Works 191号 特集 「失われた30年」を検証する 社会×働く 何が変わり何が変わらなかったのか

勅使川原 真衣氏/社会に浸透する「能力主義」に「NO」 人生の本当の意味を問う

2025年09月11日

2022年に『「能力」の生きづらさをほぐす』を上梓して以降、「能力主義(メリトクラシー)」を批判する著作や論考を立て続けに発表してきた勅使川原真衣氏。社会の隅々に浸透し「常識」となっている考え方に、今、なぜ異議を唱えるのか。

勅使川原真衣氏の写真


小さな出版社から初作を出したとき、ほぼ無名だった勅使川原真衣さんは、今や取材や講演、寄稿の依頼がひっきりなしに舞い込む論客の1人。発信を始めた契機は、38歳で発症した進行がんだった。自らの命と向き合い、幼い2人の子どもが生きる未来を考えたとき、「行き過ぎた能力主義でこんなに息苦しくなった社会を残しては死に切れない」という思いが湧き上がってきたという。

人は「能力」で評価されるべき。行ける学校も職業も報酬も個人の能力次第──。そんな「能力主義」を私たちは当たり前のように受け入れている。けれど、過去30年を振り返れば、学校や企業で求められる「能力」は、「学力」から「主体性」「コミュニケーション能力」「リーダーシップ」など全方位に広がってきた。その圧力で私たちは「○○力が足りないのかも」と常に不安を煽られ、無限の努力を強いられているのではないか。そう勅使川原さんは問いかける。

求められる「能力」の変化に 個人も大学も翻弄された

勅使川原さんが「能力」に疑念を抱いた最初の記憶は、1994年12月4日と鮮明だ。当時小学校6年生で、登校すると担任から1人だけ図書室に行くよう命じられた。教室では担任主導で勅使川原さんのリーダーシップの悪い点を挙げさせる学級会が開かれていたと知り、深く傷ついた。

「1年前、私は別の先生から『リーダーシップがあって素晴らしい』と褒め称えられていました。それが担任が代わった途端に『リーダーシップが強すぎる』と問題視された。私という人間が1年でそんなに変わるわけがないのに、これだけ評価が変わるなんて、『リーダーシップ』に実体はあるのかなと」

大人への不信感と再び傷つくことへの恐怖から、息をひそめるように大学までをやり過ごした。就活にも背を向けた。企業が学生に「個性」を求めつつ、画一的なリクルートスーツしか認めないような「ゲーム」には参加したくなかった。逃げるようにオーストラリアに渡り、日本語教師を始めた。そこで「厳しく指導するのがリーダーシップ。あなたにはそれが足りない」と叱責され、リーダーシップの呪縛が再燃する。モヤモヤした気持ちで手に取ったのが教育社会学の本だった。個人の問題とされてきたことを社会構造の問題として捉え直し、常識を鮮やかに覆すアプローチに衝撃を受け、2006年、東京大学大学院教育学研究科の門を叩いた。

苅谷剛彦教授(当時)や本田由紀教授のもとで、「能力」についての探求を深めた。修士論文では、母校である慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)が、1990年の設立時「先端的」と評されたユニークなカリキュラムを、2007年、従来型に近いものに変更した「事件」を取り上げた。

注目したのは、企業が学生に求める能力だった。国の企業に対する調査では、1980年代後半は協調性重視だった。それがSFCが卒業生を出し始めた1990年代半ばには創造性重視に変わり、「ユニークな個性」という項目まで登場。ところが数年後には再び協調性重視に変わり、「ユニークな個性」は消えた。SFC卒業生に対しても採用企業から「個性的すぎて扱いに困る」といった声が上がるようになった。移り気な企業の求める「能力」によって、個人や大学までもが翻弄される危うさを論じた。

その後、飛び込んだのは人材開発業界。労働の現場で「能力」がどう扱われているか「敵陣視察」するつもりだった。人材評価の客観性を求める企業に対し、「一人ひとりの能力を最新の科学を用いて測定・可視化できる」と謳う能力商品は、面白いように売れた。そして、勅使川原さん自身、「優秀」とされる人材がしのぎを削る職場で自分の「能力」を証明するために、睡眠やトイレに行く時間すら削って働いた。

「目の前に競争があれば乗っかりたくなってしまう。能力主義を批判しつつ自分もどっぷりハマって、まさにミイラ取りがミイラになっていきました」

多くの人が能力主義にからめ取られていった2000年代は、長期低迷の打開策として新自由主義的な政策が進められ、格差が拡大すると同時に自己責任論が台頭した。勅使川原さんは、自己責任論と能力主義の肥大化は密接に結びついていると見る。

「景気悪化や財政難に陥った際、権力者にとって能力主義はケアの対象を絞る便利な道具になります。『あなたは能力を高めるための努力が足りなかったのだから、面倒は見ない』と切り捨てられますから」

「能力」とは「状態」 環境次第で発揮できる・できないが決まる

2017年、勅使川原さんは独立し、能力開発ならぬ「組織開発」の会社を立ち上げた。組織開発とは、1人の人間の能力を高めて万能化しようとしたり、1つのモノサシで優劣をつけたりするのではなく、メンバーそれぞれの持ち味を生かし合えるように、組織の環境を調整する考え方だ。

「『能力』は一人ひとりのなかに固定的に存在するかのように思われていますが、実際は『状態』でしかない。環境次第で発揮されたり、されなかったりします。『問題社員がいるので辞めさせたい』『使えない課長をどうしたらいいか』と相談された会社でも、一人ひとりの言動の癖や考え方の傾向を丁寧に見て、相性がよさそうな人と組み合わせ直したり、仕事内容や進め方を調整したりすると、『使えない』と思われていた人が急に活躍し始めることが多々あります」

大病をして初めて、人生は「有能」になることや、他者と競争するためにあるのではなく、誰かと組み合わさって助け合い、何とか前を向いて生きていくものなのだと気付かされた。能力信奉に警鐘を鳴らす命をかけた活動に、共感が広がっている手応えもある。だが一方で、「ご機嫌力」「美意識」など新たな「能力」獲得の要請が止まる気配はない。変わるべきは誰か。

「私は、企業が果たす役割が大きいと思っています。『優秀な人を選び育てる』というスタンスではなく、今、目の前で頑張ってくれているメンバーの持ち味を認め、凸と凹を組み合わせる道を探ってほしい。そのためには組織としての『成果』とそれを個人レベルに分解した『職務要件』の定義が欠かせません。企業トップの多くは能力主義の勝者なので、急に脱・能力主義とはいかないでしょう。それでも今の私に発言権が回ってきているのなら、その人たちに聞く耳を持ってもらえるよう伝え続けたいと思います」

Text=石臥薫子 Photo=伊藤 圭

勅使川原真衣氏

組織開発専門家

東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。外資系コンサルティングファームを経て2017年に独立。『働くということ 「能力主義」を超えて』(集英社新書)など著書多数。2児を育てながら、2020年から乳がん闘病中。