越境者が育むコミュニティー 「つながり」の再生の先にある循環型の未来図
「辞めない理由」の研究【インタビュー編】④日揮ホールディングス

かつては濃厚だった企業の「社内コミュニティー」。日本経済の「失われた30年」を経て、令和版の再生を模索する動きも見られる。様々な施策を通じて「コミュニティー」を育んできた日揮ホールディングス専務執行役員CHROの花田琢也氏に、「つながる」ことで広がる選択肢や可能性について論じてもらった。(聞き手:リクルートワークス研究所・古屋星斗主任研究員)
全社員に「ワクチン」を処方する
―CHRO(最高人事責任者)としてどのような問題意識で人材育成に取り組んでこられましたか。
花田:CHROというポストは組織診断のサーベイ結果などをふまえ、この先、自社や業界をめぐる環境が大きく変化することがあっても対応できるよう、先手を打って組織に「耐性」を付与するのが役割だと考えています。その意味で、組織マネジメントをケアするドクターのような存在と言えるのかもしれません。様々な施策を展開中ですが、その都度必要な対症療法的な取り組みは人事部長に任せています。一方で、私がいま取り組んでいることは、最低5年はかかりそうな案件ばかりです。つまり、中長期的な目線で時代の流れに対応していくのに有効と見られる「体質改善の治療」や、アップデートして耐性向上を図る「ワクチン」の成分を吟味しつつ、全社員に処方していく。そんな心持ちで業務に向き合っています。
―直近の取り組みでは、社員の能力やスキルに加え、「資質」を可視化する施策を展開されています。これも「ワクチン」のひとつなのでしょうか。

花田:これは個々の社員の耐性向上のためのワクチンでもあり、組織全体の体質改善のための治療でもあり、といったところでしょうか。「資質」に着眼したのは昨年、私が座長を務めた人事系のワークショップで、「ミドルマネジメントをどう活用するか」というテーマの議論に行き詰まりを感じたのがきっかけです。これまでは主に知識、スキルや能力の掛け算で社員の評価や幹部登用を行ってきましたが、それだとマネジメントが十分機能しないケースもある。見落としがちなピースとして、潜在的な資質の重要性にもっと留意すべきではないかと思い至りました。それで、資質を可視化することで育成に活用したり、プロジェクトのチーム編成に際してバランスをとるよう配意したりできるのではないか、というアイデアにたどり着きました。
具体的には、資質を「胆力」「好奇心」「洞察力」「客観性」「素直さ」の5つの要素に分類して定義し、それを「資質のいつつぼし」と命名することで認知度の強化と共有を図りました。実際それぞれの個人が持つ資質は、この5つの原色が混ざったパステルカラーのような淡い色彩を放ちます。そこから原色の関与の度合いを見極めて抽出することでその価値を可視化し、組織戦略に活用することが可能になると考えたわけです。
―この5つの原色を見いだされたのがミソですね。
花田:「胆力」「好奇心」「洞察力」は最初に満票で決まりました。残りの2席には十分に時間をかけて議論し、先ず決まったのが「客観性」でした。自己正当化が得意な人は管理職や経営層に多いですが、その真価は客観性で担保される必要があります。そして、最後に見いだしたのは「素直さ」でした。資質は10代までにほぼ形成されると考えていますが、なかでも「素直さ」は入社後の社内教育などで後天的に身につけるのは難しいうえ、知識やスキルの習得、チームワークには不可欠な要素だと考えました。これらの5つの資質は互いに補完し合う体制を構築することで組織力強化につながると考えています。
「タグ」の共有で人と人をつなぐ
―花田さんが「偉才な社員」に直接インタビューして社内ポータルで発信する「はなさくにっき」も好評です。
花田:グローバルな大規模プラント建設プロジェクトを手掛けてきた当社グループには、それを支える「日揮にこの人あり」という逸材が存在しますが、そういう人が全員、社長や役員に就くわけではありません。本人たちも発信したがらないことが多く、なぜそういう「人材」になったのか、ということはあまり社内で共有されていません。であれば、と私が当人たちに実際にインタビューすることにしました。入社後どのようなプロジェクトに関わったのか、大事にしていること、影響を受けた人物、会社や若手に伝えたいことなどを聞き取り、ロールモデルとしての解像度を高めています。私が聞き手になることで、それぞれの逸材が発する言葉の深層部分をすくい取りつつ、CHROとしての私のメッセージを随時そこに乗せる形で発信するのも狙いのひとつです。
―特に印象深い「偉才な社員」を挙げていただけますか。
花田:本年5月から紹介してきた人物は全員が偉才ですが、直近で取り上げた人材を紹介すると、奈良華族の末裔でありながら、東北地方諸藩16代当主を務める社員がいます。また、彼は家族を守りながら海外で活躍してきた建設のレジェンドでもあります。そして、10年前、なんと、彼の愛娘が日揮に入社してきたのです。その後、彼女はカナダのLNGプラントでセーフティーの責任者にまで成長しています。そのような建設のレジェンドの日揮人生の軌跡を1万字程度にまとめて社内ポータルサイトで公開したところ、多くの反響を得ました。毎回、社員の関心の高さを肌で感じ、企業もひとつのコミュニティーであることを実感しています。時には会長が「いいね」を付けているのを見つけて思わずガッツポーズもしますし、「『はなさくにっき』のファンです」と言ってくれる社員もいたりします。
