生産性の向上により生じたスタッフの余裕が価値向上をもたらし 優れた人材を惹きつける環境を形成――株式会社綿善
綿善旅館は京都市の中心街で江戸時代から宿を営む老舗中の老舗。長年の歴史の重みから時代に即した働き方改革がなかなか進まなかったが、現在、代表を務める小野雅世氏が家業を継ぐべく戻ってきたときから動き出した。人手不足解消に向け、徹底した生産性の向上に取り組み、離職率が激減するなど目覚ましい成果を上げている。老舗旅館という、ある意味「生産性」や「効率化」という言葉がそぐわない業態の中で、どのように改革を進めてきたか話を聞いた。

株式会社綿善 代表取締役
綿善旅館 おかみ
小野 雅世氏
人手不足解消に向け生産性の向上が急務。年間休日20日増を目標に着手
――まず貴社が経営する「綿善旅館」の概要を教えてください。
綿善旅館は1830年、元号で言いますと江戸時代中期の天保元年に創業し、今年で196年になる老舗旅館です。碁盤の目のように道路が走る京都市の、まさに中心地で営んでいます。部屋数27室の小規模旅館でスタッフは約30名。そのうち正社員が20名、他の10名は派遣社員とアルバイト、また住居付きの短期契約で来ていただく、いわゆるリゾートバイトで賄っています。正社員の中には外国籍の社員が5名います。お客様は国内外の観光客のほか、修学旅行生を多く受け入れています。
私は2021年末に父の後を継いで綿善旅館の8代目になりました。株式会社綿善の代表取締役社長は私の夫で、私は法的には代表取締役の立場で会社経営を担うとともに、綿善旅館では女将(おかみ)のポジションで仕事をしています。

――綿善旅館は10年前、観光庁と日本旅館協会が推進する「生産性向上モデル事業」に選ばれたことでも注目を集めました。生産性向上に取り組もうと思われたきっかけはなんですか。
私は2011年に家業を継ぐため戻ってきました。人手不足は2016~2019年が一番ひどかったですね。人手不足をカバーするため、あらゆることを効率化する必要がありましたが、そこに着手する時間もとれないほど忙しかったのです。スタッフも挨拶代わりに「今日で12連勤目」「私は15連勤目」と、お互いに休みのなさを競い合うありさまでした。しかし数年後、私が初めての子育てと仕事を両立するにあたり、個人的にですが限られた時間をいかに有効に使うかという意識がものすごく高まりました。同時に昭和の時代となにひとつ変わらない旧態依然の旅館運営に改めてギャップを覚え、抜本的な改革の必要性を痛感。私が音頭をとらなければ、と決意しました。
――最初に取り組まれたのはどんなことですか。
まずは現場の声を吸い上げようとスタッフとのコミュニケーションに努め、面談なども実施しました。ちょうどその頃、働き方改革のテーマで経済誌の取材を受け、「いずれは従業員の年収を1000万円にしたい」と語った記事が評判を呼び、大手ポータルサイトにもトップニュースとして掲載されたんです。これにより全国から応募が殺到する一方、面談の場で1人の社員から「全く現実味のない話。それより休日を増やしてほしい」と強く要望されました。彼は新卒採用した中国籍の社員で、歯に衣着せず発言する人でした。私もなるほどと納得し、年収増から休日増に舵を切り直すと決めて全スタッフにも説明しました。実現にはコンサルタントを入れることも必要と考え、当時、日本旅館協会が募集していた生産性向上モデル事業に応募。小規模旅館のモデルケースに選ばれたことにより、日本生産性本部からコンサルティングを受けることになり、一緒に業務改善を進めていきました。

――具体的にはどのように改革を進めていかれたのですか。
当時、年間休日は83日でしたが、これを105日に増やすことを目指し、課題意識の強いメンバーを各部署から集めてプロジェクトチームを作りました。最初に行ったのは各部門の業務の洗い出しと見直しです。調理場ならお皿の位置を固定化する、食洗機を活用する、割れてしまったお皿はセットごと速やかに廃棄してデッドストックにならないよう徹底する、といったことです。これまで食洗器なら1分で済むような食器を数十分つけおきしたりしていましたので、一つひとつは小さな改善ですが、積み重ねていくと確実に「楽になった」という実感を得られました。
また、お客様が求めるサービスに関しても、効率的に提供できているか精査しました。たとえば客室に人数分だけ浴衣を用意していても、背の高い外国人のお客様にはサイズが合わないこともあります。いったん袖を通してみて、「これより大きいサイズがないか」と聞かれることが頻繁に起きていて、お客様にとってもストレスですし、スタッフが新たにお届けする手間が発生します。試着しただけの浴衣をクリーニングに出すコストもかかります。そこでフロント近くにサイズ別の浴衣を用意し、お客様自身で選んでいただけるようにしました。
同様に、歯ブラシやコットンなどのアメニティグッズも自由に好きなものを選ぶバイキング形式を試してみたり、大浴場にあるアメニティセットを大量に持っていかれないように対策したり、いろいろと試行錯誤を繰り返して、最も効率的かつサービスの質を落とさないやり方に落ち着いていきました。その上でIT活用による情報共有や人事制度の見直しなど、コンサルタントも入れてさまざまな改革を行った結果、2019年度から年間休日を105日に引き上げることができました。
客室は半分稼働にとどめる。余裕が生じたことによりスタッフのレベルが向上
――細かな業務の改善によりスタッフにゆとりが生まれた。これにより、どんな影響がありましたか。
私はいつも「『効率化で余白が生まれた時間』の半分はお客様対応に、後の半分は自分への投資として自由に使ってね」とスタッフに言い続けています。余った時間に新たな仕事は入れず、なんなら「売り上げを立て過ぎないで」と牽制するくらいです。先代の社長は「稼働率100%」が信条で、単価を下げてでも満室に、という方針を貫いた結果、コロナ前の2018年には宿泊客数が激増したものの、全体の売り上げが下がってしまいました。限界まで頑張って、期待したほどボーナスがもらえなかったスタッフたちの落胆ぶりは忘れられません。途端に糸が切れたようになり、遅刻や欠勤など勤務態度が悪化しました。その反省を踏まえ、今は客室稼働率の上限を定めています。
話が逸れましたが、これは鶏が先かタマゴが先か、という話です。余裕のできた時間の半分をスタッフがお客様対応に注いだ結果、顧客満足度は明らかに上昇しました。大手口コミサイトでは5点満点の評価が多くされています。お客様から直接、お褒めの言葉をいただくことも圧倒的に増え、その嬉しさがモチベーションとなって接客のクオリティがますます向上するという好循環により、顧客単価を上げる理由もできました。

