AI時代になぜ「唯一無二性(singularité)」が鍵となるのか
フランスを代表する組織変革研究者。パリ政治学院などで未来のリーダーを育成する教育者であり、複数企業の取締役、HRシンクタンク「Lab RH」の出版責任者を務める。数々の企業変革プロジェクトにも携わるなど、研究、教育、助言、登壇、執筆を通じて知を社会へ還元する実践者。
ミシェル・バラベル氏が描くFuture of Work
- 人間:唯一無二性(singularité)
AI時代において、真の価値を生み出すのは、標準化された能力ではなく、個人が持つ「唯一無二性」である。 - 組織:持続的インフレクション(inflexion continue)(※1)
急激な変化ではなく、採用、評価、マネジメント、組織文化などの諸要素を少しずつ、かつ確実に連動させて変化させていく。 - 実践:企業変革の現場
LVMHグループの事例のように、評価基準や対話の仕組みを包括的に見直し、経営層と現場が一体となって変革を推進する。 - 教育:学びの変容(transformation)
従来の標準化された人材を育てる知識伝達型教育から、一人ひとりの資質を伸ばし自ら問いを立てる探究型教育へと移行する。 - 環境:良き祖先(bon ancêtre)として生きる
グリーンHRの概念を軸に、目先の制度や成果を超え、未来の世代にとって良き祖先となれる持続可能な選択をする。
「標準化」が人間から奪ったもの
20世紀の企業は「標準化」を成長の原動力としてきた。標準化することによって、誰が担当しても同等の品質と速度で仕事をこなすことが可能となった。生産性は飛躍的に高まり、大量生産・大量消費の時代を支える基盤となった。そこで重視されたのは、個人の個性ではなく、誰とでも交換ができる代替可能性であった。しかし、その代償として、業務は細分化され、マニュアル化が進んだ結果、人間の仕事から創造性や主体性は少しずつ削ぎ落とされていった。
バラベル氏は、AIの急速な進化がこの脱人間化の流れをさらに加速させるとは考えていない。むしろ、高度なAIの台頭こそが、人間が長い歴史のなかで手放してしまった価値を、私たちに対して改めて突き付けているのだと指摘する。AIには決して代替できない能力とは何か。そして人間の価値は、いったい何によってもたらされるのか。この本質的な問いに答えるための鍵として、バラベル氏が繰り返し立ち返るのが「唯一無二性」という概念である。個人の資質や豊かな感性、固有の価値観、さらにはこれまでの経験や文化的背景といった、一人ひとりの唯一無二性こそが、これからの不確実な時代において価値を生み出す源泉になると説く。
「唯一無二性」は組織の中でいかに培われるか
ミシェル・バラベル氏
バラベル氏によれば、唯一無二性は、個人の生まれ持った資質だけで決まるものではない。それは教育や日々の実践的な経験との有機的な相互作用の中で育まれていくものである。そうだとすれば、多くの人が日々の大半の時間を過ごす組織もまた、個々の唯一無二性を育む重要な場でなければならない。今組織に求められているのは、唯一無二性の発揮を管理・統制することではなく、それを引き出し、育むための環境をつくることである。
しかし、そのような環境づくりは決して容易ではない。組織を構成するさまざまな要素は互いに複雑かつ密接に結び付いているからである。たとえば評価制度だけを変更する、あるいは研修プログラムだけを見直すといった部分最適のアプローチでは、組織の改革を導くことはできない。自律的な働き方を重視すると経営層が掲げながらも、評価制度が短期的な成果のみを求めるのであれば、従業員は自らの行動を変えない。創造性を発揮することを求めながら、失敗を許容しない組織文化では、新しい挑戦など生まれるはずもない。1つの要素だけを変えても、システムとしての組織全体を動かすことはできないのである。
共著『RH et leadership face aux défis sociaux et sociétaux:Pour une approche humaniste des RH(HRとリーダーシップ、社会的課題の最前線で:人間中心のHRアプローチをめざして)』(※2)において、バラベル氏は経済合理性と人間性、目先の効率と組織の持続可能性といった、一見すると矛盾する要素を調整する役割こそがHRの本質であると唱え、HRを組織変革の舵取り役として位置付けている。だが、そのミッションは、単一の制度改革のみで果たせるほど単純ではない。
だからこそバラベル氏が推奨するのが、採用、評価、マネジャーの役割、組織文化にいたる諸要素を少しずつ整合させながら、個々の唯一無二性が発揮されるための土壌そのものを中長期的に変えていくアプローチである。これこそが継続的な組織変革「持続的インフレクション(inflexion continue)」だ。
LVMHグループの実践に見る「企業変革」の現場
企業変革の現場で得られた気づきを、バラベル氏は研究や教育の場で理論へと昇華させ、その理論を再び実践の場へと還元して検証を行う。この一貫した往還のサイクルこそが、彼の変革アプローチを支えている。
その具体的な例が、LVMHグループにおける組織変革プロジェクトである。グループ傘下のルイ・ヴィトンから開始されたこの先進的な取り組みにおいては、評価や報酬制度、日々の対話、マネジャーの果たすべき役割、中長期の人材育成、さらには経営層の行動様式を1つの統合されたしくみとして連動させることが変革の本質であった。このような日々の積み重ねを通じて組織全体を徐々に変容させ、一人ひとりの唯一無二性が発揮される環境を整備した。そこでは、バラベル氏が提唱する「持続的インフレクション」の実践を見ることができる。
この変革プロセスは、大きく以下の6つのステップにより進められた。
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好調な企業から、進化し続ける企業へ
