「何でもできる」と「何でもやらなくていい」が同時にやってくる
これまで、人に何を残すのか、そして、その領域で人はどのような経験を積むべきなのかを考えてきた。では、生成AIによって人に残す仕事や経験が変わると、一人ひとりの仕事のあり方はどのように変わるのだろうか。
「AI時代の人材育成研究会」(注)の議論では、一見すると矛盾する2つの変化が見えてきた。1つは、AIによって専門職に依頼していた業務まで自分でできるようになり、1人が担える職域が広がっているという変化である。
もう1つは、苦手なことをAIに任せられるようになり、すべてを平均以上にこなす必要がなくなっているという変化である。
「何でもできる」ようになり、「何でもやらなくていい」。
これらは矛盾するものではない。どちらも、自分に不足している知識やスキルを補えるようになったという変化を、職域の拡大という側面と、個人の負担軽減という側面から見たものである。この変化は、人材育成や組織運営の前提に影響を与えている。
1人が担える職域が広がる
従来の組織は、企画、開発、営業、広報、マーケティングといった専門分化を前提として設計されてきた。それぞれの専門職が役割を分担し、連携することで価値を生み出してきた。
しかしAIの登場によって、その前提が少しずつ変わり始めている。
研究会では、思いついたアイデアを基に簡易なプロトタイプを作り、顧客ニーズを調査し、販促素材を準備するまでの工程を1人で進めることができるようになったという議論があった。
ある企業は、その変化を象徴する事例を共有した。
「新製品は企画開発部門が作ることになっていますが、営業の人が『こういうものを作りたい』と手を挙げて作り始めたり、理系出身ではない人事の人が、オープンソースのERP(Enterprise Resource Planning、統合基幹業務システム)を活用して開発したりしています。そうしたものが、実際に発売する製品や、社内で使うシステムになりはじめています」
AIは作業を自動化するだけではなく、これまで専門職が担ってきた知識やノウハウへのアクセスを可能にもしてくれるのである。Brynjolfssonら(2025)は、AIは機械学習によって高い成果を出す人の行動や傾向を学ぶため、熟練者の暗黙知を未経験者へ広げる役割を果たすことを示している。実験では、経験の浅い従業員ほど大きな恩恵を受けた。
AIは、専門家に頼らなければできなかったことを自分でできるようにする技術として機能し始めており、1人が担える職域は大きく広がりつつある。
1人に求めることは減る
1人が行える職域が広がる一方で、組織が1人に求める万能さはむしろ揺らぎ始めている。研究会では、万能である必要がなくなったという意見が印象的であった。
「1人に完璧さを求めていません。せっかく組織で働いているのだから、自分がこだわりたいことをやって、苦手なこと、やりたくないことはAIやそれが好きな人にやってもらえばいい。偏愛のある人たちが多様に集まって連携するのが、いい組織だと考えています」
従来の人材育成では、できることを増やし、弱点を克服することが重視されてきた。そのため、幅広い業務を平均以上にこなせる人が評価されやすく、管理職やリーダーへと昇進していった。AIは、この前提を変えつつある。
たとえばDell'Acquaら(2026)の研究では、アイデア創出や情報要約などAIが得意とする領域において、もともとその業務が得意ではなかった人ほど大きな成果向上が見られた。文章を書くことが苦手な人や情報整理が得意ではない人、デザインに自信がない人であっても、AIを活用すれば一定水準の成果を生み出せるようになるからだ。
つまり、AIは「1人がこなせる範囲」を増やしながら、「組織が1人に完璧さを求める必要性」を減らす可能性がある。
広がった職域の、どこを自分で担うのか
AIによって苦手を補えるようになり、一人ひとりが手を伸ばせる仕事の範囲が広がった。ただ、「できることが増える」ことと、その人の専門性や強みが「深まる」ことは同じではない。
