Works 191号 特集 「失われた30年」を検証する 社会×働く 何が変わり何が変わらなかったのか
サイボウズ・青野慶久氏/「楽しくないことはやりたくない」 サイボウズ流働き方の原点
サイボウズ代表取締役社長の青野慶久氏は、社員の「100人100通りのマッチングを目指す」組織を作り出し、事業を通じても「働き方」にまつわる課題解決に取り組む。青野氏の目指す「誰もがワクワクできる働き方」とは、どのような姿だろうか。
青野さんは子ども時代、父親は単身赴任、母親は介護で多忙だったため、あまり親の干渉を受けずに好きな発明やプログラミングに没頭して過ごした。「好きなことだけをして育ったので、楽しくないことはやりたくない」という原体験が、働き方に対する考えにもつながっている。
高校に入ると働くことに興味を持ち、郵便物の仕分けのアルバイトをしてみた。しかし単純作業に面白みを感じられず、「『働くなら楽しくなければダメだ』と痛感させられました」。その思いから大学時代はバイトをせず家賃2万円の木造アパートで暮らした。
卒業後は松下電工(現パナソニック)に入社。1年目は「見るもの聞くものが面白かった」が、次第に人事評価も昇給も一律で、個人の仕事ぶりが反映されないことに意欲を削がれていく。さらにインターネットが出現して「世界が変わる」と大きな衝撃を受け、3年で退職して同僚2人とサイボウズを設立した。バブル崩壊後で不景気だった当時、せっかく入れた大企業を離れて起業するなど、周囲に大反対されても仕方のないところだ。
「親は僕の性格を見抜いていて何も言いませんでしたが、一緒に創業した仲間は義理の両親に『大手企業の社員だから結婚を許したのに』と嘆かれたそうです」
創業から2カ月後、スケジュールや掲示板など4つの機能を搭載したソフトウエアをリリースした。このソフトの開発にも「働く」を巡る前職での経験が関わっている。
青野さんは前職で、多忙な先輩を手伝いたくても仕事の内容がわからず手を出せない、という経験を何度もしていた。会議の日程調整に、膨大な手間と時間がかかることももどかしかった。そこで、業務内容やスケジュールをソフトで共有できれば、業務シェアや日程調整を簡単にできるようになる、と考えたのだ。
「当時から技術の力で、働き手が協力してより『ワクワク』しながら働ける職場を作りたいと考えていたし、その思いは今も続いています」
個別に希望を叶える 離職率28%が大幅改善
ただ当時の同社は長時間労働が常態化し、「ワクワクできる」とは言い難かった。青野さんが社長に就任した2005年の離職率は、実に28%に上った。離職を防ごうと社員に話を聞くと、「副業したい」「定時で帰りたい」など、それこそ「100人100通り」の要望があった。
「それらを一つひとつ叶えていったら、離職率が見事に下がったのです」
たとえば副業を認めたときは、「副業先に引き抜かれるのでは」「技術が漏れるのでは」といった心配もした。しかしふたを開けると、副業できることに魅力を感じて、給与が多少下がっても優秀な人材が転職してきた。多くの場合、個人の希望を叶えるメリットのほうが、デメリットよりもはるかに大きかった。
また当初は、変則的な働き方をする人が少なかったために「半紙に墨汁を一滴たらしたように」目立ち、反発も出た。独身の若手男性社員から「早く帰る人のせいで残業が増える」と文句を言われたこともある。「ならば君はどうしたいのか」と聞くと数日後、「仕事を覚えたいので、今のままでいい」という返事が来た。
「他人と自分を比べると『損をしている』という感覚が生まれますが、自分に『何をしたい』という軸があれば、その軸に照らしてどう働くべきかを考えるようになります」
多様な働き方をする人が増え、「半紙が多様な色・形のドット模様になる」につれて反発は減った。むしろ入社1年目に副業で起業する、といった同僚を目の当たりにして刺激を受け、「自分はどんな『ドット』になりたいのか」と考える社員が増えたという。
個別対応でうまく機能した取り組みを横展開し、副業や育児・介護支援の施策などを制度化していった。その結果、離職率は7%弱(2024年12月末時点)にまで減った。
「離職が減って社員の勤続年数が長くなり、子育て中の女性や外国人、遠隔地に住む人など多様な人材も集めやすくなった。個人のニーズを起点にしたことは最も合理的で、生産性が高まるやり方だったと考えています」
オープンな議論が組織を支える 「わがまま力」も鍛えたい
ただコロナ禍以降、働き方の決定権が社員に偏り、業務に支障が出るような極端な働き方を希望する例やチームワークの妨げになるケースも見られるようになった。このため部下が希望を出すだけでなく、マネジャーも部下に求める業務内容や働き方を示し、双方の合意で働き方を決める「マッチング」を重視するようになった。
対話によって合意を形成し、働き方を決めるというやり方が成立するのは、同社に「オープンに議論する」カルチャーが浸透しているためだ。経営陣や上司の提案に異論があるなら、若手や新人であっても意見を言うことが求められる。「声を上げないままで意に染まぬ結果が出たら、むしろ言わなかった人が悪いというのが当社の考え方です」
経営会議の議題も事前に公開され、社員は意見を表明でき、会議もリアルタイムで視聴可能だ。「いろんな人がわあわあ意見を言う職場が、僕にとって『ワクワクできる職場』。規模が拡大するほど合意形成は大変になりますが、できる限りこのやり方を通したいと思います」
一方で社員のなかには、働く「軸」が定まらず、自律的なキャリア形成や意見表明に対して消極的な人も一定数存在する。こうした層にも、毎年の働き方の見直しなどを通じて、「どんなキャリアを歩みたいか」ひいては「どう生きていきたいか」を考えてもらい、「もっと『わがまま』になる力を鍛えてもらいたい」とも語った。
青野さんは、日本企業がこれからさらに多様化、グローバル化するなら「100人100通り」の発想が必要ではないかとも指摘する。多くの企業は、新卒一括採用や役職定年制などを通じて集団として人材を処遇することに慣れ、個別対応を「不平等」や「特別扱い」とみなしがちだ。このため、集団から外れた人材を受け入れづらくなってはいないか、と疑問を投げかけた。「ケーキを3人で分けるとき、食後やダイエット中といった事情を考慮せず、単に3等分するのは実は最善の方法とはいえません。働き方も『平等』ではなく、社員一人ひとりの『幸福』を考えて決めるべきだと考えています」
Text=有馬知子 Photo=今村拓馬

青野慶久氏
サイボウズ代表取締役社長
大阪大学工学部卒業。松下電工(現パナソニック)を経て1997年、同僚2人とともにサイボウズを設立。2005年から現職。ノーコードで業務効率化アプリを作れるクラウドサービス「kintone」などを展開している。結婚の際に妻の姓を選択し、選択的夫婦別姓訴訟の原告となったことや、経営トップとして時代に先駆けて育児休業を取得したことでも社会の注目を集めた。著書に『チームのことだけ、考えた。サイボウズはどのようにして「100人100通り」の働き方ができる会社になったか』(ダイヤモンド社)など。