Works 184号 特集 多様な働き方時代の人権
働く私たちが考えるべき「差別されない権利」。憲法学者・木村草太氏に聞く
「差別されない権利」は憲法で保障されている人権の1つだが、いまだ差別は消えない。
差別はどのように生まれ、私たちはどう向き合えばいいのか。
著書『「差別」のしくみ』(朝日新聞出版)で差別の構造を検証した法学者の木村草太氏に聞く。
日本国憲法は14条1項で「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と定めています。つまり「差別されない権利」を明文で保障しているわけですが、法律家にとっても、差別とは何かを定義するのは簡単ではありません。一般的には「悪い区別」のことですが、それでは広すぎるでしょう。また、時代によって、重要視される差別問題も変わってきました。
「差別はいけない」と言われるときの差別とは、人種や性別など人間の類型に向けられた否定的な感情や評価を指します。根底に人間の感情があるので、差別の表れ方はさまざまな形を取ります。
たとえば差別ではなく愛情で考えてみると、わかりやすいでしょう。仮に、高価なプレゼントを贈るという行為が愛情であると形式的に定義してしまうと、ストーカーが一方的に送りつけてきた高価なプレゼントも愛情とみなされてしまうのか。そうではなくて、まったく同じ行為でも、愛情がこもっているものもあればないものもあるはずです。プレゼント以外にも、ちょっとした言葉遣いや表情に愛情が表れることもあります。
差別もこれと同じで、問題はその人の内心にあり、行為の形で定義できるものではありません。何をすれば差別になるのか、行為の形や外観だけでは画定できない。まずは、この点を押さえておくことが重要です。
差別感情はさまざまな形で表れる
そのうえで、差別感情と結びつきやすい行為を挙げることはできます。
1つは、「女性は話が長い」「男性のほうが能力が高い」といった偏見です。偏見とは誤った事実認識のことであり、根拠を示して間違いを訂正さえすれば、簡単に正せるはずです。ところが根底に差別感情があると、事実の受け入れを拒否する心の働きが生まれ、偏見が強化されてしまうので注意が必要です。
次によくあるのが、性別や人種などの類型情報を否定的な形で無断利用する行為です。顧客の個人情報の取り扱いには慎重でも、従業員の個人情報について、利用目的を特定したり、同意を取ったりしている企業はどれだけあるでしょうか。もちろん宗教や出自に関する情報を勝手に集めたり、人事評価の材料に使ったりしてはいけないことは、誰もがわかるはずです。一方、女性である、外国人であるといった外からわかりやすい類型情報については、その情報を使うときに注意が必要だという意識が非常に薄い。
職場でいえば、子育て中であるという情報を、手当の支給や制度の利用のために集める分にはよいが、異動や昇進の場面で使うとなると、目的外利用にあたる可能性が出てきます。本来は説明なしに使ってはいけないし、不利益な使われ方をするのであれば、おそらく多くの人が同意しないと思います。
顧客あるいは男性に対しては行わないことを、従業員あるいは女性に対しては、当たり前のように行ってしまう。なぜかといえば、やはり差別感情と結びついているからです。その類型情報を軽んじる感情や心の働きがあることに気づいてほしいと思います。
ではその情報に信頼できる根拠があり、同意を得ればよいのかという問題が出てきます。適正に個人情報を取り扱ったとしても、そもそも本人の主体性を尊重せず、統計的に人を区別すること自体、相手に対して失礼な行為ではないでしょうか。
本人が頑張って営業成績が上がったら、プラスの評価を得るのは当然です。逆に、よくない行為とわかっていながら、感情的になって顧客に乱暴な態度を取ってしまったら、マイナスの評価になるのも仕方がない。自分で決めて行動した結果を、自分で引き受けるのであれば納得がいきます。
ところが、何らかの統計処理の結果、理由はわからないけれど、「このロックバンドの音楽を聞いている人は乱暴な人が多い」という相関関係が見つかったとします。企業にとっては役に立つ情報かもしれませんが、だから音楽の購入履歴を出してください、査定に反映しますと言われたら、大きな問題になるでしょう。音楽でも食べ物の好みでも、普段の生活で純粋に楽しんでいたものが、不利益な評価に関わってくるかもしれないとなったら、私たちは安心して音楽や食事を楽しめなくなってしまいます。今後、AIが発展していくと、こうした権利侵害がさらに横行していくことが懸念されます。
差別感情を過度に恐れない
自覚してほしいのは、企業にとっては合理的と思えても、権利侵害になり得る行為はたくさんあるということです。
よく「昔ならこれくらいのことは許された」などと言う人がいますが、昔も今も差別は許されていません。ただ、昔は女性に選挙権がないなど、個人の力ではどうしようもできないマクロレベルの問題を優先せざるを得なかった。それが解消されてきて、ようやく今、ミクロレベルの問題に重心が移ってきました。マイクロアグレッションと呼ばれる日常のなかの無自覚の差別行為は、マクロ的な制度の改善や刑罰だけで解消できるものではなく、一人ひとりが自覚していくことが重要です。
だからといって、「差別かもしれないと考えると何もできなくなる」などと過剰に恐れる必要もありません。差別は人間の感情に基づくもので、特定の人に否定的な感情を持ってしまうのは誰にとっても自然なことです。差別感情を持ってしまうのは、人間の本性として仕方がないことともいえます。
だからこそ大切なのは、差別感情を公の場に持ち込まないように注意すること。万が一、差別的な行為をしてしまったときに、指摘してもらえる関係性を、日頃から周囲の人と作っておくことです。一切差別をしてはいけないと厳しく取り締まるよりも、素直に謝罪し、訂正できる職場のほうが、お互いの信頼も高まり、人間関係も深まっていくはずです。
Text=瀬戸友子 Photo=west_/amanaimages(本文内)、岩沢蘭(プロフィール)
木村草太氏
東京都立大学
法学部 教授
2003 年、東京大学法学部卒業。同大学法学政治学研究科助手を経て、2006年より首都大学東京(現・東京都立大学)准教授。2016 年より現職。専攻は憲法学。