ローカルから始まる。
神山まるごと高専 発起人/アドバイザー 大南信也
アーティストの招聘やサテライトオフィスの誘致など20年以上前からさまざまなプロジェクトで注目を浴びてきた徳島県神山町。NPO法人「グリーンバレー」が中心となって進めてきた町づくりの結果、多様で多彩な人たちがこの町に惹きつけられてきた。
2023年にはテクノロジーとデザイン、起業家精神を学ぶ神山まるごと高専を開校、その後、町にはどんな変化が起きているのか。グリーンバレー元理事長の大南信也氏に聞いた。
2023年にはテクノロジーとデザイン、起業家精神を学ぶ神山まるごと高専を開校、その後、町にはどんな変化が起きているのか。グリーンバレー元理事長の大南信也氏に聞いた。
インタビュー・構成/ジャーナリスト・浜田敬子氏
浜田:神山まるごと高専(以下、高専)が開校して4年目になりますが、地域にどんな変化をもたらしていますか。
大南:1学年約40人なので4学年、今約160人の高専生がいます。15歳から20歳というのは、ほかの地域では高校・大学進学などで町外へ出ていく世代。そこが5年間限定でも40数人ずつ入ってくると町の風景が明るくなります。「自分らももう少し頑張っていかなあかんなぁ」という思いを持ち始めた人たちが増えているようです。
浜田:これまでも神山には多様な移住者が来ていますが、高専のインパクトはまったく違いますか。
大南:格段にですね。人数的なものだけでなく圧倒的に若い。開校前から学生たちをどう受け入れるか議論しましたが、学生たちは自ら地域のなかに飛び込んでいって、アルバイトをしたり人間関係を作ったりしています。
浜田:最初にSansan社長の寺田親弘さん(現神山まるごと高専理事長)から神山に学校を作りたいという話があったときにはどう思われましたか。
大南:寺田さんとの出会いは2010年。創業から10年以内に会社上場という夢を実現させたら、教育のプロジェクトをやりたいと聞いていました。でもそれから5年3カ月の間まったくその話が出ず、「あれは若手起業家妄想だったのかな」と思っておったんです。そしたら2016年正月に突然、「神山で学校作れんかな」っていうメッセージが来たんですよ。だったら本腰を入れて一緒に進めなければと検討を始めました。
浜田:神山では20年以上前に大南さんたちが作ったNPO法人グリーンバレーが、地域にアーティストに住んで創作活動をしてもらうアーティスト・イン・レジデンスや、将来必要な働き手を逆指名して移住してもらうワーク・イン・レジデンスなどさまざまなプロジェクトを立ち上げてきました。そのなかでも学校、高専を作るというプロジェクトはスケール感なども違いましたか。
大南:ずっと非営利活動として自分たちがワクワクするようなものをやっていたわけですが、仕事ではなかった。だから期限もないし、成果を求められているわけでもない。長期的な目線で、ある意味気持ちよくプロジェクトと戯れとったという感じでした(笑)。でも高専は当然のことながら文科省の認可申請もあるし、寄付金や先生、学生集めもる。「2023年4月開校」と期限も決めた。途中からこれは今までのとはまったく違う向き合い方をしなきゃいかんなとひしひしと感じました。
神山まるごと高専では、「社会にまだ無い価値を生む人たち」を広く起業家講師と呼ぶ。起業家講師たちから直接話を聞く機会を得られ、ライブラリーには起業家精神を養うための本も並ぶ。
神山まるごと高専では、「社会にまだ無い価値を生む人たち」を広く起業家講師と呼ぶ。起業家講師たちから直接話を聞く機会を得られ、ライブラリーには起業家精神を養うための本も並ぶ。5年間限定でも15〜20歳の人口が入ってくると町の風景が明るくなる
今までにない学校を作る だからこそのスモールスタート
浜田:どうやって地域の合意形成をされたんですか。
大南:特段の働きかけはしませんでした。私立学校なので、直接的に税金を投入するわけじゃない。でも、当然町からの支援も必要です。企業誘致を参考にしました。企業に来てもらうために町は土地を用意したり用地を造成したりするでしょう。それと同じような支援を、とお願いしました。一方、全寮制で町外から来る学生は住所を移すので、人口増に寄与し、地方交付税も増えます。
