
職場の「理不尽な怒り」から自分を守る心理学
職場で「突然キレる人」に、どう対処すべきか
ミドル期のキャリアショック(※)に関する調査データを分析すると、そのきっかけとして、職場で「怒鳴られた」「突然キレられた」という経験を持つ人が驚くほど多いことが見えてくる。
実際、プロジェクトで実施した調査ではミドル層の約4人に1人が、「職場の関係トラブル」がキャリアについて考え直すきっかけになったと回答している(図表)。その詳細には「怒鳴りつけられた」「暴言を吐かれた」といった、他者の「怒り」に晒された生々しい体験が並ぶ。
図表 キャリアショックの要因
社会人として働いていれば、誰しも一度は他人の怒りに直面した経験があるだろう。筆者自身も、これまで何度かそうした場面を経験してきた。順調に進んでいたはずの議論や、前向きな意見交換の場で、誰かの感情的な一言がきっかけとなり、場の空気が一変する。建設的な議論が不信感に変わり、その後の業務にまで気まずさがつきまとう。こうした体験は、決して他人事ではない。データが示すように、職場で他者の怒りに心を乱される経験は、私たちのキャリアを揺るがすほどのインパクトを持っているのである。
職場における怒りの感情は、人間関係の悪化や生産性の低下を招く主要なストレス要因の一つである。特に、予期せぬ他者の怒りに直面した際、多くの人が混乱し、不必要に自責の念を抱いてしまうことがある。しかし、怒りという感情のメカニズムを理解し、適切な対処法を身につけることで、自身を守り、建設的な職場環境を維持することは可能である。本稿では、怒りの感情的背景と、個人ができる調整法、そして他者の怒りへの実践的な向き合い方について、心理学の知見を交えて論じる。
そもそも「怒り」とは、自分を守るためのアラームである
怒りは、脅威、不公正、期待の裏切りなど、自分の価値や目標が脅かされたと脳が判断したときに生じる、ごく自然で基本的な感情である。
心理学的に見ると、怒りは「自分自身や大切なものが攻撃されている」と知らせる、心の警報装置(アラーム)のようなものである。そのアラームが鳴ることで、私たちは自分の境界線(バウンダリー)を示し、他者からの侵害をはねのける行動をとることができる(岩壁,2009-2011)。
つまり、怒りそのものは決して悪いものではない。問題は、そのアラームが不適切な形で他者に向けられたときである。私たちはそのけたたましい音から、どうすれば自分の心を守れるのだろうか。
他者の怒りから心を守る「心理的境界」と心の受け止め方
職場で突然、他人の怒りをぶつけられた場合、その衝撃は大きい。特に「あなたのせいだ」と非難されると、自分を責めてしまいがちである。しかし、ここで最も重要な原則がある。それは、「他者の感情の責任は、最終的にその本人にある」ということである。
感情のマネジメントは、社会人にとって重要なスキルである。それを怠り、怒りを他者への攻撃という形で不適切に表現するのは、本人の課題だと切り分けて考える。これは責任転嫁ではなく、自分を守るための健全な「心理的境界(Psychological Boundaries)」を引くための思考法なのである。
その実践的なアプローチとして、以下の3ステップが挙げられる。
- 「事実』と「感情」を仕分ける
相手の怒りを「相手自身の問題」として客観視する。「〇〇さんが怒っている」という事実と、「自分が悪い」という解釈を切り離す。 - 冷静に「要求」を聞き取る
感情的な言葉の裏にある、相手の具体的な要求や事実(何に困っているのか)のみを抽出する姿勢で聞く。ただし、これは相手の怒りをすべて受け入れるという意味ではない。 - I(アイ)メッセージ伝える
冷静に、しかし毅然とした態度で伝える。「(私は)そのようにお話しされると冷静に考えられませんので、少し時間を置いてから改めてお話し合いの場をもっていただけないでしょうか」のように、「私」を主語にして対話のルールを提案する。
もちろん、これらのステップを、怒りを向けられている渦中で冷静に実践するのは、決して簡単なことではない。頭では「これは相手の課題だ」とわかっていても、相手が発する負のエネルギーに、自分の心がどうしても「もっていかれて」しまう。その感覚は、多くの人が経験したことがあるだろう。
だからこそ、心理的境界は、一度で完成する「壁」ではなく、日々トレーニングを重ねて少しずつ鍛えていく「心の筋力」のようなものだと捉えることが重要だ。他者の不適切な感情表現によって、自分の尊厳や心の平穏を犠牲にする必要はない。怒りを「個人的な攻撃」ではなく「相手の感情調整の課題」と捉え直すことで、冷静に、かつ建設的に対処する道が開かれる。
まとめ:自分の課題だけを、背負う
心理的境界には、「自分と自分でないものを区別し、人間関係で本当に負うべき責任の量を教えてくれる」だけでなく、「よいものを取り込み、悪いものを排出し、人間的な成熟を促す」働きがあるとされる(若山, 2025)。
職場で発生した問題のうち、自分が背負うべき課題は何か。他者の感情という「重すぎる荷物」まで代わりに背負う必要はない。自分の課題と冷静に向き合うためにも、まずは健全な境界を引くことを意識することが、その第一歩となるだろう。
【参考文献】
ヘンリー・クラウド、ジョン・タウンゼント(2004)『境界線(バウンダリーズ)聖書が語る人間関係の大原則』中村佐知・中村昇共訳,地引網出版
岩壁茂 (2009-2011) 「感情と体験の心理療法」,『臨床心理学』, 金剛出版
若山和樹(2025)『振り回されるのはやめるって決めた 「わたし」を生きるための自他境界』,ディスカヴァー・トゥエンティワン
(※)キャリアショックとは(少なくともある程度は)当人のコントロールが及ばない要因により引き起こされ、自らのキャリアについて慎重に考え直すきっかけとなる、大きな動揺を与える特別なできごと(Akkermans et al., 2018, p.4)と定義されている。

辰巳 哲子
研究領域は、キャリア形成、大人の学び、対話、学校の機能。『分断されたキャリア教育をつなぐ。』『社会リーダーの創造』『社会人の学習意欲を高める』『「創造する」大人の学びモデル』『生き生き働くを科学する』『人が集まる意味を問いなおす』『学びに向かわせない組織の考察』『対話型の学びが生まれる場づくり』を発行(いずれもリクルートワークス研究所HPよりダウンロード可能)