人事のアカデミア
【日常美学】暮らしのなかの感性の働きを日常美学から見つめ直す
美学と聞いて、ハードルの高さを感じる人も少なくないだろう。しかし本来、美学とは、感性の働き全般を扱う学問だ。一部の芸術作品だけでなく、日々の暮らしにも感性は働いている。
その積み重ねが世界を変えることもあるという。「日常美学」という新たな視点を、美学研究者の青田麻未氏に聞く。
「芸術の哲学」から環境や日常へと対象が拡大
梅崎:美学と聞くと、芸術を扱うものというイメージを持つ人も少なくないと思います。そもそも美学とはどのような学問なのでしょうか。
青田:美学は18世紀半ば、ドイツの哲学者バウムガルテンが提唱した哲学の1分野です。当時の哲学では、論理や知性によって把握できることこそが真理と考えられていました。美しいと感じる心の動きは確かに存在しますが、なぜ美しいのかを明確な言葉で説明することは容易ではありません。そのため、美は哲学の中心的なテーマとして扱われてきませんでした。
バウムガルテンは、美はそれ自体で完全なものであると考え、これを正面から扱う学問として美学を提唱しました。当時は西洋で芸術文化が大きく発展し、芸術という枠組みが確立した時代でもあったため、美学は主に絵画や音楽、文学などを対象とする芸術の哲学として理解されるようになります。
ただし、美学を表す「エステティックス(aesthetics)」という言葉は「感性」を意味する語に由来します。つまり、美学とは本来、芸術だけではなく、人間の感性の働き全般を探究する学問なのです。
梅崎:そこから、日常美学という分野が生まれてきたのですね。
青田:近代美学では芸術・美・感性を中心とした体系が築かれましたが、現代に入ると、自然環境への関心の高まりやライフスタイルの多様化など、社会が大きく変化します。それに伴い、美学の対象も広がっていきました。その流れのなかで生まれたのが日常美学です。1990年代頃から研究が進み、2000年代以降、1つの研究分野として定着してきました。日常美学では、私たちを取り巻く自然環境や日常生活における感性の働きにも目を向けます。
この分野の発展に大きく貢献したのが、日本出身の美学者ユリコ・サイトウです。サイトウは、近代美学が前提としてきた西洋中心の芸術観に疑問を投げかけ、茶道や生け花のように生活と深く結び付いた文化の存在にも言及しつつ、日常生活全般を美学的に捉えるべきだと主張しました。美学が本来、感性を研究する学問だと考えれば、芸術だけを対象とするのではなく、生活や環境、人と物との関わりまで含めて考えることは、ごく自然な展開だといえます。
梅崎:ユリコ・サイトウは「世界制作」という概念を重視しています。これはどのような意味でしょうか。
青田:世界制作は、私たち一人ひとりが世界を形づくっているという考え方です。一見すると、世界を変えるのは政治や経済、大企業のような大きな存在だと思われがちです。しかしサイトウは、私たちが日々何気なく行っている感性的な判断の積み重ねが、社会や世界のあり方を少しずつ形づくっていくと考えています。
たとえば、少し前まで形の悪い野菜や果物は、見た目が悪いという理由で市場に流通せず、多くが廃棄されてきました。しかし近年では、不揃いな形そのものに魅力を感じたり、食品ロスの削減につながる選択として積極的に購入したりする人が増えています。
こうした消費者の感性に基づく価値観の変化は、生産や流通のあり方にも影響を与えます。一人ひとりの選択は小さくても、それが積み重なることで、環境問題への向き合い方や社会の仕組みを変えていく可能性があるのです。
特別な天才でなくても感性は磨いていくことができる
梅崎:茶道のような日本文化は芸術といえるかもしれませんが、では朝の1杯のコーヒーはどうなのか。日常のあらゆる行為も、美学の対象になるのでしょうか。
青田:日常美学の対象かどうかは、モノではなく行為を基点に考えます。お茶かコーヒーかの区別ではなく、私たちがどのような態度でその対象と向き合うかを重視するのです。
