シンガポールの現場職政策:自動化と人材移行を一体で進める
現場職不足への対抗策としての自動化・省力化
現場職を担う人材の不足に対抗する有効な手段のひとつに、AIやデジタル支援ツールを活用した自動化・省力化、およびそれを通じた生産性向上がある。海外の現場職政策でもこの点は重視されているが、日本においても、重要な政策課題となっている。
「経済財政運営と改革の基本方針2025(骨太の方針2025)」(2025年6月13日閣議決定)では、「『省力化投資促進プラン』に基づく官民での取組の目標を達成するため、2029年度までの集中的な取組として、デジタル支援ツールを活用したサポート、全国的な伴走型支援、複数年にわたる生産性向上支援を通じて、2029年度までの5年間でおおむね60兆円の生産性向上投資を官民で実現する」と明記されている。省力化投資促進プランの対象としては、飲食、宿泊、小売、生活関連サービス、自動車整備・ビルメンテナンス、製造、運輸、建設、医療、介護・福祉、保育、農林水産の12業種が掲げられている。その後、警備業も追加されているが、政策のターゲットがまさに生活を支え、生産の現場を担う領域が中心となっていることが分かる。
なお限定的な、人の円滑な移行を支える視点
「どの仕事をAIやロボットに担わせるか」「導入を阻む技術・コスト・制度上の壁は何か」についても、具体的な検討が進んでいる。このことは、2026年3月に政府がまとめた「各分野別のAIロボティクス実装ロードマップ」において、製造、物流、建設、小売、宿泊、介護、農林業など幅広い分野について、労働市場上の課題や政府の取り組み、技術導入上の課題が整理されていることからも見て取れる。
一方、骨太の方針やロードマップを通じて相対的に記述が少ないのが、自動化が現在の労働者にどの程度の影響を及ぼすのかを見極め、その影響に応じて人材移行策を組み合わせようとする視点である。
確かに、「骨太の方針2025」では、「地域の人材育成と処遇改善については、在職者を含め、大学、短期大学、高等専門学校及び専門学校においてアドバンスト・エッセンシャルワーカー(※1)の育成に取り組む」と明示されているように、テクノロジーを駆使してより高い生産性と賃金を実現するアドバンスト・エッセンシャルワーカーの育成に取り組む方針が明示されているほか、一部分野では、自動化を見据えた新たな役割への人材育成も検討され始めている。しかし、誰をどのように、どの仕事へ移行させるのか、あるいは、他の業務や職種への移行をどのように支援するのかについて、自動化の導入と一体的に設計する視点は、まだ限定的である。
もちろん、現場職の不足が深刻な状況を踏まえれば、いま、現場職に就く人の雇用は安定しており、自動化による影響は大きな懸念材料とはならないという見方もあるかもしれない。
しかし、自動化の影響は職種によって異なる。自動化が進んでも、対人折衝などで人が担うべき重要なタスクが残る職種もある一方、ドライバーなどのように自動化が本格化すれば人の仕事がかなり代替されうる職種もある。そのような職種で、働く人に過度な負担を生じさせることなく、円滑に自動化を進めるためには、労働者の移行をいかに支えるのかという視点も重要になる。
海外では、こうした課題にどのように取り組んでいるのか。以下では、シンガポールで公共交通部門の自動化政策と人材政策がどのように一体的に取り組まれているのかを紹介し、日本への示唆を整理したい。
シンガポールの公共交通部門をめぐる状況と自動化に向けた足取り
シンガポールにおいても現場職の担い手不足は深刻であり、その一例が公共交通部門の担い手不足である。バス運転士においては採用困難の度合いが増しており、タクシー運転手の3分の2はすでに60歳以上とされている(※2)。
こうした状況もあり、同国政府は2010年代半ば以降、公道での自動運転車(AV)の実証を進めてきた。シンガポール運輸省(MOT)は2023年の時点で、2014年からの10年近くにわたる実証を通じて、政府が試験・認証能力や運用上の知見を蓄積してきた一方、複雑な都市環境や悪天候への対応など、自動運転技術の大規模導入にはなお技術的課題が残る状況にあると説明している(※3)。
こうした実証の蓄積を土台として、2026年の時点でシンガポール政府は、拡大する交通需要をカバーする手段として、タクシー等における自動運転車の導入を段階的に拡大する方針を明確にしている(※4)。
公共バスについても、自動運転車の導入を拡大する方針が示されており、一部路線での実証も予定されている。ただし公共バスは高齢者、ベビーカーに乗った子どもを連れている親、障害者など、多数かつ多様なニーズを持つ通勤者・移動者のニーズに応える必要がある。そのため、技術的な成熟が遅れており、今後の調整が必要とされている(※5)。
自動化が働く人を脅かさないための取り組み
こうしたシンガポールの自動運転車の導入政策で注目されるのは、政府が技術の本格的な普及に先立ち、現在そこで働くタクシー・配車サービスのドライバーがより高度な役割を担うためのスキル形成や、円滑な労働移動を支える政策を立ち上げている点である。
2026年8月23日には、同国のウォン首相が、自動運転車の導入拡大を進める方針を示す一方、自動運転車の導入拡大が、現在運転を生業とする人にとっての懸念事項であることを認めている。そのうえで、自動運転車の導入拡大は段階的に進め、その速度が、影響を受けるドライバーを再訓練・支援し、新しい仕事へ移行させる能力を上回らないようにする方針を示している(※6)。