当時のLVMHは業績面では好調だったが、従業員の価値観や仕事に対する期待が変化するなかで、将来的な人材の獲得や定着に対して懸念を抱いていた。業績が好調な今こそ、外的環境の変化に適応できるうちに手を打つ必要があった。そこで求められたのは、既存の成功モデルに新たな価値観を織り込んでいくことであった。ルイ・ヴィトンで始まったこの取り組みは、やがてLVMHグループ全体に展開された。 - 「何を達成したか(What)」から「どう達成したか(How)」へ
従来のパフォーマンス評価は、具体的な数値実績やKPI(※3)などの「What」に偏っていた。変革においては、協働や知識の共有、行動のあり方を示すプロセスとして「How」を評価指標に加え、一人ひとりの強みや持ち味を生かした貢献も含めて評価するしくみへと再構築した。 - 年次評価から、継続的な対話へ
年1回実施される面談では、直近の出来事を過大に評価してしまう「新近性バイアス」の影響を受けやすかった。そこで、個々の目標や成長のプロセスを年間を通じて記録し、定期的に対話を行うためのデジタルツールと新たな運用ルールを導入した。これにより評価のあり方は、1度きりの年次評価から、継続的なフィードバックを伴うしくみへと移行した。 - マネジャーを「評価者」から「育成者」へ
継続的な対話を重ねるプロセスにおいて、マネジャーに求められる役割も変化した。単に部下を評価する上司ではなく、部下の一人ひとりが保有する力を引き出すための環境を整える存在への転換である。バラベル氏はこの理想のマネジャー像を「庭師」という言葉で表現する。植物が育つための土壌や環境を整える庭師のように、部下の自律的な成長を支えることが求められたのである。 - 評価から報酬までの一貫した改革
個人の「How」を評価に組み込むのであれば、それに対応する報酬や昇進の基準も同様の考え方で設計する必要がある。企業が大切にする価値観を、日々の行動から評価、報酬にいたるまで一貫して結び付けることが、変革における重要な柱となった。 - 経営層と現場がともにつくる組織変革
変革はHR部門だけで設計されたものではなく、経営層が変革を主導すると同時に、現場の従業員も当事者として新たな制度設計に参加し、対話を重ねながらしくみを協創していった。トップの模範と現場の知恵や経験を組み合わせながら、変革そのものを組織全体で実践した点が、この取り組みの特徴である。
教育は「標準化」から「唯一無二性」を育む時代へ
バラベル氏は未来の指導者(リーダー)を育成する教育者でもあり、AI時代に求められる教育もまた、大きな転換期に直面していると語る。これまでの工業社会には、その時代のニーズに適した教育モデルが存在した。知識を効率的に伝達し、あらかじめ設定された一定の基準で評価を行いながら、標準化された組織に適合する人材を育成する。この教育パラダイムは、標準化を前提として成長を続けてきた企業社会を支えていた。しかし、生成AIなどが高度な知識へのアクセスや情報の整理を瞬時に代替する現代において、その前提は根本から大きく崩れ去りつつある。
だからこそ、これからの教育に求められるのは、従来の知識伝達型から、主体的な「探究型」への学びの転換である。一人ひとりが持つ資質や感性、価値観を重んじ、自ら新たに問いを立てる力を養い、自己の唯一無二性を深めていくことを支援する。教育とは、単に企業が必要とする人材を育てる場ではない。人間が自らの可能性を発見し、社会の中でその価値を発揮できるよう支援する営みである。そのため、教育者自身もまた、完成された知識を授ける存在から、学習者がそれぞれの唯一無二性を見いだす手助けができるよう「問いを育てる存在」へと進化する必要がある。
私たちは未来の世代に何を残したいのか
人間、組織、教育の領域を貫くバラベル氏の思想は、環境という現代の課題において、1つの到達点を迎える。
共著『Green RH:Quand la fonction RH fait sa révolution verte(グリーンHR:HRがグリーン革命を実現するとき)』(※4)において、バラベル氏は企業による気候変動への戦略的な対応を、部門ごとの縦割りを越え、社内外の多様なステークホルダーを巻き込むエコシステム全体の課題として描き、その牽引役をHRに求めている。持続可能性を基準に置いた採用基準の見直し、グリーンスキルを育む研修、環境負荷を考慮した働き方そのものの再設計などが、この思想を具体化するためのHRのアクションプランとなる。
個人の唯一無二性を尊重する組織デザインや、次世代の教育のパラダイムシフトと同様に、ここで問われるのは、目先の数値目標や経営成果の追求にとどまらず、組織が社会に存在する意味、すなわちパーパスを見据えているかという点にある。気候変動という問題もまた、この問いなしには向き合えない。
バラベル氏が示す未来の判断基準は極めてシンプルである。すなわち、現在の私たちが下す判断を、次の世代が振り返ったとき、私たちのことを「良き祖先(bon ancêtre)」と呼べるかどうかである。一人ひとりの唯一無二性を尊重し、持続的な組織へと変革し、教育のあり方を変容させ、環境課題に対しても向き合い続けること。日々の選択のなかで、これらの決定を重ねていくことこそが、バラベル氏の描く「良き祖先であり続けるためのロードマップ」である。
(※1)inflexionは、体や物の向きを軽く傾ける・曲げる動作を指す言葉で、比喩的には方向性や政策などの緩やかな変化を意味する。急激な断絶ではなく、少しずつ、しかし確実に流れの向きを変えていくというニュアンスが込められている。
(※2)オリヴィエ・メイエ氏との共著。2026年2月Éditions EMS社より刊行。
(※3)Key Performance Indicator:業績評価の基準となる数値目標。従業員やチームの成果を測る指標として、評価制度に組み込まれることが多い。
(※4)オリヴィエ・メイエ氏、アントワーヌ・ポワンカレ氏との共著。2024年9月Dunod社より刊行。
取材・TEXT=田中美紀(客員研究員)
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