「選ばれる組織」であり続けるために
【インタビュー編】③経済産業省

廣瀬 浩三 氏
経済産業省大臣官房秘書課人事企画官2008年に経済産業省入省。再生可能エネルギー政策、キャリア教育推進やミドルの労働市場作り等の雇用・教育制度改革などに携わってきた。米国イリノイ工科大学デザインスクールへの留学を通じて、現場やユーザーの声を活かした制度・システムのデザインの手法を学び、JETROイスタンブール事務所ではトルコ・中央アジア・中東地域との産業協力を推進。この3年、省内の人事(任用・採用・育成)の若手責任者として組織経営改革を進めている。
外部労働市場が成熟していくなかにあって顕在化してきた、組織の若手、とりわけ中核人材予備群の若手人材の「自分はこの組織を選んで残ろう」という意思決定の重要性。こうした若手に「選ばれる理由」を支える組織戦略はどのように形作られるのか。その最前線として今回は、中央省庁、経済産業省の人材育成制度改革に焦点を合わせる。大手民間企業同様、若手育成課題が大きくなってきたことに対応し、水面下で急速に進む経済産業省の人事施策を牽引してきた、廣瀬浩三人事企画官に話を聞いた。「攻めの育成戦略」とは―。(聞き手:リクルートワークス研究所・古屋星斗主任研究員)
「入って後悔しない組織」にしたい
―昨今、経済産業省は次々に新しい人事施策を打ち出してきました。若手の育成についてどのような問題意識で臨んでこられましたか。
廣瀬:経済産業省は、「未来に誇れる日本をつくる。」というビジョンのもと、若手でも社会を動かす政策づくりに挑戦できる職場です。例えばGX(グリーントランスフォーメーション)やDX(デジタル変革)など、時代の最先端を走るテーマに関わりながら、「自分のアイデアが世の中を変える」実感を得られるのが、この仕事の最大の魅力です。そこは私自身、入省したときから変わらない良さだと思っています。一方で、いまの若手にとって周囲を見れば、より良い条件を求めて転職することが当たり前となり、他企業や他部署でも通用するスキルが身につくことが“キャリアの安全”になってきていますよね。そんな変化のなかで、いざ自分が人事を担当するにあたって考えたのは、ご家族の事情や積極的な転身など離職者が一定数出るのは仕方がないとしても、キャリア選択として「間違いだった」と後悔させない組織にしたい、ということでした。辞めた人からも「経産省っていい組織だよね」「あそこにいれば成長できる」と言ってもらえる、あるいは辞めた人が再び経産省に戻りたいと思える、そんな組織にすることが最終的に人材力を高めるための組織戦略なのではないかと。
―最初の出発点が「離職率を下げること」ではなく、「後悔しない退職」であった点が非常に新鮮ですね。
廣瀬:人事に着任する前に、辞めた人と何度か酒席を囲む機会がありましたが、「戻るのはまだ先かな」という人ばかりでした。その理由は、経産省が組織として変わろうとしていることを知らない、もしくは「自分がいたときとは大きくは変わっていない組織」だという意識を拭えないからだと感じました。経産省は、霞が関のなかで「経産省がまずやってみる」という精神でずっと企業の様子も見ながら改革は続けてきています。しかし、組織の側から、育成や処遇、採用、配置の全ての面においてまだまだ改善の余地はありますし、これまでの「変化」を伝えるプロセスが足りない部分があったのは否めません。
では具体的に、どう改善していけばいいのか。ヒントは以前、忙しい課で勤務していたときに私がマネジャーとして実現できた現場感覚にあると考えました。忙しいけれども振り返ればチームで特別な仕事に携わることができたという充実感も得られた。その一方で例えば、育休をとりたい、と言えばスムーズに取得できた。厳しさの半面、成長実感や働き手としての権利も享受できる、そうした職場が理想だと思って、それに近づける努力をした経験があります。こうした変化を課単位にとどまらず、組織全体に及ぼしていくのがいまの私の仕事だと思っています。
―どのような方向性で対応に臨んでこられましたか。
廣瀬:まずチーム全体で抜本的な組織経営改革が必須と考え、局長以下の幹部を巻き込んでMVV(ミッション・ビジョン・バリューズ)を作成しました。そもそも経産省はどういう使命を帯び、何に価値を置く組織なのかを再確認する作業です。これを起点として、多様な人材育成を図ることなどを目標の柱に据え、2年近くかけて試行錯誤を重ねてきたというのが現在地です。
