Works 184号 特集 多様な働き方時代の人権
個人のスキルや能力はどこまで会社のもの?副業・兼業時代に気をつけるべきことは?
転職、副業、独立などキャリアの選択肢が増えるなかで、個人が仕事で培った人脈や能力・スキルは誰のものになるのか。
弁護士の塚本健夫氏に聞く。
個人が持つ能力・スキルや人脈は個人のものか、会社のものかを厳密に切り分けるのは簡単ではありません。法的には、主に秘密保持義務と競業避止義務という2つの観点から判断します。
秘密保持義務とは、職務において知り得た秘密を漏洩してはいけないというものです。就業規則などに定めがなかったとしても、在職中の社員は秘密保持義務を負います。また、その秘密が不正競争防止法上の営業秘密に該当するかどうかにも注意する必要があります。一般に知られていない情報で、事業活動にとって有用であり、かつ秘密として厳格に管理されているものは営業秘密に該当し、法的に保護されます。たとえば、担当者の連絡先一覧や個々の営業履歴などを記した顧客リストで、アクセス制限のかかったフォルダに保管されているようなものを流出させた場合は、持ち出した個人が民事上・刑事上の責任を負うことになります。
競業避止義務とは、一定の条件のもと、所属する企業と競業する行為をしてはいけないというものです。昨今、副業が推進されていますが、同業他社での仕事については禁止・制限しているケースが多いと思います。退職後についても、機密情報を持っていると考えられる一定以上の地位や特定の職種の人については、一定期間、同業他社に転職しない、特定のエリア内では競合となる会社を設立しないなどの誓約書を求めるケースがあります。
会社側からすると、情報流出のリスクを減らすため、秘密保持について就業規則や契約書で規定したり、退職時、競業避止の誓約書を求めたりすることが増えています。その有効性についてはケースバイケースの判断が必要ですが、個人の側も、内容を確認し、疑問点があれば会社と話し合うことが重要です。できる限り広く網をかけたい企業と制約を少なくしたい個人と、2つの異なる利害があったとき、その利害を調整してバランスを取るのが法律の役割になります。紛争に至る前に、コミュニケーションを取りながら合意することが大切です。
競業避止がイノベーションを阻害する
特に競業避止義務については、個人の「職業選択の自由」を制限する恐れがあるため、どこまで制限がかけられるのか、さまざまな議論があります。アメリカでは、2024年4月、公正な取引を監督・監視する連邦取引委員会(FTC)が、雇用主による競業避止条項を全米で禁止しようという規則を制定し、大変な注目を集めています。
その大きな狙いが、イノベーションの促進です。これまでにもアメリカでは競業避止についてさまざまな理論・実証研究が進められており、その弊害が指摘されてきました。個人の自由な転職・起業が制限されることによって、賃金水準が下がり、モチベーションの低下につながるだけでなく、イノベーションが阻害されることが指摘されています。
実際、全米のなかでも早くから競業避止条項を禁止してきたカリフォルニア州には優秀な人材が集まり、起業が促進された結果、シリコンバレーに代表されるIT産業の集積地となりました。南カリフォルニア地域には、バイオテクノロジー関連の新興企業が数多く誕生し、発展を遂げています。
FTCの規則はまだ発効しておらず、米国商工会議所など経済界からの反発も強いです。イノベーションとのバランスをどう取るべきか、アメリカでの動きは少なからず日本にも影響を及ぼすため、今後の動向が注目されます。
Text=瀬戸友子 Photo=塚本氏提供
塚本健夫氏
西村あさひ法律事務所・
外国法共同事業弁護士
2005年、慶應義塾大学法学部卒業。JR東海での勤務を経て、2011年、東京大学法科大学院を修了し、弁護士に。第二東京弁護士会労働問題検討委員会の副委員長を務める。2023年、カリフォルニア大学バークレー校ロースクールを修了し、2024年より国際労働機関(ILO)コンサルタント。