人事のアカデミア

【ジブリの戦後】スタジオジブリが映し出す戦後日本の社会を考える

2025年12月12日

1985年の設立以来、宮﨑駿、高畑勲を中心として長編アニメ映画を製作してきたスタジオジブリ(以下、ジブリ)。常にその時代の社会を映し出すテーマを提示し、数々の名作を生み出してきた。批評家の渡邉大輔氏は、「この国民的スタジオは、戦後日本における『大きな物語の完成と解体』を体現している」と指摘する。「戦後」という視点から、ジブリという運動体を見つめ直す。

モダンとポストモダンの狭間で誕生したジブリ

梅崎: ご著書『ジブリの戦後』では、宮﨑駿や高畑勲といった個人ではなく、集団としてのジブリ、つまり組織の変遷に焦点を絞っています。まず、その狙いをお聞かせください。 
 
渡邉: 映画やアニメの評論では、監督に注目することが多くあります。小説家と同じような「作家」として監督を論じる傾向が長く続いています。しかし、これは実態に即していません。演劇や映画、アニメは本来、各分野の専門家が関わる集団の創作物です。最近の映画・アニメ研究の一部では、作家主義のアプローチから、スタジオ研究へとアップデートしています。 
 
ジブリに関しても、タイトルに「スタジオジブリ」とあっても、実際は宮﨑駿のみを扱う論考が多く見られました。そこで宮﨑以外のキーパーソンを含めた運動体、文化現象としてのジブリの全体像を俯瞰し、40年の歴史を解き明かしたいと考えました。 
 
梅崎: もう1つの特徴は、「戦後」という軸でジブリを読み解こうとしている点です。 
 
渡邉: 当初ジブリをテーマに構想していた際、編集者から「大きな一貫したコンセプトが欲しい」と言われ、思いついたのが「戦後」というキーワードでした。ジブリは1985年設立、2025年で40周年を迎えます。奇しくも戦後80年という節目のちょうど中間点にあたる。ジブリを通じて、戦後日本の歩みを俯瞰できるのではないかと考えました。 
 
梅崎: 時代背景としては、モダンからポストモダンへの移行期にジブリが生まれています。モダンの時代には「近代化すれば社会がよくなる」といった「大きな物語」が信じられていました。しかし1980年代にはそれが解体し、「小さな物語」が分立するポストモダンの時代に入ります。 
 
渡邉: 宮﨑駿や高畑勲が青年期を過ごしたのは、大きな物語が完成に向かい、何らかのイデオロギーを信じるという近代的な社会でした。しかし、彼らが本格的に仕事をしていく時代にそれがどんどん変わっていくわけです。彼らが理想として描いた作品のメッセージと、それが社会で受容されるプロセスがすれ違ったり、ねじれていったりする。そこにこそ、40年にわたるジブリの歩みの興味深さがあります。 

 宮﨑駿のアニミズムのポストヒューマン的解釈出典:『ジブリの戦後』より 

ファンタジー作家の宮﨑駿、リアリストの高畑勲

梅崎: 彼らが信じていた大きな物語はどういうものか。宮﨑駿と高畑勲が左翼思想から影響を受けたことは、一般にはあまり知られていないかもしれません。 
 
渡邉: きっかけは、大学卒業後に入社した東映動画(現・東映アニメーション)にあります。東映動画は親会社の東映と同様に労働組合運動が盛んで、当時20代の彼らも大きな影響を受けました。高畑勲が東映動画時代に監督デビューした『太陽の王子 ホルスの大冒険』では、互いに助け合いながら暮らす労働者のコミュニティが描かれています。ここに彼らの社会主義的なイデオロギーが明確に表れており、それは同時に共同でアニメを製作していた当時の彼ら自身の姿でもありました。この視点からジブリアニメを見ると、キャラクターがみんなよく働いているのが特徴です。『となりのトトロ』のサツキも『魔女の宅急便』のキキも、特に女性が生き生きと働く姿が描かれています。 
 
