「その仕事」をしなくても、育つことはできるのか ――生成AI時代、経験をどう再設計するか
前回のコラムでは、生成AIに何を任せ、何を人が担うのかという選択を通じて、企業が人に何を期待し、何を大切にしているのかを考えた。研究会では、意志やこだわり・偏愛、一次情報、関係性、責任といった観点が浮かび上がったが、では、こうした価値を生み出すための力やものの見方は、どのように育まれるのだろうか。
これまで企業は、その答えの多くを「経験」に求めてきた。仕事を任され、うまくいかないことに直面し、試行錯誤しながらやり方を身につけていく。時には失敗し、上司や先輩、仲間から指摘を受け、再度チャレンジするといった経験の積み重ねを通じて、人は知識やスキルだけでなく、その仕事ならではのものの見方や判断の仕方を身につけてきた。
ところが、生成AIによって仕事の進め方が変わり、これまで仕事の中で自然に積み重ねてきた経験のあり方も変わり始めている。情報を集める、資料をまとめる、議事録を作る、分析する、アイデアを出すといった、これまで若手が時間をかけて担ってきた仕事の一部は、AIを使えば短時間でできるようになった。顧客とのやり取りでさえ、実際の場に出る前にAIを相手に何度もシミュレーションすることができるようになった。このように、仕事を短時間で進められるようになるのは、歓迎すべき変化だろう。ただ、その仕事を経験しなくなったとき、一緒に失われるものはないのだろうか。たとえば、議事録を作ること自体には、それほど大きな価値はないのかもしれない。しかし、議事録を作るために会議の内容を聞き直し、「この言葉はどういう意味だったのだろう」と先輩に尋ねる。その過程で、本人も意識しないまま仕事の背景や考え方を学んでいた可能性がある。
効率化によってなくなるのは、本当に「作業」だけなのか。それともその作業に埋め込まれていた経験まで失われるのかを考える必要があるだろう。
経験には、ショートカットできるものと、できないものがある
研究会で紹介されたのが、ある企業のテクノロジーと現場経験のバランスの話である。長年、小売の現場で働いてきた店長や事業部長は必ずしも新しいデータ分析ツールを自在に使えるわけではない。ところが、使い方を少し覚えると、データを見て非常に鋭い仮説を立てるという。この背景にあるのは、長年にわたって売り場に立ち、顧客を見てきた経験である。どんな人が店に来るのか、何を手に取るのか、売り場を変えると反応がどう変わるのか。日々の仕事の中で蓄積してきたものがあるからこそ、数字を見たときにも「ここを確かめてみよう」という仮説が生まれる。
一方、この企業の若手には、別の強みがある。新しいテクノロジーを使うことへの抵抗感が少なく、AIやデータ分析ツールもすぐに使いこなす。しかし、何を見るためにデータを使うのか、どの数字に着目すべきなのかという仮説は、必ずしもすぐには立てられない。そこでこの企業では、若手にテクノロジーの使い方だけを教えるのではなく、むしろ現場を知り、顧客と接する経験を持たせることを重視していた。
では現場で経験することにはどのような意味があるのだろうか。研究会では、現場経験の意味がさらに具体的に語られた。たとえば、高度なデータ分析の技術を持っていても、精度をどこまで高めれば実務で十分なのかは、現場を知らなければ判断しにくいという。技術的に最も優れたものと、現場で本当に使えるものは必ずしも同じではない。現場で得ているのは知識だけではなく、「このくらいで十分」「ここは譲れない」と判断する仕事の塩梅なのかもしれない。
現場での経験豊富な事業部長や別の強みを持った若手の仕事のやり方を聞いていると、これまで私たちが「経験」と一括りにしてきたものを、もう少し丁寧に分けて考える必要がありそうだ。
知識を得る、情報を集める、手順を覚える、基礎的な練習を繰り返す。こうした学習は、AIによってかなり短時間でできるようになった。実際にはなかなか遭遇できない場面も、シミュレーションであれば何度も練習できる。
一方で、顧客と実際に接して予想外の反応に出会ったり、自分で意思決定した結果として失敗し、その結果を引き受けたりする経験は、同じようには短縮しにくい。こうした経験では、何が起きたかを知るだけでなく、自分の予想が外れたことに戸惑い、判断を振り返りながら、次にどうするかを考えることにも意味があるからだ。失敗事例をAIから教えてもらうことはできても、自分の判断がうまくいかなかった経験と、それを情報として知ることは同じではない。
だからといって、従来と同じ仕事に、これまでと同じ時間をかけ続ける必要があるわけでもない。本人が経験することに意味がある部分を残しながら、AIによって学びの機会を増やすことも考えられる。
経験から学ぶまでの時間は、短くできる
生成AIによって大きく変わる可能性があるのが、経験した後のプロセスである。
