ローカルから始まる。
ほっちのロッヂ共同代表・福祉環境設計士 藤岡聡子
立ち上げたのは1人の医師と、ケアの専門家ではない藤岡聡子氏。自身の10代の経験から、地域や人々の暮らし丸ごとに向き合うケアや医療のあり方を模索している。
インタビュー・構成/ジャーナリスト・浜田敬子氏
浜田:ホームページやこれまでの記事を見ると、事業内容は診療所・在宅医療や訪問看護ステーションの地域医療、医療的ケア児の保育や病児保育などの子育て支援など幅広くて、ひと言で「こういう施設・場所」といえないところに特徴がありますよね。施設を見ても2階には診療所があって、1階には絵の具や工作道具が詰まっているアトリエの部屋もある。どんな人たちが働いているんですか。
藤岡:職種でいうと医師、看護師、理学療法士、介護福祉士など。保育士もいます。医師は診療をしますが、ほかの職種は日によって動きが違います。医療的ケアが必要な子どもを支援する看護師や介護福祉士などは、午後からは医師と一緒に訪問診療に行くこともあります。
スタッフが集まり会話する場。開業以来欠かさず、月に1度は全員で、場や自分についてを語り合う時間を設けている。
浜田:そもそも藤岡さんの肩書きがユニークですよね。
藤岡:日本語でしっくりくるものがなくて、Designer of community development in home healthcareと表現するほうがしっくりきます。この肩書きはよく聞き返されますね。ホームヘルスケアはいわゆる地域医療や緩和ケアという定義が一般的ですが、私はいのちの終わりを支える環境を考える起点でありたいと思っています。
浜田:軽井沢在住の著名な作家の方が最期、こちらでお世話になった話も聞きました。どうしてもここでお世話になりたいと連絡があるんですか。
藤岡:大きく2つのルートがあって、1つは医療機関から医師の紹介で来られる方、もう1つが口コミ。後者は私たちのスタンスに共感してという方が多いです。その方がどうしたいのかを聞かせてもらって方針を決めるので、「医者に全部決めてもらいたい」という方だとひょっとすると合わないかなと思います。私たちはどのような方でも、その方が望むいのちの最期に寄り添える働き手でありたいんです。
浜田:それを医療分野出身ではない藤岡さんが作られている。もともと福井県で地域医療に携わっていた医師、紅谷浩之さんとの出会いが契機になっているんですよね。
藤岡:訪問診療の診療所は全国で約2万カ所あるのですが、医師と医師ではない人が同じ立場で創業したところはないと思います。医療から始めようと思っていなかった人と、医療という武器を持っていた人が組んだことがとても大事だと思っています。
私自身は10代と20代で両親の死を経験しています。父は医師だったのですが、人を治す人がなぜ死んでしまうのか、10代になったばかりの私は父が死ぬことになってしまった社会に対して反骨心のようなものを持ってしまったんですね。それからずっと「いのちの終わり」に関心があることに気づいていたんですが、そうすると周りは「じゃあ医者になれば?」と。父の周りにいた人は大体医師でしたが、私は資格を持った彼らのような人たちが“描けなかった光景”を欲したんですね。
浜田:だから有料老人ホームの事業を起こされたんですね。
藤岡:父のいのちの終わりを支えられなかったことがずっと心に引っかかっていて、場所を作ることは自分の気持ちの回収に近づくかなという思いがあったんですが、すぐに「老人ホームに老人しかいないのは変じゃないか?」と思い始めたんです。私は10代の頃に学校に行けない時期があって、高校は夜間の定時制高校に行きました。級友には同年代がいなくて属性もバラバラ。これが社会の縮図だと思ったのと同時に、自分自身が解放されて生きづらさが解消したんです。この環境はすごいなと思っていたことも影響しているのだと思います。老人だけを集めてケアするのは合理的だけど、私は同じような属性の人たちが集まっていることに息苦しくなってしまって。
