人事のアカデミア

ファッション

ファッションを通じて人々の意識や社会のあり方を考える

2025年06月13日

「ファッションが大好き」な人も、まったく関心がないという人も、誰もが毎日服を身にまとい、場面に応じて使い分けてもいる。気まぐれな流行に見えるファッションは、私たちの文化や社会を色濃く映し出している。ファッション文化論を専門とする平芳裕子氏とともに、多角的な視点から改めてファッションを見つめ直す。

なぜファッションは研究の対象にならないのか

梅崎:平芳先生は学生時代を振り返って、ファッションを専門とする研究者がいなかったとご著書に書かれています。「ファッションは学問になるのか」という素朴な疑問を持つ人は今もいると思います。なぜファッションは学問として認められてこなかったのでしょうか。

平芳:いくつか理由があります。1つは、ファッションが気まぐれな流行と捉えられてきたこと。ファッションはその時代の空気を反映して生まれ、社会的な事件や著名人の言動といった偶然の出来事によって移り変わります。論理的に説明しにくい要素が多いため、学問の対象としてふさわしくないと見なされがちでした。
次に、ファッションは実用性を持つ「応用芸術」とされ、伝統的な絵画や彫刻のような「純粋芸術」と比べて、学問としての評価が低くなりがちだったことがあります。同じ応用芸術でも、工芸や建築は作品として鑑賞の対象になり得ますが、ファッションはそれを着る身体があって初めて成り立つため、対象化しにくい面があります。最近は美術館でのファッション展も増えていますが、どれほど素晴らしい服でも、触れたり着たりすることなく「ただ見るだけ」ということに、いまだに私自身も少し違和感を覚えてしまいます。

梅崎:すごくおいしい料理を「食べずに見て楽しんでください」と言われているようなものですよね。

平芳:まさにその通りですね。そして3つ目の理由として、衣服や布が、歴史的に女性と結びつけられてきたことが挙げられます。既製服が一般化したのは比較的最近のことで、それ以前は服を手作りしていました。
日本では幕末の開国以降、西洋の衣服が入ってきて、徐々に着物から洋服を着る人が増えていきました。当初は市販の洋服がなく、多くの女性が洋裁教室に通って技術を習得しました。戦後には洋裁の専門学校が多数設立され、ファッションデザイナーとして活躍する人も現れます。つまり、ファッションは専門学校で学ぶものとされ、大学の教育課程には位置づけられてこなかったのです。
現在では大学でも、工芸の一環として染めや織物を扱ったり、プロダクトデザインと並んでファッションデザインを学んだりすることができますが、日本においては洋裁学校にルーツを持つファッション専門学校の存在感が依然として大きいと思います。

女性の身体を解放する20世紀のデザイン

梅崎:ファッションは移ろいやすい流行だというお話がありましたが、実は「ファッション」という言葉自体の意味も、時代とともに変わってきました。

平芳:現在では一般的に「流行の衣服」と訳されますが、歴史を遡ると、社会構造の変化とともにファッションの意味も変化しています。
ヨーロッパの貴族社会では、ファッションは一部の上流階級のものであり、女性だけでなく男性も着飾っていました。高価な宝飾品や毛皮、職人が手間をかけて作った刺繍やレースなど、洗練された装いができるのは王や貴族に限られており、服飾品は王侯貴族の振る舞いや存在そのものを示す指標でもありました。この時代、ファッションという言葉は「習慣」や「作法」という意味で用いられていました。

西洋ファッションの変遷出典:『東大ファッション論集中講義』をもとに編集部作成

梅崎:移ろいやすい流行とはまったく逆で、むしろ階級や立場など変わらないものを表していたのですね。

平芳:やがて市民革命により貴族社会が崩壊し、産業革命を経て工業化が進み、現代社会の基盤が築かれていきます。農村から都市への人口移動が進み、都市では商業が発展し、百貨店も登場。大量生産された多様な商品が手に入るようになりました。自由や平等を掲げる新しい市民社会のなかで、ファッションは一部の特権階級のものではなくなっていきます。

梅崎:人々の装いも変化し、少し贅沢な服や装飾品を身につけたいと望む人が増えてきた。

平芳:それでも当初は、やはり上流階級のほうが流行をいち早く取り入れることができたため、ファッションには「社交界」のような意味も含まれていました。やがてファッションが産業化され、短いスパンで新しいスタイルが次々と提案されるようになり、「流行」という現在の意味合いを帯びてきました。

梅崎:ファッションの歴史は、女性史としても興味深いですね。

平芳:近代の市民社会に入ると、男性は外で働き、女性は家庭を守るという性別役割分業が進みました。男性は実用的なスーツを着用する一方、女性は美しく着飾ることで一家のステータスを示すようになります。たとえば19世紀には、細いウエストが女性美の象徴とされ、身体を締め付けるコルセットが流行しました。しかし、締め付けすぎによる健康被害も少なくありませんでした。

梅崎:「ファッションは女性のもの」というイメージが生まれたのは近代以降で、意外と最近のことなんですね。そして20世紀に入ると、そうした着飾ることの拘束性から徐々に解放されていくと考えてよいでしょうか。

平芳:20世紀のファッション史は、女性の身体の解放の歴史ともいえますが、すべてが一気に変わったわけではありません。
たとえば、今では体操着として知られるブルマーは、19世紀半ばのアメリカにおける女性解放運動のなかで、女性の活動的な服装として提案されたものでした。私たちが思い浮かべる今のブルマーとは違い、ズボンの上に膝下丈のスカートを重ねるスタイルでしたが、当時長いドレスで足を隠していた女性たちには斬新すぎて、あまり広まりませんでした。しかし19世紀末になると、西洋ではスポーツやレジャーが普及し、ようやく女性用のズボンのスタイルが受け入れられるようになっていきます。

