ローカルから始まる。
立教大学 経営学部 客員教授 an 代表取締役・プロデューサー 永谷亜矢子
日本に残された成長産業は観光産業だと、政府はインバウンド誘致に力を入れてきた。今や1年間で日本を訪れる海外旅行客は約3700万人(2025年)。その急激な増加に伴い、国内ではオーバーツーリズムなどさまざまな問題も噴出している。
成長産業を真の地域の豊かさにつなげるには何が必要なのか。さまざまな自治体に伴走しながら、観光行政、観光政策に提言を続けている永谷亜矢子氏に、日本の観光の現在と未来について聞いた。
聞き手・構成: 浜田敬子氏(ジャーナリスト)
浜田: 2025年3月に出版された『観光“末”立国〜ニッポンの現状〜』(扶桑社新書)は自治体や政府関係者に大きな反響を呼びました。永谷さんはいつ頃から日本の観光に強い危機意識を持つようになったのですか。
永谷: 私が観光に関わるようになったのは「ナイトタイムエコノミー」のプロジェクトからなんです。観光の消費額は宿泊すると5〜10倍になるのに地方には夜を楽しめるコンテンツがないから作ろうというものでした。
観光に携わるようになってまず観光予算に疑問を持つようになりました。当時からインバウンドは個人でエアーやホテルを予約する個人手配旅行が主流になりつつあったのに、予算ではいまだに旅行代理店が旅行商品を企画・開発するためのツアー造成費がついている。補助金にも疑問を持ちました。今は補助金がついているから人手も確保できて回っているけれど、補助金がなくなれば継続できなくなる事業ばかり。一方で、今必要なSNS対策などには全然予算がついていないんです。
私はそれまで旅行といえば海外中心だったのですが、コロナ禍に国内を旅し、観光庁の仕事でもいろいろな地方に出かけるうちに、日本がとんでもなく美しくて、おいしくて、人は優しいという素晴らしさに改めて気づいたんですね。観光産業は日本の基幹産業のど真ん中になると確信しました。同じ場所でも3カ月後には違う景色が見られて、47都道府県で違うものが食べられる。観光産業がもっと収入に結びつくようにしたいと思うようになりました。
とはいえ、地方は時が止まった分野も多く、マーケティングやPRの仕事をしてきた私から見ると、観光業にはびっくりするぐらいマーケティングという考え方がない。有名な寺社仏閣でもウェブサイトがない。あってもスマホ対応していなかったり、情報が過去のものだったり。国宝レベルでも、です。これでは旅行客はどうやって事前に情報を得ればいいのかと。
観光産業は日本の基幹産業のど真ん中になると確信した
観光客がいよいよ地方へ それでも地方創生=工場誘致
浜田: 観光業界にマーケティングの発想がなさ過ぎるというのが、この本からいちばん伝わってきたことでした。なぜ他業界では常識のようなことを、観光業ではやっていないんですか。
永谷: いちばん大きな問題は自治体の担当者が2年おきに異動で変わってしまうこと。それも突然、水道部局や土木部局などまったく違う部署の人が来る。ある程度継続的に経験知がないと、日々アップデートされるGoogleなどのプラットフォーム側の変化にも対応できない。興味のある人は勉強してSNSも運用するんですが、次の担当者が興味がないとやめてしまう。自治体の担当者ができないのであれば外部に委託してでも、最低限SNSとGoogle検索に対応する、そこで検索される観光サイトのデータを厚くするぐらいのことをすべきなんですが……。
浜田: 中央官庁や自治体の担当者が2、3年おきに異動で変わり、政策の継続性がないことは観光政策に限らずどんな事業でも起きていることですね。ほかに政策面で問題だと感じることは?