ちょうどその頃妊娠してつわりが重く、体調が悪化して2年弱で現場を離れました。そのときは、一生懸命仕事をしてきたのに、なぜキャリアの強制ストップボタンを押さなくてはならないのかと落ち込んだんですが、その短い期間に気づいたことが、私は「専門性のある人と話が合わない」ということだったんです。
リスペクトはしているんですが、専門家は狭義の意味でのプロ。でも人間って狭義で語られるものだけで構成されていません。老人ホームでは私ともう1人の創業者だけが福祉分野出身ではなくて、あとのスタッフはみんな介護職など専門職でした。彼らに疑問に思ったことを話してもなかなか理解してもらえませんでした。私は専門性によって失っているものに自覚的でないと誰でも作業的になってしまうと、そのときから感じているんです。
その人が望むいのちの最期に寄り添える働き手でありたい
生きる力といのちの終わりをつなげる場を
浜田:それがほっちのロッヂにも共通していますね。子どもから高齢者までいて、症状や状態で人を定義しない。
藤岡:私が10代で体験したことを回収しようとしているのがこの場所。有料老人ホームの現場から離れてしばらく、軽井沢に来る前には、東京でデザイナーや建築家の人たちと空き家の活性化など地域の場づくりをしていました。場づくりって、快・不快でいうと快楽がフォーカスされがちなんです。カフェとかゲストハウスとか。一方で、高齢者や難病、障がいのある人のための場所は、そうしたインスタ映えするものとは真逆。「大変そうですよね」というような対象なんです。
私はケアを本業にしているという意識はありませんでしたが、誰を主体に思っている場所なのかについてはセンサーが働きます。都市型の場づくりでは、「がんとともに生きる人たちは絶対にアクセスしてこられないだろうな」と気づいたんですね。私が手を伸ばしたい範囲はここでは表現できないと思っていたときに、軽井沢に学校ができることをTwitterで知ったんです。
浜田:軽井沢風越学園ですよね。自分のお子さんを入れたいということではなく、「何か一緒にやりたい」と創設者にお手紙を書かれたんですよね。
藤岡:「私に会ったほうがいい」って書きました(笑)。当時私のことを取り上げてくれた雑誌「ソトコト」を一緒に送って。ケアの専門職って課題や困りごとを支える発想に基づいていますが、子どもたちを対象にする場合は生きる力を支える専門職。私は「もし指1本でも動くならやってみようよ」とそこに可能性を見出すような人とだったら、違う現場ができるかもしれないと思ったんです。「私が関心があるのは学校づくりという狭義のものではなく、生きる力といのちの終わりがつながっている場所を作っていくことです」とこれまで自分自身がやってきたことも含めて書きました。
実際に創設者の方に会うと、「学校の向かいの土地が空いているよ。やってみたいことを仲間を見つけてやってみたらどう?」と紅谷を紹介されたんです。彼も別ルートで風越学園にアプローチしていたんです。紅谷は既に在宅医療の世界では知られた存在だったのですが、やはり風越学園のことを知って思うところがあったんですね。
浜田:すぐにピンときたんですか? 紅谷さんと会ったときに。
藤岡:「老人ホームに老人しかいないのは変だ」という話を、私は2010年頃からしているのですが、医療職や介護職の人からは一度たりとも共感されたことがなかったんです。2017年に紅谷に会ったときに話すと、笑って「面白い」って言ってくれて。医師から共感してもらったのはとても大きかったですね。「この人とだったら、いのちの終わりの環境を作れるかもしれない」と思いました。
浜田:今のような形は最初から決まっていたんですか? それとも手探りで出来上がっていったんですか?