そのなかで育成についても具体策を行っています。ひとつが総合職の2年目研修改革です。私が入省したときと変わらず一方的に講師の話を聞く講義形式だったものを、先輩から実務の要点や体験談を聞きつつ、実際に政策の企画・実行の大前提となる基盤として、日々の業務を効率的にやっていくために欠かせなくなっていく国会答弁の作成や予算企画書を作成する「実践型研修」に切り替えました。職場では上司との「縦の関係」で指導を受けますが、研修では「斜めの関係」にある先輩に指導してもらう。つまり、「縦の関係」での経験のバラツキを「斜めの関係」で補完する意図があります。受講者にこのスタイルは好評だったため翌年以降は、職種にかかわらず1年目の全職員が通年で毎月3時間、このスタイルの研修を受講する形で本格導入しました。
「その仕事の先」を可視化する実践型研修
―そこからどのような知見が得られましたか。

廣瀬:職種の異なる百数十人の同期が一堂に会する研修を1年間やってみて感じたのは、「実は同期でも経験の共有による学び合いのできるようなチームアップができていなかったのだ」ということでした。同期ではあるが、チームにはなっていない。話したこともない同期もいる。“横の関係”が脆弱だったのです。そこで、昨年度は横の関係の強化のために、MVVのイメージをグループに分かれて抽象画で表現するというメニューも採り入れてみました。これで同期の距離がぐっと縮まり、仲間意識や同じ方向に向かって働く基盤を構築できたと感じています。
―それぞれの絵を拝見しましたが、カラフルで伸び伸びしたイメージが伝わりました。研修ではほかにどんなメニューを設定してきましたか。
廣瀬:能登半島地震で災害対応にあたった担当者を講師に招き、被災地への物資輸送をシミュレーションする研修も行いました。また、「トランプ関税にどう対応するか」といった通商・産業政策の危機の最前線をシミュレーションしてみることや、国際会議の準備、トラブルシューティングの対応など、今後も「実践型」にこだわったテーマを予定しています。
1年目は組織ではじめて働くなかで、自分がいまやっていることが何につながっているのか分かりづらい面があると思います。例えば、一見すると大変そうな仕事も、実はその先にある“政策が動く瞬間”を支える重要な役割です。研修では、こうした業務の背景や意味を丁寧に解説し、その意義づけの解説とともに実践的なワークを組み合わせることで、「その仕事の先」を可視化できると考えています。さらに研修を動画で記録し、「この一年よく頑張ったね」という採用担当者のメッセージも添えて伝えることで成長や同期との紐帯を実感してもらっています。
―当事者の評価はいかがでしょう。
廣瀬:研修プログラム全体への評価は、5点満点で4.5点を超えています。この研修プログラムは経験者採用の人や他組織から出向してきた人、出先機関の関東経済産業局(埼玉県さいたま市)の人事担当にも噂が伝わったようで「参加したい」という声が届いています。1年目の経験値は配属先の環境によってどうしてもばらつきが生じてしまいます。働き方改革で労働時間も制約があるなか、効率的に経験値を付与する「目線合わせ」の機会になれば、との思いもあります。
その問題意識でもうひとつ始めたのが、「1年目ローテーション」の異動です。新人は最低でも1年余は同じ配属先にとどまるのが慣例でしたが、これを一部前倒ししました。ある程度成熟してきた9カ月目の若手をシャッフルすると、誰もが“前任者”ともなりますから1年目の職員同士で教え合うシーンが各所で生まれます。この瞬間こそが互いに伸びる機会になる、と考えました。
―私の研究でも、横の関係で育てる「ピアトレーニング」は若手の成長機会につながることが明らかになっています。
縦、横、斜めの関係で若手を育てる
廣瀬:若手育成に横の関係を使うのは非常に効率的だと感じます。いまトライしているのは、事業戦略と人事戦略を結びつけるHRBP(HRビジネスパートナー)を基盤とする人材育成です。部局単位で人材育成を図る取り組みとして、例えば製造産業局が5、6人のチームに分かれて、メーカー見学や資格取得のアドバイス、メンタリングの補強を試行しています。メンターは課長補佐級の中堅職員を中心として、中核人材予備軍の若手にも分担してもらっています。ここまでは横と斜めの関係で若手を育てるお話をしましたが、縦の関係も大事だと思っています。
―若手の育成に関心のある管理職は以前より増えているように感じていますが、経産省の場合はいかがでしょう。
廣瀬:そこは人によってムラがある、というのが実感です。全ての管理職の意識を一度に変えるのは困難ですが、先進的な事例を紹介していくことで上司と部下の関係がよりポジティブになるよう人事として支援していくしかないと思っています。
