人手不足は労働者を豊かにしたか
―失業率、賃金、そして「過密労働」
稀少性が高いものの価値は上がる?
足りなければ、価値は上がる。
この普遍の原理は、働くこと・労働についても同じである。採用が難しければ、企業は賃金を引き上げ、よりよい労働条件を提示しなければ、人を採ることも、引き留めることもできなくなる。それは賃金だけでなく、よりよい労働環境、より多くの人への投資についても同様で、人手不足は労働者にとって追い風となるはずだ。
日本はいま、構造的な人手不足のなかにある。2025年平均の完全失業率は2.5%、15~64歳の就業率は80.0%となり(※1)、働くことのできる現役世代の多くがすでに働いている。転職市場でも、企業の採用需要の増加に働き手の供給が追いついていない。2026年1~3月期の企業の採用予定人数は2022年の同時期の2.79倍に増えた一方、求職者数は1.83倍である(※2)。経営者や働き手に限らず、生活者やサービスの受け手としても、労働需給をめぐる環境が、「仕事が足りない社会」から「人が足りない社会」を基調としていることを感じることも多い。
では、人手不足は働く人を豊かにしたのだろうか。
仕事を得られること。生活に必要なものを買える賃金であること。よりよい仕事を選べること。将来に向けて学べること。そして、無理なく働くことができること。こうした複数の側面から現在地を確認する。
なお、本稿は、人手不足がそれぞれの変化を引き起こしたという因果関係を断定するものではない。人手不足が深刻化するなかで、普通に考えれば起こるだろうこと、つまり「稀少性が高いものの価値が上がること」は起こっているのか。労働者を取り巻く状況がどう変わり、どこに想定される変化が生じていないのか。この点への問題提起を行うことを目的としている。
図表1 完全失業率の推移(年平均)(%)

出典:総務省,労働力調査
「働ける」という豊かさの実現
まず、人手不足がもたらした最も明確な変化は、仕事を得やすくなったことである。
2025年の就業者数は6828万人(年平均)となり、前年から47万人増えた。失業率は2%台が継続し極めて低い水準にあり、正規の職員・従業員も3708万人と増加している(11年連続の増加)(※3)。かつての就職氷河期やリーマンショック期(※4)のように、若年者をはじめとして働く意思や能力があっても入口そのものが閉ざされていた状況とは全く異なる。失業しにくいこと、就職先を見つけやすいことは、それ自体が大きな豊かさである。
しかし、求人が多いことと、希望する仕事を選べることは同じではない。2025年の非正規の職員・従業員は2128万人にのぼる。そのうち「正規の職員・従業員の仕事がないから」非正規雇用を選んでいる人は、男女合わせて約173万人いる(不本意非正規雇用)。もちろん、非正規雇用者全体に占める不本意非正規雇用者の割合は2025年8.4%であり、2013年に19.2%であったことから着実な減少傾向にあり、2013年以降で最低値である(※5)。人手不足が不本意非正規雇用の割合を減らしている可能性はあるが、そのなかでも希望する雇用形態に移れない人は、多く存在していることを忘れてはならない。
労働市場全体に仕事があることと、一人ひとりが望む勤務地、勤務時間、処遇、仕事内容の仕事に就けることは、イコールではない。人手不足は「働ける社会」をつくったが、必ずしも「満足に仕事が選べる社会」をつくったわけではない。
図表2 正規雇用者数の推移(四半期)(万人)

出典:総務省,労働力調査詳細集計
賃金は上がった。では、暮らしは豊かになったか
賃金については、長く続いた停滞から変化が生じている。
2025年の現金給与総額は前年比2.6%増加し40.8万円、2000年の額(39.8万円)を四半世紀ぶりに超えた(※6)。2025年度の最低賃金は全国加重平均で1121円となり、前年から66円、率にして6.3%上昇した。2026年度についても、さらに56円(2025年から5.0%)上昇する(※7)。連合による2026年春季生活闘争の最終集計でも、定期昇給を含む賃上げ率は5.01%となり、3年連続で5%を超えた(※8)。
ただし、「賃金が上がった」ことは「労働者の暮らしが豊かになった」こととは同義ではない。インフレが同時に起こっているためである。2025年の実質賃金は前年比1.3%減だった(※9)。二人以上の勤労者世帯の可処分所得も、名目では1.9%増えたが、物価上昇を差し引いた実質では1.7%減少している。特に世帯主が40代、50代の世帯では実質可処分所得の減少幅が大きい(40代-2.2%、50代-3.5%)(※10)。子育て費用や住宅ローンなどを抱える現役世代にとって、額面の賃上げがそのまま生活の余裕になってはいない。
