集まる意味を問いなおす:働き方で変わる「集まり」——フルリモートは、なぜ孤独ではないのか
前回までに、戻ってきた集まりが飲み会や研修に偏り、日常の雑談は戻らなかったことを見た。では、その集まりは、人それぞれの「働き方」によって、どう姿を変えているのだろうか。コロナ禍を経て、私たちの働き方は大きく変化した。そして、その働き方によって、職場での「集まり」の意味も、そこで働く人の実感も、静かに枝分かれしている。同一個人を5年追いかけた縦断調査は、一つの通念を覆した。フルリモートで働く人は、孤独ではない。むしろ、ほぼ毎日出社している人のほうが、孤独を感じている。本稿では、働き方ごとに「集まり」がどう違い、何を補うべきなのかを見ていきたい(※1)。
この5年で、働き方はハイブリッドへ収束した
まず、この5年間で働き方がどう動いたかを押さえておきたい。2021年、テレワークを週5日以上行う「フルリモート」層は回答者の約9%を占めていた。だが2026年、ほぼ毎日出社する人は62%に達し、フルリモートに近い働き方(月数回以下の出社)は全体の6.6%まで縮小している。多くの企業にとってコロナ禍のフルリモートは、例外的な時期の働き方であったと言えるだろう。
では、当時フルリモートだった人々は、どこへ向かったのか。2021年に週5日以上テレワークしていた人を5年後に追うと、その行き先は大きく三つに分かれた(図表1)。
図表1 2021年に「フルリモート」だった人の、2026年の働き方(n=134)

最も多かったのは、両極ではなく中間だった。半数がハイブリッドへ移り、フルリモートを維持したのは3分の1、完全に出社へ戻ったのは6人に1人。この5年の働き方は、「フルリモートか出社か」という二者択一ではなく、その多くが週に何日かを出社する「ハイブリッド」へと収束した。以下では、2026年時点の働き方を、出社中心(ほぼ毎日出社、925人)、ハイブリッド(週1〜4日出社、467人)、フルリモート(月数回以下、99人)の三つに分けて見ていく。
3群で見る「集まり」の違い
三つの働き方は、「集まり」との向き合い方が大きく異なっていた(図表2)。
図表2 働き方別に見た「集まりの工夫」と職場の関係(2026年、5件法平均)
フルリモートと出社中心の差は、オンラインの場・使い分け・観察学習でいずれも有意(p<.01)。
一体感・信頼の差は有意でない。群間はWelchのt検定。
際立っていたのは、フルリモート層の「つながりの設計」である。オンライン上に雑談の場を意図的に設け、目的に応じて対面とオンラインを使い分ける——こうした工夫を、フルリモートの職場は出社中心の職場より明確に多く実践していた。物理的な偶発性を持たないぶん、意図して接点をつくっているのである。その結果、職場の一体感や、集まりが信頼を育てているという実感は、出社中心層と遜色ない。むしろわずかに上回っている。
一方で、フルリモート層が明確に見劣りする項目が一つあった。「他者の仕事を観察して学ぶ機会」である(2.75、出社中心は3.16)。この差の意味は、のちほど立ち返る。まずは、この「集まり方の違い」が、個人の孤独にどう表れているかを見よう。
通念を覆す——フルリモートは孤独ではない、出社中心こそ孤独
働き方別に「仕事で寂しさを感じている」度合いを比べると、通念とは逆の結果が表れる。最も孤独だったのは、フルリモート(平均2.11)ではなく、ほぼ毎日出社している出社中心層(同2.63)だった。ハイブリッドはその中間(2.47)に位置する。人と同じ空間にいることは、孤独を防いでいない。むしろ「人のなかにいるのに、つながっていない」——出社していても、孤独は消えないのだ。
だが、ここで新たな疑問が沸く。人づきあいが苦手で、一人でいるほうが気楽な人こそフルリモートを選ぶ。だから彼らは孤独を感じないだけではないか、と。5年前の分析では、個人の性格が「望ましい集まり」を分けていた。そこで、2026年にフルリモートになった人と、出社中心になった人について、2021年時点の対人志向をさかのぼって比べてみた(図表3)。
図表3 2026年フルリモート層と出社中心層の、2021年時点の性格・心理(5件法平均)
いずれも群間に統計的な有意差なし。群間はWelchのt検定。
