
「静かな退職」と「静かな定着」-Quiet Committingという見えざる主役
第1回では、若手社会人が自らの「辞めない理由」を会社に共有していないという実態と、その構造背景について整理した。本稿では、そうした“語られない定着”のなかに見られた、ある注目すべきグループに焦点を当てる。そのグループの若手は辞めない理由を共有していないにもかかわらず、高いエンゲージメントを持ち、離職意向も低い。筆者はこのグループをQuiet Committing=静かな定着と呼び、この存在の重要性を実証データとともに検討する。
辞めない理由を共有するか?
第1回でも紹介したが、辞めない理由を会社や人事・上司に対して共有していると回答したのは、2割以下(18.9%)の若手であった。逆に8割以上(81.1%)の若手は辞めない理由を組織側に共有していない状態にある。そこには、日本の特に大企業において存在した“沈黙の合理性”があると指摘した。辞めない方が多数派で(大手企業における新卒・中途の採用数割合は十数年前まで9:1(※1)であることからわかるとおり、新卒採用後ほとんどがその会社で在職継続した)、辞めると所得の低下が観測された(直近では逆に転職時に所得上昇傾向(※2))ため、「辞めない理由」を聞く意味がなかったのである。
この沈黙の合理性が薄れている。特に若手人材(今般の調査(※3)では20~39歳、大企業在職、正規の社員・従業員)においては、在職意向調査において「定年・引退まで働き続けたい」とする回答は30.5%であった。在職の継続について、若手が柔軟に考えていることがわかる(図表1)。このことは、自社に在職し続けているという一般に“定着”とされる状態のなかに、「辞めたいと思っている若手」「辞めようと思っているが今は辞めていない若手」「辞めようと思っていない若手」といった多様さが内在していることを意味している。
図表1 在職期間の意向(※4)
35%の“静かな定着”
こうした状況のなか、「なぜ会社を辞めないのか」ということを人事や上司に伝えているかどうかの違いがあると指摘してきた。ここで重要なのは、伝える方が良い、伝えない方が良い、といったことではない。伝えるか伝えないかとは別に、自社に対するコミットメントが形成されているという点である(図表2)。
横軸に在職企業を辞めない理由を会社の人事や上司に伝えたかどうか、縦軸に在職企業へのeNPS(0-10点で計測する簡易的な会社やその仕事への愛着度合い)をとり、その出現率を集計した。
図表2 在職の4分類(在職する若手と企業の関係の整理と出現率)(※5)
左上は「辞めない理由を伝えている」×eNPSが高いグループである。自分がこの会社で働き続けたいと感じる理由や良いと思っていることを言葉にしている状況にあると考えられる。Visible Committing、つまり組織からも上司からも同僚からも、愛着を持ち定着するだろうと認められている状態(“可視化された定着”)である。組織としては最も安心し期待できる若手であろう。出現率は12%である。
左下は「辞めない理由を伝えている」×eNPSが低いグループである。自分がこの会社で働き続ける理由は言葉にして発しているが、その理由がポジティブなものではないのかもしれず、コミットメントが高くない状況にあると考えられる。これをQuestioning Committing、つまり“問いを抱えた定着”と呼ぼう。出現率は7%である。
右上は「辞めない理由を伝えていない」×eNPSが高いグループである。自分がこの会社で働き続ける理由を言葉で伝えていないものの強い愛着を心に秘めている状況にある。これはQuiet Committing、静かに在職を選択している者(“静かな定着”)である。その在職にはある種の納得が存在しているのだ。殊更にアピールしているわけではないため注目は集めないものの、実はVisible Committing(12%)より遥かに多く、出現率は35%である。
最後に、右下は「辞めない理由を伝えていない」×eNPSが低いグループである。自分がこの会社で働き続ける理由がわからなかったり曖昧であったり、もしくは辞めたいと思ってすらいるかもしれない。これはLatent Quiet Quittingの状況、つまり“静かな退職潜在層”である。確かに在職し続けているものの、組織側から見えづらい課題として存在しており、出現率は46%である。