社会保険料負担等の変化の影響を受ける人では、手取りの増加が実感しにくい場合もある。平均賃金の上昇だけでは、「誰の賃金がどれだけ上がったか」はわからない。例えば需給逼迫がより厳しい若手に対して初任給額の引き上げ幅は大きくとも、中堅社員も同じとは限らない。もちろん、若手と中高年だけでなく、正社員と非正規、大企業と中小企業、転職した人と同じ会社に勤め続けている人では、人手不足の果実の届き方が異なっている。
図表3 最低賃金額(全国加重平均額)の推移(円)(※11)

出典:厚生労働省,最低賃金(全国加重平均)の引上額と引上げ率の推移より筆者作成
稀少性は交渉力に繋がったか
人手不足で働き手の稀少性が高まれば、企業が生み出した付加価値のうち、労働者に配分される割合も高まるように思える。
国民経済計算による2024年度の労働分配率は69.5%で、前年度(68.4%)から上昇した。ただし、2020年度の74.3%は下回っている(※12)。労働分配率は景気によって変動し、企業所得が急減する不況期には上昇しやすいため、単純に高低だけで評価することはできない。それでも、企業の成長や利益が働く人にどの程度届いたかを考える重要な指標である。
ここで考えたいのは、稀少であることと、交渉力を持つことは同じではないという点だ。
2025年の労働組合の推定組織率は16.0%となり、過去最低を更新した(※13)。春闘で高い賃上げが注目される一方、労働組合を通じて集団的に賃金や労働条件を交渉できる人は、大手企業で働いている人を中心として雇用者全体の一部にとどまっている(特に女性の組織率が低く12.3%にすぎない)。
また、医療、介護、公務サービス、小規模企業など、人手不足が深刻であっても賃金を大幅に引き上げにくい仕事がある。事業者が人件費の上昇を価格に転嫁できない、公定水準や予算によって収入が決まる、下請取引で価格交渉力が弱い、といった事情があるからだ。
「人が足りない」という事実だけでは、賃金は上がるとは限らない。労働者が別の企業や職種に移れること、企業が人件費を販売価格に転嫁できること、そして賃金について交渉できること。こうした条件がそろって初めて、人の稀少価値は豊かさに変わる。
図表4 労働分配率(国民所得に対する雇用者報酬の割合)の推移(%)

出典:内閣府,国民経済計算年次推計
人手不足は、働く人の将来を豊かにしたか
豊かさは、現在の給与だけで決まるものでもない。仕事を通じて技能を得ること、資格を取ること、社内外で通用する経験を積むことは、将来の所得とライフキャリアの選択肢を広げる。
ところが、能力開発の機会はあまり広がっていないように見える。厚生労働省の能力開発基本調査では、企業からOFF-JTを受講した割合は2024年度に正社員で44.5%、正社員以外では19.4%であり、これは10年前の2014年度の正社員44.1%、正社員以外20.9%からほとんど変化していない(※14)。人手不足ならば、なぜ教育訓練機会のマクロな増加が見られないのだろうか。また、正社員と正社員以外との差異も相変わらずで、企業がもし人手不足を受けて人的資本投資を増やしたとしても、その機会が一部の正社員や将来の管理職候補に偏れば、働く人全体の豊かさにはつながらない。
さらに、学ぶための「時間」も確保されていない。自己啓発を行ううえで何らかの問題がある労働者は78.8%に達し、最大の問題は「仕事が忙しくて自己啓発の余裕がない」で正社員の58.5%に達する。「自己啓発に問題がある」とした労働者は2014年度と比較するとむしろ増加しており、2014年度は正社員で78.8%、2024年度は正社員では82.8%である(「仕事が忙しくて自己啓発の余裕がない」は2014年度正社員で57.6%)。企業側を見ると、教育訓練休暇制度を導入している企業は5.7%、教育訓練短時間勤務制度は4.7%にすぎない(※15)。なお、2014年度のほうがむしろ高く、教育訓練休暇制度は7.7%、教育訓練短時間勤務制度は6.2%の企業が導入していると回答している。
こうした制度を導入する予定がない最大の理由は「代替要員の確保が困難」である(図表5)。人手不足は人への投資を促すインセンティブを高めるが、その人手不足自体が、学ぶための時間や人員の余裕を奪っている可能性がある。
賃上げは今の生活を支える。能力開発は、10年後、20年後の将来の選択肢を増やす。ともに重要な要素である。人手不足が労働者を豊かにしたかを考える際に、労働者への教育訓練投資が増えたかどうか、という視点を欠かすことはできない。しかし、前述のとおり現状は企業の教育訓練投資はむしろ減っている可能性が高い。