研究会では、若手の育成に、上司や熟練者が持つレビューの観点を取り込んだAIを活用する試みが紹介された。若手が作ったものに対して、「この観点が抜けている」「ここをもう少し考えたほうがよい」とAIがフィードバックする。営業のトレーニングでも、AIを相手にロールプレイを行い、その場で改善点を指摘してもらったうえで、もう一度やってみることができる。
従来なら、仕事をして、上司に見てもらい、フィードバックを受け、その内容を次の仕事で試すまでには、それなりの時間が必要だった。そもそも、経験豊富な上司や先輩が、必要なタイミングでいつでもレビューしてくれるとは限らない。
AIが間に入ることで、この時間は大きく変わる。何かを試せばすぐにフィードバックが返ってきて、それをもとに修正し、また試すことができる。数週間、数カ月かけて回していた学習のサイクルを、もっと短い時間で何度も回せるようになる。ここで起きているのは、経験そのものが不要になることとは少し違う。AIが短縮するのは、経験そのものというより、「経験する―フィードバックを受ける―振り返る―もう一度試す」という一連のサイクルにかかる時間なのではないか。
ただし、サイクルを速く回すことと、本人の学びが深まることは同じではない。フィードバックを受けて何に気づき、どのように自分の見方を修正するのかによって、同じAIを使っていても、そこから得られるものは異なるだろう。
そう考えると、AIによって短縮できるのは、経験から学ぶための機会を得るまでの時間なのかもしれない。試行錯誤を重ね、次の挑戦に進む機会を増やすことはできても、それが本人の成長につながるかどうかは、経験をどう受け止め、何を学ぶかにかかっている。
それでも、経験は「移植」できない
では、学ぶ速度をさらに上げていけば、長年経験を積んだ人が持っているものまで、短時間で若手に渡せるようになるのだろうか。
たとえば、熟練者が資料を見るときに着目するポイントや、判断するときに重視していることをAIに学習させることはできる。そのAIを使えば、熟練者本人に毎回頼まなくても、その人に近い観点から何度でもレビューを受けられる。研究会でも、こうした「デジタルツイン」のような使い方が話題になった。
ところが、参加者の議論は「熟練者の経験をそのまま若手に移植できる」という結論には向かわなかった。
同じ売り場に立っていても、全員が同じことに気づくわけではない。同じ失敗を経験しても、そこから何を学ぶかは違う。さらに研究会では、「自分で経験したこと」と「誰かの経験として共有されたこと」では、受け取る重さそのものが違うという話も出た。自分で判断して失敗したことは何年経っても思い出すが、同じ失敗を事例として読んだだけでは、同じようには残らない。経験から得られるのは情報だけではない。当事者としてその場にいたこと自体が、出来事の受け取り方を変える。先輩から同じ言葉をかけられても、それをどう受け止め、次の行動にどうつなげるかは一人ひとり異なる。人は、それまでに得た知識や経験、関心、そのとき置かれている状況を通して、出来事を受け取っているからである。
だとすれば、経験とは「何をしたか」だけでは捉えられない。ある出来事に出会い、それをどう受け止め、何に気づき、どのような意味を与えたのか。そこまで含めて、その人の経験になる。
熟練者が経験から獲得した知識や判断基準を、情報としてAIに載せることはできる。その人がどこを見るのかを、若手に何度も提示することもできる。しかし、その見方を受け取った若手が、同じように世界を見るようになるとは限らない。
ここに、経験を「圧縮して渡す」ことの限界があるのだ。
だから、AI時代の育成で考えるべきなのは、熟練者の経験をいかに効率よく若手へ移植するかだけではない。一人ひとりが経験したことから何かを受け取り、自分なりの見方をつくっていくプロセスをどう豊かにするかが重要になってくる。
きれいな成果物ほど、本人の「現在地」が見えにくい
ところが生成AIは、そのプロセスを豊かにする可能性を持つ一方で、本人がどのように学んでいるのかを周囲から見えにくくもする。
研究会では、AIを使うことで、本人の力量を超えているように見える成果物が簡単に出てくるという話が繰り返し語られた。資料はきれいにまとまり、分析結果も出ている。ところが、「なぜこの結論になったのか」「そもそも何を確かめるために分析したのか」と尋ねると、本人が十分に説明できないことがあるという。
これまでも、成果物だけで本人の力量を正確に判断できたわけではない。それでも、一緒に仕事をし、途中の相談を受け、出来上がったものを見るなかで、「ここまではわかっている」「この部分はまだ経験が足りない」と、上司や先輩はある程度の見当をつけることができた。