一方で、若手が能動的に「成長したい」という意欲を示すことも必要です。経産省では、「成長したい」という気持ちを応援するカルチャーがあります。「育ち方勉強会」といった活動を立ち上げ、若手が先輩に「どうすればもっと成長できますか?」と気軽に相談できる場をつくっています。希望調書の提出時期に合わせ、「キャリア月間」という形で現場を巻き込んでいければと思っています。上下関係にとらわれず、仲間として学び合える雰囲気があるのも、この組織の魅力です。

―日本の大企業は伝統的に配転命令権が強く、それが人事の力の源泉とも言われてきました。しかし近年は「配属ガチャ」という言葉に象徴されるように、若手を中心に転勤等に対する忌避感も強くなっています。異動に関してはどのような姿勢で臨まれていますか。
廣瀬:若手の成長を促進するための「自走サイクル」を提唱しているサイバーエージェントの人事管轄執行役員(CHO)の曽山哲人さんが、最も重要なのは「抜擢」だと指摘されているのが強く印象に残っています。無論、経産省には私より遙かに若い管理職が抜擢されるケースもありますし、在外ポストは全て公募になっています。しかし、年次を超えた抜擢人事という文字通りの抜擢だけでなく、それぞれの若手に「自分は抜擢されたのだ、ということを認知させる」のが最も理想的な異動だと。この理想に近づきたいと思っています。
そのために人事と直属の上司による「任用意図」の伝達を若手には広げています。面談で本人と中長期のキャリアについて話したことや、しゃべっていた「やりがい」や「成長イメージ」を思い出しながら、いまの部署への貢献への感謝や異動先で期待されている成果や成長への期待を異動内示の際に全員に口頭と文書で伝えるようにしました。内示を受ける側は納得がいかない場合も上司の言葉を咀嚼する過程で納得感を醸成していくことが一定できると思っています。任用意図は現在の部署の上司、異動先の部署の上司、そして人事課の三者で情報を持ち寄って作成しており、かなりの手間がかかりますが、本人を所属と人事が三位一体で支え、「自分のキャリアを自分でつくる」ことを支援し、意義づけを感じて仕事を始めてもらう意味で、それだけの価値はあると思っています。
AI任せでは「温かみ」が出ない
―三者の共同作業でしっかり送り出す。ユニークな取り組みですが、その分、ご苦労も多いとお察しします。
廣瀬:人事担当として新しい取り組みを始める際、組織のなかに共感してくれる人を探し、増やしていくのは本当に大変です。任用意図の説明も管理職によって内容の質にばらつきが出ますし、人事部のキャパシティの問題で面談回数にも限界があります。デジタル技術を駆使してより効率的にデータ収集できれば、人事の対応の幅や深さも増すはずですが、そうなると「温かみ」を失いかねない面もあります。実は一度、AIを使い、自分向け任用意図の文章を作成しようと試してみたこともありますが、どうしても冷たい感じになってしまい、「これは使えないな」と感じました。私が任用意図を書く際は、希望調書や面談で当人が使ったフレーズを思い出しながら記載しています。そうすると、自分が話したことがしっかり受け止めてもらえている、と感じる人も多いと思うからです。手間のかかるメッセージを上司や人事部が自分のために用意してくれたということに、組織の「温かみ」を感じる人も少なくありません。「人事って冷たい」というイメージだったのに驚いた、という声も聞きました。受け手側の「温かみ」のニーズと人事のキャパシティ、DXの活用のバランスをどう図るかはこれからの課題だと思います。
―外部労働市場が成熟していくなか、官僚の世界も変化しています。30代でも出戻り組が出てきていますし、官公庁と民間企業の間を流動的に行き来する「リボルビングドア」も経産省を含めたいくつかの省庁では珍しくなくなってきました。
廣瀬:一方で、DXや経済安保といった高度な専門性を要する政策課題が増えたことで、5年、10年のスパンで大きな仕事を成し遂げたい、というキャリア志向も強まっています。

―専門性へのニーズもありますね。キャリア官僚の管理職は2年で異動するのが慣例でしたが、本人の希望をふまえ例外的なケースも出始めています。