図表5 教育訓練を支援する制度の導入予定がない理由(複数回答)

出典:厚生労働省,能力開発基本調査(令和7年度調査)調査結果の概要 P.13より抜粋
労働時間は減った。では、「忙しさ」は減ったか―「過密労働」の出現
お金と並んで重要なのが、時間や精神的な豊かさである。
2025年の月間総実労働時間は135.1時間で前年比1.4%減、所定外労働時間は9.8時間で2.5%減少した(※16)。長時間労働の是正や有給休暇取得の促進は進んでおり、労働時間の「量」については改善が見られる。こうした状況は一面で労働投入量を押し下げる結果となり、人手不足の一因ともなるが、労働環境を改善して採用力を高めようという企業の試行錯誤による、労働市場のメカニズムによる自然な結果である。
一方、2024年の労働安全衛生調査では、仕事や職業生活に関することで強い不安、悩み、ストレスを感じる事柄がある労働者は68.3%だった。その内容として最も多かったのは「仕事の量」で、43.2%が挙げている(※17)。労働時間が短くなれば、仕事の負担も自動的に軽くなるとは限らない。
精神障害による労災(メンタル労災)が増加している点も懸念点である(※18)。メンタル労災の請求件数、決定件数ともに2025年に過去最高を大きく更新している。特に女性が増加していることには注意が必要で、その背景には医療・福祉領域という女性の就業者が多い業職種でメンタル労災が増加していることがある。業種別で見た際に、メンタル労災が多いのは、医療・福祉、運輸、建設業、飲食店と続いており、いずれも人手不足が著しい業種である。人員が不足する現場で、残された働き手の労働の密度が高まっている可能性がある。
図表6 精神障害による労災(メンタル労災)の状況(人)

出典:厚生労働省, 業務災害に係る精神障害に関する事案の労災補償状況(2025年度)
こうした状況からは、「心の豊かさ」は、人手不足への対応策による恩恵が及んでいない領域と考えられる。
原因のひとつには人手不足によって現場が逼迫し、働き手の負荷が高まってしまっていることがあると考えられる。それはメンタル労災の増加が医療、福祉などの人手不足が著しい対人サービスの領域において多いことからも示唆されている。
もうひとつには、仕事量が同じまま労働時間だけが短くなれば(生産性が高くなれば)、働く人は、より速いペースで仕事を進めることになる。複数の仕事を同時に処理し、メールやチャット、顧客対応による中断に対処しながら、一息つく時間やタスクの合間の余白を削る。残業としては記録されないが、同じ1時間のなかに、以前より多くの仕事が詰め込まれる。生成AIやDXといった技術的変化によって生産性が高まったということは、働く人の負担や業務量を減らす可能性もあるが、空いた時間に新たな仕事が次々と追加されれば単位時間あたりに処理するタスク量が増える。これは労働の密度が上がるということでもある。筆者も、生成AIに作業を依頼することで生まれた時間で、別の作業をしていると、繰り返されるタスクの量の多さに全く休まる時間がない感覚となることがある。アウトプットの量が増えたのは確かだが、その分ドッと疲労を感じるのだ。オンラインでできるようになったミーティングが、間に移動も休憩時間もなくジャスト1時間刻みで、1日に5本も6本も連続しているという人もいるだろう。
筆者は、これを「過密労働」と呼んでいる。
人手不足への対応が、タスクの改廃、省力化・デジタル化、役割分担の見直しとして行われれば、生産性と働きやすさをともに高められる。しかし、欠員分の仕事を残った人が速く処理することで対応しているなら、見かけ上の労働時間は減っても、働く人の余裕は失われる。
これから測るべきなのは、何時間働いたかだけではない。同じ1時間のなかで、どれほど速く働くことを求められたか。いくつの仕事を同時に抱えたか。頭や身体を切り替える時間を取れたか。こうした勤務時間内部の「仕事の密度」の状態である。働き方改革と人手不足によって、日本の労働の問題が「時間外労働(残業)の長さ」=「過重労働」から「時間内の密度の過剰性」=「過密労働」に移行した可能性がある。
人手不足の時代を、働き手が豊かになる時代に
人手不足は、労働者を部分的には豊かにした。仕事を得やすくし、正社員雇用を増やし、最低賃金を押し上げ、企業に賃上げを促した。長く買い手優位だった労働市場が変わったことは間違いない。
しかし、実質的な購買力は十分に改善していない。希望する雇用形態を選べない人もいる。学びの機会は全く増えておらず、労働時間が減る一方で仕事が「過密」になっている可能性があり、そしてメンタル労災が増えている。
人手不足は労働者を豊かにしたか?
