AI時代に「人間が人間らしく生きられる社会」のために

ジャニーヌ・ベルグ(Janine BERG)氏

2026年06月09日

プロフィール

2002年よりILO調査部門の上席エコノミスト。労働規制の経済的影響や、デジタル変革を専門とするFuture of Work研究の第一人者である。2018年には、クラウドワーカーの労働実態を分析した『Digital Labour Platforms and the Future of Work(デジタル労働プラットフォームと仕事の未来)』を発表。AIが雇用や労働条件に与える影響について、データに基づき提言を行っている。
AIの真のリスクは雇用の消滅ではなく、構造的な格差の拡大にある。ILOのベルグ氏は、人間中心のアプローチと適切な政策こそが、AI時代に必要であると冷静に分析する。

ジャニーヌ・ベルグ氏が描くFuture of Work

  • AIによる労働市場の構造的変化への適応
    大規模な失業ではなく、事務職を中心としたタスクの変容と、それに伴う格差拡大リスクへの警戒が必要である。
  • アルゴリズム管理に対する透明性の確保
    AIによる評価や監視が労使間の権力の非対称を強める現状に対し、人間性を奪わないための規律が求められる。
  • 人間中心のアプローチの徹底
    複雑な対人関係や予測不能な事態を管理できないAIの限界を理解し、意図的に人間が主導権を握る設計を行う。
  • ジェンダー格差拡大の防止
    自動化リスクが女性に偏る現状を直視し、既存の構造的バイアスを増幅させないための是正措置を講じる。
  • 「Good Work(よい仕事)」の実現
    効率性と仕事の質をトレードオフにせず、労働者の自律性とつながりを重視した技術活用を推進する。

AIは静かな「構造変化」を引き起こす

AIと雇用をめぐる議論は、しばしば「機械が人間の仕事を奪う」という極端な悲観論と、「新たな雇用が無限に生まれる」という楽観論の二項対立に陥りがちである。しかし、2023年にベルグ氏が共同執筆したILO調査報告(ワーキングペーパー96(※1))は、より緻密なデータによってこの議論に一石を投じている。

報告書によれば、生成AIの影響は「雇用の消失(Destruction)」よりも、仕事の内容が変化する「拡張(Augmentation)」として表れる可能性が高い。特筆すべきは、生成AIにより大きな影響を受けるとされた職種が、事務・サポート職に集中しているという点である。事務タスクの約24%が大きな影響を受け、さらに58%が中程度の影響を受けるとされ、他の職業群に比べて突出している。

これは、大半の労働者にとってAIは仕事を奪う敵ではなく、一部の定型業務を代替することで人間がより付加価値の高い業務に集中できるよう支援する道具になり得ることを示唆している。しかし、ベルグ氏はこれを手放しで喜ぶべきではないと警告する。適切な政治的介入がなければ、技術の恩恵は一部の先進国や大企業に独占され、影響を受ける労働者が支払うコストは極めて深刻なものになるからである。

深まる権力の非対称と「アルゴリズム管理」

ジャニーヌ・ベルグ氏ジャニーヌ・ベルグ氏

AIがもたらす変容は、雇用の量だけにとどまらない。職場の「管理の在り方」そのものが、アルゴリズムによって根底から覆されつつある。タスクの割り当てから業績評価、さらには給与の決定に至るまで、AIが担う職場が急増している。ベルグ氏は、この「アルゴリズム管理」がもともと存在する使用者と労働者の間の非対称をさらに決定的なものにしていると指摘する。

労働現場では、リアルタイムで膨大なデータが収集され、使用者側には圧倒的な情報優位がもたらされる。一方で、労働者はなぜその指示が出されたのか、自らがどのような基準で評価されているのかというロジックを知らされない「ブラックボックス」の中に置かれている。自らの評価に異議を申し立てる根拠すら与えられない不透明な構造は、職場の人間性を著しく損なうリスクを孕んでいる。

こうした問題は、かつてはUberなどのプラットフォーム労働特有のものと見なされていたが、現在では物流、サービス業、さらにはケア部門といった一般企業にも浸透している。2018年のILOレポート(※2)で警鐘を鳴らした構造的問題は、今や全労働者にとって共通の課題となっているのである。

AI時代に揺らぐ「ディーセント・ワーク」の理念

ILOが1999年から掲げている「ディーセント・ワーク(働きがいのある人間らしい仕事)」という理念は、公正な収入、職場の安全、社会的保護、個人の発展、そして機会と待遇の平等を意味し、雇用の創出、権利の保障、社会的保護、社会対話という4つの柱から成る。現在はSDGsの目標8にも組み込まれ、ILOの活動全体の指針となっている。

