英国リーダーが示す労働市場の処方箋=AI×人間の共創
Recruitment & Employment Confederation(REC)CEO。英国の労働市場・雇用政策分野におけるリーダーの1人。政府機関や業界団体での豊富な経験を背景に、雇用政策改革を主導。AI活用と人間性の調和、持続可能な雇用環境の整備に尽力する。英国の雇用分野への貢献により大英帝国勲章(OBE)を受章。2026年4月にRECのCEOを退任し、同年秋からCIPD(英国人事教育協会)のCEOに就任予定。
RECが描くFuture of Work
- 「AI×人間」の役割分担の明確化
AIは生産性を高めるチャンスであり、リクルーターはマッチングの自動化を超えた「高度な倫理観とカウンセリング能力」を磨くべきである。 - 企業戦略の中核としての「人材獲得」
労働力不足が常態化するなか、採用はもはや人事の仕事にとどまらず、あらゆる経営判断の中心に位置付けられる。 - 「柔軟性」と「保護」の再定義
労働党政権下の規制強化(Day 1 Rights)に対応しつつ、英国の強みである労働市場の機動性を損なわない実務的な運用を推進する。 - 教育と職業の分断を埋める
深刻なスキル不足を解消するため、企業や人材サービス会社が教育現場へ直接関与し、未来のスキルを予測・育成するアンバサダーとなる。
労働市場の課題を解く
英国労働市場の変革とAI時代の信頼設計
「未来の仕事について語るとき、多くの人は『いつか来る遠い出来事』のように考えがちである。しかし、私たちのデータが示しているのは、その変化は既に今、目の前で起きているという事実である」。英国最大の雇用・人材業界団体であるRECを率いるニール・カーベリー氏は、確信に満ちた口調で語り始めた。かつてないスピードで進むAIの社会実装、人口動態の激変、そして労働者の価値観の多様化。これらは数年後の予測ではなく、今日、企業が直面している切実な課題である。
世界経済フォーラムの試算によれば、現在の小学生の約65%が「現時点で存在しない職業」に就くことになるという。これは、過去の経験則だけでは立ち行かない時代の到来を意味している。カーベリー氏は、企業も人材サービス会社も、未来のスキルを能動的に予測しなければ、もはや存続すら危ういと警鐘を鳴らす。
柔軟性と保護のジレンマ 雇用権利法改正の深層
現在、英国政府が推し進める「雇用権利法(Employment Rights Act)」は、一見すると労働者の権利を強化する人道的な試みに見える。しかし、雇用実務の最前線に立つカーベリー氏の視点は鋭い。そこには市場のダイナミズムを根底から破壊しかねない「致命的な誤解」が潜んでいるという。
「12週間の壁」が招く雇い止めの懸念
雇用権利法の焦点の1つは、派遣労働者が12週間継続して就業した際に、派遣先と継続的な契約を締結する権利を付与する仕組みの強化である。これに対し同氏は、企業側が法的リスクやコスト増を過度に恐れ、たとえ優秀な人材であっても12週間を目前にした「11週間」で機械的に契約を打ち切る「雇い止め」が常態化するリスクを指摘する。これは労働者を守るどころか、そのキャリアの継続性を断絶させる結果となりかねない。
病欠手当の待機期間の撤廃とモラルハザード
また、病欠手当(Sick Pay)の待機期間撤廃も大きな論点であった。就業初日から手当の受給を可能にするという変更は、現実には「採用直後の虚偽申告」というモラルハザードを誘発するリスクを孕む。特に短期派遣を多用する物流や介護の現場では、採用コストの増大に直結し、結果として求人そのものが縮小するという本末転倒な事態を招く懸念がある。
RECが政府に対して主張しているのは、「柔軟性(Flexibility)」を不安定や搾取と同一視してはならないということであるとカーベリー氏は語る。労働者の多くは、介護や育児、あるいは自身のQOL向上のために、自らの意思で「あえて」柔軟な働き方を選択している。一律の法的強制は、こうした多様なニーズを押し潰し、市場を硬直化させてしまうという。
官民一体の「リスキリング」
ニール・カーベリー氏
労働力不足に対する解決策として、単なる「数の確保」としての移民政策には限界がある。今ある労働力(ワークフォース)のスキルをいかに最適化し、付加価値を高めるか。この「リスキリング」の成否こそが、国家の競争力を決定付ける。英国では今、中央集権的な教育システムからの脱却という、極めて興味深い実験が進んでいる。
これまでの「見習い制度(Apprenticeship)」は、ビジネス環境の激変に即応できていなかった。そこで、政府資金をより柔軟な「ショートコース」に充当する動きが活発化している。たとえば、物流現場で働く無資格の労働者が、数週間の研修を受講してフォークリフトの運転資格を取得する。この小さなスキルの獲得は、本人の賃金上昇をもたらすと同時に、企業のスキルギャップを埋め、さらには納税額の増加を通じて社会全体に利益を還元する。この「小さな一歩」の積み重ねこそが、今の労働市場には不可欠だとカーベリー氏は語る。