――ゆとりが出た時間の残り半分による成果はいかがですか。
今いるスタッフはもともと前向きで意識が高いので、「もう半分の時間」で京都の歴史や観光名所を勉強するなど仕事に活かしています。生産性を上げる提案も積極的に行うようになり、小さな成功体験を重ねるにつれどんどん「自走」しています。今では現場からの改善提案が大半で、立案すると社内SNSグループにアップ。承認が必要なルール変更の提案などもありますが、理由や根拠データまで上げてくれますので、当館の作法や当社の規定に抵触しない限り、私は「OK(承認)」のスタンプを送って終わりです。承認できない場合は理由を返しますが、それを受けSNS上で活発な議論が始まるなど、「自走の輪」が大きくなっています。もちろんトップダウンで決めるべきことは線引きしますが、それ以外は現場に任せることで生産性が上がっていると実感しています。

改革に伴う痛みを乗り越えて団結。トップの行動力がよりよい環境づくりに貢献
――綿善旅館の改革が成功したポイントはどこにあると思われますか。
まずは今いるメンバーが、皆さん人柄がよく前向きだという点です。実は業務の見直しに取り組み始めたとき、「今までのやり方を否定された」と反発し、古くからのスタッフが4人一斉に辞めてしまいました。経営者としては残ったスタッフの負担が増えるのが申し訳なかったのですが、たまたま、夫を含め優秀な人材2人が入社してくれて、たちまち4人抜けた穴がカバーできただけでなく、業務改善の取り組みが一気にスピードアップし、後のプロジェクトチーム制につながりました。当時は複雑な思いがありましたが、結果として「成長痛」のようなものだったと受け止めています。
もう一つは、やはりトップが現状に危機感を抱き、改革への強い意志を持つことです。コロナ禍を機に代表が交代しなければ、働き方改革とは無縁の会社だったかもしれません。また私自身、代表になってできることが増えました。たとえば合同説明会で求職者に中小企業のブースに来ていただくには、トップが出席しているほうが断然効果的です。話すうち相手の適性も何となくわかりますので、仮に製造業のほうが合いそうな方が来たら製造会社のブースを案内し、その逆もしかりと、出展する中小企業同士で相互に協力し合っています。
旅館業の経営者の方とのお付き合いを通し、学ぶことも多々あります。今、生成AIに私の思考や知見を学習させて、判断に困ったら相談できる独自マニュアルのようなものを作り、社内のSNSグループからアクセスできるように取り組んでいますが、これも同業の社長から教えていただきました。大学などでの講演やシンポジウムにも進んで参加し、ゲストスピーカーとして旅館業の魅力を伝えています。
――最後に今後のビジョンをお伺いします。
日本人の若年労働人口が減り続ける中、あと10年もすれば採用自体がさらに難しくなるでしょう。旅館業は食事を運ぶ、布団を敷くなど、ロボットではなく人の手で行う業務がたくさんあります。老舗旅館ならなおさらです。現状、引き続き生産性を上げる取り組みは続ける予定ですが、どこまでを機械やシステムにやってもらい、どこまでを人手で賄うのかの塩梅を今ものすごく悩んでいます。
そうしたことを考え合わせると、無理に人員を増やさず、今いるスタッフを大事にしてベストを尽くし、黒字経営ができればいいかなと思っています。将来的には部屋数も思いきって6室程度に減らし、極端に言うと家族経営でもやっていけるくらいの規模にしたいと考えています。そのぶん、顧客単価を目一杯上げ、サービスの素晴らしさはもちろん館内も全てユニバーサルデザインに改修して、高齢のお客様もメイン層にしたいと構想しています。
当館は2030年に創業200年を迎えます。200年続く歴史はおカネで買えるものではありません。比類ないその魅力を上手に価格に反映する価値提供を考えるとともに、今後は今よりも多く休館日なども設けて働くスタッフも幸せを感じる旅館にしたい。孫子の代まで「ここで働きたい」、そして「一生に一度は利用したい」と憧れられる旅館を目指していきます。
聞き手:坂本貴志・岩出朋子
執筆:稲田真木子
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