現時点の答えは、「人手不足は、労働者を豊かにする条件を顕在化させた。しかし、その条件を満たし“豊かさ”に変わっていない」と言わざるを得ない。
条件がどうすれば満たされるのか、これを考えていかなくてはならない。
「人が足りない社会」を、単に仕事が忙しくなる社会で終わらせてはならない。稀少になった人の価値を、働く人の所得、選択肢、学びの機会、そして“余白”へ変えること。それが、人口減少と働き手不足の時代に求められる、次の働き方改革である。
(※1)総務省,労働力調査,2026年6月
(※2)インディード・リクルート・パートナーズ リサーチセンター,2026,労働市場レポート転職市場インサイト,2025年度1-3月期調査
(※3)総務省,労働力調査,2026年6月
(※4)若年失業率(15~24歳の失業率)は2003年に年平均10.1%と10%を超えた時期があるほか、2009年3月に11.3%を記録していた。2025年平均は3.8%である。10歳階級区分では最も高いが、1990年以降では2018年(3.6%)に次いで低い水準にある。
(※5)厚生労働省,「非正規雇用」の現状と課題。なお、非正規雇用者数を分母にした場合には不本意非正規雇用者の割合は8.1%となり当該資料の数字と異なる結果となるが、これは当該資料が分母を現職の雇用形態についた理由設問への回答者としているためである。
https://www.mhlw.go.jp/content/001234734.pdf
(※6)厚生労働省,毎月勤労統計調査,2025年分結果確報。なお過去最高値は1997年の42万1384円。
(※7)厚生労働省, 全ての都道府県で地域別最低賃金の改定額が答申されました。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_75950.html
(※8)2026 春季生活闘争 第7回(最終)回答集計結果,加重平均値
(※9)厚生労働省,毎月勤労統計調査,2025年分結果確報
(※10)総務省,家計調査, 2025年(令和7年)平均
(※11)厚生労働省資料より:https://www.mhlw.go.jp/content/11200000/001572925.pdf
(※12)内閣府, 国民経済計算年次推計
(※13)厚生労働省, 令和7(2025)年労働組合基礎調査の概況
(※14)厚生労働省,能力開発基本調査,2025年度、2015年度
(※15)厚生労働省,能力開発基本調査,2025年度
(※16)厚生労働省,毎月勤労統計調査,2025年分結果確報
(※17)厚生労働省,労働安全衛生調査,2025年結果
(※18)古屋星斗,2025, なぜ精神障害労災が増えているのか?,ワークス労働市場分析
古屋 星斗
2011年一橋大学大学院 社会学研究科総合社会科学専攻修了。同年、経済産業省に入省。産業人材政策、福島の復興・避難者の生活支援、政府成長戦略策定に携わる。2017年より現職。労働市場分析、現場職、若年人材研究を専門とする、ひととしごとの研究者。著書に「ゆるい職場-若者の不安の知られざる理由」(中央公論新社)、「なぜ『若手を育てる』のは今、こんなに難しいのか」(日本経済新聞出版)、「『働き手不足1100万人』の衝撃」(プレジデント社)など。
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