地方分権の成功 市長主導の「地域密着型スキル戦略」
また、カーベリー氏は、主要都市の市長に対する権限委譲(Devolution)の成果にも注目している。ロンドンのウエストミンスター(政治の中心地)で決められる画一的な政策よりも、マンチェスターやケンブリッジの市長が主導する地域密着型の政策の方が、はるかに高い実効性を上げている。アンディ・バーナム・マンチェスター市長が推進する「マンチェスター・バカローリア(Greater Manchester Baccalaureate)」は、地域の産業界と教育機関を直接結びつけ、地元企業の需要に合致したスキルを若者に提供する成功例となっている。
生成AIとリクルートメント 回帰する「人間の目利き」
AIはリクルーターの仕事を奪うのか、あるいは拡張するのか。RECがケンブリッジでのフォーラムを通じて得た結論は、「人間不在のデータ戦争を回避し、人間の価値を再定義する」というものだった。
現在、労働市場では、求職者は生成AIを用いて「完璧な職務経歴書」を量産し、数百の企業に同時応募を行う一方で、企業側も膨大な応募書類を処理するためにAIフィルターで
機械的なスクリーニングを繰り返すという、奇妙な現象が起きている。カーベリー氏はこの「AI対AI」の応酬を不毛なデータのぶつけ合いと表現する。この膨大な「ノイズ」の中から、本物の才能、すなわち「シグナル」を見つけ出すことこそが、リクルートメント・エージェンシーに課せられた新たな、そして最重要の使命となる。
育成モデルの崩壊 キャリアパスの再設計
AIの進化は、労働市場に「エントリー層の仕事の消失」という断絶をもたらしている。かつて、新人弁護士や新卒社員は、大量の書類作成・確認やデータ入力などを通じて実務の基礎を学んだ。それらは退屈な作業ではあったが、プロとしての「型」を身につける修行期間でもあった。しかし今、それらの業務はAIが最も得意とする領域となり、新人の成長機会が奪われている。「もしジュニアレベルに仕事を与えなければ、10年後の熟練のプロフェッショナルはどこから供給されるのか」とカーベリー氏は問いかける。企業は今、AIをコスト削減の道具として使うだけでなく、AIを強力な補佐役としたうえで、人間にしかできない高度な判断業務をいかに早期に経験させるか、キャリアパスを根本から再設計する責任を負っている。
デジタル時代の「信頼」 地政学的リスクへの対抗
最後にカーベリー氏が触れたのは、テクノロジーの進化が招いた「アイデンティティの偽装」という新たな脅威である。
英国では最近、AIで生成された英国人風の顔写真と偽の経歴を使い、リモートワークのIT職に採用された人物が、実は国外の悪意ある組織の協力者であったという事案が報告されている。彼らは企業の内部ネットワークに侵入し、機密情報の窃取を企てていた。このような状況下では、誰が本物の人間であり、誰が信頼に値するのかを担保する「実在性」の確認がかつてないほど重要になっている。「デジタルな履歴書の背後にある実体を確認する、アナログで泥臭い『信頼の構築』こそが、これからの労働市場における最大の安全保障となるだろう」
人間中心のダイナミズムを目指して
英国と日本の労働市場が直面しているのは、単なる経済的な変化ではない。それは、労働という営みをいかにして再定義するかという挑戦である。カーベリー氏は、労働市場の未来は、AIによって自動化される無機質な世界ではないと説く。むしろ、AIがルーチンワークを肩代わりすることで、人間は「なぜ働くのか」「誰のために、どう貢献するのか」という、より高次な対話に立ち返ることができるはずである。
私たちが共有すべきは、変化を拒むことではなく、変化を「人間の価値を高めるための触媒」として使いこなす知恵である。法的規制の硬直化を防ぎ、地域主導でスキルを育て、テクノロジーを信頼のツールへと変えていく。RECは、これからも世界のパートナーと共に、ダイナミックで人間らしい労働市場の構築に邁進していく。カーベリー氏は確固たる意思をこめて、そう締めくくった。
(参考)Recruitment 2025: The future of jobs – what this means for recruitment (REC White Paper)
Future of Jobs Observatory (REC Platform)
TEXT=村田弘美(グローバルセンター長)
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