集まる意味を問いなおす:“イベント化”した集まり——飲み会は戻り、雑談は戻らなかった
コロナ禍は、職場から「集まること」を奪った。それから5年、私たちは同じ人々に再び尋ねた。2021年10月に「職場における集まる意味の調査」に回答した人のうち、2026年3月にも回答してくれた1491人。同一個人を5年後に追いかけた縦断データが映し出したのは、「集まりは戻った。ただし、戻ったのは一部だけだった」という事実である。そして、戻った職場と戻らなかった職場を分けたのは、意外にも「出社したかどうか」ではなかった(※1)。
2021年、職場は何を失ったのか
出発点を確認しておきたい。コロナ禍のただ中で行った2021年の調査で、私たちは職場コミュニケーションの地殻変動を記録した。コロナ禍の前と後を比べて「対面でのやり取りが減った」と答えた人は67.1%に上り、「仕事とは関係のない雑談」が減ったと答えた人は45.1%、「会議の前後に発生する会話」が減ったと答えた人も35.2%に達していた(※2)。
減ったのは、会議そのものではない。情報伝達や意思決定のための会議は、Web会議に置き換わりながら維持された。減ったのは、予定されていなかった集まり——廊下での立ち話、ランチの雑談、会議が終わったあとに少しだけ続く会話——だった。当時の報告書で、私たちはこれを「偶発的機会の喪失」と名づけた。人が同じ場所に居合わせることで自然に生まれていた会話が失われ、職場の学びやつながりを支える見えない基盤が崩れつつある、と警鐘を鳴らしたのである。
では、コロナ禍が明けた5年後、その基盤は元に戻ったのだろうか。
戻ったもの——「行事としての集まり」
結論から言えば、集まりは確かに戻ってきた。ただし、戻り方には明確な偏りがあった。
職場が「集まりをつくろうとしているか」を測る項目のうち、2021年とまったく同じ文言で尋ねた8項目について、同一個人の5年間の変化を見たのが図表1である。回答は「1:あてはまらない」から「5:あてはまる」の5段階、数値は1491人の平均値である。
図表1 職場の集まる場はどう変わったか(2021→2026、n=1,491)
対応のあるt検定。*** p<.001、n.s.=有意な差なし。
最も大きく伸びたのは「職場のメンバー同士が親睦を深める飲み会やイベント」である。5段階平均で+0.66ポイント、統計的にもきわめて明確な変化だ(t=18.6)。「あてはまる・ややあてはまる」と答えた人の割合は13.1%から32.9%へと約2.5倍になった。「研修やイベントなど、職場全体で同じ経験をすることを重視している」「時には、長めの時間をかけて職場の皆でじっくり対話や議論する場を設けている」も、そろって有意に増えている。
対照的に減ったのが「業務効率をあげるために、会議やイベントを積極的にオンラインにしている」だ。コロナ禍のさなかには、とにかく集まりをオンラインに移すことが是とされた。その動きは5年を経て、はっきりと反転した(−0.13、p<.001)。
個人単位で見ると、この回復の性質がより鮮明になる(図表2)。飲み会・親睦イベントは、5年前より肯定側に動いた人が51%と過半を占め、後退した人(17%)を大きく上回る、一方向的な回復だった。
図表2 飲み会・親睦イベントは回復(n=1,491)
ここまでを見れば、集まりの回復は単純に見える——コロナ禍で失われた集まりは、復活した。だが、図表1の下段と図表2の下段に、復活していない集まりが並んでいる。
戻らなかったもの——「日常の偶発性」
図表1で「有意な差なし」と記された3項目に注目してほしい。「日常的に雑談できる職場風土をつくろうとする」は5年前と統計的に変わらず(+0.02、p=.51)、「会議で発言を促し、意見を尊重する」も、「オンライン上に雑談・情報交換の場を意図的に設ける」も、いずれも変化していない。
つまり、戻ってきたのは飲み会・研修・じっくりした対話といった、日時を決めて意図的に開く「行事としての集まり」である。一方で、日常のなかで偶発的に生まれるコミュニケーション——雑談や、気軽な発言のしやすさ——は、5年経っても戻っていない。図表2でも、雑談風土は増えた人(32%)と減った人(29%)がほぼ拮抗し、職場ごとに上下しながら全体として動いていない。