研究会でも、「AIによってケーパビリティの幅は広がりやすいが、深められている人は少ない」という声があった。たとえば、営業担当者であっても、AIを使えば顧客の要望を反映したアプリの試作品を自分で形にできるようになる。その過程で、アプリ開発にはセキュリティ要件があることを知り、開発者の視点を理解しやすくなるなど、知識やスキルの幅を広げることはできるだろう。しかし、それによってセキュリティや保守まで含めて考えられる開発者レベルの専門性が身につくとは限らない。むしろ、簡単に作れてしまうからこそ、その裏側にあるリスクや制約を十分に理解しないまま活用してしまうことさえある。つまり、幅が広がっても、深さまで自動的に増すわけではないのだ。
そう考えると、AIによってできることが増えたからといって、そのすべてを自分で担う必要はない。自分が担う部分を見極めることが重要になる。以前は、職務の範囲や役割分担がある程度決まっていて、それができるようになることが重視されていた。しかし、AIによって一人でできることが増えた結果、仕事の境界があいまいになった。どこまで職域を広げ、どこを自分の強みとして深めるのか。何をAIに任せ、何を他者に委ね、何を他者とともに進めるのか。一人ひとりが自ら仕事の境界を設計できるようになったとも言える。
同じ仕事をしていても、顧客との対話に時間を使うのか、分析に没頭するのか、AIによって生まれた時間・能力の余地を、何を深めることに振り向けるのかは人それぞれである。AIによって増えたのは、こなせる仕事の量だけではなく、選択肢である。AI時代に問われるのは、「自分は何にこだわりたいのか、どの領域で独自性を発揮したいのか」を明確にし、そのためにどこまでを自分で担うのかを選び取ることなのかもしれない。
「何を担うか」を社員自らが選べるようになると、組織が活用できる人材の幅も広がる。特定の分野に強い尖った人材が、これまでであれば苦手なタスクがあることによって十分に力を発揮できなかったとしても、AIで補い成果を出しやすくなるからだ。
AIは、さまざまな弱みを持つ人材を「何でもできる」ように均質化する技術ではなく、「何でもやらなくていい」環境を生み出すことで、一人ひとりが得意なことやこだわりに集中できるようにする技術として、多様な強みを活かしやすくする可能性を持っている。
ただし、こういった強みやこだわりを追求して働く多様な個人が増えれば、それだけで組織が強くなるわけではない。個人の成果を最大化する工夫が、必ずしも組織全体の目標や成果につながるとは限らないからである。第4回では、強みやこだわりを発揮する個人の力を、どのように組織の力に変えるのかを検討する。
(注)「AI時代の人材育成研究会」は、リクルートワークス研究所が主催した研究会である。製造業、サービス業、金融業、小売業など、業種や企業規模の異なる企業から、生成AIの活用や人との協働に取り組む実践者を招いた。各社の試行錯誤や課題を持ち寄り、生成AI時代の人と組織の成長について議論した。各社の公式見解ではなく、参加者自身の経験や考えに基づく率直な議論を重視しているため、本稿では企業名や個人名が特定できないよう、内容を一部加工して紹介している。
■参考文献
Brynjolfsson, Li & Raymond (2025) . "Generative AI At Work". The Quarterly Journal of Economics, 140(2), pp.889-942.
https://academic.oup.com/qje/article/140/2/889/7990658
Dell'Acqua et al. (2026) "Navigating the Jagged Technological Frontier: Field Experimental Evidence of the Effects of Artificial Intelligence on Knowledge Worker Productivity and Quality". Organization Science, 37(2), pp.403-423.
https://pubsonline.informs.org/doi/10.1287/orsc.2025.21838
石川 ルチア
デンバー大学修士課程(国際異文化コミュニケーション学)修了後、NPO勤務などを経て2014年に入所、2018年11月より現職。主な調査テーマは欧米の採用プラクティスやHRテクノロジー、コンティンジェント労働力。
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