Works 191号 特集 「失われた30年」を検証する 社会×働く 何が変わり何が変わらなかったのか

格差と閉塞感につながる日本型雇用の最大の特徴とは何か〜小熊英二氏に聞く

2025年09月04日

歴史社会学者の小熊英二氏は、日本の大企業に見られる雇用慣行が、社会全体のしくみを規定していると指摘する。社会の閉塞感にもつながっている日本型雇用の特徴とは何か、どう形成されたのか。小熊氏に聞く。


小熊氏の専門は歴史社会学で、社会のしくみをさまざまな角度から研究してきたが、「当初から雇用問題に着目していたわけではありません」という。

「国際比較をしながら日本社会を歴史的に見直していくなかで日本型雇用、特に大企業に見られる雇用のあり方が多方面に影響を及ぼし、社会のしくみを作っているということに気付きました」

一般的に「日本型雇用」は年功賃金や長期雇用、新卒一括採用、定年制といった点から説明されることが多い。

「しかし、これらはいってみれば経営者目線で見たときの特徴です。私から見ると、日本型雇用の最大の特徴は、人材評価の基準がないことです」

これは、小熊氏の個人的な経験とも合致する。小熊氏は大学卒業後、1980年代後半から日本の企業で働いた。そこでいちばん違和感を持ったのは、配属で大学での専攻が一切考慮されないことだった。

「しかも人事異動が頻繁にあり、次の配属先もよくわからない。このままではなんの専門性も築けないまま終わってしまうという不安を覚え、退職して大学院に入ったことが、現在の職に就くきっかけになりました」

アメリカやヨーロッパの企業では、職務に対して求められる専門性があり、即戦力として能力の基準となる職務経験や専門的学位が重視される。同じ職務であれば、企業が違っても賃金の差はあまりつかない。一方、明確に職務が決まっていない日本企業では採用時、大学での専攻よりも、人物や人柄、学歴、特にどこの学校を出たかが重要になる。新卒の素人を異動させながら社内訓練で育成するので、入試難度の高い学校卒であることが、社内訓練への適応度の指標になるためだ。

「そのため入社後は、主に職場での頑張りが評価されます。ほぼ一方的に経営の裁量で定期人事異動が行われ、さまざまな職務を経験させながら、勤続年数とともに賃金が上がっていきます。1つの企業での勤続年数がものをいうため、大企業では転職は少なく、長期勤続する人が多くなったのです」

日本では「社員の平等」 欧米では「職務の平等」

なぜこのような違いが生まれたのか。ドイツなどのヨーロッパ諸国では、産業革命後に職種別の組織や労働運動が発展し、技能資格が政府公認となり、公的な職業訓練へとつながっていった。基本賃金などの処遇は産業別組合が産業別経営者団体と交渉するため、同じ職種内で企業横断的な労働市場が形成された。「日本ではこのような歴史をたどりませんでした。日本型雇用の起源は、明治期の官制に見出すことができます」

小熊氏によれば、明治初期には、近代教育を受けた人材が圧倒的に不足しており、その少数の人材を、国営部門のさまざまな職務に使い回す必要があった。職務に対する賃金ではなく、俸給は官等、つまり官吏の身分によって決められた。

「こうしたしくみは官庁や官営企業、軍隊に適用され、民間企業にも受け継がれて、職務を限定せず、企業内等級で給与が決まる資格等級制度が発達していきました」

この制度を基盤に、一定の教育を受けた人材はどんな職務でも対応するのが当然で、たとえば簿記学校を卒業して、地方の裁判所に勤めた後、製鉄会社で技師になるといったことが実際に行われていたという。

実は1960年代前半くらいまでは、職務給の導入など、政府が主導して欧米型の企業横断的なルールを作ろうという動きもあった。ところがこれは、企業が嫌ったために実現しなかった。日英の工場を比較調査した社会学者のロナルド・ドーアの研究からは、日本の製造業では、自社の技能工が資格を取得することに後ろ向きだったことがわかるという。

「企業を超えて通用する技能資格を取ると、他社に移ってしまう恐れがあったからでしょう。経営者としては、自社の裁量で人事も給与も決められる体制を守りたかったのです」

このようにして、職務ごとの評価基準なきまま、現在に至った。欧米に見られる「職務の平等」の代わりに、企業内のすべての労働者に長期雇用と年功賃金が適用される「社員の平等」が実現した。

3割の大企業型とそれ以外 顕在化し続く二重構造

とはいえ戦前までは企業のなかに身分差があり、「社員」として身分が保証されたのは、一部の上級職に限られていた。それが戦時中の総力戦体制、戦後の民主化運動を通じて、高学歴のエリート社員、高卒のホワイトカラー、現場のブルーカラーなどすべての労働者の「社員の平等」が企業内で実現された。

これによって生じた問題の1つは、「名目的には全員が幹部候補生となるため、昇進が遅くなること」(小熊氏)だ。日本企業は欧米企業に比べて昇進や選抜が遅いが、全社員を戦前の上級職と同じように処遇した代償である。

もう1つの問題は、社内の身分格差が解消される一方で、その外側に新たな二重構造が生まれたことだ。1社の勤続年数による社内でのタテの移動はしやすくなったが、企業を超えたヨコの移動はかえって難しくなった。

「ただしこれは主に大企業の話。中小企業では業績給も多く、長く勤めてもあまりメリットがないので、よりよい条件のほかの中小企業へ移動することも珍しくありません。大企業と中小企業の賃金格差は以前からありましたが、大企業の『社員の平等』が達成されたことで、企業規模による二重構造が顕在化しました」

さらに、1980年代以降は別の「二重構造」も顕在化した。高度経済成長が終わり、賃金コストの負担が重くなると、企業は非正規労働者の利用を拡大した。

「現在の二重構造には、大企業と中小企業の格差に加え、正社員とそれ以外の格差があります」

小熊氏は現代日本の生き方を、「大企業型」「地元型」「残余型」の3つに分類している。「大企業型」とは長期雇用、年功賃金が適用される大企業の正社員、「地元型」は地元に留まり、農業や自営業、地方公務員などとして地域に根ざして働いている人たち、「残余型」は都市部の非正規労働者など、所得が低く、地域につながりもないという人たちを指す。

「このうち『大企業型』は、全有業者の3割弱と推計されます。1980年代からこの割合はほとんど変わっていません。近年、非正規労働者が増えたといわれるのは、地元型に多い自営業者や家族従業者からの転換と女性の労働力化によるもので、正社員の数が減ったわけではないのです。3割弱の『大企業型』とそれ以外という二重構造が、社会のしくみとして今も続いているのです」

これを根本から変えていくにはどうすればいいのか、という問いに対し、小熊氏は「人材評価基準を明確にすることが第一歩ではないか」と答える。職務ごとの評価基準を明確化すれば、企業を超えた労働移動が進み、非正規雇用の待遇改善も可能になる。

「ヨーロッパにはパートタイムの管理職や高度専門職が存在します。そう簡単なことではありませんが、たとえば『大企業型』の象徴でもある日本の中央省庁が、年功を廃して専門家を外部から登用したりするようになれば、社会のしくみも変わっていくかもしれません」

Text=瀬戸友子 Photo=小熊氏提供

小熊英二氏

慶應義塾大学総合政策学部教授

東京大学農学部卒業。出版社勤務を経て、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。慶應義塾大学総合政策学部専任講師、助教授を経て、2007年から現職。専門は歴史社会学。著書に『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書)など。