
霞が関の国家公務員に聞きました。「あなたの組織、職場には、どんなブルシット・ジョブがありますか?」
役所の仕事は、時に形式重視で不親切だと批判され、それを「お役所仕事」と呼ぶことがある。このような印象は、日常生活から遠い霞が関の官僚組織の仕事に対しても強く感じることが多いだろう。実際に、霞が関で仕事をしている国家公務員たちは、仕事に対してどんな感情を抱いているのだろうか。
国家公務員は全体の奉仕者とされ、国民にとって重要な役割を果たす存在である。しかし、一人ひとりが感情を持つ人間でもあるので、すべての仕事に無条件で意味を見出すわけではない。実際に、元国家公務員の私自身も、ブルシット・ジョブ=無意味な仕事であると感じたことがある。そこで、霞が関で働く国家公務員が思う無意味な仕事とは何か、機縁法で課長補佐や係長として勤務している5名にインタビューを行い、その実態を探ることとした(※)。インタビューイーが話してくれた無意味な仕事について、抵抗しやすいものから順番に紹介する。
アナログの亡霊
役所といえば、デジタル化が遅れている印象を持つ人も多いだろう。デジタル化の時代に紙で仕事をすることは、無意味さを感じる要因になっている。A係長は、そんな仕事に悩まされた一人である。
「100ページを超える会議資料を数十部紙で用意するために、課のコピー機を数時間占領して対応しました。分厚すぎるので手作業でクリップ留めをしたり、途中で差し替えも生じたりして、時間や体力に加え大量の紙も無駄になっています」
紙の仕事については、B課長補佐も疑問を持っている。
「昔は資料を紙でコピーするのが常識でしたが、今はもうデータベースから引っ張るのが当たり前なので、大量の資料を紙に印刷するとかどうなのだろうか」
もちろん、昔よりはデジタル化は進んでいるだろう。しかし、まだ紙の対応が必要な仕事もあるようだ。そのような中でも、状況がよくなるように試みることもある。A係長は、状況を変える行動を起こした。
「直属の上司に意見するのは難しいですが、幸い上司の上司である課長はデジタルに明るく、ペーパーレス化や働き方改革に前向きな方でした。困っている状況を説明したところ、資料を紙で用意する必要性について上司と議論して下さり、結果的に一部幹部の分を除き資料は印刷しないこととなりました」
紙を完全になくすことはできなくても、理解のある人を巻き込むことで、少しであっても状況を改善することはできる。
慣性の力
一貫性や安定性が求められる国家公務員の仕事では、状況が変わらなければ、物事を前例のとおりに進めることに一定の合理性がある。しかし、状況が変われば、前例も見直さなければならない。ところが、現実には、前例が慣性を帯びて変えさせない力を発揮することがある。そんな慣性に挑戦したB課長補佐のエピソードを紹介しよう。
「最初は意味がある仕事でも、続けるうちに形骸化してしまうことはありますよね。一定のタイミングで対外的に説明しなければならない仕事があるのですが、ほかにまとめた資料があるのにもかかわらず、特定のところへ説明に行く時は、曼荼羅のような資料を新たに作って説明していました。初めてその資料を見た時、正直、作りたくないと感じました」
法律改正や新たな政策を進める際には、膨大な内容をわかりやすく説明した資料を作成する。しかし、説明する相手の関心によっては、異なる観点からの資料が求められることもある。
「あるタイミングで誰かが資料を求めるようになり、世代が変わって求める人がいなくなっても、昔の偉い人が始めたことだからと、なかなかやめられなくなるのかもしれません」
報告する側と報告される側にとって意味があった仕事も、受け継がれる中で意味を失ってしまうことは、他の場面でもよく見られる。そんな仕事も、意味を問うことで廃止できることがある。
「担当の人に資料の必要性を聞いてみると、いらないと言われたことがありました。そこで、資料を作成しないようにしたら、何も聞かれませんでした。フラットに疑問を持つことは重要ですね」
慣性の力は同じ方向に進む強い力となるが、別方向からの刺激があれば、意外と簡単にそれを止めることもできる。だが、同じように慣性に直面したC課長補佐は、いつでも止められるわけではないと語る。