2021年に私たちが「失われた」と記録した偶発的機会は、コロナ禍の収束とともに自然に回復する、という性質のものではなかったのだ。行事は取り戻せた。だが、偶発性は取り戻せていない。この非対称は、なぜ生まれたのか。手がかりは、雑談風土が「戻った職場」と「戻らなかった職場」の違いにある。
なぜ雑談は戻ったのか——「出社」では説明できない
全体では横ばいの雑談風土だが、その内訳を見ると、5年間で明確に上昇した人が481人(全体の約3割)いる。一方、変わらない・下がった人が1010人。平均でほぼ横ばい(+0.02ポイント)という数字は、「誰も変わらなかった」ことを意味しない。5年間の変化のばらつき(標準偏差)は5段階で1.2ポイントに達し、約2割の人は上下いずれかに2ポイント以上も動いている。横ばいの正体は、大きく上昇した職場と大きく低下した職場が相殺した結果なのだ。この二つの群——雑談風土が「戻った職場」と「戻らなかった職場」——を分けたものは何か。両群の2026年時点の特徴を比べたのが図表3である。
図表3 雑談風土が「戻った職場」と「戻らなかった職場」の違い(n=1,491)
群間はWelchのt検定。*** p<.001、n.s.=有意な差なし。
まず目を引くのは、上段に有意な差がまったくないことである。雑談風土が戻った職場も、戻らなかった職場も、出社頻度はほとんど変わらない。どちらの群も約6割が「ほぼ毎日出社」しており(61.3%対62.4%)、管理職比率(35.3%対37.0%)や年代構成にも差はない。部署のサイロ感も同じである(※3)。
これは重要な発見だ。同じように毎日出社していても、雑談が戻った職場と戻らない職場に分かれる。物理的に人を同じ場所に集めることは、偶発的な会話の必要条件ではあっても、十分条件ではないのだ。
では、何が二つの群を分けたのか。図表3の下段がそのヒントをくれる。雑談風土が戻った職場は、「オンライン上で雑談や情報交換ができる場を、意図的に設計」「目的に応じて対面/オンラインを使い分け」「じっくり対話の場を設ける」といった、意図的なコミュニケーション設計を行っていた。差はいずれも0.4ポイント以上と大きい。
つまり、雑談という最も「自然発生的」に見えるものですら、2026年の職場では、意図して仕掛けた場所にしか戻ってこなかった。偶発性は、出社という環境から自動的に湧いてくるのではなく、それを生む仕掛けを設計した職場にだけ回復した——これが、5年間の追跡データが示した答えである。
戻った職場は、一体感も業績も高い
雑談風土が戻ったことに、意味はあるのか。単なる居心地の問題ではないのか。この点も、データは明快に答える(図表4)。
図表4 雑談風土が「戻った職場」ほど、一体感も業績も高い(n=1,491)
群間はWelchのt検定。*** p<.001。
雑談風土が戻った職場は、一体感が強く、集まりがメンバーの視点を統合する機能を果たしており、業績評価も高い。いずれも統計的に明確な差である。偶発的なコミュニケーションの回復は、心地よさの問題にとどまらず、職場の結束と成果に結びついている。
裏を返せば、飲み会や研修といった行事を復活させただけでは、この効果は十分には得られない可能性がある。図表1で見たように、行事は全体として戻った。それでも一体感や業績に差がつくのは、日常の雑談という別の次元が伴っているかどうかによる。行事は「点」の集まりであり、雑談は「面」の環境である。点をいくら増やしても、面が薄いままなら、職場のつながりは十分には回復しない。
示唆——「元通りに見える」ことの落とし穴
出社は、すでに当たり前に戻った。多くの人が毎日オフィスに通い、その光景に慣れた。表面的には、職場はコロナ以前に戻ったように見える。だが、データが示すのは別の現実である。同じように出社していても、日常の雑談は戻った職場と戻らない職場に分かれ、全体としては回復していない。