結果は明快だった。のちにフルリモートになる人は、5年前の時点で、人と一緒にいたい気持ちも、同僚と親密になりたい気持ちも、飲み会を楽しむ気持ちも、出社中心になる人と変わらなかった。とりわけ重要なのは最後の行である。2021年の時点では、両者の孤独度に差はなかった。フルリモート層は、もともと孤独に強い人だったわけではない。孤独の差は、この5年のあいだに、働き方と職場のあり方を通じて生まれたのである。実際、統計的に確かめても、2021年の社交性は2026年の孤独をまったく予測しなかった。「一人好きの自己選択」という説明は、データからは支持されない。
では、孤独を分けているのは何なのか。2026年に孤独を感じている人(回答者の18.4%)と、そうでない人を比べると、両者を隔てるものがはっきり見えてくる(図表4)。
図表4 「孤独な人」と「孤独でない人」を分けるもの(2026年、5件法平均)
群間はWelchのt検定。*** p<.001。
孤独でない人は、職場に一体感を感じ、集まりが信頼を育て、困ったときに気軽に助けを求め、相談し、部署を超えて協力し合っている。孤独を隔てているのは、こうした「職場の関係」のあり方である。一方で、2021年の社交性は、孤独な人とそうでない人を分けていなかった。孤独は、その人が内向的か外向的かではなく、その人が置かれた職場がつながりを育てているかどうかで決まっていた。性格や過去の孤独を統計的に取り除いたうえで確かめても、孤独を和らげたのは職場の一体感と相談のしやすさであり、性格は無関係だった。そしてここでも、他の条件をそろえると、出社が多いことはむしろ孤独をわずかに強めていた。つながりの答えは、出社の量ではなく、集まりが信頼を育てているかという「関係の質」にある。フルリモートが孤独でないのは、まさにその関係を意図的に設計しているからなのだ。
ただし、帰属感はやや低い——「もともと薄い層」が選んだのかもしれない
ここまで見てきたのは「孤独」だった。だが、孤独が少ないことと、職場に「帰属している」と感じることは、同じではない。同じ三つの働き方で、今度は帰属感——「職場の一員なのだと強く感じる」——を見ると、孤独とは異なる結果が現れる。フルリモート層の帰属感は平均3.17で、出社中心層(3.31)をわずかに下回る(統計的な差はない)。孤独では最も恵まれていたフルリモートが、帰属感ではむしろ最上位ではないのだ。
さらに興味深いのは、5年前にさかのぼったときである(図表5)。フルリモートに向かった人は、2021年の時点で、すでに帰属感が明確に低かった(2.96対3.36)。孤独度には差がなかったのに、帰属感では最初から溝があったのである。つまり帰属感については、「もともと職場への帰属が薄めだった人が、フルリモートに向かった」という自己選択の側面がある。ここは、孤独の話とはっきり異なる点だ。
図表5 帰属感の5年間——2026年フルリモート層と出社中心層(「職場の一員なのだと強く感じる」、5件法平均)
群間はWelchのt検定。*** p<.001、n.s.=有意な差なし。
ただし、その溝は5年で浅くなっている。2021年に0.40あった差は、2026年には0.14(有意差なし)まで狭まった。もともと帰属感の薄かった層が、リモートで意図的につながりを設計するなかで、差を埋めたとも読める。フルリモートだからといって、帰属感が構造的に損なわれるわけではないのだ。では、その帰属感は、そもそも何から生まれるのか——出社の量なのか、それとも別の何かなのか。働き方を離れて、帰属感そのものを生む条件は何かという問いは、のちの回「つながりと帰属感」で正面から掘り下げたい。
「リモートだとサイロ化する」わけではない
働き方をめぐるもう一つの通念に、「リモートワークが進むと部署の壁が高くなり、組織がサイロ化する」というものがある。これもデータで確かめてみた(図表6)。部署ごとに情報が閉じていないか、他部署との連携はとれているか——サイロ化に関わる項目を、三つの働き方で比べたものである。
図表6 働き方別に見た「サイロ化」(2026年、5件法平均)
いずれも群間に統計的な有意差はない。群間はWelchのt検定。