永谷: 自治体の観光政策が観光庁の方針に振り回されてしまうことですね。最近、観光庁はこれからは富裕層観光だ、狙うのは欧・米・豪だと掲げています。可処分所得が高く、日本の滞在期間も長い人たちを呼び込もうとするのは道理ですが、欧米豪の人たちは7、8割が初めての日本観光で、圧倒的にリピートしてくれるのは、中国、韓国、台湾など東アジアの人たち。中国からは600万人、韓国からは900万人が来ていて、ドイツやイギリスからは40万人ほどです。どちらを向いてマーケティングするんですかという話なんです。
浜田: なぜデータを重視しないんですか。
永谷: データも見ているんですが、そのデータの使い方が間違っているんです。たとえば日本への観光客のうち1%が、全体消費の14%を占めているというデータがあります。この1%の人はフライト代とは別に日本滞在中に100万円使う人ですが、2週間以上滞在する欧米の人に対して、アジアの人たちは4、5日滞在が主流。総額は少なくても1日の消費額はアジアの人たちのほうが高い。なぜ、1日当たりの消費額で比較した数値は表沙汰にならなかったのか? という話です。
一方、富裕層に舵を切るといいながら、予算はこれまでの積み上げで、旅行会社向けの海外での物産展や旅行博への出展に付く。富裕層は個人旅行が主流なのに。政策と予算の付け方もチグハグなことが多い。
2024年に2500万人だったインバウンド客は2025年に一気に3700万人にまでなりました。しかし百貨店の売り上げは3〜5割減っているんです。観光客はまだ都市部が中心ですが、買い物はもう一巡しました。今は「東北の温泉にきています」「古民家に泊まりました」などと、写真を撮ってSNSにアップすることが旅行者の大きなモチベーション。これだけ1年で増えている観光客がいよいよ地方に行くというタイミングなんです。それでも地方では、今も地方創生として産業や工場誘致などが観光よりはるかに大きな予算がかけられています。そこに何十億円もかけるなら、なぜ観光サイトを整備しないのか、なぜインスタの数百万の運用費用が存在しないのかと思うんです。
旅行者が好む「時消費」、一次産業との相性がいい
浜田: 地方自治体は地方創生の目玉として、もっと観光業に注力しているものと思っていました。
永谷: 観光業は一次産業との組み合わせもいいんです。今、気候変動の影響で農家は収量も安定せず大変です。でもたとえば1500円で紙パックと練乳を渡すイチゴ狩りツアーをやっている農家が、さらにプラスチックのカップとホイップクリームもセットで売れば、「イチゴ狩りに行きました」という投稿が「子どもと一緒にパフェを作りました」に変わり、5000円で売れるようになります。単価が上がるだけでなく、子どもとの会話が生まれ、エンゲージメントや熱量が変わる。そうすれば旅行者自身がプロモーションしてくれます。今旅行者は「時消費」といって、その時にしか食べられないもの、その時にしか見られないものを目指して観光しているので、一次産業者と相性がいいんです。
農家自身が高付加価値な観光体験の担い手になれば収入が上がるだけでなく、マーケティングもできるようになる。すると知恵と豊かさが生まれるんです。今、特に米農家などは一生懸命働いても「時給10円」といわれ、後継者もいなくて辞めていく。でも、観光に少しでも携われると楽しいし、「また来ますね」っていわれたら、もう1年頑張ろうかなという気持ちにもなりますよね。
浜田: そうやって親世代が楽しそうにやっていると、「後を継ぎたい」と地元に戻ってくる子ども世代も増えそうですね。
永谷: 地域を良くするには継続性を重視する人が必要です。継続性というのは、やっぱり愛と力が必要というか。じゃあ誰が愛を持ってるのっていったら絶対に地域の人なんですね。今地域の3代目、4代目でいいビジネスをしている人にはマーケが詰まってるんです。親父のやり方だと売れないから、といろいろ挑戦している人たちがいる。日本酒はこのままだと売れないからパッケージを変えよう、麹を使って化粧水を作ろうとか。彼らは自分たちで考えてお金を借りて、ツテを頼って流通を開拓する。そこまで1人でやり切れる人は東京にはあまりいません。地方にはびっくりするほどスペシャルな人がいる。そういう人たちがもっと地方の観光を担うべきだと思うんです。

全国各地の観光産業の開発・プロデュースに関わる。地域創生・ブランディングに取り組む富士吉田市市長・堀内茂氏らと(写真右上)。万博では閉幕日のフラッグパレードを制作統括(写真左)。伝統芸能、石見神楽の有料鑑賞席を造成(写真右下)。
歴史や文化を理解する観光客を選ぶ時が来た
浜田: 担い手問題でいうと、今人手不足が深刻な宿泊業や交通事業には解決策がありますか。
