「居心地のよさ」の先にある「学び」と「成長」が止まらない環境づくり
「辞めない理由」の研究【インタビュー編】①旭化成
若手が「辞めない職場」はどのように形作られるのか。今回紹介するのは、「終身雇用」ならぬ「終身成長」を旗印に掲げる大手総合化学メーカー旭化成の若手育成の取り組み。「居心地のよさ」の先にある、所属していて「面白い」と実感できる職場の関係性はどうすれば構築できるのか。人事部人財・組織開発室室長の三木祐史氏と同室で若手育成を担当する梅崎祐二郎氏に話を聞いた。(聞き手:リクルートワークス研究所・古屋星斗 主任研究員)
成長スピードに対する感覚のギャップ
―若手の育成に関して、どういった問題意識で取り組んでこられましたか。
三木:人事部内だけで情報を握っていては意味がないため、若手育成をめぐる課題や対応方針を職場に対して共有することから始めています。そのため、新入社員を受け入れる立場にある上司向けの説明会を毎年開催しています。ちなみに、2025年度のオンボーディング施策のポイントは、①価値観の多様化②入社後の就労意識の変化③キャリア不安④オンライン化によるつながりの実感低下―の4点です。このうち、「入社後の就労意識の変化」については、入社時点の調査で約5割が定年まで勤めようとは考えていない、と回答している現実を報告しました。こうしたデータは世間一般の動きとしては認識されていることも多いですが、当社においても同じ傾向という認識ではないこともあり、現場の上司によっては驚く人も一定数存在しています。このような現場と人事の意識ギャップを埋めていくためにも、人事が把握しているデータや問題意識を共有する機会は重要だと考えています。
課題を言語化して提示していくことも大事です。例えば、継続的に成長を実感できる環境を求める「キャリア不安」というワードも、それぞれがうっすら感じていた問題意識を統一した言語で表現することによって、課題を共有し、具体的な対応策につなげやすい面があります。
―この部課長級向けの説明会で講師役を務めているのは、人事部で「若手担当」をしている梅崎さんだと伺いました。梅崎さんは入社8年目で30歳。格上の先輩たちに講話する緊張やプレッシャーはありませんか。
梅崎:この説明会はコロナ禍を機に2021年からスタートし、私が担当したのは2023年からです。オンラインとはいえ、多いときで約300人の上司の皆さんを一堂に集めてお話しするのは、やっぱりちょっと緊張しますね(笑)。でも、上司世代といまの新人では価値観や考え方が大きく変化していることを前提に、コミュニケーションやキャリア支援が必要だという認識を深めてもらう大切な場だと感じています。
―管理職の皆さんの反応はいかがですか。
梅崎:アンケートのフリーコメントにも感想は多く書き込まれ、終了後に質問する人も多いです。説明した育成課題についてのリアクションも「若手のキャリアへの意識が高くなっていることをふまえ、上司である自分たちの認識も変えていかないといけない」といった肯定的な意見が目立ちます。
例えば「心理的安全性」という言葉が社内でも浸透しているのに比べ、「キャリア安全性」という言葉は「初めて聞く」という人も毎年一定数います。若手にとって関心の高い「キャリア安全性」のような要素も広く知ってもらうために、若手を育てる上司への情報提供は引き続き重要だと感じます。
―若手の定着には何が必要だとお考えですか。
三木:若手の育成課題として感じるのはやはり、「上司と若手の意識のずれ」ですね。若手は「早く成長したい」と考える一方、上司はとりわけ新人に対しては「まずはじっくり時間をかけて職場環境に慣れることが大事」という思考の人も多く、ギャップが生まれています。新入社員アンケートでも「上司のフィードバックが欲しい」というリクエストがここ数年は継続的に上位に挙がっており、これは成長スピードに対する感覚のギャップの表れではないかと考えています。
この成長スピードに対する感覚のギャップは、管理職研修でも浮かびます。話題になるのが、部下から突然、「辞めたい」と言われたという話。一般的にも言われる「びっくり退職」です。「最近の若手は主体性がないように感じる」という声も上がります。勘違いしてはいけないのは、いまの当社の若手はむしろ成長意欲が高いということ。にもかかわらず、職場の上司から見るとギャップが存在することがあります。背景には、新人が学生時代に培った経験が多様になっているのに対して、職場での新人向けのアサインメントが固定されており、それぞれの力量や「やりたいこと」に合わせたアサインメントが十分にできていないことがあります。このように若手へのアサインメントがアップデートできていないと、成長意欲が高い若手ほどキャリア不安を抱えてしまう可能性は高いと思います。
―学生時代の経験値も多様化していますから、「1年目はこれをやることになっているから」という決めつけで、新人に共通の仕事をあてがうのは無理がありますね。
三木:そこに工夫や意味付けをしていく必要性がある、という認識を上司が持てていないと、若手が成長実感を持てなくなってしまうと思います。