またこれに先立つ2026年7月には、運輸省が、人材省(MOM)、全国労働組合会議(NTUC)、Grab Singapore、ComfortDelGro Corporation Limitedと連携し、自動運転車導入の初期段階から、ドライバーが長期的なキャリアを計画し、希望すれば新しいキャリアに切り替えられるようにするための「人材移行パッケージ」(※7)を発表している。
このように政府として、自動化の影響への対処を労働市場や個人任せにしない方針、円滑な移行を支援する具体策を提示するやり方は、日本も参照しうる。
このパッケージには、大きく3つの柱がある(図表1)。
図表1 人材移行パッケージの概要
(出所)運輸省(MOT), “More Options for Taxi and Private Hire Car Drivers as Singapore Prepares for the Future of Mobility”,2026年7月7日 (https://www.mot.gov.sg/news-resources/newsroom/-more-options-for-taxi-and-private-hire-car-drivers-as-singapore-prepares-for-the-future-of-mobility/)より作成
第1は、スキル・労働力開発庁(SWDA)が行う「キャリア転換プログラム(Career Conversion Programmes:CCP)」の枠組みを利用した移行支援である。CCPは中堅・中高年層を中心とするターゲットに、実践的な訓練機会の提供や、訓練期間中の企業への賃金支援を通じて、成長分野・職種に転換することを支援するプログラムである(※8)(図表2)。
「人材移行パッケージ」に基づき、スキル・労働力開発庁は人材省や陸上交通局(LTA)と協力し、CCP内に、自動運転車領域で安全オペレーターや遠隔オペレーター、車両管理などの仕事に就くためのスキルを習得するためのプログラムや、公共交通部門でのキャリアを希望する人向けのバス運転士等への転換支援プログラムを、2026年第3四半期より新設する予定である。なお、他の産業への移行を希望する場合は、CCPの他のプログラムなども利用できる。
図表2 スキル・労働力開発庁(SWDA)によるキャリア転換プログラム(CCP)の概要
(出所)“Career Conversion Programmes (CCP) :Reskill your competencies to take on new job roles with good longer-term prospects”,(https://conversion.mycareersfuture.gov.sg/portal/programlisting.aspx?source=PCP)
第2は、短期訓練の受講に伴う経済的支援である。運輸省と陸上交通局は、2027年1月から、短期コースを受講するドライバー向けの、新たな訓練支援制度を3年間試行する方針である。具体的には、対象となる約2000講座を受講するドライバーに1時間当たり20シンガポールドル(約2400円)を、80時間まで支給する。訓練のために仕事を休むことなどによって生じる「機会費用」を補償し、訓練受講へのハードルを下げる取り組みといえる。
なおこのプログラムは短期訓練の受講を対象としている。ここには、ドライバーがこのインセンティブを利用して早期の段階で新しいスキルの習得に取り組むことで、その後にCCPのような長期プログラムに移行しやすくする狙いがある。
第3は、政府と全国労働組合会議による、ドライバーへのキャリア相談や情報提供である。労働移動を個人の力量任せにするのではなく、今後需要がある仕事は何で、そこへどう移るのかについて十分な情報を提供することで、「ドライバーが技術の変化に先んじて対応し、新たな雇用機会を把握し、自信を持ってキャリアを探れるようにする」狙いがある。
日本でも必要になる「技術導入+人材移行」の設計
日本でも、自動運転の進展を見据えた人材育成の動きは始まっている。
たとえば、2026年3月に閣議決定された「総合物流施策大綱(2026年度~2030年度)」(※9)では、トラックドライバーや倉庫等における物流人材の育成プランを策定し、スキル等に応じたキャリアアップの道筋を可視化する方針が示されている。そのなかでは、自動運転やAI等の活用を見据えた将来の物流人材の役割として、「自動運転における遠隔監視」も挙げられている。つまり、日本においても、単に自動運転技術を導入するだけでなく、技術変化によって新たに必要となる仕事を特定し、現在の物流人材のキャリア形成と結びつけようとする動きが始まっている。
また、自動運転そのものの社会実装についても、経済産業省が2026年度に「無人自動運転サービス実装推進事業」を進めているほか、厚生労働省には、新事業への展開などに伴って必要となる訓練費や訓練期間中の賃金を支援する「事業展開等リスキリング支援コース」がある。
このような政策動向も踏まえると、シンガポールの取り組みで参照すべきなのは、自動化推進政策と明確に歩調を合わせる形で、人材育成や労働移動の支援をひとつの移行政策としてまとめている点である。特に、自動運転車の安全オペレーター、遠隔オペレーター、車両管理など具体的な転換先を示し、それに必要な訓練プログラムを用意するとともに、短期訓練を受ける際の機会費用への支援やキャリア相談までを「人材移行パッケージ」として組み合わせている点が注目される。