廣瀬:ただ、中堅・ベテランが長く同じポストにとどまれば、若手の参入障壁が上がってしまいます。こうした状況もふまえ、若手グループが政策課題を研究する部局横断的なプロジェクト「PIVOT」(Policy Innovations for Valuable Outcomes and Transformation=『政策を再定義する』の頭文字をとって命名)を昨年度、立ち上げました。このなかで、「AIによって労働環境はどのように変わるのか」や、「日本がデジタル赤字から抜け出すために必要な戦略」など専門的な政策課題について議論し、その成果を経済産業省のホームページ上で発信しています。いくつかのプロジェクトの成果はメディア等で大きく取り上げられました。意欲のある若手が横の関係を活かして学ぶ仕組みをもっと増やしていければ、と思っています。
―「PIVOT」の取り組みは注目しています。このプロジェクトはどういう形で運営しているのですか。
廣瀬:テーマごとに旗振り役のメンターを決めた後、省内で参加者を募っています。千人以上の職員がオンラインで参加する「全省集会」でメンバー募集を告知し、事前説明会も開きます。対象は20~30代を目安にしていますが、年齢は問わないようにしています。昨年度は合計5テーマ、今年度もすでに6テーマでメンバー募集を始めています。
それぞれの「やりがい」に補助線を引く
―ほかにも経済産業省の秘書課は様々な改革を進めてこられたと聞いていますが、最も苦労されたのは、やはりインナーコミュニケーションでしょうか。
廣瀬:そうですね。実際、「1年目ローテーション」については「異動の間隔が短すぎる」といった反発も受けました。人事制度はナマモノなので導入後にチューニングしないといけないと痛感しています。また、総合職のためだけの改革だと思われないことも重要です。職種による立場や認識の違いを埋めるため、省外から出向してきた人や経験者採用の人も適応できる「オンボーディングキット」の作成にも取り組んでいます。
―廣瀬さん自身は人事畑出身ではありませんね。
廣瀬:人事の経験はこの2年半が初めてです。
―こういうスキルセットや経験があれば良かったと思うこと、逆に人事畑だけでやってこなかったからこそ良かったと思う点の両方をお伺いできますか。
廣瀬:もともと人事の人間ではなかったことの利点としては、経営目線や現場目線でどう受け止められているかを常に意識してきたことでしょうか。それは人事施策のバランスを図るうえで良かったと思います。逆に人事担当の在籍期間が長くなるにつれ、慣性の法則に流されて「物事を変えよう」という意欲が徐々に薄れているのも自覚しています。もちろん、社外の勉強会や研修などで人事の専門知識の習得を図ったことも施策の実践に役立ちました。
―様々な人事施策導入の効果も実感されているのではないですか。
廣瀬:実は昨年度の組織のエンゲージメント調査は、全体で大きく数値が伸びました。20代で伸びたのは研修や育成の効果もあると思いますが、残業時間が1割ほど減ったことも作用していると思います。2年前から3カ月に1回の頻度で開催している全省集会では、事務次官が先頭に立って組織経営改革の成果を発表しています。これも改革を進めていることの理解と認知を深め、エンゲージメントを高めることに寄与したと思います。
特にうれしいのは、年々減少傾向にあった官庁訪問(中央官庁の採用活動における面接選考会)に参加する学生が、今年は15年ぶりの水準まで復活したことです。辞めた人の推薦で新卒の人や社会人経験者が採用試験を受けにくるケースも出てきました。転職情報の口コミサイトもこの1・2年ほどは経産省の評価が上がっていると感じます。辞めた人や、中にいる人が応援コメントを書いてくれたおかげかもしれません。
―最後に、「選ばれる組織」であり続けるためにどんな組織にしていきたいとお考えですか。
廣瀬:最も大事なのは「組織と一緒に自分が成長できる実感」だと思います。「自分で成長しろ」ではなく、組織の土壌のなかに現場と人事にサポートされつつ「自分で自分のキャリアを築きながら」成長できる環境を埋め込んでいく。組織のミッションとそれぞれの「やりがい」に補助線を引くような育成、折に触れて意義づけやリフレクション、フィードバックをしっかり付与できる組織になれば、それが「選ばれる理由」につながっていくと思います。労働時間を短くすることも重要ですが、同時に若手が効率よく伸びていく環境づくりに尽力しないと、古屋さんが指摘されている単なる「ゆるい職場」になりかねません。いまは「効率よく伸びる環境」を整備する進化の過程にあると考えています。
―ありがとうございました。 
執筆:渡辺 豪
撮影:平山 諭
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