著者と読み直す『シチリアの奇跡』 島村菜津(しまむら なつ)

買い物は財布による投票だ

本日の1冊

『シチリアの奇跡』  島村菜津(しまむら なつ)

w180_book_title.jpg映画やドラマの影響で「マフィアの島」の印象が強いイタリア・シチリア島。しかし、そこには命をかけてマフィアと闘う市民がいた。マフィアにお金が流れない経済の仕組みを作ろうと奮闘する若者がいた。やがてマフィアから押収された土地は有機農場となり、島は「オーガニック」と「エシカル(倫理的)消費」の最先端の地へと変貌する。10年以上にわたる綿密な取材で描き出す諦めない人々の闘いのドキュメント。(新潮社刊)

イタリアのスローフード運動を紹介した著書『スローフードな人生!』(新潮社)で知られる島村菜津さん。本書を書くきっかけは、珍しい地域食材の取材でシチリアを訪れた際、宿の主から「僕のイチオシの店は、マフィアからの押収地でできたオーガニックのものだけを扱っているんだ」と聞かされたことだった。

「雇用がなかった島に若者が戻り、環境保全やオーガニックに取り組んでいると知って、なぜだろうと。そもそもマフィアについては、私も『ゴッドファーザー』のイメージが強くて、一度ちゃんと調べようと思ったんです。そこからです、沼にハマったのは(笑)」

取材はすぐには進まなかった。島がマフィアの巣窟のようにメディアに扱われてきたことに人々は傷つき、心を開いてくれなかったからだ。「 私もかつて『マフィア映画でたどるシチリア』みたいな雑誌の企画で、『ゴッドファーザー』の主人公、ドン・コルレオーネのモデルとされるトト・リイーナの出身地、コルレオーネに行きました。そこで無邪気に『トト・リイーナの家はどこ?』と尋ねたら、おじさんが悲しそうな顔で『お嬢さん、ここはマフィアばかりの町じゃない。美しいものもいっぱいあるんです』って」

地道に人間関係を作り、2年がかりでようやく扉が開き始めたと思った頃、コルレオーネでマレリーナという女性に出会った。マフィアとの闘いの歴史を内外に伝える「反マフィア美術館」の副館長で、島村さんの知らないコルレオーネを見せてくれた。

人生前半を支えてくれた島に恩返ししたかった

「『うらぶれた寒村』『アラブ人が造った町で気性が荒い』と言われてきましたが、それはマフィアのイメージからの偏見で、実際は小麦や葡萄がよく育ち、森も広大。古代から交通の要衝でいろんな民族が欲しがる豊かな町だったんです」

労働運動とマフィアが深く関係していることもはじめて知った。19世紀末、この町では農民が労働条件の改善を求めて立ち上がり、資本家の側についたマフィアと対立。そこから人々とマフィアの長い闘いが始まっていた。島村さんはその知られざる歴史に光を当てたいと思った。

3年かけて不確かな情報も交じる膨大な資料を、一つひとつ調べ上げた。さらに、マフィアと闘って命を落とした犠牲者の遺族に取材の意図を丁寧に伝え、会いに行った。島村さんをそこまで駆り立てたものとは何だったのか。

「恩返しの気持ち、ですかね。若い頃、人生に行き詰まるたびにイタリアを貧乏旅行したんですが、異邦人に偏見がないシチリアの人たちは優しくて、何度もおいしいご飯をご馳走してくれた。自然も美しい。シチリアは私の人生前半を支えてくれた島。だから諦められなかったんです。マレリーナをはじめ、人生をかけて反マフィアの活動をする年下の人たちに出会ったことも大きかった。マフィアとの闘いで命を落とした島民は519人。遺族のなかには話を聞いた翌年に亡くなった方もいて、託されたメッセージをなんとしても伝えようと思いました」

本書の後半では、負のイメージの払拭と地域おこしに挑む若者の姿を描いた。その1つが、みかじめ料を払わない企業や商店と消費者をつなげることで、マフィアにお金が流れない仕組みを作る「さよなら、みかじめ料運動」だ。

「根底にあるのは『買い物は財布による投票だ』という考え方。自分たちの消費行動を見直し、環境や社会をよくする商品を買うことで、社会を望ましい方向に変えていこうとするSDGsの先駆けのような発想です。私がぐっときたエピソードは、みかじめ料を拒否してマフィアからの嫌がらせで潰れそうになった店へ、週末に若者が大挙して通い、店が大繁盛した話。『一緒に食べて飲んで、ただ楽しいだけ。社会活動はああいうのが理想ね』と聞いて、やっぱり食が人を結びつける力はすごいなと。楽しくてこそ人は動くし、そうやって人間が本来持っているいい部分を引き出すって大事だと思うんです」

日本と違う移民・難民への温かい眼差し

マフィアからの押収地をオーガニックの畑に変えていく活動もしかり。おいしくて身体にも大地にも負荷をかけない作物がエシカル(倫理的)な消費者を惹きつけ、もともと有機運動にも熱心だったシチリアは、今や国内最大のオーガニック産地となった。

取材を通じ、日々の営みに喜びを見出しながら困難に立ち向かうシチリアの人々に「励まされた」という島村さん。既に次のテーマを温めている。

「日本とシチリアは地震の多さや豊かな自然など共通点も多いですが、大きく違うのは移民・難民への対応。この本でアジアやアフリカからの移民・難民が多い地域にある多文化共生レストランのことに少し触れましたが、マフィアの暴力と政変を逃れ移民となった人も多いシチリアは、つらい境遇にある人への眼差しが温かい。あのレストランを舞台に移民・難民とのつきあい方を考えてみたいなと思っています」

w180_book_shimamura-natsu.jpgShimamura Natsu 
ノンフィクション作家。東京藝術大学卒。著書に『エクソシストとの対話』『スローフードな人生!』、近著に『世界中から人が押し寄せる小さな村』など。

Text =石臥薫子 Photo=今村拓馬