梅崎: たしかジブリはいち早くアニメーターを正社員化しましたね。 
 
渡邉: 宮﨑駿がたくさんパンを買ってきてスタッフ全員に配ったり、一人ひとりにあだ名をつけて呼び合ったりする様子をドキュメンタリーで見たことがあります。一見すると非常に昭和的で、令和の感覚では違和感を覚える人もいるかもしれませんが、「仲間として一緒に頑張る労働者たちの共同体」という理想化された職場観が表れていると思います。 
 
梅崎: しかし宮﨑駿はマルクス主義の限界を感じるようになり、アニミズムへと思想を転回していきます。 
 
渡邉: アニミズムとは世界の森羅万象に魂が宿っているという民俗学的な概念で、「アニメーション」という言葉の語源とも関わりを持っています。宮﨑駿の根底には、人間中心主義への批判があります。荒々しく凶暴な自然が、人間も含めたすべての世界をコントロールしているという考え方が、おそらく幼い頃から彼の思想の中核にあるのでしょう。 
 
これは高畑勲と比較してみるとわかります。どちらかというと高畑勲は、人間が切り開いた自然としての里山をよく扱ってきました。『おもひでぽろぽろ』も『平成狸合戦ぽんぽこ』もそうです。一方、宮﨑駿の場合は『風の谷のナウシカ』から『崖の上のポニョ』まで、自然はそもそも人間が統御できるものではないという考えが通底しています。 
 
高畑勲が合理的、里山的なのに対し、宮﨑駿はよりポストヒューマン的で、凶暴で荒々しく破滅をもたらすような自然のイメージが強い。この宮﨑駿の凶暴なアニミズムは、現在の気候変動や温暖化で危機にさらされている現代世界の動向を考えるとき、非常に現実感を持って見直すことができるのではないでしょうか。 
 
梅崎: 一方の高畑勲は、宮﨑駿より5歳年上で東大仏文卒というインテリです。先生は、宮﨑駿はファンタジー作家、高畑勲はリアリストの作家であると述べています。 
 
渡邉: 高畑勲は近代主義的なモダニストであり、物事を客観的に捉えるリアリストでした。これは近代という時代や、日本の戦後民主主義というイデオロギーが大きく影響しています。日本がファシズムの時代から戦後という時代に移行したときに、国民一人ひとりが主体を確立しなければならないという命題に突き当たりました。そうした文化状況のなか、1950年代は、ルポルタージュやドキュメンタリーが脚光を浴びた記録の時代でした。現実を科学的な目で記録して客観的に捉え、そこに主体的に参加していくことが求められたのです。 
 
高畑勲は当時20代で、同時代的な記録やリアリズムという思想に大きな影響を受けて作家として自立していきました。後に彼が作った『火垂るの墓』や『おもひでぽろぽろ』は、現実を直視し、主体的に作り変えていく展開になっています。 
 
梅崎: 高畑勲がファンタジーを批判したのは、奇跡で問題を解決してもらう受け身を否定し、いわば近代的な主体を育てることを重視しているからですね。 
 
渡邉: よく質問されるのは、高畑勲がリアリストであるなら、なぜ実写映画ではなくアニメーションに携わったのかということです。私が思うに、彼のリアリズムは、写真のように現実をそのまま写すものではなく、何がリアルだと思うのか観客自身に考えさせるものだった。そのために、あえて描きこまないで余白を残すなど、一般的な意味でリアルではない表現を採用しました。これにはアニメーションという媒体が非常に有効に機能したと思います。 
 
ドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒトは、1930年代に演者と観客がともに参加し、作り上げる「教育劇」を試みていますが、高畑勲の作品はまさに教育劇だといえるでしょう。 
 
梅崎: 渡邉先生はそれを「余白のリアリズム」や「教育的なリアリズム」と表現しています。たとえば企業で社員の主体性を育てようとするとき、放っておけばよいわけではなく、かといって与えすぎると受け身になる。余白のある適切な関与、言い換えれば補助線が重要なのかなと思います。 
 
渡邉: 高畑勲が理想としたのは、教える・学ぶという関係性が固定されず、どちらも教え合い学び合うという対称的な関係性でした。トップダウンですべて「これをやりなさい」と縛るのではなく、ある程度の余白を保ちつつ、キーワードを与えたり少し縛りをつけたりすることで、学びも活性化するのかもしれませんね。 