AIを使って1人で調べ、1人で考え、1人で成果物まで仕上げられるようになると、この手がかりが減っていく。成果物の出来栄えと、本人が理解していることに差があったとしても見抜くのは難しいからである。そうなると、育成する側も、完成したものだけでなく、「なぜそう考えたのか」「何をAIに任せたのか」「どこで迷ったのか」といった思考の経緯を見る必要が出てくる。
これは、単にAIの利用履歴を管理すればよいという話ではない。本人自身に、自分が何を考え、どこで考えを変え、何を学んだのかを振り返らせる必要がある。仕事の途中が見えにくくなるからこそ、経験をしたこと以上に、その経験をどう意味づけたのかを言葉にすることが重要になるのである。
経験を豊かにするのは、「違う見方」との往復
その意味づけは1人だけで行う必要もない。研究会で繰り返し語られたのは、自分とは異なる視点に触れることの重要性だった。
長年現場にいるベテランには、経験を積んだからこそ見えるものがある。一方で、若手や社外から来た人には、その経験がないからこそ気づけることがある。ある参加者は、長く同じ現場にいる人ほど当たり前になって見えなくなったことを、新しく入った人が指摘してくれることに価値があると話していた。
AIもまた、自分とは違う見方を返してくれる存在の1つになり得る。ただし、それだけで十分ということではない。顧客の話を直接聞く、現場を見る、上司から指摘を受ける、同僚と議論する、異なる職種や世代の人と一緒に考える、社外に出て自社の常識とは異なる考え方に触れる。そうした出会いによって、自分1人では気づかなかった見方が持ち込まれる。
そこで大切なのは、ベテランや他者の見方を「正解」として受け取ることではない。「自分はなぜこう考えていたのだろう」「この人にはなぜ違って見えるのだろう」と、自分の見方そのものを捉え直すことである。
経験からしか持てない視点がある一方で、経験がないからこそ持てる視点もある。どちらか一方を正解とするのではなく、異なる見方との往復を通じて、それまで当然だと思っていた自分の見方を更新していく。それもまた、経験から人が育つ重要なプロセスなのだと思う。
「経験を残す」のではなく、「経験を選び直す」
こうして考えてみると、生成AI時代の人材育成に必要なのは、これまでの経験をできるだけ残すことではなさそうだ。
効率化できる仕事を「若手の成長のためだから」と残しておくことには無理がある。議事録をAIが数分で作れるのに、学習のためだけに何時間もかけて作らせ続けることが、最善の育成とは限らない。
ここで考えなければならないのは、「この仕事はAIに任せられるか」だけではない。この仕事をする過程で、人は何を身につけていたのかという、もう1つの問いである。
もし身につけていたものが知識や手順であれば、AIやシミュレーションによって、もっと効率よく学べるかもしれない。上司からのフィードバックを待つ時間も、AIを使って短くできる。一方で、現場に触れること、予想外の出来事に向き合うこと、自分で判断してその結果を引き受けること、異なる見方に出会い、自分の見方を問い直すことは、別の経験として意図的に残したり、新たにつくったりする必要がある。
だから、AI時代の「経験の再設計」とは、経験を減らすことでも、従来の経験を守ることでもない。何をショートカットし、何を本人に経験してもらうのかを選び直すとともに、その経験から何に気づき、どう自分の見方を更新していくのかという、学びのプロセスまで考える必要がある。
冒頭で取り上げた議事録の例も同じである。議事録の作成をAIに任せたとしても、会議で耳にした言葉の意味を考えたり、その背景を先輩に尋ねたりする機会までなくす必要はない。むしろ、議事録作成にかけていた時間を、会議で何が議論され、なぜその判断に至ったのかを考える時間に振り向けることもできるだろう。生成AIによって仕事のプロセスが変わる今、企業に求められるのは、これまで仕事に埋め込まれていた成長の機会を見つめ直し、必要な経験と、そこから学ぶための環境をつくり直すことなのである。
そして、経験のあり方が変われば、人が仕事で担える範囲も変わっていく。AIによって1人でできることが増える一方、苦手なことまですべて自分で担う必要もなくなり始めている。次回のコラムでは、この一見矛盾する変化に目を向けたい。「何でもできる」と「何でもやらなくていい」が同時にやってくるとき、人の仕事のあり方はどう変わるのだろうか。
辰巳 哲子
研究領域は、キャリア形成、大人の学び、対話、学校の機能。『分断されたキャリア教育をつなぐ。』『社会リーダーの創造』『社会人の学習意欲を高める』『「創造する」大人の学びモデル』『生き生き働くを科学する』『人が集まる意味を問いなおす』『学びに向かわせない組織の考察』『対話型の学びが生まれる場づくり』を発行(いずれもリクルートワークス研究所HPよりダウンロード可能)
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