ベルグ氏は、AIの導入方法次第では、この理念が根底から揺るがされかねないと危惧している。アルゴリズムによる常時監視やデータに基づいた一方的な解雇判断、さらには不透明な賃金決定は、ディーセント・ワークの柱を根底から脅かす。技術そのものが悪なのではなく、その使われ方が問題となる。AI時代においてこそ、私たちはこの理念を意識的に守り、技術を人間らしい働き方の実現のために再定義しなければならない。

人間中心のアプローチの重要性

ワーキングペーパー154(2025年)(※3)は、HR部門がAIに飛びつきやすい構造的背景も指摘している。HR部門は長年、経営幹部内での地位向上を求めてデータや数値による意思決定を重視してきた経緯がある。その結果、「AIはエビデンスに基づく客観的な判断ができる」という謳い文句を十分な検証なしに受け入れるリスクが高まっている。

こうした問題を防ぐ鍵は、現場の声を設計段階から活かすことである。実際にシステムを使うHRマネジャーや労働者が開発段階から参加することで、初めて実態に即したAI活用が実現できるとレポートは結論づけている。

ジェンダー格差を増幅させるリスク

AIは既存の構造的な格差を増幅させるリスクをはらんでいる。ワーキングペーパー140(2025年)(※4)によれば、生成AIにより影響を受けるリスクは女性が多い職種で、男性が多い職種の約2倍に達する。高所得国では、最も自動化リスクが高い職種に就く女性の比率は9.6%であるのに対し、男性は3.5%と約3倍の差がある。

2026年3月のリサーチブリーフ(※5)は、女性がリスクにさらされやすい理由として事務職への集中、STEM分野(※6)で働く女性の割合が少ないこと、そして、AIシステム自体がジェンダーバイアスを再生産しやすいことの3点を挙げている。給与決定へのAI活用も、既存の性別賃金格差を固定化・拡大させるリスクを孕んでいる。

「Good Work」と2040年への展望

ベルグ氏が「Good Work」と呼ぶのは、自律性があり、人間的なつながりが保たれ、公正に評価される仕事である。ベルグ氏は「業務効率と仕事の質はトレードオフではない」と断言する。よい労働条件のもとでこそ、人はよい仕事をし、生産性も向上するからである。その分岐点は、AIの性能ではなく、誰のために、誰とともに設計されるかにある。

2040年に向けたメッセージ

2040年に向け、ベルグ氏が望むのは「人間が人間らしく生きられる社会」である。AIの「未来」を形作るのは、データでも市場原理でもなく、「政策と対話」、そして「人間の選択」である。その第一歩は、仕事の中に人間的なつながりを取り戻すことにある。同時にパンデミックで重要性が示されたエッセンシャルワーカーの処遇改善も不可欠である。技術がいかに進化しようとも、すべての人が尊厳を持って働ける社会をつくることこそが労働政策の根幹であり続ける、とベルグ氏は力強く語る。

(※1)「Generative AI and Jobs: A Global Analysis of Potential Effects on Job Quantity and Quality(生成AIと雇用:雇用の量と質への潜在的影響に関するグローバル分析)」https://www.ilo.org/sites/default/files/2024-07/WP96_web.pdf
(※2)「Digital labour platforms and the future of work - Towards decent work in the online world(デジタル労働プラットフォームと仕事の未来 - オンライン上のディーセント・ワークに向けて)」世界75カ国、3500人のクラウドワーカーを対象にした大規模調査。5つの主要マイクロタスクプラットフォームの労働条件を比較分析した研究である。https://www.ilo.org/sites/default/files/wcmsp5/groups/public/%40dgreports/%40dcomm/%40publ/documents/publication/wcms_645337.pdf
(※3)「AI in human resource management(人事管理におけるAI)カナダの研究者ハンナ・ジョンストン氏との共同執筆。https://www.ilo.org/sites/default/files/2025-11/wp154_web.pdf
(※4)「Generative AI and Jobs: A Refined Global Index of Occupational Exposure(生成AIと雇用:職業別影響度に関する改訂グローバル指数)」https://www.ilo.org/publications/generative-ai-and-jobs-refined-global-index-occupational-exposure
(※5)「Gen AI, Occupational Segregation and Gender Equality in the World of Work(生成AI、職業的分離と労働における男女平等)」https://www.ilo.org/publications/gen-ai-occupational-segregation-and-gender-equality-world-work
(※6)Science(科学)、Technology(技術)、Engineering(工学)、Mathematics(数学)の4つの理系専門領域を総称する言葉。

取材・TEXT=田中美紀(客員研究員)

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