朝のコーヒーを淹れるにしても、今は多くの上質な豆があり、ロースターなどの優れた器具も手軽に購入できます。誰かのモーニングルーティーンの動画を見て「やってみたい」と触発される人も多いでしょう。このように芸術とは呼べないものの、かといって感性を働かせずにいるわけでもない、という領域が大きく広がっているのです。
梅崎:とはいえ、美や芸術とはゴッホやモーツァルトのような偉大な天才がつくるもの、というイメージは根強い気がします。
青田:確かにそうですね。芸術家は一種の天才であり、常人には捉えがたい特別な領域を媒介してくれる存在だと考えがちです。「感性を磨きたい」というときも、多くの人は「世間で美しいと評価されているものを理解できるようになりたい」と、外部の規範に自分を合わせることを意識しているように思います。だからこそ、難解な抽象絵画を前にして「よさがわからないのは自分の感性が鈍いからだ」と自分を責めてしまったりする。
しかし、ガーデニングや料理のように、単に受け取るだけでなく自ら行う行為も数多く存在します。家庭で料理をすることにも一種の創造性は発揮されており、そこには名画を見たときほどの衝撃はないかもしれませんが、こまやかな感性的判断は確実に行われているはずです。
梅崎:感性やセンスといわれるものは、磨いていくことができるのでしょうか。
青田:美学においては古くからセンスは「趣味(taste)」として議論されてきました。センスは規則によって説明できるものでも、知識を積み重ねれば身に付くものでもありません。
しかし、だからといって教育できないわけでもないのです。たとえば、美術作品を見たとき、最初はよくわからないと感じても、その作品が美術史のなかでどのような意味を持つのか、批評家がどのように評価しているかを知ることで、少しずつ見え方が変わってきます。最初は知識として理解していたことが、経験を重ねるうちに自身の感覚へと落とし込まれていくことは十分にあり得ます。
私自身、生け花を10年以上続けており、今では自分が学んでいる小原流のよい作品がわかるようになりました。ただし、それは生け花に対する普遍的なセンスを身に付けたということにはなりません。さまざまな流派が集まる展覧会で「いい作品だな」と思うと、それが小原流であることがよくあります。つまり、私は小原流の価値観や美意識を身に付けた結果、その美しさを自然に感じるようになっているのです。もちろん草月流には草月流の、別の流派にはまた別の美しさがあります。
梅崎:オールマイティーではなく、特定分野のセンスが研ぎ澄まされるということですね。
青田:それは決して悪いことではないと私は思います。1つのことを突き詰めるとはそういうことですし、私の場合、生け花を深く学んだことで、絵画を見る際の構図の捉え方が劇的に変わりました。ある分野で培ったセンスが別の分野に応用されることもありますし、それぞれ独自の観点を持つ人々がたくさんいたほうが、世界はより豊かになるのではないでしょうか。
梅崎:実際に自分自身で制作してみることで、対象の見え方が変わることもありますよね。
青田:実際に絵を描いていた人と美術館へ行って、その視点に驚かされたことがあります。その人は、作品を全体的に眺めるような見方はせず、描き手の視点からキャンバス上の筆跡や制作のプロセスを追体験するように、特定の作品の前でピタッと立ち止まって見入るのです。
梅崎:自分で絵を描くのは少しハードルが高いかもしれませんが、私たちが日常生活のなかで実践できることはありますか。
青田:たとえば素敵な家具を取り入れるにも、インテリア雑誌やモデルルームの実例をそのまま真似するだけでは、自分自身の暮らしを主体的につくったことにはなりません。実際の暮らしは、部屋の広さや家族構成、生活動線などによって、理想通りにはいかないことがたくさんあります。そのとき、「自分の生活にはどう取り入れれば心地よいだろう」と試行錯誤することにこそ、感性が働いています。
私自身も北欧風のインテリアが好きですが、小さな子どもがいる家庭では、雑誌のような暮らしをそのまま再現することはできません。それでも工夫を凝らしながら、自分にとって心地よい空間をつくっていく。その積み重ねが、自分自身の基準を育てていくのだと思います。