―職場のカジュアルなコミュニケーションのタッチポイントとして機能しているわけですね。「なぜ日揮で働き続けるのか」という問いに応答するナラティブ的な効果もあるのではないでしょうか。
花田:企業内コミュニティーのつながりは「タグの共有」と捉えています。例えば、先述のインタビュー記事を通して、私は「建設のレジェンド」というタグを発信しているのと同じではないかと思っています。こうした情報の共有が起点になり、社内の人と人のつながりをつくる。それが「はなさくにっき」という施策のベースになっているように思います。
職場の心理的安全性のなかでも、若手に最も重視されているのはキャリアの安全性です。ロールモデルは社内に数多く存在しますが、自然な形でつながることができるタッチポイントを増やしていくことが大切です。転職する人は、この会社では自分のキャリアの軸を多層化できないと考え、出ていくのだと思います。しかし、「あの人は日揮以外でも輝けるのになぜ、日揮にいるのだろう」という問いを立てることで、社内で選択可能なキャリアの幅や多様性を認識できるのではないでしょうか。
―若手が「辞めない」選択をするためには何が必要とお考えですか。

花田:処遇とメンタルのサポートに加え、社会に貢献できているという実感。この3つの質とバランスを図るのが大事だと考えています。私が個人のキャリアについてイメージするのは、「海風に向かう帆船」です。複数の強靱なマストを備え、向かい風のなかを前進していく。組織としてもウェルビーイングとの調和を図りながら、そんな人材が育まれる企業を目指すべきだと考えています。日揮グループは施設やプラントを建設する会社として知られていますが、なかにいる私たちは、そういうものを生み出す人材をつくる(輩出する)企業だと考えている、と折に触れて社内外に発信しています。
今年1月にスタートした「Engineer 5.0」は、15年後の2040年に私たちはどんな業務を遂行しているのか、変わるものと変わらないものは何かについて議論する場として立ち上げました。このなかで、いまから始めないと準備が間に合わないものを特定し先手を打っていこう、という眼目です。このチームの構成メンバーは30代前半。3カ月に一度、途中経過を説明して貰い、その夜、皆でお酒を酌み交わし、意見も交わす、ここで趣のあるアイデアが出ます。また、その席には、社内外のサプライズゲストを招くようにしています。こうした場も社内に属しながらキャリアの軸を増やす機会にしてもらえれば、と考えています。
アルムナイは「軸を多層化してくれる人材」
―社外との接点や交流も様々な形で進化しています。
花田:会社の創立記念日にアルムナイが集う「JGC Echo-Day交流会」が今年で6年目を迎えました。母校に戻ってきたような気持ちでアルムナイ同士のつながりを深め、日揮グループのいまを知ってもらうのが目的です。控えめなアナウンスしかしていませんが、毎年、会社の創立記念日を覚えている退職者50人ほどが参加します。私は「出戻り」という言葉は好きではありません。戻ってきたらそこに身をうずめるようなイメージですが、そういう時代ではないと思うからです。帰ってきたら、日揮グループのなかで新たなスキルを蓄えて、また卒業していく。そういう循環もこれからのキャリアアップのあり方のひとつではないかと思っています。企業側にとっても「日揮の軸を多層化してくれる人材」という捉え方もできます。卒業して、カムバックして、また卒業していく、その足跡の形状がクリップに似ていると思いつき、「クリップ大作戦」と名付けました。技術立国ジャパンを再生し、日本企業全体が強靭化していくためにも技術者は様々な分野の最前線で経験を積むことが重要です。私自身もトヨタに在籍したり、NTTと共同でビジネスをしたりした「越境」の経験者です。社外のアクティビティーにはいろんなラインがあっていい。1つの会社で技術を磨いている時代ではないのかもしれません。こうした技術者としての資質ですが、「ものが動く喜び」は機械工学に、「ものが変わる驚き」は化学工学につながっていくので、小学生の頃にそのような体感を通じた教育も必要ではないかと感じています。
―越境体験を重ねることで、様々なコミュニティーとの接点が増え、関係構築も深まります。
花田:複数のコミュニティーに関わり、そのなかから自分に適した居場所を見つけることが、これからの時代は大事になります。昨年、「JGCマラソンデー」というイベントを開催しました。皆で走るわけではありません。私と同期の1982年入社組は、日揮に入社して42年の歳月が流れました。それだけ社会人として頑張ってきたことを機にネットワークを立ち上げました。退職後、近所の地域活動に関わるのはハードルが高いという人も、社会人として最初に扉を叩いたのが「日揮」だったという共通項があれば、同じDNAを持つ者どうしの感覚で新たなコミュニティーを創ることができる。慰労の場ではなく第二話の開幕の場になると考えたからです。同期のメンバーが約80人も集まり、イベントの最後には、皆でLINE交換をしている、人生100年時代を見据えた新たなネットワークの姿を垣間見ました。また、日揮グループにはOB・OG会が存在しますが、そのコミュニティーとも接続して、経験豊富なエンジニアの集団として社会貢献ができればという志しも持っています。そして、今年は第二回マラソンデー、一年後輩の1983年入社組が集いました。今回からは懇親会費用の一部を企業が支援しています。
