ポストオフ後の「空白」―期待を語らない組織が招く人材の活用不全
はじめに
ポストオフは、キャリアの再出発点であり、あらたなキャリアの“オン”の始まりである。 役職を離れることによって、より専門的な知見を深めたり、若手育成に時間を割いたり、新規事業や社外活動に挑戦するなど、次の貢献の形を模索する機会になり得るはずだ。
しかし、インタビューを通じて見えてきたのは、ポストオフ後に自らの立ち位置や組織との関係に悩み、戸惑いを抱える姿であった。実際、多くの現場では、ポストオフを契機にキャリアが漂流してしまうケースも少なくない。
そこで本コラムでは、ポストを降りる際にどのようなコミュニケーションが交わされているのかに着目し、その構造的な課題を整理する。その上で、今後のポストオフにおいて、どのようなコミュニケーションが求められるのかを考えていきたい。
1. 期待が語られないことで起きるキャリアの漂流
ポストオフ後の2年間をほとんど沈黙のまま過ごす。それは本人にとっても、組織にとっても、大きな損失である。キャリアの節目において、「期待を伝える一言」が欠けるだけで、時間も意欲も機会も失われていく。
Aさんは、ポストオフ後、直属の上司や周囲から具体的な役割期待や業務指示が一切示されなかったと語っている。年下の新任局長も気を使って仕事を任せず、元部下たちも遠慮して仕事を持ってくることはなかった。その結果、日常的に自分が担うべき仕事を見出せず、「どこまで踏み出してよいか」も判断できず、自ら模索する期間が続いたという。上位者から「あなたにはこれを期待する」という明確な方向づけがあれば違ったのかもしれない、とも述べており、今の立ち位置を自分なりに形づくるまでには、2〜3年を要したそうだ。
業務量は局長時代の10分の1程度にまで減少した。当初は「これでよいのか」と戸惑いもあったが、次第に責任の軽さや負荷の少なさを「楽」と感じるようになったという。現在は仕事を自分のペースで組み立てつつ、余った時間は趣味や勉強に充てている。一方で、自身の能力が十分に活かされていない感覚や、会社への貢献度が下がっている実感もあると述べる。また、会社から「もう頑張らなくてよい」と判断されたようにも感じ、組織への思いは薄れつつあると語る。一度は立ち位置をつくろうと努力したが、踏ん張り続ける中で「もういいや」と気持ちが切れた瞬間もあったという。現在は責任を負わない働き方に慣れ、居心地のよさも感じている。
こうした状況が生じている背景には、組織側が期待を十分に言語化できていないという問題がある。ポストオフの場面で、本人が次にどう動くべきか、どのような目標を持てばよいのかが明確に示されないまま、時間だけが過ぎていく。他のインタビューでも、「何かを期待するというのはなくて、ここを変えてほしいということも何もない」「今後は、若手に任せると言われて、どの範囲まで踏み込んでいいのかが分からない」といった声が確認された。何を任せたいのか、どのような振る舞いを期待しているのかが伝えられず、かつて役職に就いていた人材の役割が空白化してしまっているのである。その結果、本人の迷いと無力感を生み、結果的に組織全体の生産性も下げている。
2. 役職に代わる「期待の伝え方」
では、このような事態をどのように打開すればいいのだろうか。
役職に就いている間は、本人が意思決定の場に関わることで、組織が何を重視し、どこに向かおうとしているのかを自然と理解できる。会議や日々の判断を通じて、優先順位や期待が共有されているからだ。
一方で、役職を離れた瞬間、その前提は大きく変わる。意思決定の場から外れることで、組織の考えや方向性は見えにくくなり、「何を求められているのか」が分かりづらくなる。だからこそ、ポストオフ後には、組織からの役割や期待を、これまで以上に意識して言葉にする必要がある。それは気遣いや善意の問題ではなく、役職を離れた後も組織の方向性を共有するための、きわめて実務的で合理的な行為なのである。
鍵となるのは、「期待を伝える」コミュニケーションを制度の中に組み込むことである。たとえば、ポストオフの告知と同時に、次のキャリアについて対話する機会をセットで設けることが考えられる。
「これまでの経験を踏まえて、今後はこうした分野で力を発揮してほしい」
「この1年は専門性を活かして若手の育成に注力してほしい」