単調に見える日常のなかで自分の内なる感覚を大切にする
[図]一人ひとりの選択が世界をつくる
![[図]一人ひとりの選択が世界をつくる](/works/series/item/no197_academial_choice.webp)
出典:編集部作成
梅崎:ご著書では、「親しみ」という感覚についても論じられています。
青田:従来の美学では、美とは心を強く揺さぶる特別な体験として考えられてきました。しかし日常生活には、それとは異なる感性の働きがあります。通い慣れた道を歩いていると、特別に美しいとは思わなくても、どこか安心したり落ち着いたりする。お気に入りの喫茶店や商店を見つけることで、引っ越したばかりの街が、自分にとって居心地のよい場所へと変わっていく。最初は何もかも目新しい「新奇さ」を感じていても、自分なりの意味を見出していくと、「親しみ」の対象へと変化していくのです。
梅崎:親しみとは、環境に慣れきって麻痺してしまうことではなく、日常の再発見という側面を持っていますよね。親しんだ道でも、休日に散歩してみると、新たな発見があったりする。私たちは、親しみと新奇さのあいだを常に往還しているように感じます。
青田:私は、日常生活が単調な繰り返しではないと考えています。私自身も毎日、子どもを幼稚園へ送り、大学で仕事をし、帰宅後に夕食をつくるという生活を送っています。日々、同じことの繰り返しのように見えて、そのなかでは常に小さな調整が行われています。
今日は外部の人とお会いするので少しフォーマルな服装にしよう、でも帰りは自転車で子どもを迎えに行くから歩きやすい靴にしよう、雨が降ってきたから送迎の方法を変えよう、最近は外食が続いたので夕食は野菜を多めにしよう、といった具合です。こうした判断は、単に効率を考えているだけではありません。「自分はこう暮らしたい」という美意識や価値観と、日々変化する状況とのあいだで折り合いをつけながら生活を組み立てているのです。
つまりルーティーンとは、同じことを機械的に繰り返すのではなく、変化する現実と向き合いながら、自分らしい暮らしをその都度つくり直していく創造的な営みなのです。毎日の小さな工夫や試行錯誤を積み重ねることが、自分なりのスタイルを育み、日常そのものを豊かにしていくのだと思います。
梅崎:日常のなかで、もっと自分の感性の働きに注意を向けてみることが大切ですね。
青田:私たちは既に感性的な判断によって世界を制作していますが、その担い手であるという自覚を持てず、企業などがつくった規範をそのまま内面化してしまっています。「何か違う」という言葉にならない違和感を抱く人も多い気がします。日常美学は、自分の感性を捉え、語るための語彙やフレームワークを提供する学問です。もっと自分自身を観察し、内なる感覚を大切にしていくことが、現代社会において自分自身を見失うことなく「よく生きる」ことへの第一歩になるのではないでしょうか。
Text=瀬戸友子 Photo=刑部友康

Aota Mami
上智大学 文学部 哲学科 助教
2017年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員PD(成城大学)、群馬県立女子大学文学部専任講師を経て、2025年4月より現職。専門は英米系の環境美学・日常美学。
人事にすすめたい本
『「ふつうの暮らし」を美学する』
青田麻未/光文社新書
椅子、掃除と片付け、料理、地元、ルーティーンなど「ふつうの暮らし」に着目し、日常美学の視点から私たちの感性を捉え直す。
梅崎修氏
法政大学キャリアデザイン学部教授
Umezaki Osamu 大阪大学大学院博士後期課程修了(経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。
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