著者と読み直す『R・E・S・P・E・C・T リスペクト』 ブレイディみかこ

声を上げて闘わなければ自分へのリスペクトは取り戻せない

本日の1冊

『R・E・S・P・E・C・T リスペクト』  ブレイディみかこ

w181_book_title.jpg2014年にロンドンで起きた公営住宅占拠事件に着想を得た小説。理不尽な理由でホームレスシェルターから退去を迫られたシングルマザーたちが、自らの尊厳と権利を守ろうと立ち上がり公営住宅を占拠する。ロンドン駐在の日本の新聞記者、史奈子は事件を冷めた目で見ていたが、彼女たちが「自分たちでやってやる」というD IY精神と助け合いの力で政治を変えていく姿を目の当たりにし、自身も新たな一歩を踏み出す。(筑摩書房刊)

英国の貧困地区の託児所で保育士として働きながらライター活動を始め、「地べた」の視点から格差や分断など社会問題を活写してきたブレイディみかこさん。元底辺中学校に通う息子の葛藤と成長を綴り、シリーズ累計100万部を突破した『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(以下、イエロー本)では「エンパシー」という言葉を日本に広めた。本作ではタイトルでもある「リスペクト」がキーワードだ。

「イエロー本を書いていたのはEU離脱問題で英国国内の分断が問題になった時期。他者の靴を履くように、その立場に立って相手を理解するスキル=エンパシーという概念が広がりました。今の課題は物価高。そのなかで注目されているのがリスペクトという言葉です。物価高でいちばん打撃を受けているのは、看護師や鉄道労働者などコロナ禍で称賛されたエッセンシャルワーカーたち。彼らが『自分たちを本当に大事だと思うのなら、それに見合う賃金を払え、リスペクトを見せろ』とストライキを連発している。ストで国民生活に支障も出ていますが、半数以上の人が彼らの闘いを支持しています」

小説のモデルは2014年にロンドンで起きた事件だ。そこで自らの尊厳をかけて闘うシングルマザーたちの姿と、ソウルの女王、アレサ・フランクリンの代表曲「リスペクト」のパワフルなイメージがブレイディさんのなかで重なった。

理不尽に対して「もう黙らない」

区の予算削減でホームレスシェルターからの退去通告を受けたシングルマザーたちが、相談窓口に行くシーンでこんなやりとりがある。職員から、「公営住宅に空きはない。民間の賃貸を借りるか、無理なら家賃が安い中北部に行くしかない」と言われた1人が、「冗談じゃない」と食ってかかる。「家族も友人もいない街で1人で子どもを育てろと言うのか。市内に空き家はゴロゴロあるじゃないか」。激昂する彼女に職員は「リスペクトに欠ける態度は許しません」と言い放つ。ブレイディさんはそれと似た光景を福祉事務所で目撃したことがある。

「役所側はマナー上の問題として『リスペクトしろ』と言うんですが、そこに隠されているのは『身分をわきまえて黙ってろ』という本音。それに対してシングルマザーたちは『もう黙らない』と立ち上がります。こちらの事情を酌もうともしないあなたたちこそリスペクトがないじゃないかと。日本だと理不尽なことがあっても、そういう下からの闘いがないですよね。それが日本の、特に若者の自己肯定感の低さにつながっている気がします」

自己肯定感とはすなわち自分へのリスペクト。「ふざけんな」と立ち上がった経験があれば、「自分も案外やれる」と自信を持てる。けれども多くの日本人はどうせ変わらないと諦め、さめざめと泣いたり傷を舐め合ったりしているだけではないのか。それは「そもそも闘い方を教えられていないから」とブレイディさんは言う。英国では小中学校時代にシティズンシップ教育を受け、居住権やストライキ権など闘う手段について学ぶのに対し、日本では人に迷惑をかけないことばかりが強調される。

「すぐに教育を変えられないのなら、メディアや本が『こういう方法がある』と伝えるべきです。今回、ルポではなく読みやすい小説にして、NAKAKI PANTZさんという若手のポップなイラストを使ったのは、中高生にも読んでもらいたかったから。イエロー本と同じように、大人にもティーンにも読んでほしい」

シングルマザーたちは自らの声を聞かせる手段として、公営住宅地の空き家を占拠する。それを市民も差し入れなどで支援し、最終的に区長が謝罪に追い込まれる。一連の運動を貫くのは「アナキズム」の思想。日本では暴力や無秩序を支持する危険な思想というイメージが強いが、ブレイディさんは「それは違う」という。

アナキズムは優しい思想

「 日本のようにヒエラルキーのなかで上から抑え込まれる力が強いと、抗うのは面倒くさいし、人に決めてもらうほうがラクだと思いがち。でもアナキズムは上からの支配を押し返す力。誰かに決めてもらわなくても自分たちで回していけるというDIY、自治の精神です。そのなかでは自然と助け合いが生まれてくる。怖いというイメージとは真逆で、本当はポジティブで優しい思想なんです」

過去30年の日本の停滞は、アナキズムの欠如と無縁ではない。賃金がずっと上がらなかったのも、労働者が声を上げてこなかったからだとブレイディさん。ただ最近では、西武・そごうの労働組合が久方ぶりにストを決行するなど、「リスペクトを求める世界の動きが日本にも飛び火している」と期待する。

「 労働人口の減少でシステムが立ち行かなくなっている今こそ、日本も立ち上がる力を取り戻さないといけない。この小説で闘うことの大切さ、それがセルフリスペクトを取り戻すことにもつながることを伝えたいですね」

w181_book_brady mikako.jpgBrady Mikako
福岡市生まれ、1996年から英国在住。著書に『子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から』『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』など。今秋には『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』、谷川俊太郎氏との共著『その世とこの世』を上梓。
Photo=Shu Tomioka

Text =石臥薫子 Photo=今村拓馬(書影)