また、つながりという点では、キャリア採用者を中心に社歴の浅い社員を対象としたネットワーキングの場として「Nets Hub」を3カ月に1回開催し、縦・横・斜めのつながりを構築できるよう支援してきました。入社後の業務で「放電」から始まるのではなく、こうした場を活用して「充電」から取り組んでもらいたいという趣旨です。かつては地域社会に存在していた「人と人のつながり」を謳歌できる自由闊達なコミュニティーですが、いまは組織に属さない人も増えるなかで人間関係がどんどん希薄化しています。今後はこういう場づくりも企業のミッションのひとつになると考えています。
抜け落ちる「Why」の議論
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―コミュニケーションについては、上司と部下の1on1面談でも大事なポイントが抜け落ちていると私は感じています。それは5W1Hの「Why」の議論です。つまり、「そもそもなぜ、この会社で働いているのか」という根源的な問いと向き合う機会がほとんどないまま漫然と働いている人が多いのではないかと。実際、私たちの調査で大企業に勤務している39歳以下の正規雇用の若手に、「いまの職場で働いている理由」を聞いたところ、最も多い回答は「安定しているから」でした。「特に理由はない」「転職が面倒くさいから」といった回答がそれに続きます。
また、「辞める理由」をなくした結果、「辞めない理由」を失っていないか、という課題も見えてきました。転職した若手になぜ辞めたのかヒアリングし、それをマイナス要素と捉えて組織改革に踏み切ったところ、その会社の中核人材として嘱望されていた優秀な若手社員が離職してしまったケースが実際にあるのです。離職対策の結果、会社の良いところが失われてしまった、と優秀な若手に捉えられてしまったわけです。このように、「辞める理由」と「辞めない理由」はコインの裏表の関係にある面も無視できません。
日本経済の「失われた30年」のなかで企業は自信を喪失し、本当はなくしてはいけなかったものまで否定し、手放してしまったのではないか。私はその一つが「コミュニティー」だと思っています。これは、企業が働く人に授与しないといけないベーシックな精神安定剤のようなものだと思います。
「安心感」や「やりがい」にもつながる「同じ釜の飯を食べている」という仲間意識は、かつてはどの職場でも共有されていましたが、いまはかなり意識して再構築しないと醸成するのが困難な時代になってしまいました。そういう意味で、様々な手法で「コミュニティー」を育んでおられる花田さんは企業社会のトップランナーであると同時に、異端の存在とも認識されるのではないか、と本日のお話を伺っていて感じました。コミュニティーにひかれる若手が入ってくれば、世代を超えて花田さんの思いと共鳴し、それが「辞めない理由」になる可能性もあるわけです。それは素晴らしいことだと思います。
花田:私たち企業人は「辞める理由」に注目しがちですが、古屋さんのアプローチはそれとは真逆で大変興味深いです。そのうえで、コミュニティーの醸成は「越境」と表裏一体であるとも考えています。私のような越境者がコミュニティーの担い手になるという側面もあるからです。面白いのは、私が「越境」の重要性を強調すると、「日揮さんにうちの社員を出したい(出向させたい)」というリクエストが来ることです。私には、日揮は優秀な人材を輩出している企業だという自負もありますから、「ぜひとも預からせてください」と言って積極的に受け入れようと思っています。
―企業の枠を超えて人材育成の受け皿として機能するのは素晴らしいことです。それでは最後にお伺いします。花田さん自身が日揮グループを「辞めない理由」は何ですか。
花田:私も自慢じゃないけど、実は67歳のいまに至るまで400回ぐらいは「辞めたい」と思ってきました(笑い)。だけど辞めていないのは多分、日揮グループという組織のなかに自分の感性や好みに合ったコミュニティーがあるからだと思います。それは人だったり、プロジェクトだったり、部門だったり。あるいは、目には見えない(日揮グループの本社のある)「横浜」という土地柄が醸す空気も含め、コミュニティーを感じる要素になっているのかもしれません。私にできることは、冒頭で触れた「ワクチン」をいまの若い人たちに打つこと。変化の時代に対応できる強靭さとしなやかさを身につけ、大海原を滑走してもらいたい。
―本日はありがとうございました。
執筆:渡辺 豪
撮影:平山 諭
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