「答えがわからない時間」を、私たちは手放していいのか
2026年9月、ニューヨーク市は、公立学校の2-K(幼児教育)から8年生までを対象に、生徒が生成AIを使うことを1年間原則停止すると発表した。高校では一律に禁止せず、限定的な利用とAIリテラシー教育を行う(※1)。
このニュースは日本でも広く報じられた。だが、発表の背景をたどってみると、単なる「AI禁止」とは少し違うものが見えてくる。
「答えがわからない」という経験を残す
ニューヨーク市は、もともとAIの教育利用そのものに否定的だったわけではない。今年3月には、教職員がAIを安全に、思慮深く、倫理的かつ責任をもって利用するためのガイダンスを発表していた。そこでは、ブレインストーミングや情報整理、機密性のない文書の初稿作成など、AIを活用できる場面も示されていた(※2)。
一方、保護者や教育関係者からは、より慎重な対応を求める声が上がっていた。3月24日の時点で、1,500人を超える保護者や教育関係者が、学校でのAI利用の一時停止を求める請願に署名している。彼らが懸念したのは、プライバシーだけではない。子どもの認知発達や創造性、メンタルヘルスなどへの影響だった(※3)。
こうした声もあるなか、ニューヨーク市は保護者、教師、生徒、研究者、地域の関係者らから意見を聞き、9月、少なくとも低年齢の子どもについてはいったん立ち止まることを選んだ(※4)。
その理由について書かれた公式文書が興味深い。
学校とは、子どもたちが「考え、読み、書き、推論し、問題を解き、互いに話し、困難に取り組む」場所であり、教師や仲間との関係が学習の中心にある「人間的な場所」でなければならない、としている(※4)。
同じ考え方は、発表会見での発言からもうかがえる。ゾーラン・マムダニ市長は、「子どもたちは、答えがわからないとはどういう感覚なのかを学ぶ必要がある(※5)」と述べている。また、教育長のカマル・サミュエルズ氏も、子どもは難しい問題と格闘し、間違え、もう一度挑戦し、ようやく正解にたどり着くことで学ぶと説明している。つまり、その苦闘は教育システムの欠陥なのではなく、「それこそが学習なのだ」ということだ(※5)。
生成AIは、「わからない」という時間を劇的に短くしてくれる。
わからなければ聞けばいい。うまく書けなければ書いてもらえばいい。考えがまとまらなければ整理してもらえばいい。それは生成AIの大きな価値である。
だからこそ考えたいのは、その便利さと引き換えに何かを手放してはいないか、ということだ。ニューヨーク市が投げかけているのも、効率化できるからといって、そのプロセスをすべて手放してよいのか、という問いなのだと思う。
AIがあれば一人で仕事ができる時代に、職場は何をする場所になるのか
もう一つ注目したいことがある。
ニューヨーク市が守ろうとしているのは、「自分で考えること」だけではない。
市長は、子どもたちには自分で考えることに加えて、仲間と一緒に取り組み、よりよい問いを立てることを学ぶ必要があると述べている(※5)。公式ガイダンスでも、教師や仲間とのやりとり、読み書き、対話、体験的な学習、協働などが、個人でのスクリーン利用によって阻害されてはならないものとして挙げられている(※4)。
つまり、AIに任せることで失われるかもしれないのは、個人の思考だけではない。人と関わりながら考える経験も含まれている。
では、大人の職場ではどうだろう。
もちろん、職場で生成AIの利用を禁止するという話ではない。むしろこれから、多くの職場でAIを使って仕事を効率化することは当たり前になっていくだろう。
私自身も、わからないことがあればAIに聞くことも多いし、文章を書く前に壁打ちをすることもある。情報を整理してもらい、考えを深めるためにも使っている。そうするうちに、以前なら誰かに尋ねていたことのかなりの部分を、AIとのやりとりで済ませられるようになった。つまり、一人でできることが格段に増えたのである。
これはとても便利なことだ。ただ、個人にとっての効率化を組織全体から眺めると、別の問題が見えてくる。
以前なら、企画をつくる途中で同僚に相談した。詳しい人を探して話を聞いた。完成する前の資料を誰かに見せた。分析データが自分だけで解釈しきれない時には、恩師の意見を聞くこともあった。
こうしたやりとりは、必ずしも「人とつながるため」に行われていたわけではない。仕事を進めるために必要だったのである。
しかし、生成AIによって、その「必要」が少しずつなくなっていく。人に聞かなくても仕事が進み、相談しなくてもたたき台ができる。誰かと壁打ちをしなくても、考えを整理できるようになった。こうして仕事が「個人+AI」で完結できる範囲が広がるほど、仕事のプロセスに自然に埋め込まれていた他者との接点は、減っていく可能性がある。
一方、ニューヨーク市は、学校とは「考え、読み、書き、推論し、問題を解き、互いに話し、困難に取り組む」場所だとした。
では、職場とは何をする場所なのだろう。
成果物をつくるだけの場所ならば、一人とAIで完結できる仕事はこれからますます増えるかもしれない。それでも人が同じ組織に所属し、ともに働くことには、どのような意味があるのだろうか。
「一緒にやる」を、あえて残す
人との接点が自然には生まれにくくなるとしたら、どうすればよいのだろう。
