米国LERが描く、人材育成と労働移動の循環

石川ルチア

2026年07月27日

AI、造船、GX(グリーントランスフォーメーション)。日本では、こうした成長分野への労働移動を促す政策が検討されている。リスキリング支援が拡充され、地域ごとの人材育成計画づくりも進む。もっとも、育てた人材が実際にそれらの産業へ移動できるかどうかはわからない。国や経済界は学びの機会を増やし、個人の学びと「働く」をつなぐデータ基盤の整備を着実に進めているものの、それだけで労働市場が動くとは限らない。

同じ課題に向き合う米国では、個人の学習履歴と職歴を記録するLearning and Employment Records(以下、LER)が新たな段階に入った。履歴書のデジタル化を超え、教育と雇用、産業政策を接続する基盤として活用され始めている。

米国教育省が1500万ドルを投じるLER実装チャレンジ

LERは、2019年ごろから米国で整備が進められてきた。学習履歴や職歴を一元的に記録し、教育と仕事をつなぐ基盤として構想された(※1)。2026年現在、その取り組みは試験段階から実装段階へと移りつつある。

その象徴が、米国教育省による「Connecting Talent to Opportunity Challenge(以下、CTOチャレンジ)」である(※2)。総額1500万ドルを投じ、州政府が主体となってタレント・マーケットプレイス(※3)の構築や高度化に取り組む。CTOチャレンジは、予備選考、設計・試行、実装・検証の3段階で進められる。最終的には、2028年に各州の成果が評価される予定となっている(図1)。

図1 Connecting Talent to Opportunity Challengeのタイムライン図1 Connecting Talent to Opportunity Challengeのタイムライン
出所:CTOチャレンジのホームページを基に筆者作成 

審査基準は、インパクト、パートナーシップ、成果測定のしくみ、ステークホルダー参画、相互運用性、持続可能性の6項目である。スキルと雇用機会が実際に接続されるか、企業や教育機関、求職者が実際に利用するか、一過性の取り組みに終わらず継続するかなどが評価対象となっている。 つまり、評価されるのは「技術的に優れたシステムかどうか」ではなく、「実際に人材が移動するしくみとして持続的に機能するか」である。

教育と雇用をつなぐ“キャリアの地図”を整備する

LERの現在地は、公開されているポータルサイトで確認できる(※4)。ここでは各州から集積される統計や情報が示されており、現在は大部分がアラバマ州からの提供であるが、12万4,000件の教育・訓練プログラムや100万件を超えるスキルバッジがある。同州の労働力人口が約240万人であることを踏まえると(※5)、1州だけでも相当規模のデータ基盤が形成されつつあることがわかる。個人は、自身が興味のある職業クラスターには、どのような資格を持つ人が多いのかを確認できる。また、小さな学習成果を積み上げて、上位の職種やキャリアへとステップアップしていくルートを示す「スタッカブル・パスウェイ」も提示されている。

このポータルサイトには、企業向けのデータも掲載されている。どの職種の需要が高まっているか、その職種でどのようなスキルやコンピテンシーが求められているか、必要なスキルを持つ人材は自社の地域にどの程度存在するのか、といった情報が可視化されている。加えて、教育プログラムと職業との接続関係も確認できるため、採用・育成を検討する際の参考情報として活用できる(図2)。

図2 LERと求人情報をAIでつなぐタレント・マーケットプレイス

図2 LERと求人情報をAIでつなぐタレント・マーケットプレイス
出所:CTOチャレンジ資料およびLER.meポータルサイトを基に筆者作成(Image generated by AI)

これまで別々に存在していた「学ぶ」「働く」「採用する」に関わる情報が、共通のデータ基盤の上で結びつけられている。この基盤は米国政府の支援のもと構築され、学習履歴と職歴を個人が保有・共有できる信頼性の高いデジタル記録として運用されている。LERで目指しているのは電子履歴書ではなく、教育と雇用をつなぐパイプラインの整備である。

その実現を支えているのがAIである。従来の履歴書や資格情報は、人事担当者が読み込み、その価値を判断しなければならなかった。LERでは、学習成果やスキルを機械可読なデータとして扱う。企業側もスキルベースで職務を記述することで、AIが個人の保有スキルと求人要件を照合できるようになる。人が解釈していた情報を、AIが処理可能な形式へ変換することで、人材市場の流動性を高めようとしているのである。