―なぜその仕事が大事なのか、ということを上司がしっかり言葉で伝えないといけないわけですね。そのあたり梅崎さん、いかがですか。
梅崎:「いまの若手はやる気や主体性が感じられない」という声に関しては、なぜそう見られてしまうのか気になります。中堅社員の人と話をしていても、あてがわれた仕事に責任感を持って取り組む人は多いですが、自分の方から「この仕事に挑戦したいです」と言える人はたしかに少ないかもしれないとは感じます。
「活力」に関しては、社内調査で興味深いデータが得られています。2020~2022年の新卒入社者の入社後3年間の活力について経年変化を見ると、入社2年目で低下した後に3年目から増加する傾向が共通して見られました。実は最近、入社以来ずっと高い活力を維持している若手に、なぜ2年目に活力が底打ちする現象が起きるのか、理由を尋ねたことがあります。彼の説明によると、2年目に1年目と同じ内容の仕事をしていると新鮮味が失われ、「この仕事を続けていて自分は成長できるのか」と考えてしまうのでは、とのことでした。一方で話を聞いた若手の場合、他社との共同開発など専門性を高められる仕事や営業と一緒に海外出張へ同行するといった幅の広がる経験を3年目に至るまで継続的に与えてもらったことが刺激になり、活力を維持できている、と話していました。
三木:2年目で活力が低下するのは「リアリティショック」の面もあると思います。「マネジャーになりたい」という回答も、2年目で低下する傾向が見られます。入社前は漠然としていた仕事やキャリアのイメージが徐々にリアリティを増してくるなか、言語化しきれない将来のキャリアに対して不安を抱え始める、そのタイミングが2年目なのかもしれません。
同期と一緒に学ぶ「新卒学部」の成果
―そういった問題意識を経て、若手育成に関して具体的にどのような取り組みをされてきたのか。方向性やコンセプトも含めて教えてください。
三木:旭化成は人財戦略として、「多様な“個”の終身成長」と「共創力」というキーワードを掲げています。終身成長という言葉には、一人ひとりがずっと活躍・成長し続けられる環境を提供する会社に変革していくという想いが込められています。その結果得られる社員の活力と働きがいの向上が組織全体の持続的成長につながり、好循環サイクルを生むという戦略イメージです。
昨今はジョブ型やリスキリングといった掛け声のなか、「孤独に学ぶ」という風潮があるように感じていましたが、弊社が大事にしていきたいと考えたのは、旭化成の人のつながりを活かした学び方でした。社内のワークショップで「どんなときに学びや成長を感じますか」と問うと、どの世代の社員にも共通する回答が、「他者の存在」でした。様々な人とともに学ぶことによって学びも継続し、他社から実践的学びが得られ、成長につながる。この「みんなで学ぶ」というコンセプトを新入社員教育で導入したのが、「新卒学部」です。先述したように「キャリア不安」をめぐる上司と若手の感覚ギャップもあれば、上司の負荷が高まるなかで、これまでのように「新人育成は配属先の上司に任せる」というのではなく、新入社員同士の横のつながりで学び合いの場をつくることで成長支援を促す取り組みです。
―上司という「個」への依存ではなく、職場の壁を越えたコミュニティづくりに踏み出されたわけですね。「新卒学部」の運営責任者の梅崎さんから概要を説明していただけますか。
梅崎:はい。2023年6月からスタートした「新卒学部」は、新入社員一人ひとりが自分の志向に合ったゼミ(学習テーマ)を選び、約9カ月間、主にオンライン会議システム「Teams」を活用し、同期とともに学び合うコミュニティ活動の場として設計しています。
前半(第1クール)はコミュニティ運営に慣れてもらう期間です。キャリアアンカーを活用した診断の結果を参考に、所属したいゼミを事務局(人事部)が準備した4つのなかから選択します。管理職志向の高い「アドベンチャーゼミ」ではビジネスモデルやリーダーシップ、創造性を重視する「クリエイティブゼミ」ではデザイン思考やアイデア発想力など、ゼミごとのテーマに沿って設定された動画教材で各自が学習を進めます。ゼミ活動を進めるにあたっては学びのリーダー役としてゼミ長を手挙げで募集し、学びや同期同士のつながりを深める企画を検討してもらいました。
後半(第2クール)は、新入社員が学びたいテーマを提案して個別学習ゼミを立ち上げ、自ら運営を行います。2023~2024年度ではデザイン、DX、女性のキャリア、プレゼンテーションなどをテーマに各年度で7つのゼミが設立されました。活動内容や目標設定も新入社員が自ら行い、講師を招いた勉強会の企画運営など、より主体的に学ぶ力を養います。全体コミュニティの場では、他社の若手コミュニティとの交流会も開きました。
