ美氏がIBMフェローに就任している。

「技術とマネジメント、両方のキャリアパスがあるのでロールモデルが偏らず、女性が多様なキャリアを歩める。いつでもキャリアアップに挑戦できるので、育児や介護で一時キャリアをスローダウンさせ、状況が落ち着いたら取り戻すことも可能です」

コミュニティでリーダー育成 活動広げ「夫の勤め先」も変える

IBMでは全世界的に、社員が日常業務と両立して介護や障がい、性的マイノリティなどテーマ別に集まるコミュニティの活動が盛んだ。日本には女性のキャリア関連のコミュニティとして、社長直属の諮問委員会「ジャパン・ウィメンズ・カウンシル(JWC)」や、女性技術者を支援する「cosmos(コスモス)」がある。停滞していた女性管理職比率を伸ばすために2019年から手挙げ式による研修「W50」を導入し、毎年約50人を半年にわたって育成している。こうした場は女性のネットワークづくりにとどまらず、リーダー育成にも役立っているという。

「メンバーは、多様な人と接することで視野が広がるとともに、社内外のさまざまな人を束ねて活動するなかでリーダーシップも培われます」

マネジャー以上の層は、多様な人材の育成が人事の評価項目に含まれており、コミュニティで役割を果たすことは人事評価上も欠かせない要素となっている。井上氏は20代からcosmosをはじめ、社内の多様なコミュニティ活動にも積極的に参加してきたという。

コミュニティには他社も参加できることから、社外へIBMのカルチャーを広める役割も果たしている。

「あるコミュニティのメンバーに『IBMは進んでいるけれど、家に帰れば日本社会が待っている』と言われ、その通りだと思いました。コミュニティ活動を社外へ展開し、『パートナーの会社』である日本企業にも新たな価値観を提供できればと考えています」

井上氏がキャリアを重ねるうえで最も役立ったのは「組織の枠を超えて、多くの先輩から話を聞けたこと」だった。同社にはスケジュールを公開して相談に応じるリーダーがいるほど、以前からメンタリングを重視する気風がある。井上氏も出産にあたって、他部署の女性エグゼクティブを含め、多くの男女のリーダーたちに相談を持ちかけてきた。

「いろいろな人の意見の『いいとこどり』をして、自分の解を見つけてきました。相談をお願いした人に断られたことはないですし、私も最近は相談されますが、断らずに応じています」

言われなければ気づけない 「もやもや」を口に出す

井上氏のもとに相談に来る女性のほとんどが、出産したらキャリアはどうなるのか、仕事はスローダウンするのかといった「出産当時の私と、まったく同じ不安」を抱えているという。

「両立はやはり大変なので、良いことばかりでなく『リアル』を話すようにしています。ただ心配事が10個あっても、8個くらいは取り越し苦労で終わるので、考えすぎている部分を取り除くことも私の役割だと思っています」

なかにはいくつか、解決できない問題も出てくる。井上氏の経験では、それは言葉にしづらい「もやもや」として表れた。

管理職としてすべての業務にコミットしたいが、子どものお迎え時間が迫れば退社せざるを得ない。以前と変わらず出張もしたかったが、子どもが小さいうちは「お母さんと離れたくない」と泣いてしまうこともある。子どもの泣き顔を見ると悲しい、夜間の業務や会議に立ち会えないのはつらいと思うだけで、具体的な解決策が思い浮かぶわけではなかった。

上司にこうした「もやもや」を吐き出すと「そんなことを思っていたの?気づかなかった」と驚かれた。そして夜の会議にオンラインツールを導入し、育児をしながら「耳だけ参加」できるようにする、ローテーションを組んでチームで夜間対応に当たる、といった「物理的な配慮」をしてくれた。「『どうしてほしいか』が不明確でも、口に出せば解が見つかることもある。また上司や男性の同僚には『言わなければわからない』こともわかり、言葉を投げかけることの大切さを学んだ経験でした」

Text=有馬知子 Photo=稲垣純也