
大企業を辞める決断をした理由 ―中小企業へ転職した15名のインタビューから見えてきたもの―【後編】
本コラムは、インタビューにご協力いただいた方の個人情報に十分配慮し、個人が特定されない形で内容をまとめています。内容の共有についてはご本人の同意を得た上で、仮名や抽象化など必要な編集を行っています。
大企業を辞める決断をした理由―中小企業へ転職した15名のインタビューから見えてきたもの―【前編】はこちら
2.人間関係への不満:塵積もったものが、限界を超える
インタビューでは、組織文化や人間関係が原因でストレスが蓄積し、最終的に離職を選択する事例が確認された。
上司に正当に評価されないという思いから転職を検討
菅原典子さん(仮名)は、前職で残業代込みの年俸制で働いていた。月に50時間ほどあった残業を業務改善によってゼロにしたが、その成果は評価されなかった。むしろ、定時を過ぎてからが頑張りどころ、という社風の中で定時退社する彼女は、「頑張っていない」と見なされ、上司からは仕事に余裕があると勘違いされてさらに業務を振られた。次のように語っている。
本当に休憩時間以外は全集中でやっていましたね、ものすごい勢いで。でも、結局そこまでやっても、仕事をちゃんとしない人のほうが評価される会社なのかなって思って辞めました。絶望して、結構、そこの部分が。
生産性を高めてもそれが評価につながらず、むしろ長時間会社にいることが“頑張り”と見なされる旧来の価値観が職場に存在すると感じたことで、菅原さんは次第に会社への信頼を失っていった。
人間関係のストレスの蓄積
人間関係の悪化は、離職を決断させる強力な引き金にもなる。特に上司との関係悪化は深刻だ。法務関連の部署に所属していた目黒陽平さん(仮名)は、入社時に上司から「私のコピーになってください」と言われ、その真意を測りかねたまま、専門性を活かしづらい仕事が中心となる4年間を過ごした。
ほんとに大した仕事やらせてもらえなくて。その上司としては、大した仕事だと思って、もしかしたら振っていたのかもしれないですけど、それを自分で仕上げたところ、君にはがっかりしたとか言われたり。結構、そんなようなことを4年間ずっと言われ続けてきて、精神的に追い詰められたと感じました。
このストレスから、ある日突然出社できなくなり、目黒さんは転職を決断した。大企業であっても、資格やスキルを活かす専門的な部署に所属する場合、人事異動の可能性は、ゼネラリストより低くなることがある。所属組織を容易に変えることができないという現実に加え、精神的な限界に直面したことが、目黒さんにとって職場を変えるという決断に至るトリガーとなった。
3. キャリア形成に対する不満:組織の中では見えなくなる未来の自分
自身の専門性やキャリアの将来像が描けなくなったとき、人は新たな道を模索し始める傾向がある。将来への不安を抱き、挑戦の機会が見えにくい環境に置かれたとき、転職活動を始めるケースも見られる。特にキャリアを重ねたミドル・シニア層においては、組織内での展望が見えにくくなったことが、転職を決断する要因となる場合がある。
このままでいいのだろうかという漠然とした不安
接客の仕事をしていた木村咲さん(仮)は、新卒1年目は成長を実感していた。2年目に新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、次第に自宅待機の日が増えていった。その期間を内省の時間として捉えていた木村さんは、次のように語る。
好きな仕事ではありましたが、新しいことに挑戦できないまま時間が過ぎていくことに不安を感じました。成長が止まってしまうのではないかという不安も。周囲に転職を選択した人が複数いたこともあり、自分も転職を考えるようになりました。
コロナ禍という特殊な状況を除いても、将来への不安や挑戦の機会が見えにくいことは、転職を検討するきっかけとなる場合がある。
個人の裁量が少なくスキルが身につかないという焦燥感
自分の能力を発揮できる場所がないことが、ミドル・シニアでの離職決断につながることもあった。遠藤容子さん(仮名)は、流通関連企業で数十年にわたり幅広い業務をこなし、会社の成長を支えてきた。しかし、50歳を過ぎた頃、自身のキャリアに強い危機感を抱くようになったという。
スキルを発揮できるところが全くない。この先65まで、ここにいることは想像がつかない。 50 になった時点で、これはもう最後のチャンスだと思いました。50歳でも拾ってくれる中小の企業、50歳でもいいよ、一緒に働こうって言ってくださる、給与は下がっても、そういうところを探すことにしました。
