集まる意味を問いなおす:「一人で仕事ができる時代」の集まり方

2026年08月19日

前回の最後に、働き方の裏側で進む「もっと静かな変化」に触れた。仕事そのものが「自分一人で完結する」方向へ動き、そもそも人と集まる必然性が薄れつつある——この変化に、今回は正面から向き合いたい。

危機感は、静かに引いていった

2021年、私たちは「もし集まらない状態が続いたら、職場に中長期的にどんな悪影響が出るか」を尋ねた。当時は、一体感の喪失や離職への強い危機感が語られていた。同じ問いを5年後の同一個人に投げかけると、その危機感は、全般に沈静化していた(図表1)。

図表1 「集まらないことの弊害」認知の5年間の変化(複数回答、n=1,491)

図表1 「集まらないことの弊害」認知の5年間の変化(複数回答、n=1,491)数値は各項目を選んだ人の割合、同一個人での変化をMcNemar検定で検証した。
*** p<.001、n.s.=有意な差なし。(※1)

一体感の喪失への不安は大きく減り(−8.7pt)、離職への懸念も薄れた。「デジタル化が進む好機だ」という前向きな解釈さえ後退した。そして「特にない」、つまり集まらないことに弊害を感じない人が、23.5%から32.1%へと有意に増えた。5年前には切実だった危機感は、いまや3人に1人が「特に問題はない」と答えるほどに希薄になっている。

だが、ただ一つ、5年前とほぼ変わらなかった項目がある。「仕事のノウハウが継承されない」である(31.9%→31.3%、有意差なし)。他のあらゆる危機感が引いていくなかで、この懸念は最も多くの人に選択され、残った。集まることの意味が、漠然とした「一体感」から、より具体的な「知の継承」へと収斂しつつあるように見える。

仕事は「自己完結」に向かっているのか

なぜ、集まらないことへの危機感はこれほど薄れたのか。答えははっきりしている。集まらなくても、仕事が回るようになったからだ。

2021年と同じ文言で尋ねた「仕事の特性」5項目は、5年間ですべて統計的に有意に低下した。自律性、権限や責任の明確さ、評価基準の明確さ、新しい問題に直面する頻度——そのいずれもが下がっている。なかでも象徴的なのが、他者との相互依存の低下である。「自分の仕事がうまくいかないと、職場の他のメンバーの仕事もうまくいかなくなる」という感覚は、平均3.34から3.18へと有意に下がった(p<.001)。自分の仕事が他人に影響せず、他人の仕事にも依存しない——そんな、各自が独立して完結する働き方へと、職場は静かに移っている。もっとも、この変化は全員に一様に起きたわけではない。相互依存の感覚の5年間の変化を個人ごとに見ると、平均は緩やかな低下でも、そのばらつきは5段階で1.2ポイントに達し、約2割の人は上下いずれかに2ポイント以上動いていた。つまり、相互依存が大きく薄れた職場と、ほとんど変わらない職場に分かれているのだ。自己完結化は、誰にでも等しく訪れるものではなく、職場によって進み方が大きく異なる——このことも、「仕事の自己完結化」が個人の問題ではなく、職場の構造の問題であることを示している。

この変化は、働く人自身の実感にも表れている(図表2)。

図表2 職場に広がる「自己完結」(2026年、「あてはまる・ややあてはまる」の割合)

図表2 職場に広がる「自己完結」(2026年、「あてはまる・ややあてはまる」の割合)

回答者の4割が「一人で完結させた方が早い」と感じる場面が増えたと答え、半数近くが「部署ごとに情報が閉じている」と感じている。一方で、他者を観察して学ぶ機会があると答えた人は4割にとどまる。2021年の報告書で私たちが「行動のサイロ化」と呼んだ現象は、コロナ禍の収束とともに解消されるどころか、働き方の構造として定着したのである。仕事が各自で完結するようになれば、他者と擦り合わせる必然性は薄れる。だから集まらなくても回り、危機感も薄れた。先に見た「日常の雑談が戻らない」という現象も、この自己完結化と地続きである。

それは、AIのせいでも、熟達のせいでもない

ここで、疑問が浮かぶ。「一人で完結させたほうが早い」と感じる人が増えたのは、生成AIが個人の作業を肩代わりするようになったからではないか。あるいは、回答者がこの5年で経験を積んで熟達し、一人でこなせるようになっただけではないか——。もしそうなら、これは職場の問題ではなく、個人の能力や技術の進歩の話になる。