結果は、明らかだ。サイロ化に関わるどの項目も、三つの働き方のあいだに統計的な差はなかった。フルリモートだからといって、部署の情報が閉じているわけでも、他部署との連携が悪いわけでもない。むしろフルリモート層は、情報の閉鎖も調整の負担もわずかに小さく、部署を超えた協力はわずかに多いほどだった(いずれも差は統計的に有意でない)。「リモートワークが組織をサイロ化させる」という懸念は、少なくともこのデータには現れていない。ここでもまた、問題は働き方の形式ではなかったのである。
働き方ごとに、“弱点”は違う——フルリモートは観察学習、出社中心は意味
もっとも、フルリモートが万能なわけではない。図表2で先送りにした差——「他者の仕事を観察して学ぶ機会」に立ち返ろう。この項目だけは、フルリモート層が出社中心層を明確に下回っていた(2.75対3.16)。オンラインで雑談の場はつくれても、隣の席の先輩がどう仕事を進めているかを何気なく見て学ぶ——そうした偶発的な観察学習は、フルリモートでは構造的に失われやすい。かねて課題とされる「知の継承」の弱点が、フルリモートでは特に鋭く現れる。
つまり、働き方によって、強みと弱点、そして補うべき集まりが異なる。フルリモートは、意図的なオンライン設計でつながりと一体感を保ち、孤独を避けている。その一方で、観察による学びの機会は減る。だから彼らに必要なのは、孤独対策よりも、仕事の過程を見える化し、判断の背景を共有する「学びの設計」である。逆に出社中心の職場は、観察学習の機会には恵まれているが、物理的に集まっているだけでは孤独を防げていない。彼らに必要なのは、出社の量ではなく、集まりが信頼や一体感を育てる「意味の設計」である。ハイブリッドは、その中間で両方をほどほどに得ているが、裏を返せば、どちらの設計も中途半端になりやすい。
示唆——一律の出社論から、働き方に応じた集まりの設計へ
この5年、多くの企業が「週に何日出社させるか」を議論してきた。だが本稿が示したのは、その問いの立て方自体を見直す必要があるということだ。孤独を防ぐのも、つながりを育てるのも、出社の日数ではない。フルリモートでも、意図的にオンラインの接点を設計すれば、孤独は出社中心より少なくなる。出社中心でも、集まりが意味を持たなければ、人は人のなかで孤独になる。
問われているのは、出社の量ではなく、それぞれの働き方に応じて「何を、どう補うか」である。フルリモートには観察による学びの設計を、出社中心には信頼と一体感を育てる集まりの設計を、ハイブリッドには両者のバランスを。一律の出社ルールで管理できるものは、思いのほか少ない。集まる意味は、働き方の形式ではなく、そこで育てようとする関係のなかにこそ宿っている。
もっとも、働き方の裏側では、より静かで、より根深い変化も進んでいた。仕事そのものが「一人で完結する」方向へと動き、そもそも人と集まる必然性が薄れつつあるのだ。次回は、その変化と、そこに残された宿題に目を向けたい。
(※1)本コラムは、リクルートワークス研究所「集まる意味を問いなおす」プロジェクトによる縦断(パネル)調査に基づく。2021年10月調査の回答者のうち1491人に、2026年3月に再調査を実施した。回答者は5年間にわたり就業を続けた層が中心。ただし、この5年間の回答者の脱落は主に年代(ライフステージや定年・引退)によるものであり、2021年時点の幸福感や、人とのつながりへの志向、テレワークの状況、企業規模による偏りは見られなかった。なお集計は単純集計であり、母集団への復元は行っていない。
(※2)働き方の3分類は2026年の出社頻度による。フルリモート層は99人と相対的に小規模であり、また働き方は本人の選択や職種にも左右されるため、ここで示した関連には自己選択の影響が残りうる。図表2〜図表4および回帰分析はいずれも2026年時点(一部は2021年時点)の測定値どうしの関連であり、因果の方向を確定するものではない。ただし、2021年時点で群間に性格・孤独の差がなかったこと(図表3)は、本稿の解釈を一定程度支持すると考える。
辰巳 哲子
研究領域は、キャリア形成、大人の学び、対話、学校の機能。『分断されたキャリア教育をつなぐ。』『社会リーダーの創造』『社会人の学習意欲を高める』『「創造する」大人の学びモデル』『生き生き働くを科学する』『人が集まる意味を問いなおす』『学びに向かわせない組織の考察』『対話型の学びが生まれる場づくり』を発行(いずれもリクルートワークス研究所HPよりダウンロード可能)
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