人事のアカデミア
【都市開発】「迂回する経済」を通じて都市の利益と公益を両立する
都市づくりの主体が行政から民間に移り、都市開発に経済合理性が求められるなか、どのようにして社会の課題を解決し、人々の豊かな生活を実現していけばいいのか。都市計画を研究する吉江俊氏は、「迂回する経済」という考え方を掲げ都市のパブリックライフを耕すことが持続的な利益につながると提唱する。これからの都市開発のあり方を吉江氏とともに考える。
民間企業が主導する「第二の都市化」の時代に
梅崎:都市化が進展するなか、日本でも都市をめぐるさまざまな課題が顕在化しています。吉江先生は、都市開発の歴史的な変遷を振り返り、「第一の都市化」と「第二の都市化」という形で区分されています。
吉江:「第一の都市化」とは、都市計画に基づく都市化を指します。「都市計画」という言葉は、専門的な領域ではかなり狭い意味で使われます。日本では1919年に旧都市計画法が、1968年に新都市計画法が定められました。こうした根拠となる法律に則って、行政が税金を使って行う事業が都市計画です。仮に個人が土地を買い占めて何かを作っても、それは都市計画とは呼ばれません。
都市化の最初のフェーズである1950〜1980年代ごろまでは、国が主導して機能性や効率性を重視した都市計画が進められ、団地や標準住宅に代表される画一的な国土整備が行われてきました。背景には、第二次世界大戦で破壊された都市を、急いで作り直す必要があったという事情があります。1950年代は民間も疲弊していましたから、国や各自治体が指揮を執り、トップダウンで進めることになりました。そこでは、いかに速く大量に必要な機能を供給するかが重視され、効率や合理性が優先されました。
その最中の1960年代には、公害や環境破壊など、さまざまな問題が生じてきました。そのなかで「行政主導の都市計画は地域の実態を十分に踏まえていない」として、生活者主体の住民運動としてスタートしたのが「まちづくり」です。このように、行政のトップダウンによる都市計画と、住民のボトムアップによるまちづくりは、もともと対立する概念でした。しかし住民の反対運動を鎮めるために、2000年ごろから行政も「まちづくり」という言葉を使い始め、最近では区別が曖昧になっています。
梅崎:それに対して、「第二の都市化」とはなんでしょうか。
吉江:1990年代ごろから国が方針転換し、民間の力を活用するようになりました。私は、国による「都市計画」、住民による「まちづくり」と区別して、民間企業による取り組みを「都市開発」と呼んでいます。
「第二の都市化」とは、この民間企業が進める都市開発を指しています。これは利益を追求する商業開発ですから、競争相手との差異を作ることがポイントになります。たとえばマンションにコンビニを併設したり、銭湯や図書館、キッズスペースを作ったり、最近では金箔で覆われた茶室やゲスト用の部屋を設けたりする例も見られます。機能の提供にとどまらず付加価値をつけることで、住宅が住宅以上のものになってくる。量から質へ、さらにはイメージのデザインへと開発の焦点が移っていきました。
さらに最近、この15年ほどは、人々のパブリックライフに目が向けられるようになりました。しかしパブリックライフを豊かにするには、単に空間を作るだけでは不十分です。
1990年代に公開空地という制度ができました。従来、公園などは行政が整備していましたが、民間企業が都市開発を行うにあたって、行政が容積率を緩和するかわりに、民間企業に都市のためのオープンスペースを作ってもらうといった取引が行われるようになります。2000年代には、広場に風船を持った人が描かれているようなプロポーザルをよく見かけたものです。しかし、そこで人が何をしているかのイメージは乏しく、「広場を作れば人が集まって盛り上がるだろう」という漠然とした発想にとどまっていました。
梅崎:企業のオフィスづくりでも、「オープンスペースを作れば交流が深まるだろう」と期待したものの、実際には誰も集まってこないという話をよく聞きます。場所づくりは非常に難しい課題です。
吉江:まさにその通りで、地理学では「空間」と「場所」を異なる概念として扱っています。新しい街に引っ越したとき、最初は駅と家の往復ばかりで、街への思い入れは薄いかもしれません。このとき街は空間として認識されています。しかし、徐々に行きつけの店ができ、犬の散歩コースができ、知り合いが増えていきます。すると、そこでの活動の記憶が蓄積され、空間に対する愛着が湧いてきます。
単に空間を与えられても、それは場所ではありません。場所づくりとは、人とその空間の結びつきを作ることです。そこで昼寝したり、本を読んだり、ご飯を食べたりという活動が積み重なって、初めて場所が作られるのです。言い換えれば、場所は人間の行為そのものだと考えることができます。
梅崎:そこで吉江先生は、「迂回する経済」を提唱されています。最短距離で利益を追求する「直進する経済」に対して、人々のパブリックライフを豊かにすることが、都市開発を持続的に成功に導くという考え方です。
出典:『〈迂回する経済〉の都市論』
パブリックライフに着目する「迂回する経済」
吉江:たとえば、短期的な経済合理性を考えると、建物の床面積を最大化してテナントを詰め込むことが得策かもしれません。しかし、あえて十分なパブリックスペースを設けるなど、街全体のパブリックライフを耕すことに目を向けてみる。それが、利用者のリピートの増加や地域のイメージ向上につながり、最終的に利益として還元されるというものです。
梅崎:「迂回する経済」の要素として、「即自性」「再帰性」「共立性」という3つのキーワードを挙げています。
