むしばまれるもの、保たれるもの――「無意味な仕事」が壊す場所
第13回までで、無意味な仕事の分布を描き、その輪郭を捉え、回路の「詰まり」を見てきた。さらに、それが組織の中で温存される仕組みも確認してきた。では、その地形の上にしばらく立ち続けた時、人には何が起きるのか。
第14回で見たいのは、「無意味な仕事」が何をむしばむかだけではない。どこが大きく傷み、どこが相対的に保たれるのかである。劣化は案外、目につきやすい場所ではなく、見えにくい場所から進んでいる。
崩れる前に、ひびは入っている
建物は、崩れる時に初めて傷むわけではない。前から小さなひびは入っている。ただ、それが「崩れの始まり」として見えていなかっただけだ。職場でも、似たことが起きる。
ある人が辞める。周囲は驚いて、「急だったね」と言う。だが、急に見えただけである。日常は回っている。会議もある。締切もある。雑談もする。だから外からはわからない。同じように働いていると見えてしまうからだ。
人が職場にとどまるかどうかを左右するのは、派手な事件よりも、むしろもっと地味な感覚ではないか。「ここでやっていける」「この組織と一緒にやる意味がある」。そうした感覚が、じわじわと薄れていく。しかも、薄れてもしばらくは仕事が回ってしまう。ここがやっかいである。
関係がほどける時は、しばしばこういう形を取る。仕事でも、共同研究でも、共同経営でも、そして家庭でもそうだろう。外形は続いているのに、納得や信頼だけが先に痩せていくことがある。そして、ある日、紙が出る。退職届かもしれない。異動願かもしれない。家庭であれば、離婚届である。
第14回で扱いたいのは、その紙が出る前に、どのような崩れ方が進んでいるのか、そこに「無意味な仕事」がどう絡んでいるのかという点である。まずは、数字から見ていこう。
分析方法と基本データ
これまでと同様、無意味な仕事が何種類重なっているかによる3群(0種類/1〜3種類/4種類)を用いて分析する。
- 少:0種類(束が立ち上がっていない)
- 中:1〜3種類(束ができ始めている)
- 多:4種類(束が最大化している)
今回見るのは、この重なりが、仕事の受け止め方や将来の見通しとどう結びついているかである。用いるのは、次の8指標である。いずれも4件法の回答を用い、複数項目で構成される指標は、比較しやすいよう平均点(1〜4)に換算した。各指標の構成項目と信頼性の確認結果は注に示す(※) 。
- エンゲージメント
- ストレス
- 疲弊
- 仕事・職場満足度
- ウェルビーイング
- 継続勤務意向
- 転職意向
- 出世意向
さて、詳しく見る前に、3群ごとの平均値を概観しておこう(図表1)。まず目に入るのは、下がるものと上がるものがあるということである。これはある程度予想のつく結果だろう。だが、重要なのはむしろ、その下がり方・上がり方が一様ではないことである。第14回の論点は、この非対称な崩れ方にある。
図表1 タイプ別に見た平均得点

ポイントⅠ 前向きさと疲弊の同居
最初に「①エンゲージメント」を見る。「少」→「中」→「多」となるにつれて得点は下がる。2.61 → 2.54 → 2.24である。ここだけ見れば、「無意味な仕事が増えるほど、前向きさが失われる」という、比較的素直な話に読める。だが、ポイントはそこではない。「多」であっても、エンゲージメントは消えていない。前向きになる瞬間はなお残っている。集中して没頭することもある。仕事が好きだと言い切る人もいる。
まだ回る。この「まだ回る」が曲者である。人は、まだ回っているうちは危機だと思わない。周囲も思わないし、本人も思わない。むしろ「やれている」と感じてしまうかもしれない。だから進んでしまう。そして、進んだ分だけ、疲れが後ろから追いかけてくる。
実際、データは、消耗がきれいに積み上がっていくことも示している。ここで押さえたいのが、「②ストレス」と「③疲弊」である。「②ストレス」は2.45 → 2.76 → 2.97と上昇し、「③疲弊」は2.38 → 2.63 → 2.85と上がっていく。仕事への熱がなお残っている状態のまま、消耗だけが積み上がっていることがわかる。
言い換えれば、もう少し嫌な形になる。「嫌いになったから苦しい」のではない。「苦しいから嫌いになる」のでもない。まだ嫌いになりきれていないまま、疲弊が進んでいるのである。静かな摩耗は、音を立てない。音を立てないものは、組織の議題に上がらない。議題に上がらないものは、直されない。面倒な話だが、たいていそういうふうに進む。
ポイントⅡ 壊れる場所と、踏ん張る場所
図表1には、やや対照的な結果も現れている。「④仕事・職場満足度」と「⑤ウェルビーイング」である。
「④仕事・職場満足度」は落ち幅が大きい。「少」2.79 → 「中」2.62 → 「多」2.31と、0.48ポイント低下している。この項目で尋ねているのは、仕事内容への満足だけではない。会社全体、職場の人間関係、上司、仕事の進め方、待遇への満足まで含んでいる。少し露骨にいえば、「無意味な仕事」は、「この会社のやり方に付き合う気」を削いでいる、ということになろう。折れる、というほど劇的ではない。ただ、着実に、そして確実に削いでいる。
一方、「⑤ウェルビーイング」も下がるが、落ち方は相対的に小さい。「少」2.74 → 「中」2.69 → 「多」2.51であり、「少」から「多」までの低下幅は0.23ポイントである。もちろん、生活が無傷だという話ではない。実際に下がってはいる。それでも、満足度ほどには落ちない。ここに第二のポイントがある。