2025年度の取り組みとしては、「PEERS LIST」という同期の人物リストの作成も始まっています。ゼミごとに本人の写真とプロフィール、所属部署とともに、趣味やキャリア観・人生観などをゼミごとの自由なスタイルで書き込んでもらう形式です。オンライン上に表示される人物の写真をクリックするだけで、それぞれの個性がにじむユニークな情報を入手でき、ゼミを超えた同期同士の交流促進につながると期待しています。今後は社の上層部や社外のゲストを招き、プロの視点で「新卒学部」のコミュニティで活動してきた学習内容を評価・講評してもらえる場も設定したいと考えています。
―「新卒学部」の成果としては、どんなことが挙げられますか。
梅崎: 2023年度の実施効果を調査した結果、1人当たりのeラーニングでの学習時間が前年度の新入社員に比べ約3.5倍に伸長したほか、統計分析の結果、「新卒学部を通じた学びの機会」がキャリア不安の低減に対して効果があることも明らかになりました。「視野が広がった」「マネジメント職種に関心を持つきっかけになった」といった個別の声も届いています。
加えて、「コミュニティ文化の素地づくり」に寄与できたことも成果に挙げられます。23年度の「新卒学部」を修了した、いわば「卒業生」が翌年、自主的に新たなコミュニティを立ち上げた事例があります。研究職の社員が水素に関する知見をもっと深めたいと考え、水素に興味・関心のある人を社内外から募集し、10人ほどのメンバーと一緒に勉強会やワークショップを開催しています。これは業務の一環と認められ、若手主導で立ち上げた社公認のコミュニティとして活動を続けています。
―「新卒学部」での経験に触発されて活動の幅を広げる「卒業生」はほかにも出てきそうですね。
梅崎:実際、様々な広がりや発展が見られます。例えば、今年の「新卒学部」のメンバーが先輩を招いて相談会を開いたり、1年目の新卒社員を巻き込んで2年目の社員が合同発表会を開いたり、という交流も始まっています。
「やってみたいことが、まだある」
―同期同士の横のつながりだけでなく、先輩と後輩の縦のつながりも生まれているわけですね。
三木:「新卒学部」は回を重ねるにつれてノウハウも蓄積され、コミュニティで学ぶことの有効性が社内に浸透したからこそ、こうした動きにつながっているのだと思います。若手の育成という意味では、実はいま入社4-5年目ぐらいまでの若手社員の成長意欲を縦のつながりで補強していく取り組みも模索中です。
―若手の育成という観点で、ほかにも今後取り組んでいきたいことはありますか。
三木:「終身成長」という旗印を具体的な制度に落とし込んでいくため、来年度から育成体系を変える方向で取り組んでいます。例えば、年齢に関係なく、成長に応じて報酬を上げていく処遇制度改革や、志のある若手が「手挙げ」で受けられるキャリアアップコンテンツのような若手成長支援策を打ち出す予定です。
―こうした取り組みを通じて、若手にどんな「辞めない理由」を提供していける会社になりたいと考えていますか。
三木:旭化成にいると学びが止まらない、成長が止まらない、という環境をどうやってつくるか。そのために大事なのは、一緒に学べる仲間や成長の糧になる先輩がいる、といった「人の力」だと思います。その会社に所属していることや仕事が面白ければ、誰も辞めないはずです。とはいえ、「辞めさせない」ことが目的ではなく、辞めた人も、「あの成長や学びをもう一度体験したい」と思って戻ってくるような環境づくりをしたいと考えています。
―「面白ければ辞めない」というのは全くそのとおりですね。一緒に学べる仲間と環境があって、それを実感できる。その環境を「面白い」と感じるのは人間の本源的な欲求に基づく心理かもしれません。
三木:ただ、仲間とのつながりだけでは、会社を辞めない理由としては十分ではないと思います。仲の良いメンバーが集まる居心地の良いコミュニティというだけでなく、「つながり」を「学び」や「成長」といったアクションに接続していくことがポイントだと思います。
―単に「居心地がよい」というだけではない関係性の構築が大切だと。では最後に、梅崎さんにとって、ご自身がいま「辞めない理由」は何でしょう。
梅崎:自分の辞めない理由は、「やってみたいことが、まだ旭化成にあるから」だと思います。人との「つながり」はあくまで補強だと考えていまして、この会社でやってみたいことがあり、それをサポートしてくれる人たちがいることで「やってみたい」気持ちがさらに盛り上がる、という感覚でしょうか。特に自分が育成に関わった若手がこの先、どういう結果を生み出すのか。育成体系の改革がこの先、社内にどんな影響を及ぼしていくのか。自分が関わった仕事を見届けたい気持ちが私には強くあります。いま会社を離れると、その効果や成果が見えなくなってしまう。それはあまりに惜しい。自分を刺激してくれる関心事があるからこそ、この職場に残っていたいと思う。これが本質ではないでしょうか。
―この先、特にやってみたいと思うことは何ですか。
梅崎:自らの手で設計したワークショップを通じて、より多くの社員を支援する場を創っていきたいです。現在担当している若手だけでなく、幅広い社員の課題に寄り添い、解決策を提供できる存在になりたいと思っています。
―ありがとうございました。
執筆:渡辺 豪
撮影:平山 諭