吉江:「なぜ勉強しているのか」と問われて、「よい大学に入るため」「就職に有利だから」など、今やっていることを未来の役に立つかどうかで判断するのは、道具的な考え方です。これに対して即自性は「楽しいから」、つまり現在を現在によって肯定する考え方です。基本的に都市計画は道具的なものですが、人々は打算だけで動いているわけではありません。お祭りをやっている人に「なんの役に立つのか」、芝生に座っている人に「なんのために座っているのか」と聞いても明確な答えは返ってこないでしょう。パブリックライフは即自的なものであり、これをいかに都市計画に組み込むかが重要になります。
だからといって即自性が単に「自分が楽しければいい」という自足的なものに閉じてしまうのは望ましくありません。そこで外のものに対して寛容になり、出会いを通じて自分自身が変化することを促すのが、再帰性です。
また、規模が大きくなりすぎると、一人ひとりの責任感が希薄になります。自分がその一員として責任の一端を担っていると感じることが重要です。大きなシステムに頼らなくても、中規模の集団で共助の関係を作っていこうというのが共立性の考え方です。
梅崎:私の専門のキャリア論でも、同じことがいえます。道具的に考えると、未来の全選択肢を考慮し、そこから逆算して最適解を導いていく形になります。しかし現実の人生はそうはいきません。既に選んだものを過去に戻って選び直すことはできないし、未来の全選択肢といっても、現時点で考え得る範囲のものでしかありません。
吉江:よく言われるように、計画には、現在を起点に考えるフォアキャスティングと、未来から逆算して考えるバックキャスティングという考え方があります。その両方が必要だというのが定説ですが、いずれも断面的な話です。1つの計画を実行するのに都市計画の場合は10年や15年はかかり、その間にも都市の状況はどんどん変化していくので、今こういう結論が出たとしても、それが本当に正しいか誰にもわからない。あくまでも、現時点で最もよいと思えた結論にすぎません。現実的には、そのときどきの選択をきちんと記録していき、記録から先人たちの判断を読みつつ、次はどうするかを考えることを積み重ねていくしかないと思います。
話し合いを重ね変化を受け入れる

梅崎:未来のデザインはそれだけ難しい。いかに長期的なスパンで考えようとしても、人の一生はせいぜい100年程度で、都市の歴史からするとあまりにも短すぎます。
吉江:都市は動いているので、昔ながらの硬派な都市計画のように固定して考えるのではなく、変化を受け入れる必要があります。
たとえば東京の下北沢では、当初、小田急電鉄が路線地下化の跡地にハコを作ってテナントを誘致する施設開発を計画しましたが、街の魅力が失われると住民から反対を受けました。一度計画をキャンセルした後、2017年からまちづくり型のアプローチに転換し、新しい担当者が住民と対話を重ねていきました。
象徴的な取り組みが、「下北線路街 空き地」です。工事の準備スペースを開放すると、そこで住民がラジオ体操をしたり、映画上映をしたり、住民主体の活動が生まれました。コロナ禍に入ってもこの空き地は開放され続け、キッチンカーが集まる聖地のようになりました。するとイベント開催などの要望がさらに出てきて、事業に関しては場所代を取り、住民の活動には無料で開放するなどの線引きがされるようになりました。2017年以降、何年も住民との交流を積み重ねていくうちに、空き地の意味や使われ方が変化していく。こうした相互の関係性のなかで変わっていくことが、都市の健全なあり方だと思います。
梅崎:合意を得るためのプロセスが重要になりますね。話し合うことが大切ですが、往々にして「それに予算はつけられない」などとなりがちです。都市開発のプランナーには、戦略的なアプローチが求められます。
吉江:だからこそ「迂回する経済」なのです。即自性が重要だといっても、道具性を否定しているわけではなく、道具性にばかり偏りすぎるのは問題だと考えているのです。本来は何事もその両方を備えており、どちらか1つを選ぶことはできないと思います。
一昔前まで、都市計画を学んだ学生は、中央官庁や自治体に就職したものでした。しかし今は多くが民間に就職します。都市を作る主体が民間企業に移っている以上、利益につながる道を示して、企業の意思決定を促す必要があると考えました。
梅崎:ご著書でも、「二項対立を止揚するサード・オーダー」の計画だと書かれています。利益の追求かパブリックライフの豊かさかではなく、現実に即して両者を統合する道を探るアプローチといえますね。
吉江:言ってみれば「迂回する経済」とは「情けは人のためならず」、めぐりめぐって自分に還ってくるという考え方です。実は昔から大地主の旦那衆がやっていたことですが、迂回する経済というロジックを通じて、もっと小さな主体、もっと多くの人を巻き込んで、実践していくことができればと考えています。
※「迂」は正しくは一点しんにょう
Text= 瀬戸友子 Photo=刑部友康

吉江 俊氏
Yoshie Shun
東京大学大学院工学系研究科講師
2015年早稲田大学大学院創造理工学研究科修了。2017年より日本学術振興会特別研究員。2019年、早稲田大学にて博士(工学)取得後、同大学建築学科講師。2024年、同大学リサーチイノベーションセンター研究院講師。2025年より現職。
人事にすすめたい本
『〈迂回する経済〉の都市論』
吉江 俊/学芸出版社
都市開発における利益追求と社会的便益は両立するか。パブリックライフを耕すことが最終的に利益をもたらす「迂回する経済」を提案。
梅崎修氏
法政大学キャリアデザイン学部教授
Umezaki Osamu 大阪大学大学院博士後期課程修了(経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。
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