周りを巻き込んで機運を盛り上げて100%開校できる保証があれば、喜んでそうしたと思います。しかし、認可されないリスクもありました。巻き込むということは資金や時間を投資してもらうので、うまくいかなかったときに僕は責任の取りようがない。だから極力小さい単位でスタートしました。役場は町長をはじめ幹部5人程度。グリーンバレー側は3人、あとは寺田さんなどプロボノの12人で設立準備委員会を立ち上げました。情報を出さなかったことで地域から「何で話してくれんの?」という声もありましたが、広げすぎとったら逆に大変だったと思います。
浜田:よかれと思って口を出したくなる人も出てきますよね。
大南:寺田さんと僕らは「今までにない学校」を目指していたので教育方針は曲げたくなかった。でも「今までにないもの」に最初から共感してくれる人は少数派。みんなの話を聞いたら尖った学校はできないし、教育の軸がブレてしまう。もう1つは時間です。2023年4月の開校は困難でした。
浜田:とはいえ、スモールスタートはリスクもありますよね。学生が来たときに地域に受け入れられるかどうかという。
大南:僕はできたものを見てもらえば理解は進んでいくと考えていました。だからまずはやらせてみる。これまでさまざまなプロジェクトをやってきた経験から想像がつくんです。僕らのスタートは1990年代の「人形の里帰り」プロジェクトに遡ります。
浜田:戦前にアメリカから平和親善の証として贈られ、戦時中も処分命令のなかで守り抜いた人形を元の持ち主に返すというプロジェクトですね。
大南:はい。僕らは人形の里帰りの先に何があるかを探り出したいと考えていました。人形の里帰りを皮切りに次々と新たな展開が生まれていき、次は何が起こるんだろうと面白がってページをめくっていく感覚でした。ほとんどのプロジェクトはゴールに向かって収束させていくけれど、僕らが神山でやったことは拡張させるという考え方です。想定していなかったことが起きたとき、普通は無視したり、排除したりするけど、逆にそれを展開させていくと、次なる偶発が生まれるんです。
アーティスト・イン・レジデンスを始めた頃、武蔵野美術大と連携したアートプロジェクトをやっていました。当時の県庁担当者とは「これを機にムサビの分校が神山にできたらええな」みたいな話はしていましたが、当時は単なる妄想でした。それから20年を経て、テクノロジーを学ぶ高専に結びついたわけです。だから僕は抱いた夢や妄想は「絶対無理」と捨てずに、頭のなかにネタとして残してます。うまくいかなかったプロジェクトなども一旦「未来フォルダ」に預けるようにしています。
移住者とは常に、オープン、フラット、フレキシブル
浜田:すると、タイミングが来たときに化学反応が起きるわけですね。神山では非営利セクターである大南さんたちが中心だったから、次々起きることを楽しみながら進められたけれど、行政の事業だとそうはいかないですよね。
大南:アーティスト・イン・レジデンスでも滞在したアーティストのなかから、そのまま住み続けたいという人が現れ、僕たちが空き家をお世話することで、移住支援のノウハウが蓄積されたんです。それで町が「移住交流支援センター」を設置したときに運営がグリーンバレーに任され空き家と移住希望者の情報が一元的に集まり始めた。つまり行政のように計画からスタートしないんですよね。
浜田:ワーク・イン・レジデンスという形で町に必要な職種、たとえばパン屋さんやカフェなどを逆指名のような形で移住者を受け入れましたよね。なぜこんなに神山に魅了される人が多いんですか。
大南:ほとんどの自治体では移住の申し込みの際に家族の情報や希望する空き家の条件を書いてもらいます。でも神山側が尋ねるのは「あなたが実現したい夢」。「こんな面倒なことを答えとうないわ」という人はターゲットじゃない。移住者とのマッチングで重要なことはオープン、フラット、フレキシブル。常に門戸は開くけれど、同時に相手と対等な関係を築く。ほとんどの自治体はこれをやれないんですよ。
浜田:でも町の人たちはちょっと温度感違いませんか?町全体がオープンでフラットになるには時間はかかったんですか。
大南:当然かかりました。言葉で心を動かすのは簡単じゃない。人を動かすのは気づき。気づきが人を動かしていく。でも気づきは教えられない。僕らが延々とプロジェクトをやり続けているのは、気づく材料となるものをできるだけ多く振り撒くため。すると、気づいた人の物事に対する向き合い方が変わってきます。