求人720万件を埋めるための人材インフラ

こうした取り組みの背景には、米国が抱える労働力不足がある。CTOチャレンジの資料によれば、米国では求人件数が720万件あるのに対し、求職者数は710万人である(※6)。求人が求職者を上回る状態が続いている。労働力率は62.4%にとどまっており、16~24歳の若者のうち10人に1人以上が学校に通わず仕事にも就いていない。こうした潜在的な労働力人口をいかに教育し、適切な労働市場へ呼び込むかが急務となっている。労働力率を数%でも引き上げることができれば、潜在的な労働力人口が新たに市場へ参加し、現在の人手不足を補うことができると試算されている。 

製造業や建設業では状況が特に厳しい。技能職では5人が引退するごとに補充されるのは2人にとどまる。潜水艦産業だけでも今後10年間で10万人の熟練労働者が必要とされている。こうした熟練労働者の不足は、安全保障や産業競争力に直結する基幹産業においてとりわけ深刻である。教育省がCTOチャレンジにおいて、航空宇宙、原子力、AI、造船、エネルギーといった分野の企業を巻き込むよう州に求めている理由もここにある。つまり、人材を育成するだけでは不十分で、育成された人材が必要な産業へ移動できなければ問題は解決しない。LERは、育成から市場への参加・移動を支えるための基盤として位置づけられている。

地方州から始まる労働市場インフラの整備

セミファイナリストに選出された10州は、アラバマ、アリゾナ、アーカンソー、ジョージア、ハワイ、マサチューセッツ、モンタナ、サウスカロライナ、テネシー、ウェストバージニアである。 ボストンを擁するマサチューセッツを除くと、地方州が多い。民間のジョブマッチングサービスは都市部に偏りがちなため、政府が市場を整備する必要性が高いと考えられる。この取り組みは、行政が直接人材を配置するものではなく、教育情報とスキル情報、求人情報をつなぐ公共インフラを整備し、市場が機能しやすい環境を整えようとする試みと捉える方が実態に近いだろう。

人材育成の次に求められる「労働移動」の設計

日本でも、冒頭に挙げたAIや造船、GXなどを含む重点投資17分野に対する人材育成政策やリスキリング施策が進められている。地域ごとの戦略産業に応じた人材育成計画の検討も始まっている(※7)。 現在の議論は、どちらかといえば人材供給の拡大に重点が置かれている。どの分野で人材が不足しているのか。どのような教育プログラムを提供するのか。スキル体系や標準を産業構造の変化に応じてどのように整備するのか。こうした議論は進んでいる。

一方で、育成された人材をいかに成長産業へ誘い、実際の就業につなげるかという議論は、まだ十分とは言えない。米国LERが示しているのは、人材育成の先にある「労働移動」の発想である。これは、企業や業界の垣根を越えて、人材が移動・循環するしくみを指す。具体的には、個人のスキルや教育プログラムと、企業の求人要件を同一のデータ基盤の上で可視化する。そこへ地元の企業を巻き込むことで、労働移動そのものを支えるインフラを整備しようとしている。
ここで日本が学ぶべきは、単なる地方の人材育成にとどまらず、安全保障や重要サプライチェーンの国内回帰といった国家戦略と、地方の労働市場をLERによって直結させている米国の政策アプローチである。

米国のLERが投げかけているのは、「育てる」と「仕事に就く」を分断させないという意志である。人材の育成と移動を支える基盤整備。この2点をセットで進める視点こそが、現在の日本の競争力を左右する分岐点となる。

(※1)LERの詳細については「米国が構築中、リスキリング推進のインフラとは」を参照。
(※2)Connecting Talent to Opportunity Challenge 
(※3)タレント・マーケットプレイスとは、公共のデジタル基盤で、主な機能は次の3つ。①個人の学習・雇用記録(LER)、②資格情報に基づく能力・スキルを集約するレジストリ、③企業向けスキルベースの職務記述生成。AIの活用を前提とし、個人のスキルと求人要件を直接結びつけることを目的としている。LERはアプリとして個人がデバイスにインストールできる形で展開されている。
(※4)LER.meポータルサイト 
(※5)米国労働統計局、2026年5月の統計
(※6)Connecting Talent to Opportunity Challenge公式ルールと利用規約 
(※7)内閣府 地域未来戦略に関する関係副大臣等会議(第3回)資料および文部科学省 成長戦略の検討体制

石川 ルチア

デンバー大学修士課程(国際異文化コミュニケーション学)修了後、NPO勤務などを経て2014年に入所、2018年11月より現職。主な調査テーマは欧米の採用プラクティスやHRテクノロジー、コンティンジェント労働力。