そこで、自己完結化の度合いを、AIの活用や熟達度で説明できるかを検証した。説明変数には、職場で生成AIとどう向き合っているか、デジタル人材が増えた実感、そして熟達の代理指標として勤続年数・年代・役職、そして出社頻度を用いた。結果を図表3に示す。これらの要因は、自己完結化をほとんど説明しない。モデル全体の説明力はわずか0.6%にとどまり、AIも、勤続年数も、年代も、役職も、そして出社頻度も、統計的に意味のある関連を示さなかった。AIを使いこなす職場でも、勤続の長いベテランでも、入社まもない若手でも、管理職でも一般社員でも、「一人で完結した方が早い」と感じる度合いに差はなかったのである。

図表3 「自己完結化」は、AIや熟達では説明できない(重回帰分析、n=1,491)(※3)

図表3 「自己完結化」は、AIや熟達では説明できない(重回帰分析、n=1,491)自己完結化(「自分一人で完結させたほうが早いと感じることが増えた」)を目的変数とする重回帰分析。モデルの決定係数R²=0.006。いずれの説明変数も有意水準5%で有意でない。なお本調査に個人のAI利用頻度を直接測る設問はなく、AIの活用は職場レベルの2設問で代理的に捉えている(※2)。

自己完結化は、個人がAIや熟達によって「一人でできるようになった」現象ではない。むしろ、職場の構造そのものが変わったことの表れである。その証拠に、自己完結化の度合いは、AIや熟達を統計的に取り除いてもなお、部署のサイロ感を強く予測した(係数0.25、p<.001)。仕事の相互依存が薄れ、部署の情報が閉じ、他者と擦り合わせる必然性が失われていく——この構造の変化こそが、自己完結化の正体なのだ。個人の努力や能力の問題として片づけてはならない理由が、ここにある。

それでも人は「対面で集まれば知は受け継がれる」と信じている

では、もはや対面で集まる意味は失われたのか。人々の答えは、明確にノーである。むしろ、対面で集まることの効果への期待は、驚くほど高い(図表4)。「出社して顔を合わせること」が次のような効果を生んでいるか、と尋ねたところ、その評価はきわめて肯定的だった。

図表4 「出社(対面で集まること)の効果」への評価(2026年、「大いに/ある程度 効果がある」の割合、n=1,491)

図表4 「出社(対面で集まること)の効果」への評価(2026年、「大いに/ある程度 効果がある」の割合、n=1,491)

およそ8割の人が、対面で集まること(出社)は暗黙知や経験の共有、若手の育成に効果があると答えている。とりわけ「若手の学びや育成」では、27.9%が「大いに効果がある」と最も強く支持した。危機感が薄れゆくなかで唯一居残った宿題が「知の継承」であり、そして人々が集まりに強く期待する効果もまた、暗黙知の共有や若手育成という、まさに知の受け渡しの領域なのである。

だが、「対面で集まれば大丈夫」とは限らない

ここに、落とし穴がある。「対面で集まれば知は受け継がれる」という「期待」は本物だ。しかし、その期待は、自己完結化が進む職場の現実と、静かにずれ始めている。
先ほどの「自分一人で完結させた方が早いと感じることが増えた」人を高群、そうでない人を低群として比べると、両群の違いが見えてくる(図表5)。

図表5 「自己完結化」が進んだ人(高群)と、そうでない人(低群)の違い(n=1,491)

図表5 「自己完結化」が進んだ人(高群)と、そうでない人(低群)の違い(n=1,491)高群=「自分一人で完結させたほうが早い」に「あてはまる・ややあてはまる」(n=615)、
低群=「あてはまらない・あまりあてはまらない」(n=315)。群間はWelchの t検定。*** p<.001(※3)

自己完結化が進んだ人ほど、部署のサイロ感を強く感じている(+0.55、p<.001)。「ノウハウが継承されない」という懸念も、やや強く抱く傾向がある(ただし両者の関連は弱い)。もっとも、自己完結化が継承への懸念を生むのか、継承されにくい状況が自己完結化を促すのか、あるいは両者が同じ構造変化の二つの表れなのか——これらは本データでは特定できない。ここで確かなのは、自己完結化と知の継承への懸念が、同じ職場で同時に見られるという事実である。ところが、出社頻度には両群でまったく差がない(n.s.)。つまり、自己完結化は「出社していないから」起きているのではない。同じように毎日出社していても、仕事が自己完結に向かっている職場と、そうでない職場に分かれるのだ。雑談の回復が出社では説明できなかったのと、まったく同じ構図である。