永谷: 実は今、ホテルを作りたいと、投資案件も多くあるのですが、サービスの人手がなく計画どおりに進んでいないのが現状です。新しいホテルを作っても人が雇えない。先日、金沢で提案したのは、ホテルインホテルです。ビジネスホテルの10階以上の部屋をぶち抜いて30平方メートル以上の部屋にしてモダンラグジュアリー層といわれる人たちにターゲットを変える。高単価のお客さんは18平方メートル以下には泊まらないので、ビジネスホテルしかないと日帰りになってしまう。広い部屋を増やすだけなら同じオペレーションで回る。むしろこれから消費額の安いお客さんを増やすのはオーバーツーリズムにもつながるので、1人当たりの単価を増やすべきです。
浜田: 先の参院選では突然外国人に対する規制が争点となりました。背景の一端にはオーバーツーリズムがあり、地域住民が日常的に不便を感じたり、家賃が上がったりなどの問題が現実に起きている。これにはどういう対応が考えられますか。
永谷: オーバーツーリズムにはいろいろな対策があるのですが、まずは時間の拡散です。施設であれば、時間ごとの予約制にする。まだそれすらやっていないところが多いです。
さらにいえば、そろそろ観光客を選んでいく時期だと思います。先日も私は九州のある地域で宿泊税を提案しましたが、入湯税の50円に加え宿泊税で200円取ったらお客さんが来なくなると心配しているんです。だから私、「200円払いたくないというお客さんいりますか?」と聞きました。むしろお金を取って、地域の観光事業者に還元していくことを考えたほうがいい。
やっぱり、その地域の歴史や文化をちゃんと理解してくれる人に来てもらいたい。それを守ってきた人たちにリスペクトがある人たちじゃないと来なくていいですって、もっと明確にいっていくべきです。ゴミの捨て方なども含めて説明して、私たちはルールを守る人だけを受け入れますという宣言を観光客の動線に大きく提示することも有効だと思います。
浜田: 私自身は今後も外国人の労働者に頼る状況は続くし、観光業が日本の残された成長産業であるということも理解しています。ただ、このままオーバーツーリズムに有効な対策が打てなければ、間違った排外主義が広がることも懸念しています。
永谷: 私はよく数字を出して説明しています。インバウンドに対する苦情が出ているのは、富士山の一部や京都なんですね。インバウンドの7割は東京、京都、大阪、名古屋の周辺、あとは北海道や沖縄。実は、35県で13%の観光客を奪い合っている状況です。インバウンドの恩恵を受けていない地域ばかりです。地方の経済は本当に苦しいので、むしろキチンとインバウンド誘致をしなくてはいけない状況です。これまで旅行博に出展するだけで、事実上何もしてこなかったので。
観光はInstagramの活用がベースです。でも日本の1700自治体のうちインスタを開設しているのは半分ほど。そのうち1万人以上のフォロワーがいるのはたった7%。まだまだやるべきことはたくさんあります。今地域がやっと「本気でインバウンドを始めます」と言い始めた状態といっても過言ではない。目指すべき観光の未来を左右するのは、地域の何をどう伝え、どう売るかなのです。
地方には1人でやり切れるスペシャルな人たちがいる
Photo=MIKIKO

Profile
1995年 大学卒業後、リクルートに入社
2005年 東京ガールズコレクションを立ち上げ、プロデュース
2011年 吉本興業で海外事業、総合エンターテインメントのプロデュースを手がける
2016年 独立。株式会社an設立
2018年 立教大学経営学部客員教授に就任
2019年 一般社団法人ナイトタイムエコノミー推進協議会の理事に着任。以後、観光庁や文化庁のアドバイザーを務め、富山県、富士吉田市など8自治体の地域創生事業に長期的に関わっている
プロフィール
浜田敬子氏
Hamada Keiko
1989年朝日新聞社に入社。2014年からAERA編集長。2017年に退社し、BusinessInsiderの日本版を統括編集長として立ち上げる。2020年よりフリーランスのジャーナリスト。2022年8月から2025年10月まで『Works』編集長。著書に『男性中心企業の終焉』(文春新書)など。
1989年朝日新聞社に入社。2014年からAERA編集長。2017年に退社し、BusinessInsiderの日本版を統括編集長として立ち上げる。2020年よりフリーランスのジャーナリスト。2022年8月から2025年10月まで『Works』編集長。著書に『男性中心企業の終焉』(文春新書)など。
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