遠藤さんは、会社が大きくなるにつれて自身の裁量がなくなり、「できたものの上を走るっていうのは、とてもつまらなくなった」と感じていた。このままでは何のスキルも身につかず、自分の市場価値が失われていくという焦りが、彼女を転職へと突き動かした。
大きな組織の中で、自分の仕事がどの部分なのかわからない
英語と経理のスキルを活かして活躍していた菅原さん(仮名)が転職を考え始めたのは、担当業務を一通りこなせるようになり、仕事にゆとりが出てきた頃であった。
会社は巨大で、所属組織は30人ほどの部署でしたが、会社全体から見れば枝分かれした一部にすぎませんでした。私は「大きな引き出しの、小さなクリップ」みたいな存在で、大きな組織の中の非常に部分的な役割しか担えていないことにもどかしさを感じていました。もっと仕事全体の流れを知り、キャリアを積んで働きたいと思いました。
菅原さんは、担当業務については熟知していたが、その業務が全体のどの部分につながり、最終的にどのように処理されていくのかという大きな流れを把握しづらい職場環境にいた。これは、大企業特有の組織構造における”業務の細分化“によるものではないだろうか。
やりたい仕事ができる場所がなくなる
組織の事業再編や方針転換が個人のキャリアプランと乖離することも、転職の引き金となる。太田圭祐さん(仮名)は、メーカーのバックオフィスとして、地方支社で数年間、現場に近い場所で営業担当などをサポートする仕事に大きなやりがいを感じていた。しかし、事業再編によって担当部署が縮小・統合され、本人の希望する仕事が継続できなくなった。
自分の中ですごいやりがいとなっている仕事が、現場の近くでバックオフィスとして支援することでした。そういった業務が一番自分にとって向いてるというか、やりがいもありました。やりたかった部署に異動っていう選択肢もなかったので、であれば転職しようと思いました。
経営企画部門に異動したものの、現場から離れた仕事にやりがいを見出せなかった。彼にとって、会社の変化は自らのキャリアの方向性を見失わせるものであり、やりがいを再発見するために組織を離れるという選択肢しかなかった。
専門職にとって、その専門性を発揮し続けられる環境は極めて重要だ。藤井智也さん(仮名)は、研究開発に携わっていたが、「ある一定の年齢を過ぎたら、研究者をやめてください」という当時の慣例を前に、技術者・研究者としてのキャリアを続けるために最初の転職を決断した。
研究者、エンジニアを続けたいっていうことで転職をしました。
藤井さんのキャリアシフトは、待遇や労働環境の問題だけでなく、専門家としてのキャリアを全うしたいという希望がかなわない状況に対しての決断であった。
このように、大企業という大きな組織の中で働く上で年齢や役職が上がるにつれて組織内でキャリアの選択肢が狭まったり、会社の都合で自身の望む働き方ができなくなったりしたとき、自身のキャリアの行き詰まりを感じることがある。そして、自らのスキルや経験を活かし、再び成長を実感できる場所を求めて、新たな環境へと踏み出すきっかけになっているケースがある。
大企業を離職する。その決断の先に望むもの
本コラムでは、大企業を離職すると決断したその背景について、インタビューを基に紹介した。彼らが転職を決断した背景には、過酷な労働環境や柔軟性に欠ける働き方、本人にとって不当と感じられる評価や人間関係のストレス、そしてキャリアの将来像が見えないことなど、労働条件の不満、人間関係の不満、キャリア形成の不満という3つの要因が見えてきた。
さまざまな不満を抱えながらもバランスを保ち続けているが、何かがきっかけとなり、その均衡が崩れたときに離職を決断する。大企業からの転職者の声を聞いていると、それらの決断が、ある日突然訪れるものではなく、時間をかけて積み重なった不満が、ある瞬間に行動を促す原動力となった様子がうかがえる。
日本の労働市場が深刻な人材不足に直面する中、こうした個人の決断は、組織のあり方を問うと同時に、中小企業にとって新たな人材獲得の可能性を示唆する。キャリアの選択肢が多様化する現代において、個人が自身の価値観に基づいた働き方を追求する姿が見える。
次のコラムでは、彼らが実際にどのような職場を求め、転職活動を進めていったのか、また、何が最終的な意思決定の決め手となったのか、そのプロセスを詳しく見ていく。

岩出 朋子
大学卒業後、20代にアルバイト、派遣社員、契約社員、正社員の4つの雇用形態を経験。2004 年リクルートHR マーケティング東海(現リクルート)アルバイト入社、2005年社員登用。新卒・中途からパート・アルバイト領域までの採用支援に従事。「アルバイト経験をキャリアにする」を志に2024年4月より現職。2014年グロービス経営大学大学院経営研究科修了。2019年法政大学大学院キャリアデザイン学研究科修了。