会議を増やしたり、出社日を増やしたりすることが答えではないだろう。人と関わること自体を目的にしてしまえば、AIで効率化したはずの仕事に、別の非効率を付け加えることにもなりかねない。
むしろ考えたいのは、AIを使えば一人でできることであっても、あえて「一緒にやる」プロセスをどこに残すのかということだ。
たとえば、最初から完成度の高い企画を持ち寄るのではなく、まだ答えのない段階で問いを持ち寄る。AIとの壁打ちだけで考えを固めるのではなく、途中の考えを誰かに話してみる。出来上がった成果物だけを共有するのではなく、なぜそう考えたのか、どこで迷ったのかも共有する。
一人でやったほうが速い仕事は、おそらくこれからますます増えていく。
だからこそ、「一緒にやる」ことを、一人では仕事を進められなかった時代の名残として残すのではなく、一人では得にくいものを生み出すためのプロセスとして、意図的に仕事のなかに組み込む必要があるのではないだろうか。
実際、人と考えることで、自分にはなかった問いが生まれることがある。相手に説明しようとして、自分がわかっていなかったことに気づくこともある。誰かの経験を聞くことで、AIから得た一般的な知識とは異なる、その組織ならではの判断の背景に触れることもある。
そして、「一緒にやる」ことには、目の前の仕事を完成させることだけでは測れない意味もある。
途中の考えや迷いを知ることは、互いが何を知っているのかを知ることにつながる。仕事の背景や判断の理由が共有される。若手が、成果物だけからは見えない仕事の進め方に触れる機会にもなる。そうした小さなやりとりの蓄積が、組織のなかに知識や経験を残していく。
生成AIによって、一人で仕事を完結できる範囲が広がるからこそ、企業には、何を効率化するかと同時に、どのプロセスをあえて人と行うのかを考えることが求められる。
子どもたちについて「AIに任せることで失われる経験」を心配するのであれば、大人についてはどうなのだろう。
ニューヨーク市の判断は、子どもの教育をめぐるものだ。しかし、「AIに任せることで失われる経験は何か」という問いは、大人の職場にも投げかけられるべき問いだ。
生成AI時代の成長について考えるとき、AIによって何ができるようになるのかだけでなく、どのような経験を人の側に残すのかという視点も必要になるだろう。
そして、仕事が一人で完結しやすくなる時代だからこそ、改めて問う必要がある。
私たちは、何のために人と一緒に働き、何のために集まるのだろう。
筆者は、この問いに関連して、生成AIによって試行錯誤や熟達の機会、成長のプロセスそのものがどう変わるのかをワークス研究所のプロジェクト「生成AI時代の成長論」で研究している。
また、「人が集まる意味を問いなおす」プロジェクトでは、リモートか対面かという二項対立を超えて、人がともに働き、集まることの意味を考えてきた。さらに2026年には、同一個人を5年間追跡したデータから、職場の結束や知の継承、仕事の自己完結化などについて改めて検証している。
AIによって一人でできることが増えた今だからこそ、「成長」と「集まること」の両側から、人と一緒に働く意味を考えていきたい。
(※1)New York City Mayor’s Office, “Mayor Mamdani and Chancellor Samuels Put Students First with Nation’s Broadest Generative AI Moratorium in Schools,” September 2, 2026.
(※2)New York City Public Schools, “New York City Public Schools Announces Release of AI Guidance for Educators and School Leaders,” March 24, 2026.
(※3)AI Moratorium Coalition, “AI Moratorium Coalition Rejects DOE Inadequate AI Guidance,” March 24, 2026, Parent Coalition for Student Privacy.
(※4)New York City Public Schools, “Guidance on Artificial Intelligence (AI) and Screen Time,” 2026.
(※5)New York City Mayor’s Office, “Transcript: Mayor Mamdani Holds Press Conference To Make Education Announcement With Chancellor Samuels,” September 2, 2026.
辰巳 哲子
研究領域は、キャリア形成、大人の学び、対話、学校の機能。『分断されたキャリア教育をつなぐ。』『社会リーダーの創造』『社会人の学習意欲を高める』『「創造する」大人の学びモデル』『生き生き働くを科学する』『人が集まる意味を問いなおす』『学びに向かわせない組織の考察』『対話型の学びが生まれる場づくり』を発行(いずれもリクルートワークス研究所HPよりダウンロード可能)
メールマガジン登録
各種お問い合わせ