Works 184号 特集 多様な働き方時代の人権
なぜ男女の賃金格差は解消されないのか。社会的分業がもたらす間接差別という要因
日本で男女雇用機会均等法が施行されてから40年近く経ったが、男女の賃金格差は大きいままだ。その要因は何か。
そして人権的には何が問題なのか。
労働市場における男女格差の原因と対策について、長年研究を続けるシカゴ大学教授の山口一男氏に語ってもらった。
労働市場における男女格差は、国家や企業、家庭などでジェンダーに関わる直接的・間接的な差別から生まれる社会的な不平等が原因になっています。解決には、どうしたらこれらの差別から「自由」になることができるか、という視点から考えるのが有効です。
英語では「自由」を意味する言葉には「Liberty」と「Freedom」の2種類がありますが、前者は社会的制限や拘束からの自由を意味し、言論の自由や表現の自由、集会結社の自由など、社会的人権の保障に関係する言葉です。政治による規制や法的規制などによって自由が制限される場合、それは「Liberty」の問題です。女子学生の合格を減らすために一部の医学部で不当に点数を調整していたことも、その一例です。
後者は、自分(自分たち)が本来意思決定すべき事柄を、自分(自分たち)で決定できることも含むより広い言葉です。ジェンダーによる差別で、女性が本来意思決定すべき事柄が自分たちで決定できないというのは、「Freedom」が損なわれている状態といえます。
男女の職業ステレオタイプ化
家庭と企業で助長
なぜ女性たちは差別から「自由」になれないのでしょうか。2つのことが想定されます。
1つ目は、自分が本来決定すべきことについて、他者が決定権を持っており、支配されている状態です。典型的なのは奴隷制度や植民地化ですが、男女の不平等についても、女性の意思や感情が「取るに足らないこと」として無視、軽視される状況は、国家や企業、家庭内でも見られます。
国家レベルでは避妊薬の市販の有無など、本来は女性の人権に深く関わる問題が、意思決定者の大多数を占める男性の議員と行政によって決められるという事態などです。企業でも役員や管理職の大部分が男性であれば、女性が企業の意思決定から排除されます。こういう状況を間接差別といいます。
このように他者に意思決定権を握られる状態に加えて、もう1つ「自由」が実現できない場合があります。それは、自分が進んで他者の意思に合わせてしまうときです。ナチス政権下のドイツでユダヤ人虐殺の責任者だったアイヒマンは、戦後の裁判で「命令に従っただけだ」と陳述し、傍聴した哲学者のハンナ・アーレントは彼を「小役人にすぎない」と看破しました。アイヒマンは人を殺す命令を実行するかどうかを自身で判断せずに、自分の意思や思考を他人にゆだねてしまったのです。
ここまで極端な例でないにしても、同じようなことは、男女のソーシャライゼーション(人が、社会の一員としての役割や規範を学び、それを自己の一部として取り込む過程のこと)を巡っても、しばしば起こります。
私が「日本版総合的社会調査」の2000~2018年のデータを用いて分析した研究では、興味深いことがわかりました。科学技術スキルの高い職に就いている父親の子どもが、同種の職に就いているかどうかを調べたところ、父親のスキルの高さは息子の職には影響しているが、娘の職にはまったく影響していなかったのです。
これは男女の職業のステレオタイプ化が家庭内で起こっていることを意味します。親は、息子には父親と同じ科学技術スキルの高い職に就くことを期待する一方で、娘には期待しない。大学進学の際の男女の進路先が異なる遠因にもなり得ます。このような価値観の擦り込みは本来の自由な状態ではないといえます。
企業で、技術系の職種に就く女性が少ないのも、そうした職種は女性向きではないとのステレオタイプがあるためです。加えて、日本企業の多くは採用時に一般職と総合職を分け、それが性別と大きく相関しています。結果的にそれが女性の生涯賃金を抑える制度設計になっており、女性管理職割合が伸びない原因にもつながっています。価値観の擦り込みに伴う一種の思考停止状態が、労働市場における男女の社会的分業を、ひいては女性の自律を損なう間接差別を生み出しているのです。
企業内学習、平等な昇進機会が重要
「生産性」への評価を第一に
それでは、労働市場における男女の社会的分業はどのように解消できるでしょうか。私から3点提案したいと思います。
1点目は、企業内での男女の経験・学習の機会を平等化し、男女の職のステレオタイプ化を廃止することです。たとえば日本企業で会計管理職には圧倒的に男性が多く女性は少ないのですが、アメリカでは女性が5割です。企業が、男女を問わず社員の経験・学習の機会を平等に与えることが重要です。
2点目は、昇進の機会を平等に与えることです。アメリカでは、管理職の登用にあたり、男女ペアで2人の候補を立てることもあります。女性が男性と同じ経験を重ねたうえで、昇進の機会も平等に与えられることが重要です。一方、員数合わせをして女性管理職を増やす方法には疑問を感じます。後になって「やはり女性には無理だ」と否定することにもなりかねません。
3点目は、社員の評価において「時間当たりの生産性」を基準にすることです。これまで多くの日本企業は社員に忠誠心を求めるとともに、長時間勤務と長期雇用の有無を評価の主な基準としてきました。短い時間で働き、生産性が高い人もいるはずなのに、社会的な制約が多い女性は、この基準のもとで間接的に不利な状況に追いやられてきました。これらは不合理な基準です。時間当たりの生産性を重視し、イノベーティブな仕事に対する評価のウェートを高くすれば、多様な人材の潜在的能力を生かすことができます。経済活動における男女平等な社会の実現は、社会の価値創造性自体を高めていくためにも、とても重要なのです。
Text=川口敦子 Photo=山口氏提供
山口一男氏
シカゴ大学
ラルフ・ルイス記念特別社会学教授
1971年東京大学理学部卒業、シカゴ大学で社会学博士。総理府統計局、コロンビア大学公共衛生大学院助教授、カリフォルニア大学ロサンゼルス校社会学科准教授を経て、1991年からシカゴ大学社会学科教授。2003年より経済産業研究所客員研究員兼務。2020年文化功労者。