さらに見過ごせないのは、自己完結化が進んだ人でも、「出社は知の継承に効く」という評価は下がらないことだ(両群で有意差なし)。実際には、各自が一人で完結し、部署の情報が閉じ、知が流れにくくなっている職場でさえ、人々は「集まれば知は受け継がれるはずだ」と信じ続けている。この、現実と期待のずれこそが危うい。集まっても、メンバーが自己完結していれば、暗黙知は自然には流れない。それでも「出社さえすれば大丈夫」という期待があるかぎり、手は打たれない。これは、集まりが「元通りに見える」ことの落とし穴となっている。

示唆——「集まる」を、互いを必要とする状態の設計へ

5年を経て、集まらないことへの危機感は薄れ、集まりは行事へと姿を変えた。そのなかで、残った宿題が「知の継承」である。そして人々は、その宿題は出社すること、対面で集まりさえすれば果たされる、と考えている。

だが、データが示すのは異なる現実だ。知の継承を阻んでいるのは、出社の不足でも、AIでも、個人の熟達でもない。仕事が自己完結に向かい、人が互いを必要としなくなったという、職場の構造変化である。見落とされがちなのは、いったん出来上がった働き方の「戻りにくさ」である。「一人で完結させたほうが早い」という合理的なやり方をひとたび身につけると、対面の機会が元に戻っても、人はその働き方を自動的には手放さない。元のやり方に戻るには、それでは立ち行かないという不都合がもう一度起こる、といったきっかけが要る。だからこそ、自己完結化は出社日数を増やしても解けない。同じ場所に集まっても、各自が独立して仕事を完結させ、過程を共有せず、判断の背景を語らなければ、先輩の知が後輩へと流れる機会は生まれない。知は、互いを必要とする関係のなかでこそ、伝わり、受け取られる。

だからこそ、必要なのは「集まること」の意味を問い直し、"互いを必要とする状態"を意図的に設計することである。ただ人を同じ場所に集めるのではない。一人で完結できてしまう仕事に、あえて他者が関わる余地を組み込む。判断の過程や背景を共有する場を設ける。若手が先輩の仕事に関与し、その手つきを間近で見られる役割をつくる——薄れてしまった相互依存の接点を、仕組みとしてつくり直すことだ。集まる意味を問いなおすとき、その最も確かな答えの一つがここにある。そしてそれは、人がただ同じ場所に居合わせるだけでは、決して生まれない。次回は視点を個人へ移し、集まりが一人ひとりの帰属やつながりに、いったい何をもたらしているのかを見ていきたい。

(※1)本コラムは、リクルートワークス研究所「集まる意味を問いなおす」プロジェクトによる縦断(パネル)調査に基づく。2021年10月調査の回答者と同一の1491人に、2026年3月に再調査を実施した。回答者は5年間にわたり就業を続けた層が中心。ただし、この5年間の回答者の脱落は主に年代(ライフステージや定年・引退)によるものであり、2021年時点の幸福感や、人とのつながりへの志向、テレワークの状況、企業規模による偏りは見られなかった。なお集計は単純集計であり、母集団への復元加重は行っていない。
(※2)本調査には個人の生成AI利用頻度を直接測定する設問がないため、AIの活用は職場レベルの2つの設問(生成AIに任せる仕事と人が担う仕事を意識的に区別しているか/デジタルツールを使いこなす人材が増えているか)で代理的に捉えている。この限界のもとでの結果である点に留意されたい。
(※3)図表3・図表5の分析、および各図表の群間比較は、いずれも2026年時点の測定値どうしの関連(相関)であり、因果の方向を確定するものではない。図表5の群比較と同じ関係は連続変数の相関でも確認できる。自己完結化は部署のサイロ感と弱い相関がみられ(r=.24、p<.001)、出社頻度とは無相関(r=.00、有意でない)、ノウハウ継承への懸念との相関はかなり弱い(r=.09、p<.001)。

辰巳 哲子

研究領域は、キャリア形成、大人の学び、対話、学校の機能。『分断されたキャリア教育をつなぐ。』『社会リーダーの創造』『社会人の学習意欲を高める』『「創造する」大人の学びモデル』『生き生き働くを科学する』『人が集まる意味を問いなおす』『学びに向かわせない組織の考察』『対話型の学びが生まれる場づくり』を発行(いずれもリクルートワークス研究所HPよりダウンロード可能)

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