藤岡:事業としてサステナブルなのはやはり紅谷が得意としていた在宅医療を中心にすることだと思っていましたが、最初に決めたのはコンセプトです。どういう光景を作るかというところから始めて、そこに事業をくっつけたっていう感じです。
浜田:この施設・事業を説明されるときに、「人の生き方・暮らしの全景を捉えたい」「ケアの文化拠点」という言葉を使われていますね。
藤岡:「全景を捉えたい」というのは対象とする年齢ではないんです。人の暮らしには快も不快も、思わず蓋をしたいこともすべてありますが、世の中の活動は快か不快かで分かれています。その人が明日も生きていい、明日も生きる価値があると思える暮らしを快も不快も含めて一緒に作れているのかが大事だと思っています。
年齢を問わず、誰もが自由に創作活動ができる“アトリエ”。画材などは軽井沢に多く住むアーティストからの“いただきもの”だという。
地域を知れば地域医療に奥行きが出て立体的に
浜田:全然知らない土地で言語化しにくい事業を始めるとき、地元の反応はどうだったんですか。
藤岡:私は「始める前から始めたい」と思って、建物ができる1年前から移り住んで、毎月お茶会をやったんです。最初は「誰?」という感じでしたが、決めていたのは、この町に根ざして生きているあらゆる年齢層の人に好きなことを聞くということ。「この町に暮らすうえであなたが大切にしていることは何なのですか」とか。中学生高校生ともお茶会しましたし、消防団に行って、働き盛りの男の人たちとうどんを食べたこともありました。
それはマーケティングとは違って、町の人を「知りたい」という思いからです。診療所でもカフェでも事業は始まっちゃったらもう始まっちゃうので、事業体として始めるのではなくて。
浜田:関係性を始めていく?
藤岡:まさに。今でもそのお茶会友だちとはずっと続いていますね。
浜田:今、医師向けに、地域医療の立体的な理解と実践を目指す「医師のための まちをリベラルアーツる。」という教育も始められていますね。
藤岡:医師を機械的にさせるかどうかは、どういう組織に身を置いているかで決まります。うちは軽井沢町と軽井沢病院という病院と連携協定を結んでいて、ほっちのロッヂから医師を日替わりで派遣しています。大きな理由は医師不足です。医師は技術職なので技術が磨ける都市部に行ってしまう、行くしかない構造になっています。そんななかで「地方に来てください」と言っても誰も来てくれません。
地域の患者って高齢者中心で似たような慢性的な症状が多いんです。でも地域の面白い人に出会って地域を知れば、地域医療に奥行きが出て立体的になる感覚が出てくる。そうすると地域医療が魅力的に見えるはずなんです。医師が19の専門に分かれていても、人の幸せに寄与したいという気持ちは共通してあるはずですが、今の組織ではそれが発露できないケースが多い。それをこの町でやりましょうという狙いで、リベラルアーツ教育を始めました。
浜田:医師たちは地域のことを知ると変わりますか?
藤岡:話す内容も立ち居振る舞いも変わります。もう患者の目を見たくて仕方なくなります。「あ、◯◯さん、どうですか。今日はどんなこと教えてくれます?」という風に。大事なのは、医師が持つ「この町、この人のためにやってみたい」という思いを発露できる環境を作っていけるかということです。
浜田:ほかの地域でもできると思いますか。
藤岡:医師たちがその町に住んでいる「快」の人とつながることです。たとえば「クラフトビール作ってます」みたいな人たち。私たちのようないのちの終わりにかかわる活動は、川でいえば川下です。快の活動はどちらかというと川上。この川上と川下が遠すぎてつながっていない。医師をやっているとどうしても人間性を失いかけるほど大変なこともあります。自分の町の川上や川中を知ることで、人間性を取り戻し、地域性を手繰り寄せることができる。それは患者さんと向き合うのと同じくらい、大切なことだと思っています。
明日も生きる価値があると思える暮らしを快も不快も含めて一緒に作る
Photo=伊藤 圭

Profile
2001年夜間定時制高校入学
2009年大学卒業後、人材教育会社入社。1年で退職
2010年介護ベンチャー創業メンバーとして有料老人ホーム開業
2015年デンマークに留学
2016年東京都豊島区のゲストハウスで「長崎二丁目家庭科室」を主宰
2019年「ほっちのロッヂ」を開設、共同代表に就任
プロフィール
浜田敬子氏
1989年朝日新聞社に入社。2014年からAERA編集長。2017年に退社し、BusinessInsiderの日本版を統括編集長として立ち上げる。2020年よりフリーランスのジャーナリスト。2022年8月から2025年10月まで『Works』編集長。著書に『男性中心企業の終焉』(文春新書)など。
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