つまり、「無意味な仕事」は、人の心を全面的に壊すというより、壊す場所を選んで傷めている。この一部しか壊さないことが、実は悩ましい。生活全体が崩れていれば、誰の目にも見える。欠勤が増える。体調を崩す。家が回らない。大きな警報が鳴る。けれども、ウェルビーイングが相対的に踏ん張っていると、外から見えるのは「まだ普通に働けている」という姿だけになる。
だから組織は判断を誤る。「大丈夫そうだ」と。本人も「何とかなる」と思ってしまう。保たれている。倒れない。だから、見逃されるし、助けられない。やや斜めから見れば、次のようにも解釈できるだろう。生活が完全に崩れないのは、本人の踏ん張りだけによるのではない。近年のワークライフバランス施策や、働き方改革のような「生活を守る仕掛け」が、一定程度は機能しているからでもある。だとすれば、政策が効くほど、会社は異変に気付きにくいということでもある。
ポイントⅢ 折れるのは野心ではなく、会社へのコミット
以上を踏まえた上で、残る3つを見ていこう。「⑥継続勤務意向」「⑦転職意向」「⑧出世意向」である。
まず、「⑥継続勤務意向」は、タイプ数が増えるほど下がる。値は2.97 → 2.83 → 2.54であり、「少」から「多」で0.43ポイント低下している。これに対して「⑦転職意向」は上がる。2.01 → 2.35 → 2.47であり、「少」から「多」までの上昇幅は0.46ポイントである。
加えて、「⑧出世意向」(より上の立場を目指したい)を確認すると、これは大きくは動かない。少なくとも、「折れた」と言うほどではない。ここで動いているのは、野心そのものではなく、「この会社で続けるか」「外に出るか」というコミットメントの向きである。
ここまで並ぶと、もう言い逃れはできない。「無意味な仕事」が増えるほど、エンゲージメントは低下する。消耗し、疲弊する。満足度は落ちる。そして、「ここに居続けたい」は弱まり、「もう出たい」は強まる。
ただし重要なのは、これが「個人の弱さ」としては現れていないことである。エンゲージメントがゼロになっているわけではない。生活も破綻していない。それでも、居続けたい気持ちは薄くなっている。
ここで、これまでの回のストーリーにつなげて言い直してみよう。「無意味な仕事」を抱え込んでいるのは、むしろ「回せる人」だった。現場が詰まった時、誰かが穴を埋める。全体像が見えない時、誰かがつないでしまう。目的が曖昧でも、誰かが筋を通してしまう。たいてい、その「誰か」は「優秀な人」である。
「優秀な人」に「無意味な仕事」が偏る。なるほど、だから崩れ方は派手にならない。前向きさも、生活も、ある程度は保ててしまう。倒れない。折れない。揉めない。保つ力がある。だから抱え込める。そして、抱え込める人は、自分の市場価値もわかっている。選択肢がある。だから最後は出ていく。ここは一度、言い切っておきたい。人の心が壊れるのではない。人が抜ける。しかも、静かに。
離職はしばしば「突然」に見える。「紙」が出た日に周囲は驚く。けれども、驚いているのは周囲だけで、本人の中ではもうだいぶ前から準備が進んでいる。このずれが一番痛い。組織が「まだ大丈夫」と思っている間に、要が抜ける。「無意味な仕事」の延長上には、こうした未来が待っている。
次回へ
第14回で見えたのは、「無意味な仕事」が増えると前向きさが消える、という単純な話ではないということであった。前向きさが残ったまま消耗が積み上がり、満足感が目減りし、最後に会社から離れる。外から見えにくいのは、見た目が保たれてしまうからである。倒れない。だから気付けない。
では、どう戦うのか。「紙」が出る前に、できることは何か。次回は、本研究プロジェクトのリーダーである豊田義博も関わるライフシフト・ジャパンが大事にしてきた理念、「KX(カイシャ・トランスフォーメーション)」を手がかりにする。KXが鍵としているのは、制度の立派さよりも、職場の土壌である。一人ひとりが、そのままの自分を解放できているか。枠を超えたつながりから共創が生まれているか。想いや好奇心が変化の起点になっているか。学び続け、変わり続ける機会があるか。きれいごとに聞こえるかもしれない。だが、きれいごとで終わるかどうかは、数字が決める。
立ち上がりと雪だるま化では、効く手当てが違うはずだ。その違いが、この「土壌」の違いとして現れているのか。現れていないのか。次回は、そこを確かめる。
(※)分析で用いた指標は、いずれもアンケート調査の4件法による。エンゲージメント(仕事への前向きさ・集中・適合感など)は8項目、仕事・職場満足度(会社全体、人間関係、上司、仕事内容、進め方、待遇)は6項目、ウェルビーイング(生活満足、活力、意味感、健康、つながり、自分らしさ)は6項目から構成し、いずれも内的整合性を確認した上で平均点(1〜4)を作成した。Cronbachのαは、エンゲージメント0.919、仕事・職場満足度0.851、ウェルビーイング0.892である。ストレス、疲弊、継続勤務意向、転職意向、出世意向は各1項目である。
濱中 淳子氏
早稲田大学教育・総合科学学術院・教授
東京大学大学院教育学研究科総合教育科学専攻博士課程修了。博士(教育学)。リクルートワークス研究所、大学入試センター研究開発部、東京大学高大接続研究開発センター教授等を経て、2019年4月より現職。
単著に『検証・学歴の効用』(勁草書房,2013年)、『「超」進学校 開成・灘の卒業生』(ちくま新書,2016年)、『大学でどう学ぶか』(ちくまプリマー新書,2025年)、共著に『教育劣位社会』(岩波書店,2016年)、『〈学ぶ学生〉の実像』(勁草書房,2024年)、編著に『大学入試改革は高校生の学習行動を変えるか』(ミネルヴァ書房,2019年)など。
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