以上を踏まえると、日本で次に考えられるのは、すでに進み始めている取り組みを、より一体的な「移行計画」として結びつけることである。たとえば、自動化によって直接的な影響を受ける職種やタスクを特定したうえで、より高度な職務、近接する職種、さらには他職種への移行ルートと、それに必要な訓練やキャリア支援策を具体的につなげていくことが考えられる。
人手不足の日本で、自動化は重要な課題である。しかしその過程で、働く人への影響が一時的に大きなものとなる可能性は否定できない。だからこそ、自動化投資を重点的に行う領域においては、その過程で働く人に生じる影響を見極め、その影響が大きい、あるいは特定の人に集中する場合には、自動化政策の設計段階から「人の移行政策」を組み込んでおくことが重要であろう。
(※1)「骨太の方針2025」でアドバンストエッセンシャルワーカーは「デジタル技術等も活用して、現在よりも高い賃金を得るエッセンシャルワーカー」と説明されている。
(※2)シンガポール首相官邸, “National Day Rally 2026” 2026年8月23日(https://www.pmo.gov.sg/newsroom/ndr2026/)
(※3)運輸省(MOT),“Oral Reply by Senior Minister of State for Finance and Transport Chee Hong Tat to Parliamentary Question on Progress of Autonomous Vehicle Development” 2023年2月7日(https://www.mot.gov.sg/news-resources/newsroom/oral-reply-by-senior-minister-of-state-for-finance-and-transport-chee-hong-tat-to-parliamentary-question-on-progress-of-autonomous-vehicle-development/)
(※4)運輸省(MOT), “Speech by Senior Minister of State for Transport and National Development Ms Sun Xueling At The Future Of Transport Motion” 2026年7月7日 (https://www.mot.gov.sg/news-resources/newsroom/speech-by-senior-minister-of-state-for-transport-and-national-development-ms-sun-xueling-at-the--future-of-transport-motion/)
(※5)運輸省(MOT), “Speech by Senior Minister of State for Transport and National Development Ms Sun Xueling At The Future Of Transport Motion” 2026年7月7日 (https://www.mot.gov.sg/news-resources/newsroom/speech-by-senior-minister-of-state-for-transport-and-national-development-ms-sun-xueling-at-the--future-of-transport-motion/)
(※6)シンガポール首相官邸, “National Day Rally 2026” 2026年8月23日 (https://www.pmo.gov.sg/newsroom/ndr2026/)
(※7)運輸省(MOT), “More Options for Taxi and Private Hire Car Drivers as Singapore Prepares for the Future of Mobility” 2026年7月7日 (https://www.mot.gov.sg/news-resources/newsroom/-more-options-for-taxi-and-private-hire-car-drivers-as-singapore-prepares-for-the-future-of-mobility/)
(※8)スキル・労働力開発庁(SWDA),” Career Conversion Programmes (CCP) for Individuals” (https://www.swda.gov.sg/home/individuals/attachment-placement-programmes/career-conversion-programmes-for-individuals)
(※9)国土交通省「総合物流施策大綱(2026年度~2030年度)」(2026年3月31日閣議決定)(https://www.mlit.go.jp/seisakutokatsu/freight/butsuryu03100.html)
大嶋 寧子
東京大学大学院農学生命科学研究科修了後、民間シンクタンク(雇用政策・家族政策等の調査研究)、外務省経済局等(OECDに関わる政策調整等)を経て現職。専門は経営学(人的資源管理論、組織行動論)、関心領域は多様な制約のある人材のマネジメント、デジタル時代のスキル形成、働く人の創造性を引き出すリーダーシップ等。東京大学大学院経済学研究科博士後期課程在学中。
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