筆者はこうした若手の状況のなかで、Quiet Committing(静かな定着)に注目する。その理由は、eNPSが高い定着者のなかで大きなボリュームを占めていること、そして同時に、企業が気づかぬうちにLatent Quiet Quitting(静かな退職潜在層)に転じうる層でもあるためである。このグループに注目することは、現代において実態に即した人材戦略を描く第一歩になるのではないか。
Quiet Committing層は、人事から見えづらく、離職予備軍でもないため放置されがちだが、質的にも量的にも企業の人的資本の中核を担う存在である。したがって、この層に着目せずに人材戦略を構築することは、もはや成り立たない。
図表3 在職の4分類の整理
Quiet Committingとはどんな状況か
Quiet Committingを中心に若手の4つの状況について概況を見ていこう。全体概況として、ワーク・エンゲージメントや仕事や生活の満足度について図表4に整理した。
Visible Committingがワーク・エンゲージメントスコア(※6)、生活満足率(※7)、仕事満足率(※8)全てについて最も高く、Latent Quiet Quittingが全てについて最も低い。Quiet CommittingはVisible Committingよりやや低い傾向を示すが、生活満足度は近似している。
また、合わせて短期離職意向についても分析した。在職企業について「今すぐに退職したい」と「少なくとも2・3年は働き続けたい」(このほか、「5年は」「10年は」「20年は」「定年・引退まで働き続けたい」という項目がある)と回答した者の割合を示した(図表5)。Visible Committing、Quiet Committingともに「今すぐに退職したい」と回答した者はごく少数(2%程度)にすぎない。他方で「2・3年」の割合は9.2%と15.6%と無視できない差が存在している。
このようにライフキャリアについての概況を分析すると、Quiet Committingは若手全体のなかではライフキャリア全体が充実している層であるが、最良の状態にはなく、それは十分な“伸びしろがある”状態であるとも言えよう。そして、全体の35%がこの層だという規模感から言えば、このグループに注目することなく組織の人材力を向上させることは難しいことは間違いがない。自社のQuiet Committing層を把握せずに、定着施策やエンゲージメント向上策を設計することは極めて非効率であると言えよう。
図表4 ライフキャリアの概況(生活満足率・仕事満足率(%・左軸)、ワーク・エンゲージメント・スコア(右軸)
図表5 短期離職意向率(%)
なお、調査において「辞めない理由」を聞いている(※9)ので、Quiet Committing層の回答をいくつかピックアップしておこう。その多様さの断片は感じ取れるだろう。こうした「理由」の一切が、人事や上司には伝えられていないのだ。自社の強みを知るための宝の山が放置されているように感じるのは筆者だけではあるまい。
「給料がやすめかもしれないけど、ワークライフバランスが的確で休みやすい会社は貴重」
「今の自分の担当業務をきわめて、プロフェッショナルになりたいから」
「社会に貢献できる仕事だから。業務内容と給与のバランスがいいから。仕事の内容を自分の生活にも生かすことができるから」
「人間関係がよくストレスがたまらないので、健康的に働ける」
「働きやすく休みなどもとりやすい。とても生き生きとできる環境にあるため」
「正当な評価と適正な給与であること、働きやすいこと」
「給料が良い。風通しが良い。変な社内政治に巻き込まれにくい」
(参考)属性情報の整理
以下、統計上の参考情報として、属性情報を整理した(図表6)。Quiet Committing層の属性には、いくつかの特徴的な傾向が見られた。主な違いを中心に整理する。