「絶えず問い続けていれば、いらない仕事はあると思うんです。でも、本当に必要なのかと聞いてしまうと、そこで交渉や調整をするエネルギーやコストがかかってしまう。余裕や体力がない時は、そのまま放置しておいたほうが楽という仕事は結構多いですね」
無意味な仕事の処理にかかる労力と、その仕事をなくすために必要な労力を比較した時、必ずしもその仕事をなくすという行動につながるわけではない。無意味な仕事の慣性には、別方向からの刺激すら断念させる力もある。
神話の魔力
官僚型組織には、背負う責任の重さに基づいたヒエラルキーがある。ヒエラルキーが良い方向に働くこともあれば、必要以上に意識されて無意味な仕事が生まれてしまうこともある。
「幹部への報告の階層が一段階上がるごとに、毎回関係者全体に確認メールが送られ、それを開いて見るだけで、全員が時間を費やしています。同格の幹部同士で意見の対立が起こると、その間を取る調整のために、部下がかなりの時間を費やすことになります」
このような状況を受け入れると、仕事を終えるまでに時間がかかってしまう。そこで、C課長補佐は合理的に判断をする。
「相手の役職を問わずに、作業依頼に対して必要性や目的を単純に聞いてしまえば、意外と効果があります。意見が対立して調整が必要な時も、みんなで集まって決めればいいし、直接聞いてしまってもよいと思っています」
すべてを自分が受け止めるのではなく、関係者を巻き込むことで解決の道筋も見えやすくなる。だが、その道筋の実現は必ずしも簡単ではないようだ。
「官僚機構には、幹部は偉いという神話のような認識があります。私が無意味に感じる仕事でも、神話を信じる人たちは、意味があるかのように頑張ることがあります。本人たちが神話を信じているので、さらに意味を作ろうとすることもあるのは根深いです。そうなると、余計な作業が増えていると感じることは多いですね」
周りがこの神話を信じていると、神話に基づいて意味がある(かのように見える)仕事が生産されていく。「神話」という比喩には、抵抗することの難しさが表れている。
「難しさを感じるのは、意味がないと言ってしまうと、余計な衝突が生まれて、どうしようもなくなってしまうところです。敵意があると受け止められないように、結構、気を付けています」
ある仕事に対して、神話的な見方と現実的な見方が衝突する場面では、これに疑問を唱えるには異端者となる覚悟が必要になる。
異端者のその後
しかし、異端者のような想いも、立場が変われば変化することがある。B課長補佐は、自身の過去の行動を振り返りながら、そんな悩みを吐露する。
「若手ですごく忙しい時に、管理職があるところから依頼されて持って帰ってきた仕事がくだらないと思ったので、それを受け取らないのが仕事ですよねと言ってやらなかったことがあります」
「でも、課長補佐とかになってくると、どんなにくだらないと思ったことでも、一旦受け止めなければいけないかなと思うようにもなりました。本当に困っていることがあり、課題解決のために必要なことなら、担当の私が放棄してはいけないのかなとも思います」
ある時は無意味に感じられた仕事も、立場が変わることで意味があるように感じられることがある。無意味さが本人の中でも絶対的なものではないところに、無意味な仕事を巡る悩ましさが潜んでいる。
過剰チェック
2021年、誤字・脱字が含まれた法案が政府から国会に立て続けに提出されたことが大きな問題として議論された。国家公務員には、たった一字の間違いも許されない仕事がある。そのため、重要な文書の確認作業は入念に行われるが、それも行きすぎれば意味が薄れてしまう。D係長はそんな体験を語る。
「誤字・脱字を含めて間違ってはいけないので、何度もチェックする。その過程に『読み合わせ』という作業があって、表紙から最後まで全部、一方の人が読み上げて、もう一方の人が本当にそのとおりの文章になっているかを、マークをつけながら確認します。正直、そこまでやる必要があるのかなと思いつつも、これを繰り返しやるんですね」
『読み合わせ』は文字の間違いを見つけるために時間をかけて行う確認作業であるが、ミスが生じると、再発防止策として新たな工程が加えられる。
「ミスを減らすためにチェックリストで確認する工程が増えます。そうすると、その一つひとつをこなすことに精一杯になり、余裕がなくなります。いつの間にか、チェックリストをこなすことだけに気を取られて、全体的なクオリティを上げるための取り組みがおろそかになってしまう。ミスはだんだん見つかりにくくなり、ミスをゼロにするためにあまりにも膨大な労力をかけています」
