Works 191号 特集 「失われた30年」を検証する 社会×働く 何が変わり何が変わらなかったのか
タイミー・小川 嶺氏/「労働者ファースト」の働き方目指し「スキマバイト」で描く未来
小川嶺さんは、大学在学中にタイミーを設立し、「スキマ時間」に働けるスポットワークという過去に例のない働き方を社会に定着させた。「スキマバイト」という働き方はなぜこれほど社会に受け入れられたのか。小川さんが見据える労働市場の未来とは――。
小川さんが起業を志したきっかけは、18歳で経験した祖父の死だった。
「祖父が大好きでしたし、身内の死に接したのも初めて。大きな衝撃を受け、『いつか死ぬなら後悔のないよう、やりたいことをやろう』と思ったのです」
祖父の生い立ちを調べるうちに曾祖父が乳業を営んでいたことを知り、新しいものを考え出すのが好きな自分にも通じる、と起業を志す。高校在学中からビジネスプランコンテストへの挑戦やベンチャー企業のインターンに取り組んだ。
大学2年生のとき、6人のメンバーを巻き込んでアパレル系の事業を始めたが、「これが本当にやりたいことか」と悩んだ末に1年後、事業をたたむことを決意。昼夜兼行で事業プランを考え、充実した毎日を過ごしていたのが一転、「自分はこの世にいなくてもいい存在だと思うほど、どん底に落ちました」。
そんな折、事業の立ち上げを通じて知り合ったエニグモ代表取締役最高経営責任者の須田将啓氏から連絡があり、事業断念を伝えるとランチに誘われた。ファッションECサイト「BUYMA」を展開する企業トップの須田氏が、一学生である自分に会ってくれることに感激し、「何か考えないと失礼だ」と、いくつかの事業プランを考えた。
「自分のなかに『世界初のサービスを作りたい』という気持ちが続いていることに気付きました。須田さんがいなかったら起業していなかったかもしれません」
登録者数1100万人超 正社員就職もサポート
再起業への覚悟を決めた小川さんだが、両親から借りた1社目の事業資金を返済するため、しばらくの間は飲食や倉庫作業などの日雇いバイトに明け暮れた。
「雇い主の都合に合わないと、すげなく『もう来なくていい』と言われるなど、労働者が軽視されていることを痛感しました。バイト先を変えるたびに、履歴書を作り面接に行くのも煩わしく、働き方を『労働者ファースト』に変えたいと思うようになりました」
2017年、この経験から、大学3年生でタイミーを設立した。プログラミングを学んでアプリを自作。当時、米ウーバーやエアビーアンドビー、中国のアリババの子会社が開発した芝麻信用などで広がりつつあった個人信用評価の仕組みを取り入れた。働き手と職場側がお互いを評価したものを公開することで、履歴書や面接なしでも企業側は雇うことができ、労働者はブラック企業を避けることができると考えた。
だが小川さんは起業1本に絞ったわけではなく、就職活動も並行して進めていた。「事業が不調だった場合に備えて、内定という『保険』を掛けておきたかったし、面接で起業のことを話せば就活はうまくいくだろう、という目論見もありました。忙しくはありましたが、事業断念のどん底を経験していたので、大変さよりも再び挑戦できる幸せを感じました」
履歴書や面接の手間がなく、勤務後すぐに賃金が支払われるタイミーはサービス開始直後から、学生や主婦を中心に広がり、2025年4月時点の登録者数は1100万人に上る。予想外だったのは副業目的の会社員の利用で、今では全登録者の約3割を占める。「既存の求人サイトは、企業が労働者より優位に立つという力関係を前提に設計されています。当社は、人手不足の深刻化が社会問題となり、両者の力関係が転換し始めたとき、変化に合ったサービスを提供できた。むしろ人材ビジネスの経験がなかったことで、新たな発想を生み出せました」
登録者には賃金もさることながら、働くことを通じて「社会とつながりたい」というニーズもあるという。顧客に「ありがとう」と言われたり、店主に「助かったよ」と感謝されたりすることが、また働きたいという「次」へのモチベーションにつながっている。
2023年にはアプリに「洗い場」「ホール」「清掃」など働き手の得意な領域を示す「バッジ」機能も搭載した。将来的には業界団体と連携し、業界全体でスキルを可視化する基準を作りたいという。さらに働き手に面接指導やリスキリングを行い、正社員就職をサポートする事業も展開している。「スキルが高く、勤め先から高評価を得ている登録者はたくさんいます。彼らを専門職として評価することで、ブルーカラーの賃金や社会的地位を高めるとともに、非正規人材のなかで正社員化を望む人には、そのような転換も促していきたいと考えています」
仕事重視から生活重視へ AI・機械化で変わる
小川さんは、2030年代半ばには最低賃金がロボットの単価を上回り、「機械化が一気に加速する」と予測する。ホワイトカラーの仕事がAIに代替されて減る一方、ホスピタリティを要する仕事や家事代行のような対人サービス、カスタマイズが必要で標準化できない作業など、機械に代替されづらいブルーカラーの領域で働く人の割合が増えると考えられる。
「そうなれば心身ともに仕事にフルコミットする人は減り、趣味や家庭、ウェルビーイングに重きを置くようになるのではないか。その結果エンターテインメントが活性化し、トータルとしての幸福度は高まる方向に向かうと思います」
小川さんも、自身のウェルビーイングの実現とエンタメへの投資を兼ねてBリーグ・レバンガ北海道のオーナーに就任した。
ただブルーカラーの割合が増えたとき、生活を安定させるには最低賃金の引き上げなど政策的な措置も不可欠だ。働き手も「従来の職業観の延長線上でキャリアを考える時代は終わったことを認識し、本当にやりたいことは何かを突き詰めて考える必要があります」。
小川さんの大学卒業時は人手不足が顕在化し、就活では売り手市場といわれていた。だが同級生の多くはリスクを嫌い、これまでの価値観の延長線上の「勝ち組」を目指し、大手金融機関などに就職していった。「雇用の流動性を高めてキャリアを自己決定する環境を作るとともに、『今選んだ職業が20年、30年後も存在するという保証はない』という将来像を若者に示して、スキルや考え方を磨き続ける必要があるという危機意識を高めなければいけないと思います」
「スキマバイト」を通じて多様な職業機会を提供することは、自分のやりたい仕事は何かを考えるきっかけにもなるという。たとえばカフェでのバイトを機に、人々に食べ物を提供する楽しさを知り、自分も飲食店を開業したいと考えるようになる――といったことだ。
「働き手の『やりたい』というエネルギーの総量が、経済全体を動かすエネルギーになり、日本社会をよい方向へ向かわせる力になる。これからも労働者ファーストのサービスを生み出し、働き方に新しい風を吹き込む存在でありたいです」
Text=有馬知子 Photo=今村拓馬

小川 嶺氏
タイミー代表取締役
高校在学中に起業を志し、立教大学経営学部在学中の2018年8月、スキマバイトアプリ「タイミー」のサービスを開始。過疎地の地方自治体と連携した事業者と働き手のマッチングにも取り組む。