まず性別では、Visible Committing層において男性の割合がやや高く(67.8%)、全体平均(58.7%)を上回っている。学歴では、Quiet Committing層で大卒以上の比率が特に高く(77.0%)、これは全体平均(69.6%)との差が大きい。所属企業については、Latent Quiet Quitting層において1000人以上の企業に属する者の割合がやや低く(60.8%)、企業規模との関連性も示唆される。また、Quiet Committing層では事務系職種の比率が高く(62.1%)、これは全体平均(55.4%)と比較して特徴的である。年収面では、Visible Committingと Quiet Committingの両層が、就職初年度および昨年の年収において全体平均をやや上回っており(+6%程度)、一定の処遇的充足感が定着に影響している可能性がある。
以上の点から、Quiet Committing層は、「高学歴・事務系・やや高年収」といった属性的安定性を持ちつつ、主観的な定着理由を語っていないという点で、人的資本としての“死角”にある。可視化されていないがゆえに、最も支援しがいのある層とも言え、組織のなかでこの層をいかに活かせるかが、今後の人材戦略の鍵となる。
図表6 個人属性や所属企業・仕事状況の整理
(※1)日本経済新聞,採用計画調査。日本経済新聞が抽出した大手約2000社の各年度における採用計画の状況を分析したもの。
(※2)リクルートワークス研究所,2023,なぜ転職したいのに転職しないのか P.15参照
(※3)リクルートワークス研究所,2025,若手社会人の在職理由定量調査。コモンメソッドバイアス回避のため説明変数と被説明変数に関して時点を分けた、2時点のパネル調査として実施。第1時点のサンプルサイズは4322。2時点を通じたサンプルサイズは3000。対象は20~39歳の正規雇用者、300人以上企業就業者。日本全体の当該条件の正規雇用者を母集団として性別・年齢割り付けを行い回収。
(※4)パネル調査のため、第1時点調査の段階では就業していたものの、第2時点調査の段階では未就業だった回答者については除外した。
(※5)在職企業を辞めない理由を複数選択式で回答を得たうえで、「前の質問で選んだ『会社を辞めない理由』は、いま働いている会社の人事や上司に直接伝えていますか。」と聞いた結果。なお、「伝えていない」回答者にはその理由も聞いている(詳細は第1回レポート)。eNPS Highは6~10点
(※6)ユトレヒト・ワーク・エンゲージメント尺度 9項目版を用い、因子分析(最尤法、プロマックス回転)の結果として得られた1因子の因子得点。Shimazu, A., Schaufeli, W. B., Kosugi, S. et al. (2008). Work engagement in Japan: Validation of the Japanese version of Utrecht Work Engagement Scale. Applied Psychology: An International Review, 57, 510-523.
(※7)「現在、あなたは生活全般について、どの程度満足を感じますか」に対する5件法の回答結果のうち「強く感じる」「感じる」の合計割合。
(※8)「現在、あなたは仕事にどの程度満足を感じますか」に対する5件法の回答結果のうち「強く感じる」「感じる」の合計割合。
(※9)「あなたが、親しい友人・知人や家族に、『いま働いている会社を辞めない理由』を聞かれたとします。なんと答えますか。思いつく考えを答えてください」と聞いている。
(※10)大学、大学院修士課程、大学院博士課程。
(※11)管理職、一般事務、財務・会計・経理事務、営業、研究開発、IT関連技術職の合計。
(※12)残業時間(サービス残業も含む)はカウントし、通勤時間、食事時間、休憩時間は除いた。複数の勤務先で仕事をしている場合は、合計の仕事時間。時間単位で回答を得ている。集計にあたっては異常値を除外するため、週20時間未満と週60時間より多い回答者を除外している。

古屋 星斗
2011年一橋大学大学院 社会学研究科総合社会科学専攻修了。同年、経済産業省に入省。産業人材政策、投資ファンド創設、福島の復興・避難者の生活支援、政府成長戦略策定に携わる。
2017年より現職。労働市場について分析するとともに、若年人材研究を専門とし、次世代社会のキャリア形成を研究する。一般社団法人スクール・トゥ・ワーク代表理事。