後継世代の作品に見る21世紀的な可能性

スタジオジブリ作品一覧出典:スタジオジブリ公式サイトをもとに編集部作成

梅崎: ジブリの新世代の担い手として、宮﨑駿の長男である宮崎吾朗や、『借りぐらしのアリエッティ』で監督デビューした米林宏昌が挙げられます。ポストモダンを生きてきた彼ら世代と、宮﨑・高畑世代との違いは何でしょうか。 
 
渡邉: ジブリでは2000年代から、宮﨑・高畑の後続世代の監督たちが作品を作るようになりました。宮崎吾朗の場合は、父親が宮﨑駿であるという垂直の関係性があり、『ゲド戦記』に見られるように、偉大な父をいかに乗り越えるかという葛藤が描かれています。米林宏昌の場合は水平の関係性にあり、ジブリアニメのさまざまな要素を器用にマッシュアップ・サンプリングして二次創作物を作っているイメージがあります。 
 
彼らは、宮﨑・高畑に比べると、小ぶりで個性が薄いといわれることもあります。しかし、そこにこそ宮﨑駿とは異なる21世紀的な新しい可能性をくみ取っていくべきだと考えています。 
 
梅崎: 単なる作家性の喪失と捉えるのではなく、二次創作的な創造力を時代性と考えることもできますね。 
 
渡邉: たとえば『劇場版「鬼滅の刃」』の監督の名前がどれだけ知られているか。一般の人は誰が作ったかそれほど気にしていません。 
 
梅崎: 作家性の喪失は、集団の創造性のパワーにも結びつきます。みんなでガチャガチャいじっていたら、面白いものが生まれて、それが世界的なヒットにつながることもある。一方で小さな物語が分立するポストモダンは、昨今の世界情勢を見ても、社会の分断や政治の不安定さをもたらします。私たちがこの社会をどのように生きるべきか、ジブリの歴史から学ぶことがあるのではないでしょうか。 
 
渡邉: このたびの著書では、戦後日本がたどった大きな物語の完成から解体・変容のプロセスを、ジブリが反映してきたという見取り図を示しました。でもその歩みは、必ずしも直線的なものとは限りません。『ハウルの動く城』では、ヒロインのソフィーが90歳のおばあちゃんになったり18歳の少女に戻ったり、年齢がくるくる早まったり巻き戻ったりします。同じように戦後も、過去から現在へ構築的に時間が積み重なっていったわけではなく、記憶が忘却され、歴史が蓄積していかないぐちゃぐちゃした状態にある。実際、戦後80年も経っているのに、原爆や北方領土、慰安婦の問題などが今も解決されず引きずっていて、無時間的な時空に閉じ込められているような感覚もあります。 
 
単線的な歴史観ではない、ぐちゃぐちゃになった器のなかで戦後が育まれてきた。しかしそれは、私たちが歴史を考えていくうえで、重要な切り口ではないかとも思うのです。 
 
梅崎: リニアな時間の流れとして歴史を捉えるのではなく、折り重なった時間のなかに多彩な戦後の歴史があり、無数の記憶を行き来しながらその一つひとつに向き合っていくことが、日本を考えるということなのかもしれません。

Text= 瀬戸友子 Photo=本人提供(渡邉氏写真)、刑部友康(梅崎氏写真)

伊藤宣広氏の写真

渡邉大輔氏
Watanabe Daisuke
跡見学園女子大学文学部
現代文化表現学科准教授

批評家・映画史研究者。日本大学大学院芸術学研究科博士後期課程芸術専攻修了。専門は日本映画史・映像文化論・メディア論。2005年に文芸評論家デビュー。映画評論、映像メディア論を中心に、文芸評論、ミステリ評論などの分野で活動を展開している。

表紙画像 ジブリの戦後人事にすすめたい本

『ジブリの戦後 国民的スタジオの軌跡と想像力』
渡邉大輔/中央公論新社
設立40周年を迎えたスタジオジブリ。日本の近現代史と重なる国民的スタジオの歩みを、「戦後」という切り口から解き明かす。

梅崎修氏

法政大学キャリアデザイン学部教授

Umezaki Osamu 大阪大学大学院博士後期課程修了(経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。

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