むしろ危ういのは、この「元通りに見える」状態そのものかもしれない。毎日顔を合わせていれば、偶発的な会話が失われたままでも、その欠落は意識されにくい。出社の常態化に慣れきったことが、かえって問題を覆い隠す。水面下で静かに進む偶発性の空洞化に、多くの職場が気づけていないのではないか。5年前は「集まれないこと」が誰の目にも明らかな危機だった。いまは、集まっているのに肝心のものが戻っていない、という見えにくい危機に変わっている。
そして、それを取り戻した職場は、出社を増やした職場ではなく、偶発性を生む仕掛けを意図的に設計した職場だった。見方を変えれば、これらは、環境が変わったからといって働き方をすべてオンラインに合わせるのではなく、以前の「雑談」という良い習慣を手放すまいと抗い、かたちを変えてでも維持し直した職場だと言える。偶発性を新たに「設計した」というより、失われかけた偶発性を「つくり直した」——環境変化への、もう一つの適応の仕方である。かつて自然に起きていたことを、今度は仕組みとして起こさなければならない。矛盾に聞こえるかもしれないが、これが2026年の職場に突きつけられた課題である。出社日数を増やすという打ち手には限界がある。人を同じ場所に集めても、偶発的な会話が生まれる保証はない。むしろ有効なのは、オンライン上にも雑談の余地をつくる、目的に応じて集まり方を使い分ける、あえて余白のある対話の時間を設ける、といった「偶発性の設計」であり、それは一体感と業績という具体的な成果につながっている。
ただし、ここで根本的な問いが残る。そもそも私たちは、何のために偶発的な集まりを取り戻したいのか。雑談それ自体が目的なのか、それとも雑談が支えていた何か——学び、知の継承、つながり——こそが目的なのか。集まりが「イベント化」したいまだからこそ、集まる意味そのものを問いなおす必要がある。次回は、この戻った集まり・戻らない集まりが、働き方——フルリモートか、出社中心か、ハイブリッドか——によってどう姿を変えるのかを見ていきたい。
(※1)本コラムは、リクルートワークス研究所「集まる意味を問いなおす」プロジェクトによる縦断(パネル)調査に基づく。2021年10月調査の回答者のうち1491人に、2026年3月に再調査を実施した。回答者は5年間にわたり就業を続けた層が中心。ただし、この5年間の回答者の脱落は主に年代(ライフステージや定年・引退)によるものであり、2021年時点の幸福感や、人とのつながりへの志向、テレワークの状況、企業規模による偏りは見られなかった。なお集計は単純集計であり、母集団への復元は行っていない。
(※2)リクルートワークス研究所「職場における集まる意味の調査」(2021年10月、有効回答4202名)。
(※3)なお、ここでの出社頻度は回答者本人のものである。雑談風土は本来、個人ではなく職場全体の性質であり、両者は水準が異なる点には留意がいる。とはいえ、本人がほぼ毎日出社している人のなかでも、雑談が戻った職場と戻らなかった職場にはっきり分かれていた。
(※4)図表3・図表4の説明変数・アウトカムはいずれも2026年時点の測定値であり、雑談風土の5年間の変化との関連(相関)を示すものである。因果関係の方向を本データのみで確定することはできない。なお、群比較と同じ関係は連続変数の相関でも確認できる。雑談風土の5年間の変化は、オンライン雑談の場の設計(r=.31)、対面/オンラインの使い分け(r=.27)、じっくり対話の場(r=.30)といった意図的な設計と有意に相関する一方(いずれもp<.001)、回答者本人の出社頻度とはほぼ無相関だった(r=.04、有意でない)。
辰巳 哲子
研究領域は、キャリア形成、大人の学び、対話、学校の機能。『分断されたキャリア教育をつなぐ。』『社会リーダーの創造』『社会人の学習意欲を高める』『「創造する」大人の学びモデル』『生き生き働くを科学する』『人が集まる意味を問いなおす』『学びに向かわせない組織の考察』『対話型の学びが生まれる場づくり』を発行(いずれもリクルートワークス研究所HPよりダウンロード可能)
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