梅崎:日本では、明治維新以後、男性から先に洋装化が進みました。女性が機能的なズボンをはくようになったのは戦争がきっかけでした。

平芳:女性は家庭内で伝統的な役割を担うことが望ましいとされていたため、明治に入っても着物を着続ける人が多かったのです。しかし戦争が始まると、危機的な状況のなかで最も動きやすい服として、女性たちが能動的にモンペをはくようになります。戦後になると、さらに活動的な衣服が求められるようになり、洋装化が一気に進みました。

梅崎:時代ごとに新しいファッションが登場し、少しずつ変化してきた。

平芳:20世紀を通じて、女性の服はより軽快で活動的なものになっていきました。ただし、完全に解放されたかというと、そうとも言い切れません。たとえばコルセットは廃れましたが、その後はブラジャーなどの新しい下着が普及しました。さらに、身体を補正しない「ありのままのスタイル」が流行すれば、今度は理想の体型を求めてダイエットをしたり、脂肪吸引や美容整形にまで至ったりと、身体の内側にまで手を入れるようになります。
身につけてはいないけれども、私たちはコルセットを内面化しているのです。常に自由な身体を理想としながらも、解放されるためにはむしろ拘束されていなければならない。ファッションには、そうした矛盾の無限運動があるものといえます。

日本人の洋装化出典:『東大ファッション論集中講義』をもとに編集部作成

みんなと同じでありたいが人と違ってもいたい

梅崎:ご著書では、ファッションは「人と同じでありたいという同一化の願望と、一緒でいたいけれど人と違ってもいたいという差別化の欲望の両方を同時に叶えるもの」と書かれています。近代に入り、私たちは階級から解き放たれて自由になりましたが、今度は他人と違う自分らしさを模索するようになります。まさにこのことが、ファッションの流行を加速させているように思います。

平芳:もともとは、社会学者ジンメルの指摘です。みんなと同じものを持つことは、その時代の空気を共有し、社会の一員としての意識を満たしてくれます。しかし、人と同じものばかりでは「自分らしくない」と感じる人もいるでしょう。少し違うものを身につけることで、ファッションは自己のアイデンティティを表す手段にもなるのです。
その意味で、定番ブランドの限定モデルが多く出ているのも納得できます。みんなが価値を認めるブランドの商品でありながら、少しだけ差別化されている。まさに「人と同じでいたいけれど、違ってもいたい」という心理をかなえる商品といえるでしょう。

梅崎:自分はファッションに興味がない、あるいはショーで提案されるようなファッションは自分が着るものとして理解できないという人も少なくありません。しかし、ファッションが前衛芸術と決定的に異なるのは、人々に受け入れられなければ成り立たないという点だと思います。今より少し先の未来を提示して、消費者に「着てみたい」と思わせることが重要ですね。

平芳:ファッションは美術館に飾られることもありますが、実際に着る人がいて初めて成立します。ですから、奇抜すぎて着る人の気持ちを置き去りにしてしまっては成り立たない。ファッションショーで提案される服に派手なデザインが多いのは、デザイナーが時代の空気を反映した象徴的なスタイルを提示しているからです。
「服」は単に着るだけのものですが、「ファッション」は人々に知られ、話題になることで成立します。そのためには、メディアを通じて広く伝えられる必要があり、ある程度目立つことも重要になります。ファッションショーを見て「素敵だな」と思ってもらうことも、「こんな服は自分には無理かも」と感じてもらうことも、ブランドを知ってもらう入口になり得ます。

梅崎:なるほど。

平芳:生活の必要を考えるだけであれば、服を着潰すまで買い替える必要はありません。私たちが新しい服を求めるのは、その時々の気分に合っているもの、気持ちを高めてくれるものを手に入れたいからです。「斬新だけれど、自分でも着られるかも」と思ってもらえる、そんな絶妙なバランスの上に、新しいファッションが次々と提案されているのです。

梅崎:ブランドとして、常に最先端を切り開き続けるのは簡単なことではありません。スーパーデザイナーは、ビジネスとしてのファッションシステムを、自らその内部にいながら批判し、いわば内部から壊すことで新しいものを生み出す。それは、ビジネスとして見ても非常に高度なクリエイションだと思います。

平芳:本当に大きなエネルギーが必要なことだと思います。ファッションは、資本主義の寵児だとよくいわれますが、既存のファッションを問い直すようなクリエイションは、ファッションというシステムや、それを生み出している社会全体への1つの批判でもあります。
ファッションの歴史や文化を学ぶと、私たちの物質的な生活や精神的な営みに深く関わっていることがわかります。「ファッションには興味がない」と言っている人にも、ぜひ関心を持ってもらえたらと思いますね。

Text=瀬戸友子 Photo=Photo=刑部友康(梅崎氏写真)、平芳氏提供(平芳氏写真)

平芳裕子氏の写真

平芳裕子氏
Hirayoshi Hiroko
神戸大学大学院 人間発達環境学研究科教授

東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。専門は表象文化論、ファッション文化論。主な著作に『まなざしの装置』(青土社)、『日本ファッションの一五〇年』(吉川弘文館)など。

『東大ファッション論集中講義』表紙人事にすすめたい本

『東大ファッション論集中講義』
(平芳裕子/ちくまプリマー新書)
東京大学文学部史上初のファッション論の講義として注目された集中講義を書籍化。12のテーマでファッションとは何かを問う。

梅崎修氏

法政大学キャリアデザイン学部教授

Umezaki Osamu 大阪大学大学院博士後期課程修了(経済学博士)。専門は労働経済学、人的資源管理論、労働史。これまで人材マネジメントや職業キャリア形成に関する数々の調査・研究を行う。

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