こうした一言を伝えるだけでも、本人の受け止め方は大きく変わるだろう。その際に重要となるのは、職位ではなく役割を中心に話すことである。役職を離れても、組織の中で果たせる役割は様々にある。むしろ、ポストオフによってこそ果たせる役割、たとえば若手に視座を伝える、組織の記憶をつなぐなどといった横断的に知見を共有することなどである。加えて、新たなスキルを身に付け貢献していくことも考えられる。こうした組織としての期待を明確に言葉にして伝えることが、ポストオフ後の再成長のきっかけとなる。
期待を伝える仕掛けをつくる
すでに一部の企業では、役職定年や任期満了のタイミングで「役割再設計面談」を設け、上司・人事・本人の三者で次の年度の期待を確認し、目標を設定する制度を導入しているケースがある。これらの取り組みに共通しているのは、「期待の構造化」である。ポストオフという転機を「終わり」ではなく「再配置」のプロセスとして位置づけ、明確な言葉と仕組みを通じて、本人と組織の関係を再契約している点に特徴がある。この過程を丁寧に設計すれば、本人の納得感が高まり、ひいては組織の活力にもつながる。
一方で、このプロセスを怠れば、本人は「もう終わった人」「頼みにくい人」と見なされていく。その結果、過去の経験や判断の背景は語られる機会を失い、次世代に引き継がれないまま組織の中に埋もれていく。期待を得られていない元管理職が組織の中で役割を見失えば、周囲も学習機会を失うことになる。こうして、変化に応じて進化していくはずの組織としての学習能力は、静かに、そして確実に損なわれていくだろう。
役職に就いていれば、ポストオフという転機は、誰にとっても避けられない。だからこそ、その瞬間にどんな言葉を交わすかが、本人のその後を大きく左右する。重要なのは第1に、「もう終わり」ではなく、「ここからまた頼りにしている」と言えるかどうか。そして第2は、「過去の栄光」ではなく、「これからの貢献」に焦点を合わせられるかどうかだ。
「期待を伝える」ことを組織の当たり前にすることは、一度きりの対話で実現するものではない。1年後、2年後にもう一度「今、どんな期待があるのか」「これから何を目指したいのか」を確かめ合うプロセスを続けていくことで、ポストオフは単なる制度から、キャリアを再設計する仕組みへと変わっていく。
ポストオフを再成長の機会に変えるために
企業で導入されるポストオフ施策においては、ポストを降りた人材の能力が十分に活用されていないケースが少なくない。先に紹介したAさん自身も、ポストオフ後の状態について「組織としてはもったいない」と感じていた。具体的には、自分の能力が十分に活かされていない、また会社への貢献度が明確に下がっているという自覚があるという。
以前は「しゃかりきに立ち位置を模索していた」ものの、次第に気持ちが切れ、今では「もういいや」という状態に至ったと説明している。現在は、責任を負わない働き方に慣れ、一定の心地よさすら感じている。しかし同時に、「組織にとってはプラスになっていない」「いてもいなくても同じように見えるかもしれない」という認識も持っている。ポストオフ者は、こうした両面の狭間で悩んでいるのかもしれない。
これらの発言からも明らかなように、本来発揮し得た能力や経験が十分に活用されないまま、本人の貢献意欲や組織への思いが徐々に薄れていくという、組織にとっての損失が生じていると言えよう。こうした状況は、Aさんに限らず、多くの組織で起きている可能性がある。
だからこそ、ポストオフの局面においては、「これから何を期待しているのか」を役割ベースで明確に言葉にし、継続的な対話として制度に組み込むことが重要となる。そして、期待を沈黙させるのではなく、再配置・再成長のメッセージとして伝え続けていくことがポストオフ施策を機能させるための解決策の一つである。
千野 翔平
大手情報通信会社を経て、2012年4月株式会社リクルートエージェント(現 株式会社リクルート)入社。中途斡旋事業のキャリアアドバイザー、アセスメント事業の開発・研究に従事。その後、株式会社リクルートマネジメントソリューションズに出向し、人事領域のコンサルタントを経て、2019年4月より現職。
2018年3月中央大学大学院 戦略経営研究科戦略経営専攻(経営修士)修了。
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