十数年前に、70代後半のおっちゃんから「今神山は変わりよる。寿命が来て、それが見られなくなるのがつらい。でも、まだ自分にできることがあれば何でも言うてほしい」って言われたんです。地方は保守的なところも多い。保守って、自分たちが育んできたものが変化するのが怖いということ。でもおっちゃんみたいに自分が変化することの面白さに気づけたら、物事に向き合う姿勢も変わってくるんですよ。そういう人の比率が神山はよその町よりは数%高いんだと思います。
全寮制の同校では、カフェテリアで給食を提供する。「地産地食日本一をめざす給食」である、徳島・神山の食材を使った食事は学生たちの楽しみの1つだ。
人口の中身を変え持続可能にする「創造的過疎」
浜田:神山でできたことはほかの地域でもできると思いますか。
大南:僕もいろんな地域で講演するときにいちばん聞かれるんです。今は、「エフェクチュエーション理論」になぞらえて答えています。30人以上の起業家へのインタビューで発見された共通する5つの原則のうち、「今手元にある資源から始めてそれを広げていくということ」が、自分たちがやってきたこととピッタリ合うのです。通常プロジェクトではゴールを設定して計画を立て予算や人員を集めて実行する。これって確実性の高い世の中だったら通用するけど、不確実性の高い時代には限界があります。
浜田:大南さんは「創造的過疎」という言葉を使われますが、どういう思いを込めているんですか。
大南:地方は人口が減ることで町そのものの機能が失われていくような状況です。これまでとは違った角度から現状を見つめ直す必要があると考え、「創造性」と真逆な「過疎」という言葉を合体させました。過疎の現実を受け入れ、数字を追いかけずに人口の中身を変えることで持続可能性も見えてくるのでは、と。
浜田:最近地方の将来を考えるとき、「賢く縮む」という言葉が使われています。ただその根底には、インフラをどう維持するのかというコスト的な発想が強い。神山は「人」から発想していると感じます。だから、教育や食などでオルタナティブな新しい仕組みを模索したいという人たちを惹きつけるのかなと感じました。大南さんは「地方創生」という考えをどう見てますか。
大南:高専を設立する過程で大切にしていた言葉があります。「神山まるごと高専は、地方創生のために作るわけではありません。今、そしてこれからの日本社会に必要とされる学校がこの町に生まれるのです。それが結果的に、神山町の地方創生に繋がるのかもしれません」。地方創生は「結果」です。高専は家庭の経済環境に左右されずに学べる無償の学校にしようと大きく舵を切りました。最終的に11社が拠出してくれた110億円の基金で給付型奨学金制度を作りました。企業が出資してくれたのは、「日本の社会に必要な学校」だと確信したからだと思います。
そのように本質的な視点を持って地方創生に臨まないと、大きな変化は生まれないし永続もしない。もっと根っこにあるものを発掘しながら一石を投じることはできるはずです。それが巡り巡って地方創生になるという、大きな循環のなかで考えていくべきだと思います。
神山でやったことはゴールに向かって収束させるのではなく拡張させること
Photo=伊藤 圭、神山まるごと高専提供

Profile
1953年 徳島県神山町に生まれる
1977〜79年 スタンフォード大学大学院に留学、修了
1990年代〜 過疎地域の活性化を目的に活動
1999年 神山アーティスト・イン・レジデンスをスタート
2004年 NPOグリーンバレーを設立、理事長に就任。移住支援、IT企業やベンチャー企業のサテライトオフィス誘致などに取り組む
2023年 神山まるごと高専開校。発起人/アドバイザーとして関わる
プロフィール
浜田敬子氏
Hamada Keiko
1989年朝日新聞社に入社。2014年からAERA編集長。2017年に退社し、BusinessInsiderの日本版を統括編集長として立ち上げる。2020年よりフリーランスのジャーナリスト。2022年8月から2025年10月まで『Works』編集長。著書に『男性中心企業の終焉』(文春新書)など。
1989年朝日新聞社に入社。2014年からAERA編集長。2017年に退社し、BusinessInsiderの日本版を統括編集長として立ち上げる。2020年よりフリーランスのジャーナリスト。2022年8月から2025年10月まで『Works』編集長。著書に『男性中心企業の終焉』(文春新書)など。
メールマガジン登録
各種お問い合わせ