ミスをなくす目的で設けられた工程が、手順を踏むだけの作業になってしまっている。
「やれと言われればやりますし、ネガティブな気持ちでやっていても仕方がないので、こういう意味があると自分を納得させてやります。ただ、本当に必要なものに絞って簡素にするような方法もあると思うんですけどね」
最後の発言には、本来の目的が見失われているにもかかわらず、絶対に間違えないという大義名分のために、手続き的に決まっているやり方に従わざるを得ないという悩ましさがにじみ出ている。
コントロール不能
インタビューの中で最も悩ましさが表れていたのは、自分ではどうすることもできず、ただ対応するしかない仕事であった。
「政権の重要課題に関する全府省への確認とか、ある程度、大事だと思いますが、なぜか、夜中に来て翌朝までに返事をしなければならないという謎のスケジュールは、どうにかならないかと思います」(B課長補佐)
課長補佐や係長は、担当する特定の領域に関して責任を負っている。このため、政治や全府省が関係する大きな政策形成プロセスに対して、一人の課長補佐が疑問を挟んでも、その声を聞き届けてくれる人は皆無だろう。
「どんな相手であっても、公開できない情報を教えることや法律に触れるようなことをお願いされても応じられませんし、所掌外のことを聞かれても無責任に回答できません。それでも、問われた以上は、対応困難な理由や調べた情報を基に回答を作成し、その都度丁寧に対応する必要があります」(A係長)
国の行政機関ができることは、法律が定める範囲の中に限られる。どんな人からお願いされても、法律に違反することはできない一方で、問い合わせに対しては応じざるを得ない。
「1年間、仕事をしてようやくわかってきたと思ったら、2年目は3カ月で異動になってしまい、覚えたことも活かせないままでした。繰り返すうちに、それが当たり前のように植え付けられてしまいました」(E係長)
国家公務員は1年から3年程度で人事異動を繰り返すことが慣行になっている。本人の希望を聴取する仕組みはあっても、長年の慣行で築かれたジョブ・ローテーションの仕組みを打ち破るには心許ない。
これらの発言からは、本人は疑問を感じながらも、自分で対処できる狭い範囲の中で、どうにか対応している状況がうかがえる。自分たちだけで完結できない仕組みや組織的な動きに関わる問題に対して、課長補佐や係長は、あまりにも無力だ。きっと、より重い責任を背負っている上位の職階である幹部から見れば、無意味な仕事について異なる景色が見えるのかもしれない。
機縁法という偏りのあるサンプルから得られた情報だが、霞が関に存在する無意味な仕事は、決して対岸の火事ではない。民間企業にも見られるものがあるだろう。
インタビューに応じてくれた国家公務員たちは、無意味さを感じている仕事に対して、意味を問うことで、その仕事を変えたりなくしたりできないかと果敢に挑戦している。しかし、誰もが意味を問える勇気を持っているわけではない。インタビューでも意味を問うことへの悩ましさが聞かれた。また、意味を問うことすらできないこともある。仕事の無意味さを感じさせてしまう構造には、対処しやすいものと対処しにくいものがありそうだ。今回の研究では、無意味な仕事が生まれてしまう構造を類型化して、その類型に応じた対処方法を明らかにしていきたい。
次回のコラムは、大学教員にスポットを当てる。大学教員として研究と教育に携わる早稲田大学の濱中淳子教授のレポートに期待していただきたい。
※ 本コラム中に紹介するインタビュー結果は、回答者が特定できないようにするために、内容に影響しない程度の編集や加工を施している。

橋本 賢二
2007年人事院採用。国家公務員採用試験や人事院勧告に関する施策などの担当を経て、2015年から2018年まで経済産業省にて人生100年時代の社会人基礎力の作成、キャリア教育や働き方改革の推進などに関する施策などを担当。2018年から人事院にて国家公務員全体の採用に関する施策の企画・実施を担当。2022年11月より現職。
2022年3月法政大学大学院キャリアデザイン学研究科修了。修士(キャリアデザイン学)